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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
四夜:角部屋の女霊
30/55

心霊ミーティング

 幽霊を説得出来るかと訊かれれば、どうにも微妙な所だと返すしかない。可能な場合と不可能な場合とがあって、どちらになるか幽霊次第だ。

 勿論彼らも元々は同じ人間だったのだから、こちらの言葉は差し障りなく伝わる。だがだからと言って、話し合いで万事上手くいくと決め付けるのは気が早い。

 幽霊というのは、現世に未練を残してしまっているために成仏出来ない死者の魂だ。彼らが留まっている場所、しようとしている事、全てに理由がある。向こうの都合も考えずどこかへ行けと闇雲に訴えた所で、暖簾に腕押しもいいところだろう。

 だから幽霊との会話は、まず相手の話に耳を傾けることから始まる。

 七瀬が幽霊を見るようになってからそろそろ十年くらいが経過するが、幽霊と話すのは此度が初めてではない。小学生の頃には、息子が墓参りに来ないと嘆く故人の霊から愚痴を聞かされるなんてこともあった。他には、挨拶をした相手が実は幽霊で逆に驚かれたりと、話す内容には困らない。


 ―――そういえば。


 廃墟の幽霊に出会ったのも確か、今日みたいな酷暑の日だった。

 九鳥大学の裏手、林に周りを囲まれてひっそりと佇む廃屋。そこへ迷い込んでしまったらしい高校生たちを救出するべく、渚と一緒に進入した一夏の思い出。その途中で遭遇した女性の幽霊は、意味深な発言を二人に残していった。


 “呪われているのです。”

 “これから先、少女にはお気をつけて。”


 現在に至るまで、その真意は不明なままだ。


「大丈夫ですか」


 渚の声で我に返った。


「え、あぁ、うん。何でもないよ。ちょっと考え事をしてただけ」

「それなら良かったです。……どこか、気分が悪そうに見えたので」


 そう言った渚に、七瀬は慌てて首を振った。


 ――まったく、僕が気を使わせてどうするんだ。


「心配してくれてありがとう。でも、今の所は大丈夫」


 緊張が無い、と言ったらそれは嘘になるだろう。だがそれを表に出すかはまた別の話になる。

 たしかに一般的な男として七瀬はいまいち頼り甲斐に欠けるかもしれないが――そうあろうとする矜持くらいは、持ち合わせてもいい筈だ。

 まして。


「……」


 隣を歩く渚に目を向けてみれば、彼女はいつも通り落ち着いているのだから。自分もしっかりしないといけない。一応、この中では自分が唯一の男だという自覚はあるつもりだ。

 小説の主人公みたいなヒーローを気取るつもりは無いし、そもそも幽霊が見えるだけの自分にそんなことは出来やしない。それでも万一何か不測の事態が起きた時には、渚と南部長を逃がす役割くらい果たさないといけない。

 そんなことを考えていると、渚が何か気になっているような様子で、横から七瀬の肩をつついて来た。


「先輩。何か変な事考えていませんか」

「え。……変な事って?」

「もし幽霊が襲いかかってきたらどうしようか……とかです。まさか、私たちを優先して逃がそうなんて、考えてないですよね」

「――」

「逃げるときは、絶対に三人一緒ですよ」


 迷うことなく渚はそう言い切る。七瀬の中で、フッと何かがほどける音がした。一人で色々と考え込んでいた自分が何だか馬鹿らしくなってきて、気づけば口元に苦笑が浮かんでいた。

 たしかにそうだ。逃げろと言ったところで、彼女は誰かを置いて逃げるような人じゃないのは、一年前のあの日から何となく分かっていたことなのに。

 そしてその強さが、七瀬には有難かった。おかげで幾分か気が楽になる。

 情けない話だと、笑われるかもしれないけど。


「――何だか、全部見通されてるみたいな気持ち」

「はい。何故なら私は“柊”ですからね」


 渚が笑って応える。そんな二人の光景を、南部長が穏やかに見守っていた。


 ※


 暫く歩いたのち、三人は部長のアパートへ到着した。刺すような日差しは弱まる所を知らず、汗でシャツが張り付いて気持ち悪い。そして目の前にそびえる薄灰色の建物は、前来たときよりも一回り巨大に見えて、今にも覆いかぶさってきそうだった。

