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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
最終夜:怪奇譚の行く末
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宣告

「っ……!」


 耳元で笑い声が聞こえた気がして、七瀬はベッドから跳び起きた。

 辺りを見回す。誰もいないし、何もいない。いる筈もない。カーテン越しの朝日が部屋の中をボンヤリと照らし、昨晩セットしておいた炊飯器からは湯気が吹き上がっている。

 普段通りだが、寝覚めは実に最悪だ。


「……夢ならよかったのに」


 ぼやきつつ、七瀬はベッドから出る。

 今は一月八日。冷気のせいか、それとも悪夢のような昨日の出来事を思い出してか、身体がブルリと震えた。

 人形を供養してもらう作戦は失敗に終わった。あの後もう一度神社に持っていったのだが、駄目。預けた袋が空であることを確認した神主に、やんわりとはっきり断られてしまった。それならと別の寺に頼むも、うちでは無理だと門前払いをくらう始末。最後の手としてゴミ捨て場に置いてくるも、案の定戻ってきた。

 結局、行き場の無い人形は渚の部屋に残すしかなく、渚には暫くの間、部長の部屋に泊まってもらうことになった。

 カーテンを開け、七瀬は大きくのび(・・)をする。朝日の力か、不思議とそうしている内に、陰鬱な気持ちは洗い流され萎えた心に気力が蘇ってきた。

 暖房をいれ、紅茶を淹れて一息つけば、身体の震えはゆっくりと収まっていく。

 現在の状況は、ほとんど手詰まりに等しい。

 どこかに預けても人形は異常な速さで戻ってくる。正攻法では無理。であれば方針を変えるしかない。

 あの人形の謎を解く。中身から起源に至るまでつまびらかに調べ尽くせば、何か対抗策が見えてくるかもしれない。

 おそらくそこは、先があるかすら分からない茨の道だろう。だが見えている道はその一つしかないのだ。進むか立ち止まるかで問われれば……進むしかないではないか。


「……まずは情報収集かな」


 人形との忌むべきファーストコンタクトを果たした、あの花畑を脳内に思い描く。糸川丘陵公園。今の段階で何か手掛かりを拾えそうな場所は、ここくらいだ。

 朝ごはんを終え、手短に支度を済ませる。

 靴を履き、玄関の扉を開けたところで、可憐に微笑む黒髪の女性の姿がふと脳内によぎった。


「渚ちゃん……」


 彼女も連れて行くべきだろうか。

 少し迷ったが、やっぱり一人で向かうことにする。公園がそれなりに遠いことに加え、もしあの場所に自分の気付かなかった何か(・・)があった場合、渚が危険に晒されるかもしれない。

 明るい内は大丈夫だと思うのだが、念には念を入れておきたいのだ。だから今は、部長の側に居てもらう。得た情報は後で共有すればいい。

 彼女に知られたら色々と怒られそうだが……その時はその時だ。


 ※


 糸川丘陵公園は、平日の昼間にふさわしく閑散としていた。

 放課後の学校、あるいは駅前のシャッター通りにでも喩えようか。以前、訪れたときは、あれだけ華やいでいた空間が、人気が無いだけで実にくたびれて感じられる。

 風に流され、紙くずが目の前を転がっていく。目で追いかけていると、やがてそれは水路に落下して見えなくなった。


 ――変な感じ。


 自分以外の人間が死に絶えてしまった。そんな錯覚すら、ともすれば抱きそうになる。

 北風がやけに冷たくて、七瀬は口元をマフラーに埋めた。

 さて。

 ひとまず、あの日歩いた道のりを辿るとしよう。

 記憶を呼び起こすべく、七瀬は園内マップを目の前に広げる。

 そう、確かあの日はこんな風にした。テンション高めに肩を寄せ合い、こう回ろう、いやこっちから、と二人して地図に指を走らせ。まずは昼食を済ませ、里山エリアから反時計回りに園内を巡り。そうして訪れた冬の花壇エリアで、あの人形と遭遇を果たしたのだ。

 最も怪しいのは花壇周辺。次に里山エリアの神社あたり。

 脳内で目星をつけながら、七瀬は一人で並木道を行く。

 園内はほぼ無人で、自然の音が余計な程にくっきりと聞こえてきた。梢から飛び立つカラスに驚き、風が木の葉を揺らす音にすら肩を竦め。些細な物音にすら心を乱され、疑いを抱いてしまう。

 いつもなら、隣に渚がいた。

 ちょっと自分が前に出て、彼女が服の裾を掴みつつ付いてくる。ほんの少しだけ照れ臭さの入り混じった、いつしか、怪異と相対する時のお決まりとなっていた布陣。

 一人でいるのは嫌いじゃない。

 けれど今ばかりは、横にいるあの娘の存在が堪らなく恋しかった。



 結論から言うと、収穫は無かった。

 以前のルートから訪れなかった場所に至るまで、隅から隅まで巡るも人形のにの字すら見当たらなかった。それどころか平穏そのものの空気である。途中、何かをついばんでいた十匹超のハトから一斉に見つめられる、という事があった。が、流石にこれは無関係だろう。

