幕間31/属性深度進行/金環蝕
今日の放課後は、私とソラリスさんしか魔術研究棟に来られなかった。
アリーシャさんはしばらく数学の補習を受けないといけないらしく、バジリオさんもアリーシャさんがここに来ないなら寄らないとのこと。
タリスさんも近頃は週末に学院の外へ出かけて家の仕事をしているのか、学院で授業のある日はその準備に追われて忙しそう。
そういうことなら、と奥にしまいこまれていた魔石錬成の道具を出して、庭に設置する。これは一般には非公開の道具。太陽光を集めて魔石を錬成する術式を水晶の板に刻んで、箱に乗せるだけの楽なものだ。
ゲルダ先生はこれの応用を作れないか考えていた。魔力を集積して結晶化させるところを、結晶化せず素材に留めておけないか、ということだ。
魔石を錬成する合間に、庭の植物で応用を試すことにした。
ベリーの実に魔力を集めて留めるのはうまくいった。そのベリーを使って紅茶を入れてみると、味はそのままに手早く魔力補給できる飲料に変わる。
私と一緒に紅茶を飲んだソラリスさんが言う。
「これ、果物を経由せずに直に人間に試したらどうなるんだ?」
効率を追求するとその発想になるのだろう。でも、人を魔力貯蔵庫にするのは不安だ。
「人体に使って危なくない魔術であれば、非常時の魔力補給として便利ですよね。詳しい説明がないので、どこまで応用が効くかは試していかないとですが」
人体で試す前に、まずは植物実験を繰り返していく。
果物に魔力を溜めてジャムにしてみたり、ハーブに魔力を溜めて乾燥させてたりお茶を淹れたり。根菜から葉物まで、魔術研究棟で育てられている植物の大半で実験した。
トラングラさんが育てていた食虫植物には試す気になれなかったけど。
集めた魔力をどのぐらい留めておけるのかも、記録していく。
魔石として結晶化しなくても、数日は保つようだ。
魔力を集める術は太陽光を使うので、天気が悪い日には失敗してしまうことが欠点だ。
実験を始めて一週間、ついにソラリスさんは自分の身で実験したいと言い出した。
危ないかもしれないのに。
その点を置いても、私たちの魔力蓄積限界が普段からどのくらいのものか、はっきりしないので比較が難しいのもある。
ここはゲーム世界の中のようだけど、魔力量の情報は分かりやすく管理できない。それを可視化する手段は、どこかで研究されていないのかな。資料を探しても見つからない。
「人にこの術を向けて安全かどうかは、公開されていないだけで試験済みかもしれません。フェン様に資料があるかどうか、確認してみましょう」
人体実験なんて危険なことをするのも不安だし、ソラリスさんがそこまで実験に意欲的なのも気になった。何かあるのだろうか。
私の提案に、ソラリスさんは口ごもるように答えた。
「……ロロノミア様は、最近忙しいみたいだ。余計な邪魔をする気にはなれない」
なるほど。そう考えてしまうのはとても分かる。あの人の行動の妨げは国家の損失。
「でもですね、私は、確定情報が存在するかもしれない内容で、ソラリスさんに無茶をしてもらいたくありません」
「それは……」
「フェン様に余計な時間を取らせられないのであれば、人体実験は棚上げにしましょう。まだ試していない素材だって沢山あります」
ソラリスさんには悪いけど、言いくるめてしまった。
道具にも魔力を溜めておければ、魔術を扱うときに魔力不足で困ることが減りそうだ。
ゲルダ先生たちが作った魔力誘導の補助具を、収納棚の抽斗ごと引っ張り出す。
補助具は、指揮棒サイズの杖から指輪やネックレスなど、RPGで見かける魔術装備が一通り用意されている。
前世で見かけたいろんなゲームには、調理道具や掃除道具で戦うキャラもいたけれど、先生たちはそこまで魔術道具を作る時間が無かったようだ。ゲルダ先生は、日常の道具も魔術で動かせたら便利なのにと言っていた。実際にできたのは、お裁縫ぐらいらしい。
先生たちが学院で講師をせずに研究職のままだったら、この国で日常用の魔術はもっと発展したのだろうか。そんな環境には憧れる。
でも、先生たちが学院に来なかったら、私は一人で自分の魔術属性と向き合う羽目になっていた。
私がそんなことをぼうっと考えている間に、ソラリスさんはガラス製のナイフを取り出した。刃の部分には、ガラスの強度を上げる魔術式が刻まれている。
ガラスの道具は、トラングラさんの研究結果だそう。
