潜入と救出と
潜入役の二人は北の海岸方面から回り込み、半日かけて目的の街の裏まで荷馬車でたどり着いた。道中で人にも魔獣にも遭遇しなかったので、こちらの計画は敵に漏れていないようだ。
本来はここから王宮まで、早駆けで一直線なら十分もかからない距離。作戦が上手くいったならさっさと直帰する予定だけど、どうなることやら。
街は昼間だというのに、静まり返っている。
街が見える距離にある農園の脇に、荷馬車を止める。
サスキアとサイモンは魔術迷彩のローブで全身を覆い、視覚情報をこちらと共有するゴーグルを身につけると、荷馬車から降りた。
サイモンが使い魔の鼠を走らせ街の様子を探る。街には囲いも柵もないけれど、魔術障壁が張られていて、こじ開けるには準備が必要そうだ。
私は荷台にあるバケツを使い魔に運ばせた。今のうちに馬二頭には水とご飯を与えておく。静かに水を飲む馬たち。この子たちも敵に見つからないように隠さないと。隠蔽魔術は馬にも施してあるけど油断はできない。
サスキアとサイモンの二人が急に暗器や短剣を構え、警戒態勢を取る。
使い魔に周囲を確認させると、街の境界の茂みから何かが這い出して来た。
巨大なまだら色の蛇が、首をもたげてこちらを見ている。
思わず叫びそうになったけど、慌てて使い魔 二羽に馬車の積荷を運ばせた。
こんな時に備えて作ったお酒だ。
馬を注視していた大蛇は、翼をばたつかせて酒壺を運ぶカラス達に気付き、視線を移す。カラスは行儀悪く酒壺の蓋を蹴って逃げるけど、蛇は酒壺から溢れる匂いに惹かれたようで、こちらを追うことはなかった。そのままずるりと這って酒壺を覗き込み、頭を突っ込んだ。どうやらお酒を飲み始めたらしく、喉元が揺れている。
しばらく緊張しながら様子を窺う。
やがて期待どおり大蛇に酔いが回ったようで、でろんと伸びて地面に転がり動かなくなった。
昏睡しているのか心臓が止まったのかはわからないけど、サスキア達は機会を逃さず、背後から近づいて大蛇の首を落としてしまう。
蛇の呪いらしいものもなく、サイモンは大蛇の頭を検分する。
「コイツは現地の野生生物とは違うようです」
隠蔽魔術が効いていないし、人造か召喚された魔獣のどちらかだろう。
王宮にいる魔術師が素材として蛇を欲しいと言うので、サスキアとサイモンが他の調査をする間に私が大蛇を布で包んで荷馬車に運ぶ。死骸を転がしっぱなしにして敵に見つかっても面倒だから、後始末も兼ねた回収だ。
他にも大蛇がいるといけないので、さっきの酒壺は茂みの影に置いて、街から見えないよう隠す。
敵が魔獣を出してくる度に、こっちの陣営は素材入手の機会にしてしまっている。そこは敵側も気付いていそうなものだけど。変わらず魔獣を出してくるというのは、何が狙いなんだろう。こっちに殺生を重ねさせて呪術に利用する気なのか。獣の怨念も、妖魔避けと同じ要領で清めているので回避できているはずだけど……。
街を調べるうちに、状況に変化が起きる。
地響きが聴こえるので使い魔を空に飛ばすと、街の西側から魔獣の集団が駆け出していくのが見えた。そして、街にかけられた魔術障壁も一時的に消えている。
この隙に、サスキアとサイモンは街へ侵入すべく駆け出した。
今なら、この街を仕切る人間は魔獣を統率することに意識を使っているはず。警備が薄くなっている。
私は使い魔を荷馬車に残し、二人が街に侵入するのを見送った。私の役目は、二人が無事に帰るための逃走経路を確保すること。荷馬車を保護つつ、街に異常が起きないか確認しなくては。
上空から見る限り、魔獣が街を徘徊している様子はない。街から王宮を監視する物見櫓だか塔だかがあるのは、やはり中央にある謎の施設。今は塔に誰かいるのか、影が見えた。こちらが見つからないように慌てて撤退する。
意識を王宮にいる自分に戻し、情報を手短かに紙に書いて指令室に送った。
次は用意した鏡を覗く。そこにはサスキアとサイモンの二人がゴーグル越しに見ている光景が映し出されている。
二人は四角い民家が並ぶ区画の裏を走り抜け、街の中央にある楕円形の施設へ向かう。
あの建物の外見は、ゲームで訪れた実験施設そのままだ。建材を分解して運び、この街で再建したのだろう。
何の妨害もなく施設に辿りついた二人は、建物の外壁をよじ登る。そして、道具を使い二階の窓をこじ開けて中へ入り込んだ。
