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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
初夜:真夏のボーイミーツガール
2/55

始まりは真夏日

 

 五月。それは春が終りに近づき、初夏へと入ろうかという頃。

 九鳥大学中央キャンパス西部に建てられている課外活動施設群の一角、文芸部部室の前で、七瀬 俊は趣味の園芸に精を出していた。今目の前にあるのは、二株の植物、土の入ったプランター、そして水で満たされたジョウロだ。

 花屋やホームセンターでは、草花は黒のビニールポットに入れて売られているのが普通である。だがそのままでは、植物は満足に根を伸ばせない。狭すぎるからだ。

 だからこのように、買ってきた植物は出来るだけ早く、庭やより大きな鉢に植えかえる必要がある。今回七瀬はプランターを選んだ。

 誤解の無いようにはっきりさせておくが、彼は園芸部員などではなくまごうこと無き文芸部員である。園芸と小説という二足のわらじを履いているだけの話。一応は、文芸部での執筆活動が本業となっている。

 ちなみに。その文芸部は、今や部員が僅か六人ぽっちという廃部寸前の有り様だ。年によって部員の増減はどこでも起こりうるのだが、文芸部の場合、部員の減少が連鎖反応を起こしてさらなる減少を招いたらしい。ここ数年、不名誉な記録を更新中だった。


「……っと。うん、いい感じに根が張ってる」


 ビニールポットを逆さまにして、植物の苗を取り出す。容器の形に沿ってびっしりと張り巡らされている根を、手で軽くほぐす。それから、土をプランターに入れた時あらかじめ掘っておいた穴に、苗を一つずつ植え込んでいった。

 用土はいたって普通の組成で、赤玉土を基に、腐葉土とバーミキュライトで保水性を高めてある。元肥は油かすを適当に。市販の「花の土」を使わないのは、ちょっとしたこだわりだった。

 今回七瀬が選んだものは、タイムとカモミール。どちらもハーブの一種だ。

 パンジーなどと比べれば、花の鮮やかさはどうしても劣ってしまうかもしれない。だが、ハーブの特徴は花ばかりではないのだ。絢爛たる花は咲かなくとも独特の芳香で楽しませてくれるだろう。成長すればハーブティーが楽しめる。料理に風味を添えてくれたりもする。

 最後に、根と土を馴染ませるため、十分に水をかけてやった。表面にマルチングとして敷いた鹿沼土が、水を含んでだんだんと山吹色に染まっていく。鉢底に軽石を敷いているので、用土の水はけもすこぶる良かった。

 吸い込まれるように水が浸みこんでいく様をのんびりと眺める。

 不意に景色が陰ったのは、その時だった。


「――おはよう、七瀬。なかなか良い出来じゃないか」


 声が聞こえたので振り向けば、そこにはここ文芸部の主。部長の(みなみ) 理恵(りえ)の姿があった。

 まるで男のような喋り方をするが――れっきとした女性だ。その証拠と言っては何だが、こうして肩越しに覗きこまれると、微かに甘い香りが漂ってくる。


「おはようございます、部長。どうですかこれ、結構様になってると思いません?」

「ああ。いい彩りになるだろうな。見たところ、これはハーブか何かか」

「はい、タイムとカモミールです」

「なるほど。実にお前らしいチョイスだと思うよ」


 そう言って苦笑する彼女は、経済学部の四回生。父方の祖母がフランス人だった影響で、短めの髪の色は黒に近いブラウンだ。百七十五を優に超える高身長は、男の七瀬からみても羨ましい。口調からも分かる通りの男勝りな性格で、高校時代は人気を博していたらしかった。主に女子からだが。

 その姿を一語で表現するならば、“美しい”というよりはむしろ“凛々しい”という言葉の方が適切に思える。スラリとした身体つきに加えて、四分の一だけ混ざっている欧州由来の血が、彼女の持つ雰囲気を絶妙な具合に整えていた。一般的に言って女性らしさというものには、慎ましさとか淑やかさとかの言葉があてがわれるのだろうが、彼女にそれを取り付けた場合、今ある雰囲気をぶち壊しにしてしまうことは凡そ間違いない。

