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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
五夜:心霊スポットへの招待
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決壊地点

 七瀬の声が聞こえたのだろう。幽霊はこちらを見て、ひときわ大きな首肯を送ってきた。

 どうやら推測は間違っていないらしい。自分たち二人を、彼はどこかに連れて行こうとしている。少なくとも今のところは穏便な手段を使って。

 さて、これからどうするか。

 大人しく着いて行く。もしくは踵を返してこの場から離れる。選択肢自体はシンプルだけれど、だからと言ってすぐに選べる訳ではない。

 相手の理由が分からないことが、さらに判断を難しくしていた。

 こちらに何かを要求したいのか。それとも何か企みがあってのことなのか。あるいは出口まで案内してくれるとか――これはまあ、大穴中の大穴だろう。期待しない方が賢明だ。

 何にせよ一人では決められない。


「……渚ちゃん、考えを聞かせてもらえる? 」

「……出来ることなら、危なそうな橋は渡りたくないです。先輩はどう思われますか」

「大方渚ちゃんと同じだよ。ただ……あの幽霊、ここまで下手に出てくるあたり、こっちに何かする気は無い気がする」

「そこまで危険ではない……ってことですね」

「そう。全部僕の勘だけどね」

「でも、こういう時は理屈より勘の方が頼りになりますから」


 彼女の言う通りだ。しかし一方で、自分の直感は案外当てにならない事も重々承知している。


「目的が何か分かれば、こんな苦労しないのに」


 どう嘆いてもこれ以上の情報は手に入らなさそうだった。つまりは可能性で動くしかない。その事実が無性に歯痒く感じた。


「着いて行ってみないことには、分からないですよね」

「そうだね。ここで悩んでても始まらないかな……」


 取り敢えず、どちらかに決めなくては。


「……行ってみる? どっちにせよ帰る目処は着いてない訳だし。もしかすると幽霊が何か教えてくれるかもしれない」

「そうですね――――」


 瞼を伏せて考え込む渚。一方で幽霊は手招きを止め、じっとこちらの様子を伺っている。


「――着いて行きましょう。ただし距離は空けて、何か怪しい事があればすぐに逃げる。……これでどうですか」

「賛成。出来る限り慎重に動こう」


 結局そんな所に落ち着いた。最高の策ではないだろうけれど、きっとこれが最善の策だ。

 石橋は叩いて渡るもの、ましてや不安定な橋ならなおさら。望むらくはこの警戒が杞憂のものであって欲しいが――果たしてどうなるだろうか。


 ※


 幽霊を見失わない程度の絶妙な距離感を維持しながら、二人は半透明の背中を追いかけ始めた。

 相手は時折身体を左右に揺らしながら、奥へ奥へと進んでいく。霊の目的と例の気配の間には、何かしらの関連がありそうだった。

 感じる気配は次第に強くなっていき、それに伴って、辺りに見える幽霊の数も段々と増えてくる。


「……不思議ですね。どうしてこっちの方にばかり幽霊が集まっているんでしょうか」

「何かあるのは確実だよね」


 問題は、その何かが何なのかだ。

 意図せず迷い込んだ二人の異質な存在に対して、霊たちは遠慮無き興味の視線を浴びせかけてくる。けれど一方で、一定の距離を割って接近してくることはない。邪魔立てをしそうな気配も皆無だった。

 どうやら自分たちは、彼らにとって招かれざる客ではないらしい。

 やがて遠くに、薄暗がりの中で不気味に輝く緑色の明かりが見えてきた。周囲だけもやがかかったようにぼやけている。

 何かと思って目を凝らせば、その中に浮かぶ無数の顔に焦点が合う。苦悶とも悲しみともとれない表情が幾つも幾つも浮かんでいた。数え切れない霊が集まって、もやのように見えていたのだ。

 雲行きが怪しい。このまま進んでも本当に大丈夫だろうか。少し不安になってくるが、声に出せる雰囲気ではなかった。迂闊な一言が彼らを刺激してしまいそうで。

 案内役の霊が近づいていくと、もやは左右に割れて道を作った。規模と状況は違えど、それはどこかモーセの海割りを思い起こされる光景だった。

 そしてその先に、ぽっかりと開いた非常階段への入り口が姿を現した時。七瀬は思わず息を呑んだ。

 まるで地獄の門が開いてしまったかのように、形すらあやふやな霊体が、尽きること無き勢いでこちら側へと流れ出続けていたのである。それは幽霊の濁流だった。入り口自体を完全に封鎖しない限りは、いかなる霊能者がいかなる方法を用いても止められそうになかった。


