開講、生存教室
きのこる先生
シデリテスからあれこれ説明を受け、気づけば朝が来ていた。
これからやることは決まった。でも、舞燈の王は大丈夫だろうか。……死亡フラグを立てる発言はやめてほしかったな。そうも言ってられない状況なのか。
眠気を振り払うように起き上がると、アエスが肩に乗って頬ずりを始める。
「おはよう、アエス」
「ピュィッ」
ご機嫌なカナリアの鳴き声に、同室の魔術師二人も目覚めて笑う。
部屋の入り口で寝そべっていた鹿は、私たちが用意を済ませて部屋を出ると後からついてくる。
今日の朝食は、香辛料を控えめにした野菜と鶏肉のスープ。小鍋に分けて、サスキアと一緒に子供たちの様子を見に行く。
治癒の術が効いたのか、子供たちは三人とも起きていて、不思議そうに辺りを見回しながら部屋の隅に集まっていた。
私とサスキアの姿に警戒しているようだ。でも、今いる場所から脱走していないのは、逃げて制裁を受けた経験があるからだろうか。部屋には鍵がないから、いつでも外に出られるのに。
「ごはんの前に、自己紹介をしましょうか」
テーブルの上に鍋と食器の乗った盆を置くと、私とサスキアは子供たちに一礼する。
「私はサスキア。こちらがゲルダ。貴方たちにはしばらくここで暮らしてもらい、私たちが貴方たちの意見や要望を受け付けます。貴方たちの名前も、教えてもらえますか?」
その問いに、子供たちは顔を見合わせる。
「なまえ……?」
この子たちに、人としての名前は与えられていない。サスキアも薄々そんな予感があったのか、追求するのはすぐにやめた。
「自分の名前が分からないのであれば、貴方たちのことはこちらで用意した名で呼ばせてもらいます。今までどう呼ばれていたとしても」
子供たちにとってもそこは重要ではなかったらしい。空腹なのか鍋の方を気にしている。
「ひとまず、食事にしましょう」
サスキアの言葉に、赤銅色の髪の子がおずおずと口を開く。
「今日はまだ、何も殺してないけど、メシ食べていいの?」
言いながら、子供たちは部屋の入り口にいる鹿に目を向ける。
おそらく今までは、狩りの訓練で殺した魔獣を朝食にしてきたのだろう。
サスキアは、この子たちがどういう境遇に置かれていたかを察して静かに答えた。
「ええ。貴方たちが生き残るために覚えることは変わりました。もう今までと同じ戦い方ができないのは、貴方たちも気付いているでしょう?」
心臓に絡みつく呪いのような、身体強化の魔術式。眠れる獅子と名付けられたそれは、私たちが勝手に分解し、三人は戦う手段を失くしてしまった。
サスキアの言葉に、子供たちは不安そうにうなずく。
「これから何をするかの説明よりも、まずは食事を」
「慌てずに、ゆっくり食べてくださいね。誰も邪魔はしませんから」
言いながら器にスープを取り分ける。
三人は空腹を我慢できなかったのか、テーブルの上のスープに頭を突っ込んで食べだした。食事を取り上げたりはしないと説明したのに、信用してもらえなかったらしい。今まで人らしい振る舞いを教えてもらえなかったのもあるだろうけど。
これから、この子たちに普通の生活様式を覚えてもらいたいけど、時間がかかりそう。
人間社会で暮らす基本というのは、その外で生きてきた存在に理解してもらうのは大変だ。
ごはんを食べて落ち着いた三人に、今この子たちが置かれている状況を説明する。
「今まで貴方たちに戦いを教えたり食べ物を用意していた人達は、残念ながら全滅しました」
ごまかしてもどうにもならないことなので、率直に打ち明ける。
「どうして?」
「敵に負けたの?」
三人のこの反応からして、自分達が悪い組織に捕まっていたという認識はないようだ。利用されていたことに気付いていない。なら、そこはぼかして説明しようか。死んだ相手を憎ませたところで不毛の極み。
「彼らは非効率な手段で生きてきたので、全滅するしかありませんでした。物は無限に湧いて出るものではありません。だから、奪うだけでは、いつか無くなります」
この世界はゲームの中だけど、ゲームシステムによるデータ管理がないから、モンスターの無限湧きなんて起きない。素材も有限。魔獣の召喚術だってアストロジア王国で押さえた以上は無闇に実施させないだろう。
結局は堅実に生計を立てるのが一番だ。
私の言葉に、三人はしょげてしまった。
「悪い奴がお金を溜め込んでいるから、奪っていいんだって言われたのに」
「無くなるの?」
「じゃあどうすればいいの?」
悪人から財を奪う義賊行為も、悪人が絶滅したらそれで終わり。けど、私の視点で悪だったのは、この子たちを利用していた組織。他人に嘘を教えて利用する人間への怒りが湧く。この子たちが真っ当な社会生活を送れない人間になって喜ぶのは、悪人だけ。