 そんな南理恵という女性を初めて見た時、大勢の人はきっと、彼女は運動系サークルの部員なのだろうと勘違いをする。だが実際はこうして一零細文化部の部長をしている。以前七瀬は、試しにその理由を訊いてみた。すると照れたようになって誤魔化された。


「それじゃあ私は、先に部室なかで待ってるからな。お疲れさんだ」

「はい。こっちももうじき終わりますよ」


 ※


 植えかえとその片付けやら諸々の事柄を終えた頃には、全身にじんわりと汗をかいていた。まだ夏は遥か遠くの話だが、それでも外で作業をしていると、暑さを感じることがある。襟元を掴んで上下に動かし、ささやかな涼しさを呼び込んだ。

 部室の中では丁度、南部長がカップを片手に席を立つ所だった。七瀬の方を振り向いて、片手を上げてくる。


「おお、終わったか。お疲れさん。私はコーヒーをおかわりするが、七瀬も何か飲むか?」


 さらっと気遣いをしてくれるあたり、カリスマだよなあと七瀬は思う。

 しかも全然厭味ったらしく無い。自然と慕って、付いて行きたくなるような姉御肌だ。


「じゃあ、紅茶をお願いします」

「紅茶? 私のお薦めはコーヒーだが、そっちはどうだ?」

紅茶(・・)でお願いします」

「……可愛くないヤツめ」


 なんだかんだ言いつつも、部長はティーバックを取り出してカップへ放り込んだ。中の葉がポットのお湯に蒸らされて広がり、心地よい香りが湯気と共に立ち上る。

 電気ポット自体は部長が家から持ってきた代物で、部員全員でありがたく使わせてもらっている。だが何を飲むかは人によって違っていた。ちなみに部長はコーヒー派で、七瀬は紅茶派。蜂蜜を入れるのが個人的なブームである。他には、時々緑茶も飲む。ポット横に大量の茶葉が並べられているのは、彼の仕業だった。

 近頃はハーブティーにも挑戦しようかと考えていて、実を言えば、タイムとカモミールを選んだのはそのためだったりする。収穫自体は年中出来ることになっているが、株の大きさからして六月頃が現実的だろうか。

 他にも、アパートのベランダでミニトマトを栽培したり、近所の住人が育てている松の盆栽に雅を感じたり、さらには花を愛でてみたり……。女々しいとよく言われる。

 そうこうしていると、南部長が紅茶を淹れ終わった。


「ここ置いとくぞ。……うん、砂糖やミルクを混ぜるのもありだが、やはりコーヒーはブラックに限るな」

「ありがとうございます。部長はそれ二杯目ですか」

「いや、三杯目だ」

「よく飲みますね」


 甘い香りが立ち上る紅茶のカップを手に取りながら、七瀬は言う。中の液体は透き通った琥珀色。宝石を水に溶かしたらこんな風になるだろうか。


「コーヒーは私の相棒だからな。何杯飲んでも飽きることはない。私にコーヒーを語らせれば軽く一時間はいける」 

「凄い自信ですね……。将来はコーヒーの聖人か何かにでもなれそうですね」

「なぁに、世の中上には上がいるさ。私如きが聖人なんて畏れ多いよ。コーヒーの聖人……意外とコロンビアあたりにはいるかもしれんな。コーヒーの聖人っていうよりはコーヒー豆作りの聖人かな? 一度行っ