 そうして早々にあてを無くした七瀬は、手頃なベンチに座って大きなため息を吐いた。


「……これじゃ、肩透かしじゃないか」


 何か。いくら何でも、何か手掛かりを発見出来るだろうと期待していたのに、結果はこの通り。自分の力が弱いのか、それとも本当に何も無いのか。もし後者なら……人形と丘陵公園はまったくの無関係であるという推測も可能だ。

 しかしいずれにせよ、調査がふりだしのままであることには変わりない。

 道を挟んだ向かい側で、スイセンが並んで咲いている。白く可憐なその花が意味するのは“うぬぼれ”。何だか今の自分を揶揄しているようで、おのずと自嘲気味の笑みが浮かんできた。

 どうしたものかな。

 考え込んでいる七瀬のもとに、遠くから小さな影が近付いてくる。

 目を凝らして見ると、それは犬だった。おそらく柴犬だろう。首元の鈴をちりんちりんと鳴らしながら歩いてきて、何を思ったのか、七瀬の前でふと足を止める。


「……その首輪。野良犬じゃないね」


 その通りです、とでも言いたげに、つぶらな瞳がこちらを見上げてくる。意味もなく右手を差し出してみれば、犬は匂いを嗅いだ後、手の甲をぺろりと舐めた。

 少しくすぐったい。


「……慰めてくれるの? ありがと」


 応えるように、ワン、と犬が吠えた。

 野良にしてはやけに人懐こいし、きっと飼い犬だろう。飼い主と一緒に来てはぐれた、そんなところか。


 ――警備員にでも預けようかな。


 あそこは迷子センターも兼ねていた筈だし、園内放送か何かで飼い主を呼び出してくれるだろう。何よりこのまま放置したのでは、ただでさえ良くない寝覚めがさらに悪くなってしまう。


