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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
六夜:クリスマス・エンカウント
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深夜

 懐中電灯を片手に、西城 陸は深夜の糸川丘陵公園を歩いていた。

 星さえ見えぬ程に一面を黒く塗りつぶされた空から、しとしとと粉雪が落ちてくる。足下を照らすのは一筋の懐中電灯の光ばかりで、どうにも心許ない。辺りを満たす静寂は、月光の助けも借りれぬこの場において一層不気味に思えた。


「うぉ、寒っ」


 吹き付ける夜風に身体を震わせる。業務中の着用が義務づけられている作業着は、動きやすい反面生地が薄くていけない。

 陸の仕事は丘陵公園の警備。具体的には夜間の巡回と監視カメラの見張り番だった。アルバイトということもあり、時間帯さえ考えなければ比較的楽な業務だった。コンビニや企業のビルならいざ知らず、山奥の丘陵公園で狼藉を働こうとする不届き者などほとんどいないからだ。

 だから今日の巡回も、何事もなく終わる筈だったのだ。

 園内の監視カメラに人影が映ったという連絡が警備室から届いたのは、つい数分前のことだった。現在の時刻は深夜十二時。とっくの昔に閉園は完了しているため、客が園内に残っているとは考えにくい。

 人影が映った公園最奥部の区域までは、昼間ならバスが通っている。だが今は真夜中だ。おかげで寒風吹きすさぶ中を、それなりの距離歩かされることになった。


「……さっさと確認して帰ろ。どうせ主任の見間違いか何かだろ」


 仕事が長引いたことに愚痴を言いつつ、誰もいない坂道を陸は登っていく。

 どこからか梟の鳴き声が聞こえてきた。道の両脇から張り出してくる木の枝は、風に合わせて不気味に擦れ合い、何か目に見えない生き物が周囲を飛び回っている錯覚を抱かせる。

 そうして暫く歩くと、やがて視界が急に開けた。無線で警備室に連絡を入れる。


「こちら陸。"冬の花壇"エリアに入りました」

『ご苦労。人影が確認されたのはもう少し奥の方だ』


 足下からは二本の道が延びている。どちらに進んでもやがては敷地内を一周して元の場所に戻ってくるようになっているので、不審者がいれば間違いなく途中で出くわすだろう。

 深呼吸。唾と一緒に、陸は緊張を呑み込む。

 カメラに映ったという人影が見間違いでないとすれば、これから自分はその正体と対峙するわけだ。

 ヤバそう(・・・・)だったら躊躇せず逃げろ、とはいつも言われているが。そもそも、本当の危険人物が目撃者をみすみす見逃してくれるかは甚だ疑問である。


 中程まで来た時だった。カサリ、と。草葉の擦れ合う音が陸の鼓膜を揺らした。

 たちまち全身の神経が張り詰める。懐中電灯の光がちらちらと動き回って、夜風になびく花々を照らし出した。

 陸の視線がある一点に吸い寄せられる。数歩分の距離を隔てて、そこだけ花の揺れ具合が明らかに大きかった。


 ――何かいる。


 反射的に一歩後ずさる。

 その足音を聞きつけたのか、何かは一瞬だけ動きを止めると、花たちをかき分けて陸の方に迫ってきた。

 跳び出してきたのは一匹の黒猫だった。黒猫は呆然と立ち尽くす陸を一瞥すると、高い声で一つ鳴き、何食わぬ様子でそのまま反対側の花壇へと消えた。

 拍子抜けだ。


「……驚かすなよ」


 直後、腰に下げた無線から陸の名を呼ぶ声が聞こえてくる。


「はい。どうかしましたか」

『こちらのカメラでもお前の姿を捉えている。そのあたりに誰かいないか』

「……誰もいませんよ」


 前、右、後ろ、そして左。どこを照らしてもそれらしき姿は見当たらない。人が隠れられそうな物も無い。

 やっぱり見間違いだったのでは――そう思った時、陸の右足が何かを蹴飛ばした。


「……ん?」


 視線を降ろす。片目のえぐれたフランス人形が、首の部分を四十五度折り曲げたような格好で、足下に横たわっていた。


「なんだこれ」


 客の落とし物という考えが真っ先に思い浮かんだ。

 だがよく見てみると、落とし物にしてはやけにボロボロだ。髪と肌は薄汚れ、衣服は所々が擦り切れて穴が開いてしまっている。これではまるで、長い月日を雨風に晒されていたかのようだ。

