幕間32/仲人は目的を忘れつつある
カラカラと、サイコロが転がる音がする。
……あれは、初めてオフ会をした日だった。
ずっとwebダイスやアプリのサイコロを使っていたけど、アナログゲームで遊ぶ雰囲気づくりとして、実際にサイコロを利用してみたいと思っていた。
それでネット通販で物理的なサイコロを買ったのだ。田舎にはホビーショップなんて存在しないし、サイコロも六面体しか売っていない。だから、それ以外の面数のサイコロを要求されるゲームで物質的なサイコロを使うのはこのときが初めてで、私は静かに はしゃいでいた。
キャラクター作成で魔法使いが選択できるゲームのとき、あの人は必ず魔法使いを選ぶ。
今回は私の趣味で、探偵キャラを作成できる近現代を舞台にしたゲームシステムを選んだから、魔法使いは作成できない。あの人は今回はどんなキャラクターを作るのだろう。
ゲームで遊びながら、次のオフ会の計画も出た。
今度こそ、聖地巡礼に行こう。
あのノベルゲームの舞台の場所へ。
……とても懐かしい、思い出のような光景。
おぼろげなそれにしばらく浸かっていたけれど、やがて夢から醒める。
「良かった、気付かれたのですね……」
聴き心地の良い声。
そちらを向いて視界に映ったのは、シャニア姫の顔。
「……ええと、私は一体……?」
どうやらどこかの部屋で寝かされているらしい。魔術照明で昼のような明るさだ。
シャニア姫はハンドベルを鳴らすと、起き上がる私と向かい合った。
「ノイアさんがフェンへの襲撃を防いでくれた後、隠し部屋であるこちらへ運ばれました。学院の医務室では、他の生徒たちに何か起きたことを悟られてしまいますから」
おそらく学院長室から直通の部屋なんだろう。
まさかシャニア姫やフェン様が私をここに抱えてきたわけではないはず、と思ったところで、離れた位置にフェン様が立っていることに気付いた。
隠し部屋にしてはそこそこ広いけど、他の人の姿はない。ソラリスさんは医務室だろうか?
「すみません、護衛の方たちはどちらにみえますか?」
運んでもらったお礼を言いたい。
そんな思いからの質問に、フェン様は素っ気なく答える。
「護衛たちはソラリスも含めて宿舎に帰した。空間ごと分断されたならソラリス以外の護衛は無事でいるかと思ったんだが、君が術を崩して元の空間へ戻るまでの間に、彼らも体力を奪われて弱っていた」
「……空間分断」
あの子、そんな魔術が使えたのか。
でも、護衛の人やソラリスさんが無事なら一安心ですね……。
「と、なると、私をこの部屋へ運んでくださったのは……?」
「俺だ」
即答するフェン様。
まさかの。
私、農家なので骨太で重さが……。フェン様が身体を痛めていないといいのですが。
「恐れ入ります……」
「君は俺たちの命の恩人だろう。このぐらいのことで畏まる必要はない」
そう言われてましても……。
「君はそれどころじゃないだろう」
あきれるフェン様の言葉に、セルヴィスさんの話を思い出した。
「そうでした、私、夢でセルヴィスさんに助けてもらったんです。その代わりにあの襲撃者の子が、えいかのおう? に意識を飲まれたとかで……」
私の発言に、フェン様は珍しく表情を引きつらせた。
「何だって? いや、それについても問題ではあるが、まずは君のことだ」
「はい……?」
私はもう回復しているのに? 騒動の元凶の追跡は?
不思議に思っていると、シャニア姫がゆっくりと板状の物を取り出してこちらに向けた。
光の反射具合からして、どうやら鏡のようだ。
彼女は少し躊躇いつつ言う。
「驚くかもしれませんけれど、落ち着いてごらんくださいね」
それはどういう意味なのか。
問う前に、鏡に映った私の姿を確認する。
……これは、誰?
