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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
最終夜:怪奇譚の行く末
51/55

幸先の悪そうな新年

 珍しく、風の無い日だった。


「知ってるか七瀬? 世の中にはお年賀という文化があってな」


 一月七日。正月休み明け、九鳥大学の授業開始日。

 二限目を終えた七瀬は、部室近くの広場で南部長と羽子板に興じていた。

 カコン、カコンとリズム良く、木と木のぶつかりあう心地よい音が響く。


「日頃の感謝を込めて、目下の者が目上の者に贈り物をするんだ。何か思うことはないかな?」

「特に何も。僕は賢くないのではっきり言ってくれないと分かりませんよ」

「そうか、誠に遺憾だな。……それっ」


 部長が打ち返した羽根は、七瀬の左下、腰の横辺りに飛んでくる。嫌らしい位置だが対応出来ないこともない。落ち着いて、バックハンドで打ち返す。


「それより部長、知ってます? 世の中にはお年玉という文化があるそうで」

「そうなのか? いやぁ初耳だ」

「目上の者が目下の者に贈り物をする。何か思うことはありませんか?」


 本来、羽子板に心理戦の要素は無い筈なのだが、今回ばかりは例外だった。

 実力は拮抗している。相手の心を揺さぶった者こそが勝負を制するだろう。

 ほのぼのとは無縁の、互いに一歩も譲らない、本気モードの決戦だった。


「特に何も。私は賢くないからな。はっきり言ってくれなきゃ分からん。それよりお年賀だお年賀!」


 謎のかけ声と共に羽根を打ち合う。


「お年玉」

「お年賀」

「お年玉!」

「お年賀! ……っ、中々やるな!」

「これでも元テニス部ですから!」

「そうか……なら、ちょっぴり本気だ!」


 スマアッシュ!、という激と共に、部長の羽子板が一閃した。

 速い。打ち返された羽根は一直線に、七瀬の胸元を目掛けてやってくる。

 何とか弾くことは出来た。だが、どうやら羽子板を当てる角度が歪だったらしい。羽根はそのまま真上へと打ち上がり、弧を描いてから、虚しくも地面へと落下した。


「っ!……ぁあ! 負けた」

「はい。勝者、南 理恵」


 そう言ったのは、すぐ横で観戦していた三良坂副部長だ。喧騒から一歩引いたような空気を纏わせ、頭の上で仰々しく手を打ち鳴らしている。


「よっしゃあ。見たか。羽子板において、およそ私に倒せぬ者などない」


 ドヤ顔を決める南部長に、三良坂が苦笑を送った。


「いや、南さん? 記憶が正しければ、さっき俺に負けてたよね」

「例外だ」

「例外」

「そうとも。まことに稀有な特殊事例だ」


 羽根を拾い、羽子板と一緒に七瀬へ手渡す。何気なく前髪を掻き上げるその仕草はどことなく優雅だ。


「という訳で。片付けは任せたぞ、七瀬」

「はいはい、持っていきますよ。体育館の事務室に出せばいいんですよね」

「ああ。私の名前で借りてるから、そこだけ気を付けてな」


 そう告げて部長は立ち去りかけ、直後に振り返ると、七瀬の方を指差す。


「忘れてた。返却したら部室に戻ってきてくれ。年賀状を渡したい」

「ええ。元々そのつもりでしたから」

「何か飲み物でも淹れておくよ。いつも通り紅茶でいいか?」

「蜂蜜付きで頼みます」

「リッチだな。……私もそれにしようかな?」


 そんなことを呟きながら歩き去っていくのを見て、七瀬も体育館へと向かう。

 年末年始は実家で怠惰な暮らしをして過ごしたため、こうして身体を動かしたのは随分久しぶりだ。出不精な人間としては運動なんて無理にせずともと思いがちなのだが、実際にしてみると良い具合の気分転換になって、今みたいに爽快な気分になれる。

