わたくし、トイレットペーパーです。
どうもこんにちは。わたくし、トイレットペーパーです。いえ、エンボス加工はされておりますけれども、しがないシングルロールでございます。人様のトイレライフを快適なものにするべく、微力ではありますがお手伝いしている次第であります。モットーは優しい拭き心地です。
まあ少し昔を思い返してみますと、どのご家庭も「汲み取り・和式便所・ちり紙」でございました。当時わたくしどもロール紙はまだまだ少数派。主流と言えばそう、わたくしの憧れ"ちり紙の旦那"です。しかし最近じゃあ悲しいことに、そんな紙知らないと言う方も多いようなのです。ちり紙の旦那という方は、日本古来の再生紙で、その昔から人々と共に歩んできた便所紙でございます。あの粗っぽい拭き心地に慣れてしまった方は、わたくしどもの柔な紙などお呼びではないでしょう。そしてわたくしどものように丸く小さくまとまった方ではありません。人様の手より少し大きい四角い紙で、許す限りトイレの隅に積み上げられていました。存在感がありました。「優しさだけが人の為になるのではない」といつもおっしゃっていて、和式便所をこよなく愛し、硬派で昔堅気な良い紙でした。いつだったでしょうか。可愛いポケットティッシュを欲しがる子どもに、世のお母さん達は「ちり紙で充分よ」と言い、4つに折られたちり紙の旦那を持たせていました。あの時の旦那の誇らしげな表情。わたくしなぞは随分うらやましく思ったものです。
その時代からすると、今では「水洗・洋式便所・ロールペーパー」がずい分と浸透してきたかと思います。これがニーズというものなのでしょう。わたくしの仲間も、洋式トイレの普及と共にいささか増えたような気がします。お得感があるシングル巻き、柔らかさ重視のダブル巻き。トリプル巻きなんて猛者もおります。あるいは綺麗な花柄がプリントされていたり、よい香りがつけられていたり。実用性ばかりか、トイレの装飾品の一部にまでなりそうですね。わたくし共の身内で、3ロールで販売額5,000円という出世頭もおります。まったく人様の技術の高さ、ことこの日本の人様の発想と商品展開の多様さにはいつも驚かされます。そう言えば、わたくしにはボール紙の芯が入っておりますが、芯なし(コアレス)なんてエコな者もおりました。
たかがトイレットペーパーではありますが、わたくし共がいない事で、人様がだいぶ困ってらっしゃる時もありました。拭たいのに、ああ、いない。俺がこんなに求めているというのに、お前はいったいどこにいるというのだ。そんな心の声が聞こえてきました。あの時は誠に申し訳ありませんでした。わたくしどもは、隣の個室におりました。向かいの個室にもおりました。しかし声を上げることも、人様の側に行く事も、叶わなかったのです。人様が「おーい、おーい」と声を上げてらっしゃる時、わたくし共は何も出来ずに悔し紙吹雪を散らしておりました。人様の尻を拭わずに何がトイレットペーパーかと、ただただ憤りました。あの時、人様に紙を差し出せなかった自分をどれだけ呪ったことか……! 個室から出てきた時の、あの人様の絶望的な顔。強く、強く心に残っております。今この時でも、同じような悲劇があちらこちらで起きています。どうか、気づいた方は早めにわたくし共の補充を、お願い申し上げます。
ちなみにトイレットペーパーの紙を三角におるのは、もとは清掃員さんからの「清掃しました」というサインです。普通に使ったあとに皆様が三角に折る必要はありません。が、おもしろい事に、三角だけではなくいろんな折り方がある様です。先日わたくしどもの中でハートに折られたものがおりました。ハート柄プリントに憧れていたもこだったので、とても嬉しかったそうです。さらにすごいものは、迫力のある"飛び出す龍"なんてものに姿を変えていました。あの薄くて柔らかいトイレットペーパーですよ? それがあんなものになってしまうとは、人様の手先の器用さは素晴らしいですね。ただ流石にトイレに入った瞬間、龍になったわたくしがいましたらビックリされるでしょうから、トイレで実践いただくのはご遠慮願いたいですね。
最近の人様もお忙しそうですね。トイレの中でも考え事をされたり、携帯電話をチェックしていらっしゃる。日本の人様は昔から勤勉で働きものでしたが、今はまた性質が違うと言いますか、何となく疲れてらっしゃる。急かされてらっしゃる。そんな印象を受けます。昔は今ほど娯楽もありませんでしたし、限られた情報の中で皆さんやりくりしておられました。ですが今は何と言っても情報化社会でございます。探そうと思えばあらゆる情報が簡単に手に入り、ゆえに人様は見えない隣人と比較し、迷い、うらやむ。多すぎる選択に疲弊し、自分より格上の実力を目の当たりにしては打ちのめされている。ちょいと昔なら、その街で一番に腕があればチヤホヤされたものですけれどね。
昔から日本の人様は頑張り屋さんでございました。豊かな水と緑に恵まれ、時に自然の脅威と戦いながら、この島国で独特の文化を築いてきこられました。春夏秋冬の移ろいを愛で、『和』を重んじ、手先の器用さと商売気でこの百年で驚くべき進化を遂げております。変わりゆく時代に取り残されんと、皆様必死に生きていらっしゃる。時に打ちのめされる事もあるでしょう。己れの過ちに深い後悔を抱く事もあるでしょう。思い通りにならず、憤る事もあるでしょう。しかしそれがまた、大きな喜びに繋がってゆくのです。なんと素晴らしいことか。
ただ、そうですね。しがないシングルロールのわたくしが願いますのは、
"ぜひトイレではゆっくりして欲しい"
忙しい日や、体調が悪い日もありましょう。そのような時でも、——いえ、そのような時こそ。わたくし共がおりますこのトイレは、人様の落ち着ける場所でありたいのです。周りの目を気にすることなく、伸びやかに用を足してほしいのです。元気に食べて元気に出す。これぞ人様の基本的サイクルでございます。なに、小さなお悩みくらいでしたら、用と一緒に水で流してみせましょう。お任せください。
どうか安らかなトイレタイムを、トイレットペーパーならびにトイレ用具一同、心より願っております。
トイレットペーパーを1ロール取り出し、顔を描き、目の前に置いて読むと良いですね。
そこがトイレだと、なお良いですね。