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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
最終夜:怪奇譚の行く末
54/55

フランス人形供養作戦

「……ということがあって、これからどうするか考えてたんです」


 互いに情報を補いながら、昨夜と今しがたの怪奇について、余すことなく語る。南部長は時折瞑目しながら、その話を黙って聞いていた。

 七瀬が、終わりの合図を視線に乗せて送る。


「なるほど。取り敢えず、何が起きたかは分かった」


 険しい表情で部長は呟いた。

 眉間に皺を寄せてどこか遠くを見つめたかと思えば、次の瞬間には視線をテーブルへと戻し、落ち着かない様子で天板をコツコツとつつく。最終的にコーヒーを一口飲むことで、ようやく思考がまとまったらしかった。


「……人形が追い掛けてきた、か。突拍子もない話だな。もしかするとよくあることなのか?」

「なわけないでしょう。そんな頻発してくれちゃあ堪りませんよ」

「少なくとも先輩と私は初めてです。ただ、人形が持ち主を追ってくる怪談話ならいくらでもありますし、人形供養を専門とする神社も日本にたくさんあった筈です。なので……思っているより、似た事件は多いのかもしれません」


 渚が続ける。

 彼女の言うとおり、人形にまつわる怪異には色々なものがある。

 魂が宿ったり。髪が延びたり。勝手に動き出したり。人形怪談の有名どころを挙げるとすれば、やはりメリーさんの電話だろうか。棄てたフランス人形から電話がかかってきて、それが徐々に近付いてくるというストーリーだ。最終的に物語は『わたしメリーさん、今あなたの後ろにいるの』で意味深な幕引きを迎える。


「……どちらにせよ、その人形をどうにかするのが最優先。ですよね、先輩」

「そう。けれど選択肢はシンプルだよ。除霊か解呪。それとも何かに封印するか」


 幽霊なら除霊する。呪いの類なら解呪する。どうしようもなければ封じ込めてお茶を濁す。歴史や怪奇譚から学ぶとするなら、魑魅魍魎を遠ざける方法はこの三つだろうか。最も確実で日本人じみたやり方は、対象を神として崇め奉ることだろうが……大学生三人には到底出来っこない。


「僕は、少なくとも呪いじゃないと思うんだ」


 話しながら、自分の考えを脳内でまとめていく。


「呪いなら対象は意図的に選ばれる筈。だけど人形が渚ちゃんの家に来たのは、丘陵公園で“偶然”接触してしまったからだからね。それに、あの少女も説明がつかなくなる」

「……七瀬、ちょっと待て」


 部長が手をかざし、話の続きを制した。


「聞く限り、確かに呪いってイメージじゃない。だが幽霊とも少し違うんじゃなかったのか? その人形は一体どっち(・・・)なんだ」


 そう。そこが曖昧なところなのだ。

 あの人形の中には、覗き見たことを後悔するような何かが潜んでいた。あれが霊魂の成れの果てだとは、正直に言って思えない。以前出合った女性の霊は、他人の魂を取り込んで変異しかけていた。それでも、一目見れば人間だと見当がついたのだ。