ソラリスさんは庭へ出てナイフを空中へ放り投げ、魔力を込めるべく魔術を使う。光が円を描いてガラスの内に集まり、まばゆく反射する。それを観察しながらナイフをキャッチし、ソラリスさんはつぶやいた。
「目潰しにも使えそうだな?」
戦闘脳というか、職業病でしょうか。使えそうな手は何だって利用する。警備や護衛の仕事は大変そうです。自分の身で実験したいと言い出したのも、限界を超える必要を感じた出来事があったのかも……。
そのままナイフ経由で魔術を発動させ、ソラリスさんは火球を打ち上げた。
「あらかじめ魔力を仕込んでおくと、術の発動時に魔力をひねり出す手間が省ける」
「では、長時間魔力を溜め込んでおけるように改良したいですね」
私が普段借りているのは、手のひらサイズにカットされた水晶や魔石だった。いつもは八面体の物を使うけど、十二面体の物や十面体の物が増えている。
形状が変わると、魔術発動の流れも変わるだろうか。
十面体の赤い鋼玉を恐る恐る手に取って観察する。このカットの仕方は宝石向けではなく、まるでサイコロのような形状だ。日本のボードゲームやTRPGでは使うことが少ないけど、海外製のゲームシステムだと、やたらと十面ダイスを要求されるのを思い出した。
……ゲルダ先生は、どういう発想でこんな形状にしたんだろう。魔術向け?
庭に出て、他の多面体と比較しながら魔術を使う。でも、素材による差しか感じられない。
魔力を内側に溜め込むことに感しては、鋼玉が一番だった。魔術発動も速い。
いざという時は、鋼玉を借りにこよう。護身の魔術道具とはいえ、常に借り物の宝石を持ち歩くのは不安が多い。水晶なら、何かあったとき私でも弁償できる。
多面体がいくつも転がっているのを見ると、ウズウズする。久々にサイコロを振りたくなった。
……私は、誰と一緒にボードゲームやTRPGで遊んでいたんだっけ。
思い出せない。SNSで仲良くなった子だったような気がするけど……。
途中で思考があれこれ逸れたけれど、今日も平和に研究が終了する。
念のため、非公開の道具や高価な素材は、奥の鍵付き倉庫にしまい込む。この学院に侵入者が入った時に備えて、魔術による封をしておく。
ソラリスさんはガラス製のナイフをそのまま借りていった。
……やっぱり、懸念ごとがあるみたい。
守護獣を編む儀式の後でシャニア姫とお話をする機会があった。そのときに、ゲルダ先生たちがジャータカ王国で頑張っているおかげで、未来が変化していると教えてもらった。
それでもまだ油断はできない。
人に見られても問題ない道具を借りて、私も備えておくことにした。
眠りについた後は、何も感じない。
私は夢をあまり視ない。
そのはずなのに。
何故だか苦しさを感じている。
目は覚めないのに意識だけがあった。
この不快感の原因はすぐに分かった。
どこかから鈍く重い音が聴こえるのだ。
相手の感覚を痛めつけて不安にさせる、音の重なり。それが鳴り止まない。
音楽に対して恨みでもあるかのような、歪んだ旋律。
『うぅ……』
思わずうめいたけど、声らしい声が出たわけではなく、自分の意識の奥で響くだけ。
嫌な音だ。こんな音を意識的に奏でるなんて、悪意しか感じられない。
『やめてください』
懇願するように言うと、音を垂れ流している元凶が笑った気がした。
あ、これは、見下されている。
そう感じて、頭がすっと冷える。
こちらが苦しんでいるのを面白がっている相手なら、不快アピールなんて逆効果だ。
黙って音から逃げる方法を探す。
と、そこで、バイオリンのような弦楽器の音が、低く長く響いた。
その割込みで、今までの不快な音が一掃されるように消える。
気付けば、私は暗い場所に立っていた。
前にシャニア姫の占術で入り込んだ別世界に少し似ている。
「やあ、危なかったね」
聞き覚えのある声に振り返ると、セルヴィスさんが立っていた。彼の背後で、針金人形がバイオリンを弾いている。どこか聴き覚えのある曲だ。
「え、あ、お久しぶりです……」
状況を理解できず、ただの挨拶をしてしまう。
そんな私に、セルヴィスさんはホッと息をつく。
「あの状況で、よく冷静になれたね。おかげでこちらの介入が間に合ったよ」
「何だか、腹が立ってしまったんです。あれに関わるのはとても嫌だと……」
「その判断で正解だ。けれど……」
セルヴィスさんは何故か視線を落とす。釣られてそちらを見てギョッとした。
私たちがいる場所より更に下方の空間に、誰かが倒れていた。
私と同じ色の髪。小柄だ。男の子?
