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ハクセキレイ‐大阪雑感その4

作者: 矢積 公樹

 リサイクルショップの駐車場と作業場とを仕切る鉄製のシャッターを、店の営業中はお客さんにすぐ気づけるよう開けておけと上司が言う。自動車一台がちょうど収まるくらいのスペースに、真夏はアスファルトで焦がされた熱波が、冬場は雪の気配を含んだ寒風が容赦なく吹き寄せる。

 盛夏は保冷ボトルに大量の氷とともに詰め込んだ水とミネラル補給のタブレットを何度も口にしてやり過ごしたが、きついのは冬場である。もともと寒さが苦手な上に、カビがこびりついた冷蔵庫や洗濯機を磨き上げる作業ではどうしても胞子を吸いこんでしまうらしく、その日の夜に体調を崩してしまうことも少なくなかった。お客の依頼で引き取った家電製品にカーボンヒーターのような暖房器具があれば、故障や火災の危険性が無いことを確かめた上でありがたく使わせていただくこともあったが、どれだけ強力な熱量を発する器具が背中を焦がさんばかりに近くに有ったとしても外気が吹き込んでくれば手指や足先は冷たくなり、そのうち顔から血の気が引いていくのが鏡を見なくても分かった。


 年始のあわただしさが去った頃、組立式の棚にこびりついた錆びを落としていたときである。まだ日暮れまで少し時間があるようで、風はあったが日差しにはわずかに温もりが感じられた。30分近く手を動かし続けて軽い疲労を覚え、店頭に並べるために外に運び出そうとして立ち上がると小さくため息が出た。

と、それまでシャッターの外に放置してあったダイニングテーブルの、運搬時に脚を外された天板の後ろから小さな影があたふたと飛び出してきた。

 以前から店の駐車場や、その2軒隣にある猫の額ほどの野菜畑で姿を見せていた野鳥である。大きさはだいたいツバメぐらいで、灰色の体色に白の尾が目立つが、山陰の農村で育った私にもあまり見覚えのない鳥だった。先ほどの棚を売場に置いて作業場に戻ってくると、いつの間にか戻っていた彼は再びピョイと飛び出していく。しばらく冷蔵庫の汚れ落としに没頭し、ふと顔を上げると作業スペースのすぐ近くまでやってきて、鎖につないで展示してある自転車の陰に隠れていたりする。


 調べるかぎりでは、この鳥はハクセキレイらしい。

「広い河川、農耕地、市街地の空き地など開けた環境を好む」‐たしかに店のすぐ近くには一級河川があるし、この街にしては、という但し書き付きだが近所には畑や水田もけっこう残っている。さらにアスファルトで固められた見晴らしの良い駐車場とくれば、彼にとっては最高の立地なのであろう。

「春夏は北日本に、秋冬は積雪のない地域に多い」‐雪など一年に何回降るか分からないぐらいである。逆に山陰の郷里で見かけなかったのは冬の間じゅう降り続け、彼の身長では完全に埋まってしまうくらいに積もる雪のせいだったようだ。

「西日本には過眼線がない亜種がいる」‐そのとおりで、彼の眼の付近には黒い筋が無い。

 リサイクル店では食品を扱わないから残飯を目当てに寄ってくるはずはない。すぐ隣には和食のチェーン店があるし、数軒先まで足を‐彼の場合は羽根・・を伸ばせば焼肉店があるのに、少なくとも陽が出ている間は店の駐車場や作業場の付近をちょこまかと歩き回り、暑ければ店の裏手にある水場のひさしの下で涼むらしい。夏の終わり頃だったか、冷蔵庫の棚板にべったりと残ったいちごジャムを洗い落とそうとして水道の側に歩いていくといきなり彼が水場から羽ばたいたので、文字どおり足元から鳥がたつのに驚いたことがある。