「ほら、おいで。ご主人様を探しに行くよ」


 七瀬が歩き出すと、犬はその後ろをピッタリとついてきた。


「お前、お利口さんだね」


 ワン。


「言葉が分かって……そんな訳ないか」


 警備室兼迷子センターは、中央の広場の端、お土産屋に隠れた目立ちにくい位置にある。

 七瀬は入り口から中を覗き込んだ。ベテランであろう。警備服姿をした中年の男性が、モニターの前に座って書類作業をしている。

 気配に気づき、男性がこちらに顔を向ける。声をかけようとした七瀬の横を柴犬がすり抜けていき、そのまま男性の腰辺りにじゃれついた。


「おお、おかえりラッシー。どこにいってたんだまったく」


 男性の手が、犬の頭をわしゃわしゃと撫で回す。犬の方も嬉しそうに、目を細めてされるがままとなっていた。

 そういえば。ほのぼのとした光景を前にしつつ、七瀬はあることを思い出す。土産屋の近くに、赤い屋根の犬小屋があった筈だ。

 ちょっと意外で拍子抜けな結果だが、どうやら飼い主は無事見つかったらしい。

 男性が七瀬のもとに歩いて来て、頭を下げる。


「いやはや、連れて来ていただき助かりました。うちのラッシーがご迷惑などおかけしませんでしたか」

「いえ、迷惑なんてまったく。とても賢い子でしたよ」

「そうですか。そう言ってもらえると嬉しいですなぁ。ラッシーはこの園で飼われているのですが、半ば放し飼いのためよくいなくなるのです」

「なるほど、それで」


 二言、三言やり取りを交わしたあと、七瀬は一礼をして、その場を離れようとした。だが踵を返した直前、あることが思い浮かんで振り返る。


「っと、すいません?」

「はいはい、何でしょうか」

「……そういえば。先日、ここで落とし物をしてしまったんです。こちらに届いてるかなと思ったのですが」


 自分たちが人形と出会うまで、人形はこの公園内にいた筈だ。

 余所者の自分にはその痕跡を見付けられなかった。けれどここで働く者なら、あるいは。


「落とし物ですか。どのような?」


 警備員が親しみの持てる笑顔を浮かべてくる。

 もちろんあれは落とし物なんかじゃない。だが事実をありのままに話したのでは、変人扱いされるのが関の山だ。嘘も方便、というやつである。


「フランス人形、なんですけど」


 七瀬が言った、その瞬間。

 人形、という単語に反応して、警備員の眉が持ち上がった。

 表情が目に見えて固くなる。笑顔はなんとか維持されていたが、その下に生じた他の感情は隠しきれておらず、要所要所から漏れでていた。

 それは恐怖のような、怒りのような、あるいは後悔のような、お世辞にもポジティブとは言えない負の感情。

 心当たりが無ければ、こんな反応はしない。


「……何かご存知なんですね」

「ああ……まあ、そうです」


 曖昧ながらも、彼は首を縦に振った。その唇は固く引き結ばれ、先ほどまでの営業スマイルはどこへやら。探るような視線を七瀬に浴びせかけてくる。

 数秒後。不意に警備員の手が、机上のスマートフォンへと伸びた。


「貴方の言う人形とは、もしかしてこれではないですか」


 見せられたのは写真だった。少しばかりぶれてはいるが、その被写体を見間違えることなどあり得ない。


「っ! これです! 間違いない、この写真はどこで――」

「お話しするのは一向に構いません。ですがその前に一つ、確認しておきたい」

「……確認。一体何を?」

「この人形は、本当に貴方の持ち物ですか」


 感情を圧し殺した声で警備員が訊いた。


「違います」


 七瀬は即答する。


「ええそうです。僕は嘘をつきました。けれど何かを企んでのことじゃありません。――ただ、情報が必要なんです。この人形についての、情報が」

「それは、何故?」

「“急を要する理由につき”。……これじゃダメですか」


 何もかもは話せない。話していいものか、まだ確信が持てない。

 警備員の目がこちらに向けられる。七瀬はそれを正面から見返した。そんなしばらくの対峙の後、警備員は腕で部屋の奥を示した。


「ここは寒い。中で話しましょう。……こちらへ」


 良かった。

 信頼とまではいかずとも、どうやら信用はしてくれたらしい。

 応接室に案内された七瀬は、警備員と向かい合わせになって椅子に腰掛けた。写真を見せながら、警備員が口を開く。


「信じられないかもしれませんが……この人形は、呪われているんです」

「……呪い、ですか」

「はい。去年の十二月でした。以前、丘陵公園(ここ)のアルバイトだった子が、この写真を送ってきたのです。本人はこのように言っていました。“この人形が家の中に置かれてた。捨てても捨てても戻ってくる。助けてくれ”と」

「……なるほど」


 こちらの状況と一致している。おそらく間違いないだろう。あの人形の標的になった者が、渚以外にもいたというわけだ。


「それで?」

「最初は半信半疑……いえ、正直なところ、何かの冗談だと思いました。仕方ないじゃありませんか。実際、冗談だろ、と返したら、あの子はそうですよと笑って応えたんです」

「それが妥当ですよ。……僕だって、普通ならそう考えます」

「ええ。ですが彼は、日に日にやつれていきました。眠れなかったのだと思います。目の下には隈が出来て、夜をひどく怖がるようになった」


 沈痛な面持ちで警備員はため息をついた。行き場のない感情を、ほんの少しでも吐き出そうと試みるかのように。


「その人に会うことは可能ですか?」


 七瀬が一縷の望みをかけて訊くと、警備員は首を横に振った。


「彼はいなくなりました」

「直接話を聞きたいんです。せめて連絡先だけでも都合を」

「ですから、いなくなったんです。文字通りに」

「……は?」


 思わず聞き返す。

 警備員は一度部屋を出ると、しばらくして、新聞の切り抜きを手に戻ってきた。


「行方不明です。何の痕跡もなく、血だらけになったその子の部屋だけが残された、と。結構なニュースになりましたから、ご存知ではありませんか」


 渡された紙片に目を通せば、次第に、クリスマスの朝の記憶が脳内に蘇ってくる。

 そうだ、自分はこのニュースを見たことがある。現場が家に近く、大学も同じだったから気に留まったのだ。読み上げられる凄惨な状況に、物騒だな、と呟いて。多分もう生きてはいないだろうな、と心中に不穏な予感を抱いた。


「この人は、たしか――」

「西城 陸。九鳥大学の学生でした」


 突きつけられた事実に、返事が喉の奥で詰まった。

 西城 陸という人物の命運は、そのまま渚の命運でもある。

 仮に、彼がもうこの世にはいないとしたら。

 そしてその理由が、あの人形に依るものだとしたら。


「……西城さんとは、まだ連絡がつかないんですよね」

「……はい」

「……実家とか。彼の友達なら、行方を知ってるかも――」

「全部試しましたよ。個人情報も人脈も、使えるものは全部、ね」


 警備員は悔しげに、けれどはっきりと言い切る。

 行方不明、と口では言っても、きっと内心では諦めているのだろう。嫌な予感を必死に振り払おうとあれこれともがき、それでも結局は逃れられなかったのだろう。


「そんな、ことって……」


 笑えない。

 こんな気分になったのは初めてだ。

 胸の奥が冷たくなって、金輪際、笑顔を浮かべることが出来ない気さえする。


「今も考えてしまうのです。もしあの時、私が彼の相談を真剣に受け止めていたなら、彼は行方不明なんかにならなかったのでは――と」


 警備員が、何やら口を動かしている。けれどそれは言葉としての体を為していなかった。水中に沈んだときみたく、世界の何もかもが雑音に聞こえる。

 七瀬は短く礼を言って立ち上がった。その背中を警備員が呼び止める。


「待ってください」

「……他に、まだ何か?」

「もしや貴方のもとにも、あの人形が――?」

「……いいえ」


 七瀬が首を横に振ると、警備員は一瞬ホッとしたような表情を見せる。

 まあ、当然の反応だ。誰だって一度話した相手に不穏な未来を告げたくはないだろうから。

 けれど警備員とは裏腹に、七瀬の心境はどん底のさらに底にあった。


「僕じゃなく、僕の大切な人のもとに来ました」


 想い人への死刑宣告なんて、どうやって受け止めればいいのだろうか。

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