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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
初夜:真夏のボーイミーツガール
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柊みたいな人

 九鳥大学の敷地面積は、控え目に言っても広い。

 キャンパスの東側には文系の建物がずらりと並び、西は理系の領域だ。南東部にはサークルの部室があって、農学部の所有する畑と森林とが隣接している。そして中心部に鎮座しているのは、新入生が教養課程を学ぶ区域に加え、九鳥大学中央図書館や卒業式などでも使われる総合体育館などの、看板ともいうべき施設の数々だ。

 生憎、その全てを周るのは時間的に不可能だった。何しろキャンパス内をバスが通っている程の広さである。徒歩で横断など自殺行為に等しい。そのため今日のツアーでは、最初の二つに絞って巡る予定になっている。


「え――、この建物は、文系、法学部棟となっています。ここにはなんと……」


 それにしても暑い。

 行列の先で解説する先輩の姿を眺めながら、そんなことを思った。立っているだけでも汗が吹き出してくる。ツアーのガイドと参加者には、よく冷やされたペットボトルのお茶が配られていたが、蓋をあける頃にはぬるま湯になっていた。どこかで貰ったクリアファイルを団扇代わりにする人が、そこら中に見受けられた。

 七瀬の役目は、最後尾から参加者の体調などに目を配ることだった。だが下手をすれば自分が熱中症になりかねない。あまり洒落にならない。


 ※


 ツアーが始まってしばらくすると、参加者はなんとなく二つのタイプに分かれることが分かった。

 片方は、大学というアウェーな環境だからか、少し緊張した感じで解説に聞き入っている者。そしてもう一方は、解説を聞き流しつつ辺りを見て友達同士でしゃべっている者。

 勿論、程度は人によりけりで個人差はあるけれど、大抵このどちらかに区別出来る。

 だから。そのどちらにも属さず、少し様子がおかしい人は、すぐに七瀬の目に留まった。

 最後尾に近い辺りの、おとなしそうな女の子だ。ツアーを嫌がっていたり、つまらないと感じている風ではないものの、どことなく。雰囲気が陰を帯びている。

 騒がしきこの場において、七瀬にはそれがやけに目に留まって感じられた。


 具合が悪い、という可能性もある。炎天下を歩いていれば熱中症になってもおかしくない。そうなったときの対応は自分の仕事だ。七瀬は彼女に声をかけることにした。


「――ねえ、そこの君」

「は、はい? 私ですか」


 彼女が七瀬の方に振り向く。


 体調は大丈夫――そう訊こうとした七瀬は、言葉を失ってしまった。

 彼女の顔に、確かな見覚えがあったからだ。

 他大勢の高校生と同じように、白い上着に紺色のスカートという制服姿。襟元には翼を広げた鷹の校章。褐色がかった肌は淡く火照り、肩にかかった黒髪があるかなしかの風に揺らぐ。


「――君は」


 まさしく。午前中に、出会ったあの子だった。

 彼女は二度瞬きをしてから、小さく呟く。


「あの時、の?」


 その言葉には、思いがけない邂逅への驚きと戸惑いとが入り混じっている。彼女もまた、七瀬のことを覚えていたようだった。

 自然と数時間前を思い出す。不意に出てきた幽霊のせいで、気まずい沈黙を生んでしまったあの時。

 こうして再び顔を合わせることになるとは、思ってもいなかった。


「どうか、しましたか」


 濡れ羽色の瞳がこちらへと向けられる。警戒半分、不安半分、そんなところか。見知らぬ男に声をかけられたのだから、まあ当然の反応だ。


「いや、たいしたことじゃないよ。ただ、体調でも悪いのかなと思って。後ろから見てて、様子が変に見えたからさ。具合は大丈夫?」


 彼女は慌てて首を横に振った。


「大丈夫です。ただ、その……いえ、なんでもありません」

「そう? 今日は暑いし、無理はしないように。救護テントにも、もう何人か熱中症になった人が来てるみたいだし。気分が悪くなったら、僕かあの人に遠慮なく言ってね」


 前にいる先輩の姿を指して、そう言う。しかし彼女はそちらに目を向けることなく、小さく頷いただけだった。その身体は、微かに強張っているように見えた。まるで七瀬が指差す方向に、認知したくない何かがあるかのように。