 肌着にうっすらと汗が滲んでいた。真冬とはいえ、今日の天気は快晴。おまけに風が無いときている。一足先に春がやって来たような天気だった。


「……ちょっと暑いな」


 体育館に着く。入ってすぐの窓口にブツを差し出せば、それで返却は完了である。ありがとうございました、ごくろうさまです、と適当にお礼を添えておいた。

 受け付け横の壁には、数多の張り紙が掲示されている。心理学実験の協力者募集、演奏会の案内、エトセトラエトセトラ。

 あんまり関係無いかな、と思って、七瀬が部室に戻ろうとした時。ふと、その中の一つに目が留まった。


「新春とんど……?」

「ああ。それ、中々面白そうなイベントですよね」


 眠たげな顔をした、通りすがりの事務員が話しかけてくる。


「東ゲートの近くに空き地がありますでしょ。そこで何か、盛大に燃やすそうです」


 ポスターの中心には、藁と竹で作られた櫓が載っていた。頂には、松の枝と蜜柑から成る正月飾り。半紙に書かれた『新春』の二文字は、書き初め的な何かだろうか。

 とんど。七瀬にとっては懐かしい響きである。

 まだ小学生だったころ、近所の田んぼで行われていたものに参加して、我が物顔で餅とぜんざいをご馳走になっていたものだ。その年出迎えた歳神を見送るためだとか、燃えた後の灰には魔除けの力があるとか、色々な逸話があるそうだが、当時の自分はそんなこと一切知らなかった。今持っている知識も、以前小説のネタとしてとんどを使うために、ウィキペディアで漁って手に入れたものである。

 紙の右下には『九鳥大学民俗学研究会』の文字がある。大学ではなくサークル主催の催し物らしい。

 日付は一週間後、一月十四日の夜となっている。


「……七日じゃないんですね?」


 記憶が正しければ、九州(このあたり)では一月七日の実施がデフォルトだった筈だが。


「年末年始は、学生さんたち帰省しますからねえ。七日だと作るのが間に合わないのでしょう」

「ああ、確かに」


 説明に納得しながら、七瀬はポスターの文言に視線を走らせる。


「豚汁、お焚き上げ、餅……結構本格的じゃないですか」

「興味が湧きました?」

「そうですね。気が向けば行くかもしれないです」


 懐かしさに心惹かれた。幼かったあの頃は単なる餅とぜんざいのイベントであったが、今ならまた違った思いを抱けるだろうか。

 折角だし、渚を誘ってみてもいいかもしれない。

 天高く燃ゆる炎の近くで、二人して暖を取る。……なるほど、良い。実に良い。その手に握られているであろう豚汁入りの皿が、若干滑稽かもしれないが。


「やっぱり行きます。絶対に行こうと思います」

「そうですかそうですか。もしかすると当日お会いするかも知れませんね」

「はい。ご縁があれば」


 事務員に別れを告げてから、部室への帰途につく。

 思いがけずグッドな情報を仕入れてしまった、と内心で笑みを浮かべる。

 外堀を埋める素材として。これは最大限活用せねばなるまい。クリスマスの初デートという経験によって、誘い難さは格段に低下している。今はこのまま回数を重ね、ひたすらに距離を縮めてゆけば、やがては――。

 そんな(はかりごと)に脳細胞を使いながら、歩いていると。


「七瀬、先輩?」


 突然、清らかな声に呼び止められた。


「渚ちゃん」


 噂をすれば影とはよく言うが。どうやら妄想にも同じ効果があるらしい。

 七瀬が振り向けば、道路を挟んだ向こう側に、上川 渚の姿があった。

 思わぬ出逢いに、高鳴る胸の鼓動はその自己主張を激しくし、口元が自ずと微笑みを形作る。

 幸せな時間は矢のように過ぎ去るものだが、好きな人に会いたいと願っている時間は、亀のように遅々として進まないのが世の中の真理だ。

 帰省中の二週間は本当に長かった。トークアプリでは度々雑談に興じたものの、面と向かっての会話は無く。会いたさ極まった果てにその名を独り言ち(ひとりごち)。文字通り、上川 渚欠乏症に陥っていたほどである。