悪人の手駒になるより楽にごはんを得る手段があると理解してもらえば、道を踏み外すこともないだろう。
どれだけ倫理感を欠いた人でも、社会的に生きる方が楽だと判断すれば、反社会的な行動には出ない。
麻薬の密売は儲かると信じていた人が、密売の隠れ蓑にしていた軽食店の方が売り上げがよく、非合法な商売は割に合わないだけだったと気付くのは有名な話。これは散々 映画やドラマのギャグネタにされている。
「食べ物を常に安定して得るには、栽培や畜産を行うのが一番 無難です。他の生物を活かすことが自分を活かすことにつながります」
そして、植物も動物も、人が食べるためには安全な加工(調理)が必要だ。
この説明に、三人は難しい、と言った。
「でもこれができないと、ごはんを食べられない日があるし、酷いときは食べ物が見つけられないまま死にます。奪うのはその場しのぎでしかありません。繰り返しますが、奪えるものは、いつか無くなります」
農業や畜産をナメると死ぬぞ、と直球で言っても理解してもらえない以上は、根気よく噛み砕いた説明が必要だ。
……王宮を占拠していたゴロツキたちも、麦を食料に加工する知識があれば飢え死ぬことはなかったのに。王様が住む場所に居れば、自動で豪華な食事が湧いてくると勘違いしていた。そんな魔法のような現象があったら、逆に罠でしかないのに。妖精のいる大陸の出身でありながら、その逸話を知らずに育ったのは不幸だ。
農業や畜産に向いていないなら、他の手段で生計を立てるという手もある。
「物を作るには段階があって、それぞれが違う仕事として成立します。例えば、植物を育てて糸を作る仕事。糸から布を織る仕事。織られた布で服を作る仕事。服を売る仕事。というように。村や町では、人々は仕事を選んで生活をしています」
私の解説に、三号が口を挟む。
「でも、おうさまはふんぞりかえってるだけって聞いた」
その言葉に、他の二人もうなずく。
「おうさまや きぞくは、えらぶってるだけだから、うばっていいんだって」
その言い分は、知能犯が貧困層の人間を騙して利用する常套句なんだけどな。
「仕事をしている王様や貴族もいますよ。民の仕事を用意するのも、王様や貴族の仕事です。困っている人の力になれない貴族や王様は、ニセモノです」
「ニセモノ……?」
「じゃあ、ニセモノなら殺していいの?」
うーん、そう飛躍するのか。
北の大陸の王族や貴族の中には、素行の悪い人もいる。でも、殺していい理由にはならない。
この子たちは、悪いことをする理由探しをしているように感じる。奪っていい理由。殺していい理由。それがなければ、自分たちが悪い側となって殺される。そう理解しているかのよう。なら、善悪の区別はつくのか。
ゲーム中でも、三号は迷いながら主人公の側についた。あれは、自分を縛る魔術の苦しみから逃げる先が他に無かったのだけど、過去の自分の行いに後悔していたのかも。
回復役のルジェロさんが仲間になるのは、三号が死んだ後だった。出会う順番さえ違えば……。
「ニセモノが何をしたかによって、罪は変わります。罰も変わります。何にしても、殺すかどうか判断するのは、自分一人で決めてはダメです」
「どうして?」
「誰が本当のことを言っているのか、調べなくては。本当に悪いことをしたのが誰なのかが分からないままでは、悪い人が野放しになって、悪くない人が困ります」
その言葉に三人は考え込んだ。
王様は悪い奴だと主張する人間を信じてきた子たちだ。今日 出会ったばかりの私に、悪くない王様もいると説明されて、受け入れるのは難しいか。
黒い髪の子が、沈んだ表情で言う。
「ねえゲルダ」
「私のことは先生と呼んでください」
「せんせい……?」
「それが、私の仕事です。先生はものを説明したり、教えたりします。今みたいに」
「じゃあ、先生」
「はい」
「今までおれたちにごはんをくれた人たちは、奪う以外はできない人だったの?」
「そうです。だからみんなは全滅しました。奪う以外に生きる手段を知っていれば、こうはなりませんでしたが」
厳密に言えばミルディンから殺されたわけだけど、全滅したのは事実だし。
悪党組織の内部争いも不毛だ。
治安の良いところで静かに暮らす方が楽なのに。
悪いことをするとその行いは自分に返ってくると言うけど、何も悪くない善人が不幸な事故死を遂げることもあるので、悪人だから死んだと言い切ることはできなかった。
私の言葉に、三人は黙って何かを考えこんでいる。
警戒されてしまっただろうか。
三号が、私とサスキアから距離を取って言う。
「どうして、二人は自分たちにごはんをくれたの? 仕事の話をしてくれたの?」
「それが私たちの今の仕事だからです」
「誰が二人にその仕事を頼んでいるの?」
