ある木立の中にて
心臓が飛び出してしまうかと思った。自分しかいないと思っていた所に、後ろからいきなり声を掛けられたのだから。
「……誰?」
七瀬が振り向くと。そこには、丁度同い年くらいの女の子が立っている。
まるで夏そのものを人の形にこね上げたようだった。短めの黒髪に日焼けした肌。それと対照的に、来ているワンピースは純白だ。全身に活発そうな雰囲気を漂わせていて、家の中でおままごとをするよりは、陽の下を走り回っていた方が似合う気がする。浮かべている微笑みが、七瀬の警戒心を自然と解かせた。
このあたりに住んでいる子だろうか。これまで帰省した時には、見かけなかった顔だけれど。
「なにをしてたの?」
もう一度彼女は言った。少し迷ってから、七瀬が後ろを指差す。
「……花が、折れてたんだよ。だから支えを作ってた」
「その大きな花?」
「うん」
「へえ……お兄ちゃん優しいんだね」
手を後ろで組んで前屈みになりながら。少女は七瀬に顔を近づけてきた。それは丁度、下から見上げてくるような形になる。澄んだ瞳で見つめられていると、段々恥ずかしくなってきて、思わず七瀬は視線をそらした。
「……そんなことないよ。何だか可哀そうだったってだけで、みんな同じことをするよ」
「そうかな?」
「いや、でも、困っている人がいたら、誰だって助けるじゃない」
少女は首を横に振った。
「助けない人だっていっぱいいるよ。そんなオトナをわたしは一杯知ってる。それに本当に優しい人じゃないと、お兄ちゃんみたいにはっきりとは言えないって。だからお兄ちゃんは優しい。分かった?」
「わ、分かった」
そこまではっきりと断言されては、頷くしかない。
「そういえば。お兄ちゃん、名前なんていうの?」
「名前……七瀬。七瀬俊」
「しゅん、お兄ちゃん?」
「うん」
「しゅんお兄ちゃんだから……しゅんにい。しゅんにいだね!」
少女は目を細くして笑った。何がそんなに嬉しいのかよく分からなかったが、見ているとこちらまで、自然と温かい気持ちになってくる。
「わたしはサクっていうの。“花が咲く”の咲って字だよ」
「サクちゃん」
「そう」
よろしくね。サクが差し出してきた手に、七瀬は自分の手を重ねる。芝生のような、柔らかくてふわりとした感触がした。
「そうだ。ねえしゅんにい、何かして遊ぼう?」
「え」
一瞬戸惑って、七瀬は視線を下げた。何しろサクとはまだ出会ったばかりなのだ。遊ぼうといきなり言われたのは嬉しいし、彼女に変な気は無いのだろうけれど、何だか緊張してしまう。
どうしようかと思ってサクを見ると、そこには無邪気な笑顔が咲いていた。断ろうという気は失せた。
「う、うん。いいよ」
「ありがとっ。それじゃあ何をしようか」
「えっと……かくれんぼ、とか?」
「かくれんぼ! いいね、それにしよう。隠れていいのは、この広場とその周りだけね。」
初めは私が鬼。
そう呟くと、サクは両手を目に当ててカウントダウンを始めた。
※
それから計八回、鬼と隠れる役とを交互に変えながら、二人はかくれんぼを楽しんだ。
ちなみにその結果は、七瀬の全敗。こと見つけることにかけてサクは、地元の子というのを差し引いても鬼のように強かった。七瀬がどこに隠れてもすぐに見つけ出してしまうのだ。ここまで簡単に負けると、もはや悔しい気持ちを通り越して、ただただすごいとしか言えなくなる。
隠れることにかけてもサクは凄かった。七瀬も途中からムキになって探したのに見つからず、そうして降参を宣言した後には、いきなり後ろから声をかけて驚かしてくる。まるで魔法でも使っているみたいだった。
そして今。二人は一緒になって、広場に端っこにあった丸太の上に腰かけている。最初抱いていた緊張みたいなものはどこかへ飛んでしまっていた。きっと、隠れた場所にでも置き忘れてきたのだろう。
「ふわーあ。よく遊んだねえ」