 もしかすると。


 ――――彼女にも、あれ(・・)が見えているのだろうか。


 そんな仮説がふと頭の中に生じた。

 荒唐無稽だと、笑われてしまう妄想かもしれない。だが時として、事実は小説より奇なり。ありえない事だと断言出来る確証があるわけでもない。

 どうとでも取れるような言葉で、七瀬はアプローチを試みる。


「ごめん、ちょっといいかな。もしかして、君は――」

「何ですか?」


 彼女の耳元に顔を近づける。

 そして、彼女にだけ聞こえるような声で、こう囁いた。


「――あれ、見えてるの?」

「――っ!」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、彼女は七瀬の方を見つめてくる。

 ビンゴ、と内心で呟いた。もしあれが見えていないとするなら、普通浮かぶのは疑問符のはずだ。だが明らかに、彼女は質問の意図を完全に理解し、その上で驚きの表情を浮かべていた。

 返事を待つまでもない。彼女にもまた、あの幽霊が見えている。七瀬は確信した。

 そして同時に。自分以外の『見える』人と初めて出会えたことに、静かな喜びが胸の内から湧き上がってきた。

 自分にだけ見える世界というのは、言いかえれば自分にしか(・・)見えない世界だ。それは良いことばかりではない。見たくないものでも、強制的に見えてしまうのだ。

 他人には納得してもらえない世界。助けも共感も得られず、その分の空白は孤独感により満たされる。

 七瀬も自分の霊感については、数人の新友にしか打ち明けていない。だが彼らは皆、七瀬と違って地元に残ったか、遠くに引っ越してしまっていた。

 だから、自分の見える世界を共有出来る誰かとこうして一緒にいるのは、本当に久しぶりのことだった。


「……あなたにも、あれが見えてるんですか」


 おそるおそる、彼女が訊いてきた。七瀬は小さく頷き返す。


「はっきりと見えてるよ。貞子みたいに長髪を垂らした女性の姿が、ね。赤い服を着てる」

「女性、ですか」

「あれ、違う? 先輩の肩に乗っかってるやつ……の事だよね」

「はい、それは合ってます。合ってるんですけど……」


 彼女は一瞬だけ、視線を前の方に向けた。それから眉を顰めて、首を横に振った。


「やっぱり。私には、そこまではっきりとは見えないんです。ただぼんやりと、『黒い影』という風にしか」

「黒い影……なるほど。君にはそう見えるんだ」

「はい。あの人の顔を、すっぽりと覆っています」

「波長の問題なのかな。合う合わないってあるものね」


 生ける人にもそれぞれに個人差や個性があるように、幽霊にもいわゆる見える見えにくいといった違いがある。

 それは単にその霊魂の強さによる時もあるが、大抵の場合、観察者との相性の問題だ。七瀬はそれを、波長が合う、と呼んでいる。個人的にだけど。


「あれは、何なんでしょうか」

「さあ。僕にも分からない。三日前に廃墟に行ったと言っていたし、多分その時憑いて来たんじゃないかな。肝試しがどうこうって」

「廃墟……納得がいきました」


 頷く彼女の横顔を見ながら七瀬は、この大学の近くにも心霊スポットと称される場所があったことを思い出した。


「廃墟って言えば、このすぐ近くにもあるんだよね」


 キャンパスのすぐ裏手。山のふもとにひっそりと建った、小ぶりの一軒家……の残骸だ。三人家族が住んでいたそうだが、彼らはある日唐突に行方をくらましてしまったのだという。夜逃げしたとか、凄惨な殺人事件があったとか、実は黒魔術にはまっていて呼び出した悪魔に連れていかれたとか、眉唾モノの噂には事欠かない。だが真実はというと、誰もはっきりとは知らないのだった。


