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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
四夜:角部屋の女霊
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真夜中ゴースト

 夜中にふと目が覚めてしまう、なんてことは、誰しも一度は身に覚えがあるだろう。

 怖い夢を見たのでもなく、何か音がした訳でもない不意の覚醒。それは死んだ人が家に訪ねてきているからだ、なんていうオカルトじみた説もあるそうだ。


 今回の場合も、目を覚ました理由は定かでない。


 瞼を持ち上げた南理恵の視界には、寝室の天井が映っている。室内は真っ暗で、時刻がまだ夜中であることを明確に示していた。

 枕元の時計を、カーテンの隙間から差し込む月明かりにかざすと丁度二時を指している。このまま起きているには明らかに早い時刻だが、寝なおそうにも目が冴えてしまっていた。


 ――寝る前にコーヒーを飲んだのは失敗だった。


「……ふぅ」


 暫くボーッとした後、喉が渇いてきたのでお茶を飲むことにした。

 体を起こすと、入り口の近くにある姿見が目に留まる。引っ越してくる時に買ったものだ。意味もなくそれに触れてから隣のリビングへ向かう。彼女の部屋は大学生にしては珍しく、リビングと寝室が区切られている。故に誰かを部屋に招き入れた場合でも――たとえばサークル仲間で闇鍋をする時とか――プライバシーはきちんと守られる。別に隠し通さねばならない秘密がある訳ではないが。

 手探りで電気のスイッチを探して点ける。眩しさに目を細めた。その視界の端に、一瞬だけ、はためく何かの姿が映る。


「……!」


 そちらの方に目を向けるも、そこには彼女が大学入学と同時に買った特注の本棚があるだけだ。光に目が慣れてきたので傍に行ってみたが、これといって不思議なものは見当たらない。

 隠れるとしたら、本棚と壁の間にある微妙な隙間ぐらいだが……


「狭すぎる……よな」


 きっと、夢の名残でも見たのだろう。

 気にしないことにして台所へ行くと、理恵は冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して飲んだ。冷たい液体が颯爽と喉を下っていく、この感覚が気持ちいい。

 やっぱり夏にはこれが合う。ソファにでも体を預け、ゆったりくつろぐ分にはコーヒーの方が好みだが、火照った体を涼ませて喉に潤いをもたらすには、冷えた麦茶にかなう飲み物はそうそう思いつかない。

 コップを水洗いしてから、寝なおそうかと彼女が思った時だった。


 何か音がした。


 それは空耳ではなく、パキリという、乾いた小枝を踏みしめるあの音で。最近よく耳にする(・・・・・・・・)。勿論彼女の部屋にそんなものはない。

 言いようのない不安に駆られて辺りを見回した。自分一人の状況で夜中、しかも丑三つ時であるためか、変な想像が頭に浮かび上がってくる。何モノかがこの部屋に潜んでいて、それがひっそりと近寄ってくる想像。……自分で考えて途中で馬鹿らしくなり、もう寝ようと寝室に向かう。

 寝室の扉に手をかけた所で途端に眠気が舞い戻ってきて、理恵は思わず瞼を閉じた。

 刹那、見覚えのある光景がその裏側に映った。

 真っ暗な中に浮かび上がる、白いタイルの床と浴槽、シャワー。いい匂いがすると恋人が喜んでくれたシャンプーのボトル。

 本当にわずかな間だったが、それは理恵自身が暮らすアパートの部屋。その風呂場の光景だった。


 最初は夢かと思ったが、どうにも気になって振り返る。風呂場の入口は玄関から入ったすぐ隣にあって、リビングの明かりが一番届きにくい場所でもある。その時また、例の乾いた音が視線を向けた方向から聞こえてきた。


「……何なんだよ、いったい」


 それはまるで、理恵を誘っているかのように。


 ここしばらく、しょちゅう同じ(・・・・・・・)音が聞こえる(・・・・・・)。一度や二度なら気のせいで済むのだが、ひどい時には一日に十回二十回と繰り返され、特に夜間の頻度が多い。実害は無いにしても気味が悪かった。

 そういえば四日前、恋人が泊まった日だけ音がいっさい鳴らなかったのだが、あれは何だったのだろう。


 理恵は風呂場の前に立つと、扉の取っ手に手をかけた。

 深呼吸。緊張を鎮める。さっきの音はこのすりガラスの向こう側から聞こえてきた。今開け放てば正体が見えるだろう。

 出来るならば、それは鼠か何かであって欲しい。


「怖くない、怖くない……せいっ!」


 一息で扉を開ききり、直後に電気のスイッチを点けた。蛍光灯の光に浴槽が照らされる。意を決して覗きこんだが、しかし中には誰もいなかった。人の姿――勿論、本来ならあってはならないのだけれど――はおろか、鼠の一匹も見当たらない。文字通りもぬけの空だ。


「ほ、ほら。やっぱり気のせいだったな」


 誰にともなく独り言を呟いて寝室へと引き返す。リビングの電気を消すと真っ暗になるが、それでも月光が部屋の中を照らしてくれるので、家具の輪郭くらいなら認識できる。

 妙な違和感を覚えて立ち止まった。

 寝台の隣、開け放たれたカーテンが目に留まる。その向こうは一寸先も見えない夜の闇。

 はて。


 ――私が目を覚ました時、あのカーテンは開いていただろうか。


 そんな疑問が浮かんだが深くは考えることなく、理恵がカーテンに手をかけた時、背後に人の気配を感じた。振り返ったがそこには当然のごとく誰もおらず。だが床に視線を向けた直後、理恵の体が恐怖に固まった。

 月の光によって投影された、二人分の影(・・・・・)がそこにある。片方は自分。それに纏わり付くようにして、そこにある筈のないもう一つの影が蠢いている。

 逃げようと思っても、体は凍りついたように言う事をきいてくれない。


 何かの吐息を感じる。丁度、耳のすぐ横で。冷たいものが首筋を撫でた。


「……ぁ」


 喉の奥から漏れた悲鳴は、声にもならず、夜闇に溶けて消えた。

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