「魂の宿った人形」


 ポツリと呟いたのは渚だった。


「九十九神に似てませんか? 物が意識を持って動く――いえ、実際に動いているのを見てはいないですけど。霊とは少し違っている理由にもなりますし」

「九十九神……筋は通るね? となると除霊も効果があるかどうか」


 長年使い込まれた物品に魂が宿る。そうして生まれるのが九十九神だ。幽霊とは違い、その魂は無から新しく生じたもの。同じように考えては、足元を掬われる気がする。

 それに口には出せないが、よく分からないまま動いて薮蛇と化すのが怖いという気持ちもある。

 またもや去年を振り替えってみれば。あの夏、自分は自力で除霊を試みた。そしてその結果、まんまと騙され殺されかけたのだ。

 となると、ここで自分たちが取るべき策は……。


「寺か神社に、供養をお願いしてみるのはどうかな」


 他人に任せること。素人よりも専門家の方が、物事は上手く運んでくれる。何より安全だ。

 住職や神主が悪霊退散のプロかは微妙だが、自分たちがやるよりはマシだろう。


「神社なら、この辺りだと稲白神社があるな」


 提案しかけた社の名前を、部長が一歩早く口にする。七瀬は首を縦に振って肯定を示した。


「ですね。神主さんも常駐してますし、あそこに行けば良さそうです」

「なら善は急げだ。何も無ければ今からそこに向かおう」

「着いてきてくれるんですか?」

「元からそのつもりだが?」


 さも当然のような口ぶりで部長は応える。

 そうだった。この人はそういう人だった。

 正直に言って、その申し出はありがたい。人数は多ければ多いほど安心出来るし、頼もしいし。けれど二つ返事で了承することも、やっぱり自分には出来ない。


「危ないですよ。持っていくだけとはいえ、その途中で何かあるかもしれませんし」

「ならなおさらだな。何かあるなら、人手はなるべく多くすべきだ」

「そうですけど、あの人形にはあまり関わらない方が」

「何故?」

「分からないことだらけなので。もしかするとあいつは女性だけを狙うのかもしれない。その場合、部長も危なくなります」

「にしたって、順番的には私より渚が先だろう。そうなればどちらにせよ放っておけんさ」


 いや、それはその通りなのだが。それでも本来、無関係な筈の人間を巻き込むことへの躊躇いは、簡単には消えてくれない。

 渚から、どうしましょう、とでも言いたげな視線が飛んでくる。本当にどうしましょう。危険だから、以外に断る理由など無いわけで。でもって、部長がいると正直に言って心強いわけで――。


「まあ、なんだ。夏の借りがまだ残ってるからな。恩もお金も返せる内に返しておく主義なんだ。忘れた頃に利子付きで請求されちゃ堪らん」


 あの時のお返し。そのつもりなのだろう。こちらとしては、手を貸したのは百パーセント自分の意思だ。だからお礼なんて無くてもいいのだが……もしそう言っても、おそらく納得はしてくれない。南部長はそのあたり、とても律儀な人だから。


「押し売りの恩はクーリングオフが出来ますよ?」

「生憎その気はない。それに借りが無くても、私は同じ事をするさ。“人道上の観点から施す人的支援”という体でな」

「部長は日本政府の報道官か何かですか?」

「ふふん。こんなやり取りももう何度目かな」


 口角を持ち上げて、部長がニヤリと笑ってみせる。これまで数え切れない程見てきた、不敵な笑みだった。


「まあ、無茶はしないさ。約束する。ヤバくなったらすぐ逃げるし、二人の言うことは全部従う」


 これでどうだ? と部長が渚に向かって首を傾げた。

 何故ここにきてそっちなのか。自分より彼女の方が断りにくそうだから? もしそうなら、その予想は多分当たっている。

 数秒後。渚は渋々口を開いて、七瀬の思った通りの言葉を紡いだ。


「……ありがとうございます、部長さん」


 部長は一つ頷いて、次にこちらへと向き直った。


「さて、七瀬。日本は民主主義国家だ」

「物事は多数決で決まる、と」

「イエス」

「…………」


 悩ましい。

 申し出は嬉しいし、ありがたい。

 部長は危険を承知しているし、当人である渚もたった今了承した。

 つまり、断る理由は特に無いのだ。ただし、それでも駄目だと無理矢理に押し切れば、部長はもしかすると引き下がるかもしれない。

 しかしそれは悪手だ。一人よりは二人、二人よりは三人いた方が、大抵の物事は速やかに片付く。自分たちではどうにもならない状態に陥ったとき、部長の機転に救われるかもしれない。

 だからここは。


「じゃあ……お願いします、部長」


 苦笑を混ぜながら。素直に頷くのが、きっと一番いい。


「お願いされました」


 部長が立ち上がり、こちらに手を差し出してくる。

 どれだけの月日が流れても、きっとこの人には敵わない。渚は部長を憧れだと言っていたが、憧れは手が届かないからこそ眩しいわけで。これからも何だかんだと世話になりながら、ゆったりした仲を続けていくのだろう。