「あちらは間に合わなかった。私と縁が無いのも原因ではあるが」
「……間に合わない、とは、どういう意味ですか?」
「先程、君に手を出そうとしていた存在が、標的をあちらに切り替えてしまったのさ。……二段構えで阻止しようとしたんだが。異界からの魂を狙うことに失敗した腹いせに、騒動を撒いていくつもりなのだろう」
「えっと、あそこで倒れている子は、助けられないんですか?」
「影苛の王に意識を飲まれてしまったからね。正気に返すのは難しいだろう。行動自体を止めることは可能だろうけれど」
「えいかのおう……?」
聞き返すだけしかできない私に、セルヴィスさんは真剣な表情で言う。
「おそらく、君にしか止められない。目覚めたらすぐに、学院内で異常がないか探してほしい」
その言葉が終わるなり、視界が反転するように閉じていく。
そして、寮の自分の部屋で目が覚めた。
ちょうど日が昇り始めた頃合いだ。
何が起きているのかは分からないけど、嫌な予感がする。
慌てて制服に着替え、魔術研究棟で借りた道具を持って部屋を出た。
どこに行けばいいんだろう。
ふと、脳裏にソラリスさんの姿が浮かぶ。
……フェン様は、この時間も学院長の部屋にいるんだろうか。そして、ソラリスさんはその護衛を?
急いで学舎へ向かう。
途中で誰かの視線を感じた気がしたけど、見回しても誰も居ない。きっと焦りで感覚がおかしくなっている。
中庭を駆け抜け、屋内に入る。
最短距離で学院長室へ向かうと、部屋が黒いモヤで覆われている。
この熱を奪っていく感覚は……蝕の術だ……。
ロロノミア家の人と、ソラリスさんには対抗手段がない。
でも、学院に来る前に読んだ魔術書によると、同属性の魔術は相殺が可能という話だった。
躊躇っている場合じゃない。
借りてきた水晶を握りしめ、意識を集中する。
黒いモヤがあふれて、私を包もうとする。
それに奪われそうになった私の体温を、奪いかえして、それから。
空気が冷え、ドアが、壁が、霜で覆われていき。
力任せに拳を叩きつけたら、空間が割れて、崩れてどこかへ流れ去る。
ぽっかりと空いた黒い空間が、そこにあった。
部屋が蝕の術に覆われているというよりは、まるで別次元かのよう。
部屋の奥には、フェン様が立っていた。
その手前でソラリスさんが膝をついている。
そして、私の目の前には、夢の中で見かけた男の子が立っていた。
歯噛みして、相手がこちらを振り返るのを見据える。
獣のような叫び声と、魔力の奔流。
自分の身を削っていることにも気付かない、暴走状態だった。
この子を助けるのが間に合わないにしても、奥の二人だけは……。
何故だか、今なら蝕の術を上手く扱える気がした。
目の前の相手は、蝕の術を霧のようにあふれさせる。
同属性の魔術でそれを受け流し、一点に向けて流しこむ。
研究したばかりのやり口だった。
太陽光を集めるのと同じように。
蝕の術も、誘導できる。
八面体の水晶は、暗く冷たくなっていく。
やがて、相手は魔力が尽きて床に倒れた。
黒い空間も、じんわりと元へ戻っていく。
思いのほか、私の消耗も酷い。
足がふらついて、
「ノイア!」
フェン様の叫び声と、ソラリスさんの苦しそうな声。
お二人が無事なら、それでいいんです。
そう言おうとして、視界が黒く濁った。
音も消え、体の感覚を失くしていく。