 そもそも最初にここを廻った時、こんな物はなかったように思う。

 いくら明かりが乏しいとはいえ、フランス人形が落ちていれば気付きそうなものだが。


『おい、お前の後ろにいるぞ』

「は?」


 無線から聞こえた声に慌てて振り返る。

 一人の女の子が、手を伸ばせば届きそうな程近くから、陸をじっと見つめていた。


 ――いつの間に。


 何秒か前まではいなかった筈だ。自分が人形に気を取られたあの僅かな間に、気配を消して足音も立てず近付いてきていたというのだろうか。

 不思議に感じつつ、陸は少女の姿を観察する。

 その外見は外国人のようだった。背丈は陸の胸に達するくらいで、流れるような金髪が片目を隠している。纏った衣服はドレスであると思われたが、随分と痛んでいて、元の美麗さを想像するのは難しい。

 それだけでも十分異様な姿だったが、加えて少女は靴を履いていなかった。靴下すら取り払われた生の足で、冷え切った地面を踏みしめていたのだ。

 およそ普通の状況ではない。陸の脳裏に虐待の二文字がよぎる。


「あ――。君、こんな所で何してるの。お母さんかお父さんは?」


 反応は無い。

 もしかすると日本語が分からないのかもしれない。


「ハ、ハロー?」


 カタコトの英語に切り換えてみたが同じく無反応だった。

 ならば事情を聞くのは後回しにして、まずはこの子を保護しよう。真夜中に一人ぼっちで取り残されていたのだから、さぞ心細い思いをしたことだろう。


「本部、こちら陸。少女を一名発見しました」

『確認した。こんな時間にどうして』

「分かりません。ひとまずこの子を連れて――」

「お兄さん」

「そっちへ戻りま――え?」


 少女の口から出てきた鈴の鳴るような声に、陸は耳を疑う。


 ――日本語しゃべれたのか。


「……え、……く……しょう?」


 くすんだ色の唇が何かを紡ぐ。


「えっと、ごめん、何?」

「……、しましょうよ」


 風の音と、そもそもの声が小さいせいで、途切れ途切れにしか聞き取れない。

 様子からして少女は何かを訴えたいようなのだが、肝心な部分を二度も聞き逃してしまった。


『西城。取り敢えずその子を連れてこい。迷子かもしれん』


 やり取りを聞いていた主任から新たな命令が下る。


「……その方がいいか」


 話を聞くのは別に今じゃなくても出来る。最初に考えた通り、この子を連れて暖かい場所に移動するのが先だ。


「分かりました。今からそちらに戻ります」


 陸がそう応えた時だった。


「分かったって言ったね」


 少女の口元が恍惚に歪んで、聞き間違えることが困難なほど明瞭な響きがそこから飛び出してくる。

 綺麗な声だった。少女の姿に似合った可愛らしい声だった。けれどその声を聞いた途端、自分の世界が何者かに侵食されていくような、言い様のない不安感を陸は感じた。

 真冬だというのに全身から汗が吹き出す。丁度その時、一際強い風が吹いて、少女の前髪の向こう側を陸に垣間見せた。


「――約束よ」


 本来なら眼球がある筈の場所は、底知れない暗闇で満たされていて。

 それなのにその奥からは、こちらを舐め回す醜悪な視線を感じる。

 鳥肌が立ち、全身が竦んだ。何枚にも重ね着した服を貫いて、冷気が身体の中に根を降ろし、心臓を押し潰そうとしているような心地がした。


「う、うわああっ!」


 陸は弾かれたように駆け出した。

 立ち止まらず、振り返らず、今この場から一歩でも遠くへ。懐中電灯の光が暗闇を滅茶苦茶に掻き乱す。

 頭の中で、陸の本能が最大級の警報を鳴らしていた。


 ――あれは近寄っちゃいけないものだ。

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