「そこも“そういう”場所なんですか?」

「そうだね……。僕は入ったことはないけど、多分、間違いないと思うよ」


 遠くから眺めたことならある。二階部分しか見えなかったが、それだけでもどことなく近寄りがたい雰囲気を感じた。 


「いつも思ってるんだけど」


 おもむろに口を開く。


「どうしてみんな、そういう所に行きたがるんだろうね?」


 七瀬からしてみれば、心霊スポット探検はただ危険なだけの何かだ。幽霊がいる場合は当然のこと、いなかったとしても、廃墟の散策はそれだけで怪我の恐れがある。特に夜半はなおさら視界が悪い。


「前に、同級生の男子が話してくれたことによれば、度胸試しらしいです。あとは、気になる人を連れていったりもするらしいです。私も一度誘われたことがあります」

「吊橋効果ってやつかな? ……というか、誘われたんだ」

「勿論、断りましたよ」

「廃墟は危ないからね。行こうとなる人の気がしれないよ」

「きっと、お化け屋敷のような、アトラクション感覚なのではないでしょうか? 心のどこかで、自分は大丈夫だろうという謎の安心感があるんですよ。そもそも幽霊なんて見えてないですから。……目の前に、いてもいなくても」

「なるほど………ああ、その答え、真理を突いてるかもしれないね。適格。ちなみに僕は、心霊スポットだけじゃなくてお化け屋敷にも行かない人だよ」


 そう言うと、彼女は暫く七瀬を見つめてから、人差し指をピッと立ててみせた。


「本物なら気配で分かるけれど、作り物はどこから来るのか分からなくて逆に怖い。というわけですね」

「――正解。何でそこで当ててこれるのさ。(ひいらぎ)みたいな人だね、君」


 おどけた風に七瀬が肩を竦めると。


「ふふっ」 


 不意に彼女の固くなっていた顔がほころんで、春先の白スミレのような柔らかい笑顔に変わる。


 ――――あ、可愛い。


 不意打ちをくらって、どきりと心臓が跳ねた。咄嗟に七瀬は彼女から視線を逸らした。

 一体何を考えているんだ。相手は高校生だというのに。

 生じかけた思いを理性で振り払う。そんな葛藤を彼女は知る筈もなく、笑顔を浮かべたまま訊いてくる。


「私を柊に例えた人なんて、生まれて初めてですよ。どういう意味合いで?」

「えっとね。……花言葉、なんだ。“知見”という意味の」

「それなら、誉め言葉なんですね」

「うん。花言葉、僕の癖なんだよ。変かもしれないけどね」

「変じゃないですよ。とっても素敵だと思います」


 無邪気にも彼女は、七瀬の癖を全肯定した。“素敵”という言葉が七瀬の理性にちょっかいをかけてくる。特別な意味など込められていない筈の言葉に動揺させられるのは、彼女の笑顔が眩しすぎるからだろうか。

 結局、心を落ち着けるのに数秒を要した。 


「そういえば、先輩の名前はなんて言うんですか?」


 名前。そのことをすっかり忘れていた。七瀬は右手の人差し指で、自分の名前を空に描いてみせた。


「七瀬。七瀬 俊。俊足の俊って字」

「じゃあ、七瀬先輩、ですね。私は上川(かみかわ) (なぎさ)といいます」

「分かったよ。……えっと、上川さん」

「下の名前でいいですよ。いつもそれで呼ばれているので」

「じゃあ、渚ちゃん……?」


 一息の間を置いて、七瀬は言った。さすがに呼び捨てにするのは気が引けた。

 渚はもう一度、可憐に微笑んで応えた。


「はい。七瀬先輩」


 見上げてみれば、そこに広がるのは真夏の澄み渡った群青の空。

 さんさんと輝く太陽は、まだまだ沈みそうになかった。

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