施設の中には灯りがないので、暗視の術で先へ進む。
暗くて分かりにくいけれど、内部構造まであのゲームで体験したのと全く同じ。この先に何があるのか察して、私は嫌な気分になった。
迅速に奥へ向かう二人の視点と、使い魔の視点を交互に切り替えて状況を確認する。
そのうちに、魔獣の群れが王宮に近づいたらしく外が騒がしくなった。
送り出された魔獣は前と同じくサーベルタイガーのような姿だったから、事前に用意した対抗手段でどうにかなる。
王宮防衛の役目の人達を信用し、私は課された仕事に集中する。
サスキアとサイモンは、濁った緑色のローブを着た集団が中央の部屋から出ていくのを目撃した。
その集団が去ったのを確認し、二人は部屋を覗き込む。広い部屋には魔術儀式の跡が残っていた。黒い床に、巨大な円陣と呪文。サスキアはそれを解析する。
「床が丸ごと黒曜石の鏡になっていて、異界への接続の文言が書かれています」
その情報に、異界から魔獣を呼び出す手段があると気付いた魔術師達が軽くざわめく。
サスキアは手短かに告げる。
「儀式結果が現れる場所は階下なのでしょう。探索に向かいます」
二人は部屋を出ると、人の気配を避けて階段を降りる。
そして儀式場の真下に、大量の獣の足跡や壁の引っかき傷などを見つけた。部屋に巨大な引き戸があるから、ここから魔獣達は王宮へ向かうのだろう。
シデリテスは召喚魔術について想定済みだったのか、冷静に二人へ告げた。
「その儀式を実行するための魔力源を探して欲しい」
潜入役の二人は地下へ向かう。こちらには人の気配がない。なら、さっきの集団はどこへ?
私は意識を使い魔に移して街の様子を確認する。
施設から人が出て行く気配はない。全員が上階に向かったのか。
施設中央から伸びる塔を見ると、人影が増えている。
こちらの陣営が魔獣へどう対応しているのか、観察しているようだ。
それも記録してシデリテスへ報告する。
街に人が見当たらないのは、魔獣に怯えて屋内に引きこもっているからであればいいのだけど。楽観視はできそうにない。
何度も大量の魔獣を召喚するための魔力は、一体何から用意しているのか。その答えはゲーム中で知った。私はあらかじめ覚悟しているけど、他の人はどうだろう。
サスキアは最悪の状況も想定していた。彼女は北の魔術師に人の心を期待していない。でも、それに慣れていないアストロジア王国の人達は、この施設にあるものを全部暴いて、後悔しないだろうか。首都の街と王宮の惨状にも心を痛めていたから。
あらかじめ私が全部説明できていれば、まどろっこしいことはしなくて済むのに。
私がゲームから得ている情報を、周りに不審がられず明かす方法さえあれば。
サスキア達が行き着いた地下一階の広場には、ぼんやりと光るものがある。目を凝らしてよく見ると、黒い植物が巨大な蛍石を抱くようにして生えていた。
……これが、召喚魔術に使う魔力源?
なら、安心していいのだろうか。街の人たちがここに集められて魔力回収に利用されたわけじゃないなら、状況としてはゲーム内よりマシになっている。
意識を使い魔へ移し、街の中に入る。魔獣の襲撃から時間が経っているのに、魔術障壁の張り直しはまだのようだ。民家へ向かい窓から中を覗くけど、人の姿はない。儀式に利用されていないなら、住人はどこへ行ったのか。
サスキアとサイモンは、蛍石には近づかずに解析を行なう。その情報をシデリテスへ送ると、地下二階へ。階段を降りて狭い通路に出ると、扉に阻まれる。そこに掲げられているプレートには、“眠れる獅子”という実験コード名が書かれていた。
サスキア達が奥へ向かうたびに、私は自分が息を潜めていることに気づいた。深く息を吸って、落ち着こうとする。
けれど、実験棟の中を確認して冷静さを欠いたのは、私よりもサイモンの方が早かった。
扉の先には、六つの檻がある。
そして、その檻の中には、
「どうして子供が⁉︎」
サイモンが声を上げ檻へと近づく。
「落ち着いて!」
サスキアだけでなく、二人の行動を見守る皆がサイモンを止めようとする。
檻の中にいる子たちは、戦闘指示さえ出されていなければ大人しいし、収容されている今は眠っているはず。問題は、ここに侵入者対策の魔獣がいること。
「子供を助ける前に、魔獣が来るから構えて!」
サスキアの呼びかけに、サイモンは我に帰る。