「――――っ」


 全身の毛が逆立って、すさまじい圧に目が痛くなる。空気そのものが、電気を纏っているかのようにピリピリと震える。

 あの中で何が起きているのかは分からない。火事場の煙のようなもやがどこまでも濃く、向こう側は見透せなかった。現実世界側にいた幽霊達はここから来たに違いない。


「どうなってるの、これ――」


 見たことも聞いたこともない光景。少しでも似たような物を知っていればそこから推測を膨らませてゆける。だが、役立ちそうな記憶はいくら脳内を探しても見つからない。


「戻りましょう、先輩!」


 隣で渚が叫んでいる。


「――うん、そうしよう」


 間髪入れずに頷く。

 何かあるだろうとは思っていたが、こんなに訳の分からないものに関わるなんて想定外もいいところだ。少なくともここが、現実世界への出口でないことは確かだし。悪いが手を引かせてもらおう。

 けれど、二人が体を反転させてみれば。いつの間にか、集まってきた霊たちが周囲を取り囲んでいる。数十の瞳がこちらを見据え、どこに行くつもりだと訴えかけてくる。


「…………く」


 包囲はゆっくり、だが確実に狭まりつつあった。大人しく逃がすつもりはなさそうだった。


 ――どうすればいいんだろう。


 強行突破で包囲を突き破り、そのまま走り去ってしまおうか? ……いや、それは駄目だ。この場を切り抜ける事は出来ても、後が続かない。きっと幽霊たちは追い掛けてくるだろうし、彼らのとる行動が、二度目も穏便である保証はないのだ。

 仮にこれだけの数の霊を敵に回したら――自分の力では、どうにもならないだろう。


「逃げるのは無理……かな」


 観念して向き直る。男性の霊は変わらず同じ場所に立って、こちらを待っていた。


「……で、僕たちは何をすればいいの」


 霊の指先がもやの奥に向いた。


「――この中に入れと?」


 幽霊が肯く。

 ここまでするなんて、余程の理由があるに違いない。数歩、足を踏み出せば、自分たちはそれを目の当たりにすることになるだろう。

 入りたくはないけれど、選択肢は一つしか無いわけで。

 終始穏当な霊達の態度が、たった一つの安心材料だった。こちらを取り込みたいだけなら、回りくどい方法よりも力業に訴えた方が早い。逆に考えれば、もしかしたら彼らの要求は、存外に些細で危険の無い事かもしれない。

 闇の中で、光は実際以上に輝いて見えるものだから、あまり希望に縋るのも良くないのだけれど。


「渚ちゃん。何があっても僕から離れないで」

「――はい」


 覚悟を決めてゆっくりと足を前に出す。渚はその後ろから、ピッタリと距離を空けずに着いてきてくれた。

 霊体に突入していくなど、考えるだけで身震いがする。際限なきもやに全身を丸ごと呑み込まれて、永遠にもがき続ける結末を想像してみたり。けれど実際には、突き出した岩に川の流れが分断されるように、自分たちの周りだけ例のもやが捌けていった。

 不思議な現象に頭の片隅で考えを巡らし――すぐに答えを見付ける。きっと、種のお守りが霊たちを遠ざけてくれているのだろう。お守りの世話になるのは、自覚しているだけでもこれで二度目だ。サクと再開したらお礼を言わねばならない。

 深呼吸、一つ。

 渚と自分の無事を祈りながら、入り口をくぐる。


「ああ、なるほど――」


 謎の気配の正体と、この建物を心霊スポットたらしめている要因。それらの謎は、目の前にあるものを見た瞬間、たちまちの内にほどけて消える。


「――ここ、霊道が通ってたんだ」


 霊道。地形や風水、その他偶然の要因が重なって作られる、文字通り霊の通る道。霊の“ための”道、と言い換えてもいい。

 薄ぼんやりとした光の帯のようなものが、階段に沿って伸びている。その終点はここから窺えないものの、辿って行けばおそらく最上階まで続いているだろう。そうして端へと行き着いた魂は、そこから天へと還って逝く。


「こんなのがあったら、幽霊が集まってくるのも当然です」

「確かに。そうして集まった霊に、また他のが惹かれて――」

「ますます強い道になる、というわけですね」


 ただそうだとしても、まだ説明の付かない部分は残っている。川や高速道路とは違って霊道の場合は、流れる幽霊が増えれば、それに伴って道幅も拡大していくものだ。決壊や渋滞は起こり得ない。道を逸れて霊体が流れ出すなんて、まずあり得ない。