 別に、それが嫌なわけじゃない。


 ※


 鳥居をくぐった先には、両脇にイチョウ並木を伴った参道が真っ直ぐに続いている。ただし時期が時期なので、足下の落ち葉を見なければそれがイチョウだとは分からないだろう。前方に少し進むともう一つ鳥居があり、その先に神社の本殿がある。

 平日の昼間ということもあってか、稲白神社に参拝客の気配は無かった。普段なら、目を閉じてこの静謐とした雰囲気を味わうところだが、今日ばかりはそうもいかない。


 ――さて、どこにいるかな。


 周囲に視線を走らせながら、七瀬は右手の紙袋を持ち上げた。中身の人形は、見た目よりずっしりとしていた。嫌な気配は衰えを知らず、ひしひしと袋越しに伝わってくる。

 ちなみに袋を使ったのは、素手よりはマシだろうと思ったからだ。ショルダーバッグに突っ込む勇気は無かった。

 ここに来るまでの間、おかしなことは起きていない。昼間だからだろうか。

 渚が七瀬の服を引っ張って、それから遠くの方を指差した。ジャージ姿の男性が、竹箒を片手に歩いている。


「ああ、あそこにいたね」


 イメージとは若干服装が違うが、多分あの人だろう。

 近付いていくと、男性は七瀬たちに気付いて小さく頭を下げた。


「こんにちは。ご参拝ありがとうございます」

「どうも。神主さんですよね?」

「はい。そうですが」

「一つ相談したいことがあるんですが、大丈夫ですか?」

「構いませんよ。どうされました」

「実は、預かってほしいものがあって――」


 柔らかな雰囲気に緊張を緩めつつ、七瀬は事の顛末を伝えた。胡散臭がられないよう、詳細はぼかしつつ。気味の悪い人形があるので供養をお願いしたい、と。


「その人形は今こちらに?」

「この中にあります。見ます?」


 袋ごと差し出してみせると、神主は慎重な手つきでそれを受け取り、人形を取り出した。

 躊躇いの無さに一瞬驚く。だがよく考えればそれがあたりまえだ。“普通”の人からすれば、あれは単なる古ぼけたフランス人形なのだから。

 しばし人形を観察した後、神主が口を開く。


「……こちらでは、人形供養などを大々的に執り行うことはありません。ですが皆さまが持ってきていただいた物につきましては、基本的に受けとるようにしています」

「それは了承の意味ですよね」

「はい。皆さまさえよろしければ、こちらで責任を持って供養させていただきます」

「じゃあ……お願いしてもいいですか?」


 渚が訊くと、神主は頷いて言った。


「承りました」


 ※


「……これでよかったんでしょうか、先輩。何だか拍子抜けなような」

「トラブルはそのくらいがいいよ。たしかにあっけなかったけどさ」


 帰り道。足取りは行きよりも軽快で、解決の予感に緊張もほぐれていく。

 降り注ぐ陽光が実に心地良い。ついさっきまで気分は最悪だったが、今や打って変わって楽なものだった。

 人形はこれにて処分完了だ。あとは再び渚宅に戻って、“入り口”を見つけ出せばそれでおしまい。危険は去ったのだ。……多分。完全に安心しきれないのは、きっと、事が予想以上に上手く運んだせいだ。


「結局、あの人形は何だったんでしょう。私たち別に、祟られるようなことしてませんよね」

「触っただけだもんね。壊せる祠も倒せる石碑も、あのあたりには無かった」


 七瀬は長く息を吐く。

 元はといえば、自分が人形に手を伸ばしたのが悪かったのだ。気付かなければ、あるいは見つけても放置していれば、何も起こらず気味が悪いねで終わっていただろう。隣の彼女は何も言わないけれど……あれは迂闊だった。