 いっそのこと一年中大学があればいいのにと、幾たび学務課を呪ったことだろう。

 何の気まぐれか、渚は七瀬のプレゼントしたマフラーを巻いてくれていた。両手はコートのポケットに突っ込まれ、少し寒そうな様子で肩を縮ませていた。

 新年も変わらず麗しかった。溢れ出る喜びを、五体投地によって表わしたいところだったが、変人と思われそうなので我慢しなくてはならない。

 小さく手を振って、駆け寄る。そしてお決まりの挨拶を交わす。


「あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 応えた後、渚はそっと視線を降ろした。

 その様子は、いつもより元気がなさそうに見えた。

 休み明け、だからだろうか。自分も長期休暇の後しばらくは、休みの感覚が抜けきらずに、色々と低調子になってしまう口だ。


「渚ちゃんは授業終わり? 僕はこれから部室に戻るんだけど」

「はい。丁度……午前中の講義が終わったところで。私も部室に行くつもりだったんです」

「じゃあ、一緒に行こうか」


 返ってきた首肯もどこか控えめだ。

 上手くは言えない。上手くは言えないが、記憶にある彼女はもう少しテンションが高かったような――


「……休み明けの授業ってさ。気分を乗せるのが大変だよね」

「分かります。……私も朝、中々起きれなくて」

「僕も同じだ。布団の心地よさは反則級だと思うの」


 他愛のない雑談をしながら、二人は部室への緩やかな坂道を上っていく。

 運動をしたからか喉が渇いてきた。タイミングよく、すぐ近くに自販機がある。何か飲もうと思い立ち、七瀬はポケットから財布を取り出した。


「渚ちゃんは何か欲しいのある? 奢るよ」

「いいんですか?」

「うん。どうせ端金(はしたがね)だし」

「では、先輩と同じものを」


 それならば、是が非でも彼女の好きなものを選ばなくてはならない。

 しばし迷ったあと、ミルクココアのボタンを二回連続で押す。出てきた缶の片方を、どうぞと言って渚に差し出した。


「ありがとうございます。いただきま――」


 表情がパッと明るくなって。渚がポケットから右手を出し、ココアへと伸ばす。その拍子に、コートの袖から彼女の右手首が一瞬だけ覗き見えた。

 そこに、何か黒いものがあった。


「――あ」


 しまった、とでも言いたげな顔で、慌ててココアを受け取る。直後それを左手に持ち替え、右手は再びポケットの中へと仕舞い込んでしまった。

 そうして、何事も無かったかのように平然としている。


「……どうかしたの?」

「……いえ。何でもないです」

「でも今、渚ちゃんの右手に」


 自分の視力を信じるなら、黒い何かは彼女の手首をすっぽりと覆っていた。少なくとも最後に会った時、そんなものは無かった筈だ。

 嫌な予感を感じて、七瀬は渚に詰め寄る。


「……ねえ。右手、ちょっと見せてくれない?」


 渚はあからさまに動揺した。


「え。あ、あの、本当に何でもないですから」

「無理言ってごめん。でも気になるんだ。お願い」


 先ほどまでの笑顔はたちまち消え失せ、当惑する渚はまるで萎れた花のように、弱々しく首を横に振る。

 彼女の動作一つ一つが、七瀬の疑惑を確信に変える。


「見られたくないなら言って。見ないから。だけど何も無いなら……見てもいいでしょう」


 何かの見間違いならそれでいい。けれどそうでなければ……。


「分かり……ました」


 沈黙の末に渚が折れた。

 右手を七瀬の前に出し、袖を捲り上げる。

 現れたのは、禍々しい紫色を湛えた、手の形をした痣だった。


「っ! これ――」


 その異質さに、思わず言葉を失う。

 形と向きからするに、この痣を付けたのは右手のようだった。七瀬のものと比べると随分小さく、また指も短め。子供の手のようなその痕は、今にも動き出してしまいそうなほど生々しい。


「……痛い、よね」


 渚は無言で頷く。

 当然だ。タンスの角にぶつけたとか、そんなレベルの話じゃない。手の形をした痣なんて、並大抵の力じゃ作れない。それこそ、握り潰す一歩手前の力を掛けなくてはならない筈だ。

 きっと、すごく苦しかっただろう。

 すごく辛かっただろう。

 そして、すごく怖かったことだろう。


「どうしたの。一体、誰にこんなこと」


 許せない。彼女にこんなことをするなど、そいつは人の風上にもおけないろくでなしだ。屑だ。地獄に落ちればいい。当人たちがどう思っているかは別として、取り敢えずぶん殴らねば気が済みそうにない。お前は関係無いと言われればそれまでだが、それでもせめて、なにがしかの報いを受けさせねば――


「違うんです」

「違う……って?」

「誰かにされたんじゃ、ないんです」


 どういうことだろう。自分でやったという意味だろうか? ……いや、それはあり得ない。右の手首を右手で掴むことは、人体の構造的に不可能だ。


「……助けてください」


 今にも壊れてしまいそうな声で、渚が訴えてくる。


「……私を、助けてください、七瀬先輩……!」

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