てみたいものだが、あそこらは治安が悪い」


残念だよ。そう言って部長は息を吐く。


「コロンビア……たしかブルーマウンテン?」

「それはジャマイカだ。同じコーヒーでも、ピーマンとパプリカぐらい違うぞ」

「ほとんど同じに見えますよ」

「素人の目にはそう見える。ぶっちゃけ私もよく分からん」

「……っと。これは失礼しました」

「許そう。だが、コーヒーの産地を知ったかぶりして間違えるのは良くないな。“まことに遺憾”とはこのことだ」

「……部長は日本政府の報道官か何かですか? コーヒーの木の花言葉なら知ってますが」

「『一緒に休もう』だな。丁度いい、少し休憩にしよう」


 即答して見せた南部長に苦笑しながら、七瀬も席に座ってノートパソコンを開く。カップを口元まで持ってきて紅茶の香りをいっぱいに吸い込み、ほぅ、と甘い吐息を漏らした。


「……いい匂い」


 小さく独白をして、琥珀色の液体を啜る。コーヒーも確かにいいものだが、やはり七瀬は紅茶を推したい。次点に緑茶。冬なら牛乳で溶かしたココア。お子様っぽいと言われそうだが、好きなのだから仕方ない。

 その時、入口の向こうから足音が聞こえた。

 一瞬で七瀬の意識がそちらへと引き付けられる。“彼女”だろうかとひそかに期待し、扉が開かれた直後に願いが叶って、少しだけ幸せな気分になる。


「おはようございます。……あ、七瀬先輩。今日は早いんですね」


 外から漂ってきたのは温かな草木の香り。入って来たのは文学部一年生の上川(かみかわ) (なぎさ)だった。七瀬にとっては、一つ下の後輩になる。二人とも浪人をせずに入学した身なので、年齢的にも一歳分、彼女の方が年下だ。

 七瀬が挨拶を返すと、渚からは微笑みが返って来た。それはもはや、お決まりのようになった朝の光景だった。実はその度に七瀬が心臓を高鳴らせているのだが、それは彼だけの秘密。迂闊に口に出したりなんて出来やしない。

 そんな心情を知ってか知らずか、渚は荷物を置いて七瀬の隣に座った。


「玄関の所に置いてあったプランター、先輩のですよね。たしか昨日までは無かった筈です」

「気づいてくれたんだ。そう、ついさっき植え終わったんだよ」

「植え方が綺麗で、朝からほっこりしちゃいました」

「そう? そう言われると嬉しいな。ちょっと照れちゃう」

「あれはハーブですか?」

「うん。聞いたことあるかな、タイムとカモミールっていうんだけど」

「知ってます。色々な所で、よく名前を見かけますよね」

「そうそう。見るだけじゃなく、料理とかにも使えるすぐれものなんだよ。ハーブティーも一度淹れてみたいと思ってるんだ。でも、収穫はもう少し先になりそうかな」

「楽しみに待っています。良ければ私にも、先輩のハーブティー、飲ませてくださいね」


 渚が言った。

 部屋の明かりを受けて艶めく黒髪は、先が彼女の肩に乗るくらいのセミロング。体格は細身。笑ったときの表情は、野原に咲く春の花を思わせるような可憐さを抱いていて。ぜひともある有名な小説にあやかって“野菊のような人だ”と称したい所だが、少しそれは彼女の雰囲気とは違っている。喩えるなら――強さと穏やかさを併せ持った、スミレの花が的を射ているだろうか。

 木漏れ日の差し込むテラスで静かに読書でもしていたら、絵になるように思う。


「勿論」


 彼女が文芸部に入部したのは約二か月前だ。だが実を言うと、七瀬と渚が知り合ったのはそれよりさらに前になる。

 きっかけはいたってシンプル。七瀬と同じく、彼女もまた幽霊を見ることが出来る、所謂霊感持ち。むしろそうでなければ、二人が出会うこともなく、今こうして談笑しているのも、可能性の一つとして消え去ってしまうのだろう。

 この世ならざるものをその目で見れるからなのか、二人の出会いもまた、到底普通とは言えないものだった。それはまさしく、夢物語のようなファースト・コンタクト。


 七瀬が一年生だった頃。丁度、九鳥大学のオープンキャンパスが開かれていた日。

 二人の怪奇譚は、さんさんと照りつける太陽の下で始まった。




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