「まあ、もう大丈夫だと思うよ。渚ちゃんを襲ったやつは、十中八九あれの“中身”だろうし。その人形は今神社にあるから」

「だと、いいんですが……」


 不安の抜けきらない様子だった。当然だろう。半日程度では、記憶は生々しいままの筈。そうすぐに安心せよというのが無理な話だ。

 暫く歩いて、渚のアパートに辿り着く。

 エントランスを通り過ぎ、階段を上がり始めてすぐのことだった。


「……と。渚ちゃん?」


 先を行く渚が突然立ち止まったのだ。

 勢いのまま危うくその背中へ顔を埋めかけたが、寸前で止まる。何かあったのか。不審に思ってそう訊こうとした直後、七瀬の背筋からうなじへと、耐えがたい悪寒が這い上がって来た。どこからか見られているような。ある筈のない視線に、身体が本能的に縮こまる。


 ――まさか。


 確信に似た予感が沸き上がる。


「おい、どうした」


 背後から部長の声が聞こえる。

 悪いがそれに応えている余裕は無い。血液まで凍り付くような、あるいは延々と続く泥の海に放り込まれたような、この戦慄は……。


「七瀬? ……おい待て!」


 呼びかけを背に階段をかけ上がる。二人分の足音が距離を開けずに付いてきた。

 踵を返したい気持ちをこらえ進めば、嫌な感覚は段を一つ上がるごとに強くなっていく。そして渚の部屋の前で最高潮に達した。

 同じだ。数十分前とまったく同じ。となると、この扉の先で待っているものは……。


「待てったら……! ったく、何で二人していきなり走り出す。別に急ぐこと――」

「戻ってきてます」

「は?」

「戻ってきてるんです。あの人形が。この扉の向こう側に」


 信じられない、そんな表情が返ってくる。自分だって信じられない。信じたくもない。気のせいだと切って捨てたい。けれどこんな時に最も頼れる第六感は、おさらばしたはずの人形の気配を確かに感じ取っていた。

 中に入り、短い廊下を警戒しつつ進んでいく。

 もしかしたら本当に気のせいかもしれない。だって人形は神社に預けたじゃないか。だから、せめてこの目で確認するまでは……!


「う……わ……」


 唇の隙間からうめき声が漏れ出る。

 悪い予感が的中した。渚と南部長が小さく悲鳴をあげて、二、三歩後ずさる。

 まるでずっとこの場に留まっていたかのごとく、フランス人形はその体を布団へと預けていた。

 無機質なその肢体は、ふと目を離せば動き出してしまいそうで。見たくないという気持ちと、見ていなくてはという気持ちがせめぎ合う。人形の金髪は左右に分かたれ、えぐり取られた眼球のその奥から、何かがこちらを観察しているように感じた。


「……渚。……渚!」


 部長の逼迫した声色で七瀬は我を取り戻す。

 振り返ったその時、渚の身体が弱々しくこちらに倒れ込んできた。咄嗟に受け止める。けれど突然のことに支えきれず、結局そのまま二人して、床に膝をつくこととなった。


「渚ちゃん、しっかりして!」

「う……せ、ん……ぱい……」


 まともに応答する気力すら彼女には残っていなさそうだった。

 うっすらと開いた瞼の向こうに、焦点の定まっていない瞳が見える。顔は青ざめ、呼吸は荒く、額からは汗を流しながら、七瀬の腕に弱々しくしがみついていた。

 人形に何かされた? いや、それなら隣にいた自分も何かしら感じる。なら……これは多分貧血だ。深夜から寝てないのと緊張とで、限界が来たのだろう。ここまで無理させた自分が嫌になる。ああもう、もっと彼女の体調に気を配っていれば……!


「……部長、手伝ってください。身体を寝かせます。足元は、このショルダーバッグで高くし――」


 七瀬の言葉は、どこからか聞こえてきた声によって遮られた。

 くすくす、くすくす、と。上から、前から、後ろから。やがてはあらゆる方向から。こちらをあざ笑うような甲高い子供の笑い声が、幾重にも重なり、沈黙を切り裂いて響いてくる。

 耳を塞いでも遮れない。それどころか声は、次第に大きくなり始めて……。

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