「この国の隣にある国の王様です。私たちが貴方たちに生き残る方法を教えるように、と指示を出すのが、私たちの王様の仕事です」
正確ではないけど、細かい話はすっ飛ばす。
静かになった三号に代わり、赤銅色の髪の子が質問する。
「みんなは死んだのに、おれたちだけ生かしてもらえるのは何で?」
「貴方たちは助かる見込みがあるからです。自力で生き残る手段を見つけられる可能性があるから、こうしていろんな話をしています」
「自力で、生き残る……?」
「奪ったり、施されたりするより、自力で生きられた方が気楽です」
身寄りのない子供を引き取って面倒を見るのは、富める者の務め。こう言うと、恩着せがましいとか、上から目線の傲慢な発想だと言う人もいるけれど。
綺麗ごとが嫌いな人に向けて言うのであれば。
悪党の組織から人材を奪うのが、アストロジア王国からの報復である。これ以上、向こうの陣営を拡大させないためには、末端構成員になりかねない人の考えを変えるしかないのだ。
善行に対してイチャモンをつける人間が多い世界だから、いちいち反論を用意しないといけないのが面倒だ。
私としては、綺麗ごとが通らない世界で生きるのは嫌だ。でも、この世界は善意を踏みにじるのが趣味の悪役を用意してくるゲームの中。揚げ足取りに言い負かされている場合じゃない。
礼儀やマナーの概念がない状況で育った相手に、その話をしても理解が進まない。なので効率の面から話をする。
食べ物をこぼすと寝床や部屋が汚くなる。部屋が汚くなると病気になりやすくなる。だから、食べ物をこぼしたら後片付けをしないといけない。それが面倒だから、食べ物をこぼさないように食器を使ってごはんを食べる。食べ物をこぼさない方が、食べる量も増える。食器だけなら汚れても洗う面積が少なくて、後片付けが楽でいい。
こう説明したら、三人はやっとスプーンやフォークに興味を持ってくれた。このまま犬食いを卒業して食事マナーが良くなったら、この子たちの引き取り先や働き先も格段に増える。
いつまでも私たちが面倒を見てあげられるとは限らないから、生き残るために最低限必要な知識は、今のうちに教えてあげたい。
私とサスキアが子供たち三人と過ごすうちに、作戦は進んでいた。
東の寺院を占拠していた集団は魔術結界を張る余裕も戦う余裕も無くなり、抵抗せずに降伏したらしい。
この地域も物資不足で参っていた。挙句に、支配下に置いたはずの僧侶や町民に反抗され、限界だったそう。
北の大陸からジャータカ王国へ渡る船は当分出ない。そのため、ジャータカ王国内で物流網を封鎖した件は、こちらの陣営だけでなく、敵の陣営にも不利な結果をもたらしたようだ。北の大陸から物が届いていれば、東の寺院だけはやっていけたはずなのに。
「まさかイシャエヴァ王国がアストロジア王国と手を組むなんて」
降伏した魔術師はそう嘆いたらしい。
アストロジア王国と北の国との交渉が再開してもう半年になるのに、今更そこに気付くなんて。
情報が与えられていないということは、この地域の支配者も捨て駒なのか。
シジルについては、トレマイド経由で知る限り、親であるモルスと変わりのない愉快犯に思えた。シデリテスの予知で視たシジルも、刺礫の王を分解吸収してほくそ笑んでいたし。
でも、ミルディンが組織を弱体化させているのをここまで放っておくのは流石におかしい。遠隔魔術を扱えるシジルが気付かないはずがない。
となると、ミルディンの考えにシジルも同調している可能性がある。もしそうなら、ジャータカ王国の征服が失敗しようがどうでもいいだろうし。
その場合、敵であるのは、モルスを過剰に讃えて取り入ろうとしていた詐欺師キャラということになる。
アイツは、妖精を騙して味方につけているところが厄介だ。あと言動が気持ち悪い。
誰が黒幕になっていても、相対したくないな……。
推測だけでは何も対策が打てない。
どうにか占術で情報を得られるようにならないと。
瞑想するように眠りについて、自分の意識の内に夢鏡の場を作る。
一面が銀色の世界。
ここまでは私だけでもどうにかなる。あとは情報を得られるように、感覚を鋭くする訓練だ。
両手を握りしめ、誓約の術に意識向ける。
手の甲に熱がこもり、白い花が淡く光る。
ヴェルは今どうしているだろう。眠っているなら、ここに呼び込めると聞いた。
……事前に就寝時間を聞いてくれば良かったな。
そう思ったところで、真上からボシャッと何かが落ちてきた。
懐かしい、スミレ色の髪。
ヴェルだ。
銀の波紋に揺れながら、何が起きたのか分かっていないヴェルが、混乱したようにもがく。
「ごめんなさい、大丈夫だから、落ち着いて」
慌てて側に駆け寄った。
そういえば私も、シデリテスの夢鏡には真上から落ちたっけ。
もうちょっとこう、メルヒェンな招き方とかできないだろうか……。