 部長の部屋がある二階までは階段で上がった。扉の前に並んで立ち、一旦深呼吸を挟む。

 渚がそっと瞼を降ろすと、扉に手を当てた。肌と金属とが接する瞬間、わずかに彼女の肩が震えたが、当てた掌は離さずにそのまま上へ下へと這わせていく。


「何か感じる?」

「……はい。うっすらとですが、この向こう側に何かいるみたいです。先輩も触ってみてください」

「……ホントだ。にしても、この扉やけに冷たいね」


 鋼鉄の扉が冷えきっていた。冬ならまだしも真夏にはあるまじき、氷水につけておいたかのような冷たさだ。

 一般的に、金属は熱しやすく冷めやすいとされる。加えて方角の関係上、夕暮れまでここには直射日光がさしこまない。だがこれは。

 渚の肩越しに部長が手を差し出したが、すぐに引っ込めて怪訝な表情を浮かべた。


「どうやったらこんなに冷えるんだ。今は夏だぞ」

「……冷房を点けたままだった、とか」

「それは無いな。確かに私は寝る前にクーラーを点けたが、朝方には切れるようにタイマーをセットしておいたんだ。……そもそも、冷房だけでここまで冷えてたまるか」

「ですよね。この扉は芯まで冷えているみたいですし」

「じゃあ、どうしてこうなってるんだ?」

「……分かりません。幽霊が関わる事なので、としか」


 曖昧に答えるしかなかった。怪奇現象には時として理屈が当てはまらないということを、改めて思い知らされる。


「部長、鍵は持ってますか」

「ああ。ここにある」

「開けてください」

「任せろ」


 部長がポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。一捻り。小気味の良い音と共に解錠される。一歩進み出てから、七瀬はドアノブに手をかけた。

 この扉を開けた先に何がいるのか。透視能力者なら分かるだろうが、勿論七瀬にそんな力は無い。出来るのは、ただ腹を括ることだけだ。

 心霊現象は複雑怪奇。何が起きてもおかしくない。

 例えば、もしも幽霊が、扉のすぐ向こう側で待ち受けていたりしたら。


「開けますね。渚ちゃんと部長は、僕の後ろに―――」


 下がっていてください。

 そう言いかけた七瀬の右手に、二人分の温かみが重なる。ほっそりとした渚の右手がまず添えられて、その上から部長の左手が優しく包み込むように被さった。

 驚いて左右に目を向ければ、二人とも言葉を発さぬまま、静かに頷いてきた。視線の中に自分への信頼を感じて、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「せーので、いきましょう」

「ああ」

「はい」


 七瀬の合図に合わせてドアノブを捻った。手前に引き寄せて扉を開くと、その中から冷風が吹き出してきて思わず目を細めた。外から見た室内はカーテンが閉まっているからか妙に薄暗く、迂闊に足を踏み入れ難い雰囲気だった。


「何かいるのか?」と部長が訊いて来た。

「ここから見た限りだと幽霊の姿はありません。ただ……この部屋のどこかにいるのは、間違いないと思います」


 奥の方から気配を感じるのだ。いきなり姿を現してこないあたり、向こうも様子を窺っているのだろう。

 三人はおそるおそる玄関に足を踏み入れた。完全に扉が閉まる前、七瀬は自分の靴を片方、ストッパー代わりに噛ませておいた。扉が開かなくなって閉じ込められる――なんてことを避けるためだ。

 七瀬がこうして部長の部屋に入るのは、闇鍋の時以来になる。とは言ってもまだ、たいした月日は経過していない。部屋の内装はおしなべて洋風で、リビングにはテレビとテーブル、そして文芸部らしく本棚、その他諸々の家具がある。

 軽く辺りを見回したが、やはり視界に幽霊らしき姿は映らなかった。


「渚ちゃん、何か感じる?」

「何となくですが。ただ、此処にはいないようです。きっとあの向こうに」


 渚が指差した方向は、七瀬が最も強く気配を感じている方向でもあった。寝室へと繋がるその扉は、部長から聞いた話だと、今は開け放たれているはずだったが。実際にはさも当然のように閉ざされている。

 木の板一枚を隔てた向こう側にいる何者かの霊気が、床と扉の隙間から、こちら側へと漏れ出ているようだった。


「……そうだね。間違い無いみたい」


 リビングに感じる気配はきっと残り香のようなものだろう。本体がいるのは寝室だ。

 そこまで考えた所で、此処に入ってからというもの部長が一言も声を出していないことに七瀬は気づいた。

 単なる思い過ごしかもしれないが。もしこの部屋に帰ってきたせいで気分が悪くなったりしているのなら、一旦外に出た方がいいだろう。不調な状態で幽霊と向き合うのはあまり好ましくない。


「部長。今、体調とか大丈夫で――」


 部長の方に振り向こうとして、一瞬だけ扉から目を離した。

 その時だった。


「――っ!」


 背中をチリッとしたものが駆け抜けて、七瀬の身体を固まらせる。嫌な予感がして視線を戻してみれば、先ほどまで確かに閉まっていた筈の扉がわずかに開いていた。音も立てることなく、あの僅かな間に。

 丁度竹一本くらいの空間から、寝室の中が垣間見える。白い壁紙と有る筈の無い風に揺らぐカーテン、そして刹那、黒い何かが横切っていく。やがて扉は、そこから一人手にゆっくりと開き始めた。