理解できずにまばたきをすると、鏡の中の相手も、同じようにまばたきをした。
信じられずに何度も見返すけれど、これは私の姿。
髪と瞳の色が、黒に近い濃い紫色に変わってしまっている。
ああ、お父さんとお母さんが泣いてしまう。
私としては、黒髪黒目は嫌いじゃない。ノイアになる前の私のようだから。
でも、私をノイアとして大事にしてくれる人たちは、きっとショックを受ける。
「……私の内面には何も変化が起きていないので、何だか実感しがたいです」
自分の魔術属性が身体に馴染むと髪や瞳の色に影響することは、今までにシャニア姫から聞いていた。蝕の術は中でも危険だと。
でも、心も身体もいつも通りの感覚で動く。
シャニア姫は、静かに鏡を下げて言った。
「ノイアさんが魔術属性に心を蝕まれていない点には、安心しました。髪と瞳の色であれば魔術で染めることができますから、それで元どおり過ごせるはずですわ」
「ゲルダ先生たちも染めていましたね」
「魔術師は基礎属性を敵に悟られないように色を変える。君も、可能ならその方がいいだろう」
シャニア姫が、髪と瞳の色を変える魔術を教えてくれた。
色を変えられるといっても、学院での私は紫色で通っているので、今までの色にしておいた。実家に帰る時だけ赤い髪と黄色の瞳に戻すことにしよう。
その後で、セルヴィスさんから聞かされた話をお二人に説明した。
フェン様は視線を落とし考え込む。
私は恐る恐る質問する。
「えいかのおうとは、何ですか?」
「始祖王アストロジアが旅の途中で封印した邪悪な生物だ。異界からやってきて、ユロス・エゼルの辺りから南を支配しようとした」
セルヴィスさんが異界からの魂がどうとか言っていたけど、あれは私のことのようだった。それとは別に、異界からやってきた存在がいる? なんだか、魔王みたい。
フェン様は疑問を挙げていく。
「影苛の王の封印が緩んでいるにしろ、何故この国の人間を狙う? 最初に封じたのは始祖王であっても、封印の効力を継続させているのはユロス・エゼルの魔導元帥と聖軍だろうに」
それに対し、シャニア姫が推測を述べる。
「封印を解くより、アストロジアの子孫への復讐を優先したのかもしれません。封印の修復を施される前に」
「まだ北の国との調整が終わっていないというのに。ユロス・エゼルとも話をする必要があるのか」
ぼやくようなフェン様に、シャニア姫が微笑する。
「貴方は無理をしすぎです。仕事を分散しなくては」
「だが……」
「フェン。貴方は信用に足る人物が居ない、と前から口にしていましたけれど。ここに、一人いらっしゃいますでしょう?」
……シャニア姫は、私のことを過大評価しすぎだと思います。
「あっ、ところで、異界の生物に影響されたあの子は、結局どうなったんですか?」
まさか私が魔力を奪いすぎて干からびたりは……。
フェン様は誤魔化す素振りもなくあっさり答える。
「君がやってきたのが早かったおかげか、命に別状はない。蝕の術で一番危険なのは、術を使い続けることだからな。君はそれを止めた」
良かった。とはいえ、王族に危害を加えた以上は厳しい処罰が待っているのだろうけど。
フェン様の説明によると、あの子はソラリスさんと同じところで育った暗殺者で、一度捕まって拘束されていたらしい。普通の手段ではその拘束は解けないはずだった。でも、人知を超えた力をもつ生物に惑わされ、暴走したらしい。
そのため、身体は無事でも精神の方はどうなるか分からないそうだ。
そんな目に遭うのは、もしかしたら私だったかもしれない。
セルヴィスさんにもお礼が言いたい、と思ったところで、やっとおかしなことに気付いた。
「その邪悪な生物はユロス・エゼルの国に居ながらにして、この国にいる人を惑わせることが可能なんですよね」
「ああ」
「では、それから私を救ってくれたセルヴィスさんは何者なんですか?」
夢の中に割り込むなんて。
案の定、フェン様は予想通りのことを言う。
「彼は始祖王の友人だ。邪悪な連中と同じように、異界からやってきてはいるが」
始祖王の代から生きているなら、人間ではない……。
考えてみたら、守護獣を編むという魔術自体が普通の人には無理があるわけで……。
なんであれ、あの人にもお礼を言う機会が欲しい。
「あ、あとですね、私が魔術補助に使っていた水晶、どこに行ったか分かりますか? ゲルダ先生に借りたものなのですが」
その質問に、フェン様は想定外なことを言う。
「あれなら、こちらで回収して研究施設に送っておいた。蝕の術を研究できる機会はそうないからな。あれは素体として丁度いい」
「……分かりました……」
お高い宝石を借りなくて良かった……さっそく弁償ですよ……。うっ。
入れ替わりの護衛の人たちがやってきてお茶を用意してくれたので、お二人とお茶を飲んでから部屋を出た。
ソラリスさんが無事なら、会いに行っても大丈夫かな?
そう考えつつ学舎の中庭を歩いていると、アリーシャさんの賑やかな声が聞こえた。
「ありがとー、おばあちゃん!」
思わずそちらを見て、違和感を受けた。
おばあちゃんらしい人は、誰も居ない。
アリーシャさんの向かいには、医務室担当の先生がいるだけだ。白衣を着て、性別不明な整った顔立ちに、長い鉛色の髪の。
成人した人を全てお年寄り扱いする人はこの世界にもいるにはいるけど、アリーシャさんはそんな失礼な子ではない……。
事件に巻き込まれて、私の聴覚がおかしくなってしまったのだろうか。
思わず身震いする。
認知が狂うのは、怖い。
今日はもう、大人しく宿舎へ戻ろう。
蝕の術を使ったことが、自分で感じる以上に負担だったのだ、おそらく。
属性深度が進行したことを、もっと真剣に考えた方がいいのかもしれない。