子供が囚われている現状に怒り心頭なのか、サイモンは奥から飛び出してきた豹の顎を打ち上げた。強度を上げたメリケンサックにより戦闘は一瞬で終わり、サイモンは子供を救い出そうと檻に触れた。
「罠がないか調べてから!」
サスキアの真っ当な提唱に、サイモンは歯噛みする。彼の気持ちは分かる。十歳前後の子供三人がこんな場所に閉じ込められているのを見ては、すぐに出してあげたいと思うだろう。
けれど、こちらとしては檻に閉じ込められている子供たちも、サスキアとサイモンも、全員に無事に生還させたい。
シデリテスたちはサイモンの意見を受け入れて、子供たちをここから連れ出す許可を出した。
外からこうして状況を見守るだけでも、動悸が激しくなる。私が現地に行ったら、今のサイモンのように怒りで罠の解除を忘れるかもしれない。救いたい相手を取りこぼすまいと焦って、失敗するかもしれない。
ゲームとして主人公の行動を俯瞰するのと、実際に現場で動くのは、勝手が違いすぎる。
そう思う間に、サスキアは器用に檻の鍵を解錠した。
……こっちは二人、閉じ込められている“眠れる獅子”は三人。このままあの子たちをここから連れ出すと、いざというとき二人が戦えない。
慌てて意識を切り替え、使い魔を飛ばす。
脱出経路には異常はない。
気になる点は、街の魔術障壁がまだ張り直されていないこと。
でも、これなら二人を逃すのは上手くいく。塔にはまだ人が複数いて、王宮を注視している。
私のその報告と、サスキアたちが子供たちを抱えて地下を出たのを確認し、シデリテスから指示が降りる。
「余裕があれば、先程の蛍石に封じの術を施して欲しい。今日一日使い物にならなければそれで構わない」
サイモンは意識のない子供二人を両脇に抱え、サスキアは背中に一人背負っている。
二人は地下一階に上がり、シデリテスの指示通り、蛍石から魔力を引き出せないように処理をした。
そのまま警戒しながら二人は施設を脱出する。
そしてシデリテスは新たに指示を出す。
「ではこのまま、王宮の魔獣討伐部隊は、魔獣を送り出してきた街へ反撃に向かおうか」
今回の作戦の本命はこれだった。
街を制圧するためには、魔獣の集団をどうにか押さえる必要がある。だけど、敵が魔獣を飼っているのではなく異界から召喚しているのが分かった今、召喚手段を封じているうちに強行突破するつもりなのだろう。
これは敵の目をサスキアたちに向けないためでもある。
今まで防衛一辺倒だったこちらの陣営が蜂起したのが見えたのか、塔にいる人達がざわめくように揺れた。
その隙に、サスキアとサイモンは子供たちを抱えて街から逃げる。
余った装備や道具は、私が事前に荷馬車から降ろしておいた。代わりに、子どもたちを荷台の安定した場所へ寝かせる。
サスキアはそのまま荷馬車を走らせ、行きと同じルートで王宮へ帰っていく。
それを見届け、サイモンと私は王宮からの部隊がこちらへ到着もとい押し掛けるのを待つことにした。
「王宮の状況はどうなっている?」
サイモンから問われ、私は上空の使い魔から見えている光景を話す。
「トロッコを大量に出してきて、この街に集団で突撃する予定。魔術的な罠は全部先行して走るトロッコで破壊しているから問題なさそう」
「そうか、ならいい」
……私としては、いいと断言はしづらい。
こっちの陣営がやっていることは荒野を牛耳る暴徒っぽくて、どっちが悪役なのか分からない。騎士と魔術師の混成部隊が、雄叫びを上げながらトロッコで突っ込んでくる光景は異様だ。
とはいえ、危険な場所に馬で突撃するのを嫌がる愛馬家もいるし、これしか手段がなかった。
広域攻撃魔術では街を破壊してしまうし、王宮制圧に使った術は向こうに解析されている可能性があるから。
今度は敵を閉じ込める罠を張るため、サイモンは街へ向かう。その補助もしたかったけど、そろそろ私の魔力限界だ。カラスは核に使う陶器片を残して姿を消した。
王宮に意識が戻ってきて、溜め息をついた。
「うう……」
もっと長く使い魔を顕在化させる訓練と研究もしないと。
私を慰めるように、アエスが綺麗な声でさえずった。
「ありがとう」
アエスの頭を撫でて、立ち上がる。
サスキアが帰ってきたときのために、子供部屋を用意しに行こう。
そして、眠れる獅子に施された強制強化の術を解かなくては。