 ―――来る。


 頭の中で赤いランプが点滅を始める。備えよ、身構えよと、第六感が警告を発していた。

 もし、自分を律するという概念がなかったら、きっと声を上げていただろう。


「おい、あれは――」

「部長は僕の後ろに。何があるか分かりませんから」


 部長は既に一度幽霊に襲われている。その目的が何にせよ、幽霊が再び部長の姿を捉えた時どうなるかは凡そ想像がつく。扉の方から部長を隠すような位置に、七瀬は移動した。

 鬼が出るか蛇が出るか。まあ、いずれにせよ出てくるのは幽霊だろう。


「先輩」

「渚ちゃんも、僕の後ろにいて」

「先輩それは…………いえ、分かりました」


 頷いてから二人の所に寄って来た渚は、片方の手を部長と繋いだ。そしてもう一方の手で七瀬の服の裾を掴んだ。


 扉が完全に開ききるよりも早く、それは姿を現した。

 薄汚れた服を着ている女性の幽霊。寝室からリビングへ、滑るように移動してきた。力なく垂れ下がる両腕は指の先まで、枯れ木のように細くてくすんだ色合いだ。胸まで伸びきった前髪のせいでその顔は窺えない。だがそれでも、髪の毛越しに幽霊がこちらを見ていることは分かった。


「……部長、あれが見えていますか」

「ああ。でも、見えない方が幸せだったかもしれんな」


 身体を舐め回してくるような視線は、闇鍋の日に感じたのとまったく同じで。こちらを観察するような、あるいは愛撫するような、粘着質の眼差しだ。臆してしまえば相手のペースに呑まれると意識していても、無意識に拒否反応を覚えて、身体が竦んでしまう。


「うぅ……」


 必死に呻き声を噛み殺しながら、七瀬も幽霊から視線は離さずにいた。相手に隙を見せてはいけない、そんな気がして。

 すると幽霊は、歩幅三つ分程の距離を置いて動きを止めた。このまま襲いかかってくるのではと覚悟をしていただけに、これは少しだけ予想外だった。

 数十秒にも数分にも感じれる対峙の後、幽霊は唐突に、痩せこけた腕を頭の高さに掲げた。その様はどこか、タクシーを呼び止める時の動作に似ていた。


 ――これは、どういう事なんだろう。


 “彼女”なりのメッセージだろうか。だとしたら幽霊は、こちらに何かを伝えたがっていることになる。言葉を話してくれたら簡単に理解できるのだが、相手は一向に口を開く様子が無く、同じポーズを保ったまま静止している。

 それなら。

 七瀬は思い切って一歩踏み出してみた。幽霊に反応は無い。さらにもう一歩前に進んだ所で、渚に服の裾を引かれた。


「……先輩。何をするつもりですか」

「渚ちゃん」

「危ない真似は、止めてください」

「……大丈夫。多分、悪いことにはならないから」


 再び幽霊に意識を向ける。近付いた七瀬に対して、幽霊は少しだけ自身の顔を持ち上げた。その前髪の向こう側に、七瀬は黒く染まった二つの瞳を見た。闇夜を切り取って湛えたような、決して底の知れない色。

 だが、七瀬と幽霊の視線が一瞬だけ交錯した瞬間、その奥から、何かの感情が浮かび上がって来たような気がした。


 ――これは、もしかしたら。


 万一にも相手を刺激したりしないよう、ゆっくりとした動作で七瀬は片手を持ち上げた。そのまま、幽霊が掲げている掌に慎重を期して近づけていく。その指先が幽霊に触れたと思った直後、いきなり、無数の静止画が怒涛を打って頭の中に流れ込んできた。

 どこか、大学の構内らしき場所の風景。仲睦まじそうな男女の姿。ひびの入った携帯の画面。遠ざかる誰かの背中。そして、先が輪っか状になったロープ。

 その量に七瀬が呑み込まれかけた時、何かが爆ぜる音と共に、幽霊と繋がっていた指先に痛みが走った。そこで情報の洪水は途切れた。


「……っ」


 後ろによろけた七瀬の身体を、渚と部長が支える。


「大丈夫ですか」

「……うん。大丈夫、ちょっと痛かっただけ。それよりも、今ので少しだけ“彼女”のことについて分かったよ」

「分かった……というと」

「向こうから、“教えてくれた”って言えばいいのかな」


 さっきの画像は七瀬の意図と関係なく見えたものだから、そう表現するのが正しいだろう。


「もしかしたら、何か伝えたいことがあるのかも」


 当初は幽霊を文字通り説き伏せて、穏便に部長の部屋から出て行ってもらうつもりだった。だが今、状況が少しだけ変わってきている。

 幽霊が伝えたいこと――あるいは、彼女の未練と言い換えてもいい。それをどうにかすることが出来れば、幽霊は自ずと成仏してくれるだろう。彼女自身にとっても幸せな結末だ。

 そしてなにより。追い出して後は知らぬ存ぜぬでは、どうにも後味が悪い。

 理想ばかり追いかけても駄目なことはよく分かっているのだが、出来ることなら、全員が幸せになれるような道を選びたかった。


「……ねえ、幽霊さん」


 ――落ち着いて。


 自分自身にそう言い聞かせる。まるで綱渡りをしているような気分だ。


「何か伝えたいことがあれば、僕たちに聞かせてくれない? 力になれるかもしれないから」


 七瀬の言葉に、幽霊は確かな反応を見せた。下から覗きこむようにしてこちらを凝視してくる。先ほどまで黒かったその瞳には、色が戻り始めていた。それが何を意味しているのかは分からない。七瀬はそれを、理性だと解釈することにした。

 首肯という形で応えが返ってきたのは、数秒が過ぎた後のことだった。

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