 ただ不思議なのは、なぜこうも彼は作業中の私の側に寄りたがるのかである。

私も含めた店のスタッフは駐車場の清掃こそすれ野鳥に餌付けなど絶対にしないし、近所の飼い猫を怖れて少しでも人気ひとけのあるところに身を置きたいのかもしれないが、営業時間中は自動車がひっきりなしに行きかう駐車場は決して安心しきれる場所ではないだろう。冬場の寒さに耐えかねて作業場に置かれたカーボンヒーターの熱が恋しくなったのかとも思ったが、わざわざ人間がいるすぐ近くでなくても、近所のマンションやビルの換気装置の側に行けば排熱を含んだ風にいくらでもあたることが出来るはずだし、なにより北国から飛来してくるという彼がこの街の冷気に音を上げるとはとても考えにくいのである。


 この月の終わりに私はこの店を去った。ふた月近く前に退職を申し出ていたから、周囲は驚きつつも温かく送り出してくれた。

 しかし、同業他社に転職したことは最後まで明かさなかったことで気が引けてしまうのである。また在職中の、あまり思い出したくない出来事の数々が敷居をどんどんと上げていき、本来ならば翌月の頭にでも済ませておくべき所用がずるずると2か月近くずれ込んでしまった。

 冬の雲が切れて風が止んだ夕暮れ時に店に向かう。駐車場は意外にも多くの車が停まっており、平日にしてはそれなりの売上がたっているのだろうかと少しだが気になったりもする。店内にいるスタッフの顔ぶれは退職時と全く変わっておらず、おぉ、今からやったら3時間の時給が付くで、と笑いながら店長が迎えてくれる。

 人使いの恐ろしく荒い人であったが、わずか30分の面接が終わるとその場で即採用を決めてくれ、1年半にわたって業界のイロハを教えてくれたこの店長が恩人であることに変わりはない。以前に身を置いていた楽器業界ほどではないにしろ世間は狭いのだし、後でばれて不義理を重ねてしまうくらいなら、と意を決して同業他社で働いていることを打ち明ける。店長はごくわずかに驚きの色を浮かべたものの、すぐにうなずきながら小さな声で、まぁ、ちょうどいいタイミングだったかもしれんで、とつぶやく。

 続けて、先月半ばに店の不振を理由に降格と他店への異動を伝えられたことを教えられる。私が居た頃から何となくではあるがそれらしきことをにおわせていたのでそれほど驚きはしないが、店の売上を落とす元凶は会社の上層部の、現実から大きく乖離した方針のせいであることはつぶさに見て知っている。それでありながら「ウエのヒトら」は何のおとがめも無く、せいぜい担当する部署や職責がほんの少し変わるだけで待遇も給料も変わらないことを淡々と話すが、ひとり詰め腹を切らされた店長にかける言葉が、私の貧しいボキャブラリィでは上手く見つからない。

 職歴のほとんどをギターの修理調整という、自動車の免許すら持たない40手前の、身体が丈夫なのが取り柄の男を3か月にわたる無職の日々から救ってくれ、愛想を何度も尽かしたくなるのをぐっとこらえつつ、店を任せられるぐらいになるまで育てようとした努力が、同業他社の、ほとんど商圏が被らない街の店で元部下がこれからも働くことで少なからず報われたことに若干ながら安堵したのであろうか。それとも、この会社でちゃんとした職歴を付けてやれず、まともな給料を払えなくて申し訳ないという引け目をかつての部下に感じているのだろうか。

 しかしよく目を凝らせば、片道1時間近くかけて通勤する店長の、一児の父の、その両肩に家のローンや養育費、世間体や見栄やプライドがのしかかってミシミシと音を立てるのが見える。諦念と侮蔑と、無念と疲労がないまぜになった横顔を染める色はきっとミレーのような画家でも描き出せないだろう。


 店を出て自転車置き場へ向かう。駐車場はあいかわらず黒や灰色の乗用車や軽自動車で半分以上埋まっている。

と、足元を走る小さな影を眼が捉える。ハクセキレイである。暦は既に春となり、もうしばらく後には北の空に去っていくはずの彼は今も駐車場をちょこまかと小さな身体で走り回る。沈む夕陽が残す濃い夜闇に、雪のように白い羽だけは染まらず、アスファルトの紺色に小さな傷を残す。

(了)

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