 本来ならそうである筈なのだ。けれどそうなっていないのは、何かしらの理由があるに違いない。

 辺りに視線を走らせたところ、その“理由”はすぐに発見出来た。

 上階へと続く階段の途中に、流れを妨げる異物が存在していたのだった。二つの三角コーンと、その先端を繋ぐ一本のポール。工事現場でよく見掛ける、通行不可の標である。


「渚ちゃん、あれを見て――――」


 つい最近まで工事中だったことを思い起こす。その時置かれたこのポールが、忘れられたかどうにかして偶然にも撤去を免れ、ここに取り残されてしまったのだろう。

 自分たちのような生きる人間からすれば、こんな封鎖など実質無いも同然だ。跨げば越えることが出来る。

 けれど。霊を通さないようにするには、『封鎖している』という事だけで十分なのである。封鎖とはある種、境界を作る行為だ。彼方と此方を隔てる境――霊体にとっては、そうそう越えることの出来ない壁となる。

 渚が服の裾を引っ張ってくる。


「どうしたの?」

「今思ったのですが……もしかすると、彼らは私たちにこれを退けて欲しかったのではないでしょうか」


 渚の推測を聞いた七瀬は、口元に手をあてて小さく唸った。

 自分たちでは現世の物に干渉出来ない、あるいは干渉が難しいから。代わりに生きている人間に頼もう。ああ、丁度いい奴らがいる。よし、あいつらを招き入れようじゃないか――こんな感じだろうか。

 何故自分と渚だったのかと言えば、それはきっと、霊感がある分こちら側(・・・・)に引き込みやすいからだ。


「……筋は通ってるね」


 幽霊の方を見て、短く問い掛ける。


「……合ってる?」


 幽霊は大きく首を縦に振った。明らかな肯定の仕草だった。

 となれば話は早い。


「もしそっちの頼みをきいたら、その時は、僕らを元の世界に戻してくれるね?」


 返ってきたのは再びの首肯。交渉成立だ。

 するべき事が分かればあとはあっという間だった。七瀬が三角コーン二つを、渚がポールを、それぞれ持ち上げて、踊り場の隅に追いやる。それら自体は何の変哲もなくありきたりで、突然動き出してこちらを妨害してきたりも無かった。


 流れはすぐに元通りになった。外へ溢れ出ていた霊達が、吸い込まれるように集まってきて、そのまま上階へと上っていく。

 あまりにもその勢いがすさまじかったので、七瀬たちは声も出せないまま、しばらく踊り場の隅で身を縮めていた。 

 収まってきたあたりを見計らって外に出る。ここまで案内してくれた例の幽霊が、入り口を出た所で待っていた。


「……これで、いいんですよね」


 渚が確認すると、幽霊はまたもや頷き、それから両手を体の前で合わせて深々とお辞儀をしてみせた。


 ※


「――何だか終わってみると、意外とあっけなかったね?」


 その数分後。降下していくエレベーターの中で七瀬は言った。

 あの後幽霊は、当初の約定をしっかりと守った。七瀬達が迷い込む入り口となった例のエレベーターまで案内し、乗るように促してくれたのである。鋼鉄の箱は、まるで二人を待っていたかのように、その扉を開けてあった。これに乗れば、どうやら元の世界に帰れるらしかった。

 至れり尽くせりな気がして一瞬罠を疑ったのだが、集中してみても何ら不穏な気配は感じなかった。乗ってみても特に何事も起きず、至って普段通りに動いた。液晶の数字も普通に戻っている。


「あっけない方がいいですよ。大事(おおごと)にならずに済んで何よりです」

「別世界に迷い込むのは、十分大事な気もするけど」


 こうやって苦笑できるのも、やっと戻ってきたという安心感があるからだ。

 チン、という小気味よい音が鳴って、扉が開く。その向こうには、心から待ち望んだ現実の一階が広がっていた。

 幽霊の姿はない。気配の残り香は多少感じるけれど、少なくとも、視界の及ぶ範囲にそれらしきものは見当たらなかった。

 現実世界とあちらの世界に、どのような関係があるのかはいまいち判然としないが、どうやら自分たちの行いは霊にも人にもいい影響を与えたらしい。


「行こうか、渚ちゃん」

「はい、行きましょう」


 一歩踏み出すごとに、帰ってきたという実感がどんどん強くなっていく。照明もどことなく明るさが増しているように思えた。

 深呼吸をして、新鮮な空気を思い切り吸い込む。吐き出す息と一緒に全身の緊張が抜けていくようだった。

 さ、帰ろう。

 そう言いかけた、その時。


『ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております』


 そんな電子音声が、後ろから聞こえてくる。何となく聞き流しかけた七瀬だったが、すぐに違和感を覚えて立ち止まった。

 一階に用のある客が、そのまま帰宅するとは限らない。あんな音声は普通流さない筈だが――。

 気になって振り返る。だがそれよりも早くに鋼鉄の扉が閉まって、声の正体は結局分からないままとなった。

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