「本当に。しゅんにい、今日はありがとうね」
サクは微笑み、おもむろに七瀬の肩をつついた。
「ねえ、ちょっとついてきて。見せたいものがあるの」
「見せたいものって?」
「ひみつ。着いてからのお楽しみ」
サクに手を引かれる形で二人は林の中へ入った。茶色い幹と幹の間を縫うように歩いていく。七瀬にはそこは道無き道に見えたが、サクは迷う様子もなくどんどん奥へと進んだ。
「ここ」
笹の茂みの前で、サクは立ち止まると唇に指を当てて七瀬を黙らせた。そのままゆっくりとしゃがみ込み、茂みの根本を指差して目くばせしてくる。
七瀬も真似をしてしゃがんだ。すると深緑色をした葉に隠れた、鳥の巣が目に入った。そこには小さな雛が四羽。身を寄せ合って動かない。
「……ゎあ、すごい」
「最近生まれたばかりの、ヒバリの赤ちゃん。他の鳥とは違って地面に巣を作るの」
「へえ。サクちゃんは、これまでに何回か見に来てるの?」
「うん。親鳥に怖がられちゃうから、そんなにたくさんは来れないけどね。私のひみつの場所」
「そっか。……ひみつなのに、僕に見せてよかったの?」
「大丈夫。私がしゅんにいに見せたいって思ったんだから」
「……ありがとう」
少し恥ずかしくなって、七瀬は明後日の方向を向いた。
そのままの体勢でどのくらい経っただろうか。二人の間に流れていた静けさを打ち切って、七瀬が口を開いた。
「……ねえ」
「なあに?」
「サクちゃんは、この近くの子なの?」
「うん、そうだよ」
サクは笑って頷いた。けれど七瀬は、複雑そうな顔で黙り込む。
せっかく友達になれたのにもうお別れなんて、少し早すぎる。もしかしたらという願いを込めた質問の答えは、決して甘くはなく。
七瀬は明日帰らなければならなかったから、次に会えるとしたら一年後になる。たった一年だと思うだろうけれど、子供の一年は大人のそれよりずっと長い。
「……大丈夫だよ、私たち、またもう一度会えるから」
サクは七瀬を見ながら、優しくその背中を撫でた。
しゅんにいなんて言うが、これでは彼女の方がお姉さんみたいだ。
「そうだ。しゅんにい、手を出して?」
言われた通りに右手を出すと、その上からサクの握り拳が被さってくる。それが除けられた後、七瀬の掌には三つの粒が残っていた。黒くて艶がある、アーモンドくらいの大きさ。
「これは何?」
「種。しゅんにいにあげる」
「蒔くの?」
「蒔いちゃダメ。このまま大切に持ってて。……“お守り”だから」
今までとは違う真剣な口調だった。
「分かった。ありがとう……大切にする」
家に帰るまで万一にも落とさないように。それをしっかりと掌全体で包み込む。サクの温かみがまだ微かに残っていた。
その様子を見ていたサクと、ふと視線が交わる。逸らすタイミングを七瀬が図りあぐねていると、サクは二,三度瞬きをしてから、また微笑んだ。つられて七瀬も笑った。
どこからかカラスの鳴き声が聞こえてくる。サクは立ち上がると、七瀬に言った。
「そろそろ帰ろっか」
「カラスと一緒に?」
「正解」
こっち。
来た時と同じように、サクに手を引かれる形で林の中を進んだ。見渡す限りの全てが、幹の茶色と葉っぱの緑。どこまでも続くように思えるそれは唐突に終わりを迎える。視界が開けたかと思えば、そこは実家のすぐ近くで。突き刺すようなオレンジ色の夕日を見て、思った以上に時間が立っていた事に気がついた。
「それじゃあ、ね。しゅんにい。わたし、家は逆方向だから」
サクとの別れも存外に早く訪れる。繋がっていた手が離れる時、心の底が締め付けられたような気がした。
「またね」
長々と話せばその分だけ名残惜しくなりそうだったから、別れの言葉は短く済ませた。
サクに背を向けて歩きだす。そのまま二十数歩進んだ所で、だけどやっぱり名残惜しさが込み上げてきて。
たまらず七瀬が振り向いた時、そこにはもう彼女の姿は無かったのだった。




