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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
二夜:闇鍋の集い
15/55

帰り道での怪奇語り

「ふうん……まあいい」


 どこか納得していないような声色だったが、部長はそれ以上追及してこない。突然周りが明るくなったせいで眩しく、彼女の表情ははっきりと見えなかった。

 

「機械の調子でも悪いんだろう」


 本当にそうなら、随分と気が楽なのだけれど。


 ※


 冷蔵庫から紙の箱を取り出してくると、部長はそれをテーブルの上で開く。


「さ、食べよう」


 中に入っていたのはケーキだった。苺の乗ったショートケーキ、丁度人数分。まずフォークが配られる。

 それを受け取った三良坂副部長は、わざとらしく眉をひそめてフォークをタクトのように振った。


「南さん、皿は無いのかい。手の平を皿にしてろ――そういう意味で受け取ってもいいのかな」

「自分で洗ってくれるなら持ってきてやる」

「なんと」

「冗談だ。忘れてただけだよ」


 苦笑混じりの部長が皿を持ってきて、改めてケーキを取り分ける。


 真っ白な生クリームの上で、苺の赤色がやけに目立った。イチゴは好きだし、普段はそんなこと思いもしないのだが、この時ばかりは何故か、その赤がやけに不気味に思えた。一瞬忘れかけていたさっきの視線をまた思い出して、気が付けば、七瀬のフォークを持つ手が止まっている。


「ショートケーキは嫌いだったか?」


 部長の言葉で我に返り、慌てて首を横に振った。


「そうか、良かった」


 そう言うと、部長はケーキを一欠けら分頬張って、幸せそうな笑顔を浮かべてみせる。


「……うん美味しい。美味しいぞこのケーキ。生クリームのとろけ具合が何とも言えない具合に最高だ!」

「口元」

「おっと」


 唇についていた生クリームを舐め取るその姿を見ながら、七瀬もケーキを食べ始めた。

 だがそれでも途中、気がキッチンの方に向いてしまう。何度か視線がそっちの方に流れた。今はそこには誰も居ない。


「何を気にしているんだ?」


 部長が怪訝な表情で訊いてきたが、適当な事を言って誤魔化す。


「幽霊でも見たか」

「……まさか」


 あまり洒落になっていない。


 ※


 その後少し休んでから、闇鍋の集いはお開きになった。時刻は既に九時を過ぎている。

 カーテンの向こう側は完全に夜のそれ。六月といえど、この時間帯なら普通に日は落ちる。暗闇の中、家々の窓から漏れる明かりがポツリポツりと浮かんでいた。耳を澄ませば梟の鳴き声でも聞こえてきそうだ。

 今のところあれ以降、怪奇らしい事は起こっていない。ちょっと気になった事と言えば、途中南部長が渚を奥の方へ連れていって何やら話していたことぐらいだろうか。内容は聞こえなかったし、遠慮して訊けなかった。


「それじゃ、そろそろお暇しま――」

「ああ、ちょっと待て」


 腰を浮かせた七瀬を、南部長が呼びとめる。部長の後ろには渚もいたが、どこか緊張している風だった。どうかしたのかと思って見ていると、何故だか目線を逸らされる。


「お前は今日、歩きだったよな」

「そうですけど……何か?」

「なら丁度良かった。渚も今日歩きだから、せっかくだし一緒に帰るといい」

「へ!?」


 あまりにも唐突にそう言われたので、意図せず変な声が出てしまった。するとその反応を違う意味で受け取ったのか、渚が慌てたように部長の服を掴む。


「ほ、ほら部長。やっぱり先輩に迷惑ですから……」

「気にすることない。こいつは単に照れているだけだ」

「ぶ、部長っ!」

「まあ落ち着け……七瀬。細々とした私情は放っておいて、一度考えてみろ。夜中に一人女の子が、それも可愛い女学生が、道を歩いていて何事も起きない保証がどこにある」


 チッチッチ、と舌を鳴らしながら、人差し指を左右に振ってみせた。


「夜道は危ない。だがお前がいれば大丈夫だと、私は思っているんだがな」


 部長が顔を近づけてくる。傍から見れば相手を威圧しているように見えるだろう。だが、七瀬にだけ見えるような位置で、彼女はいたずらっぽく片眼を閉じてみせた。


「“安全保障上の脅威に対する予防策”という訳だ」

「日本政府の報道官か何かみたいですよ」


 何となく、今のやりとりに既視感を感じる。


「……駄目か?」


 とんでもない。むしろ願ったり叶ったりだ。

 心の中で、そっと部長の機転に感謝する。


「一緒に帰ります。というか帰らせてください」

「よし。よかったな渚、七瀬が連れて帰ってくれるそうだ」

「は、はい! 先輩、ありがとうございます」


 頬を微かに紅く染めてお礼を言う渚に、七瀬は慌てて首を横に振った。


「人気のない夜道は油断してると危ないから。何があるか分かったもんじゃないし。そんな大したことじゃないよ。それに……」


 ――お礼を言いたいのは、むしろこっちなんだけどな。


「……それに?」

「ううん、何でもない」


 棚から牡丹餅というか何というか。想いを寄せる相手と一緒に帰る、なんて、まるで初々しい高校生みたいだけれど。それでもいいかなと七瀬は思う。

 降って湧いたこの幸運、僅かな間だけだが存分に謳歌させてもらうとしよう。

 これで両想いなら言うこと無しになるが、さすがにそこまで欲張ると罰が当たりそうだ。

 なお一応、部長の理由にもそれなりの説得力はある。夜道が危険であることはおよそ間違いない。油断大敵だ。そして、渚が可愛いというのは、七瀬からしてみればもっとその通りなのである。

 ……恋人でも何でもない男に夜道の安全を任せるというのも、それはそれで軽率な気もするが。そこはきっと、自分を信じてくれているのだろう。


「それじゃ、行こうか」

「はい、ぜひ」

「ちょっと待て。……七瀬、こっちに」


 部長が手招きをする。七瀬が近づくと、そっと口元を耳に寄せてきた。


「何かいた(・・)のか?――今日のお前、途中から様子が変だったぞ」


 渚には聞こえないような囁き声。だがそれでも、七瀬の背筋を震わせるのには十分だった。

 何者かの視線を感じたと、部長に伝えた方がいいのだろうか。

 確かに、仮にもこの部屋の主である以上『何かがいるかもしれない』事実は知っておくべきだ。ただ……いきなりそんなことを教えた所で、信じてくれる人は果たして何割いるだろうか。否、ほとんどいない筈だ。普通は冗談だと思われる。万一信じてもらえたとしても、相手について何も分からない状況では、部長を怖がらせることにしかならない。幽霊が見えるだけの自分は、何か出来る訳でもない。

 けれど一方で、知っていて伝えないのは、部長に対して不誠実な気もする。

 そうやって色々と悩んだ末、結局は消極的対応に落ち着いた。今までにトラブルが起きた訳でもないので、取り敢えず様子を見よう――そう判断したのだ。


「……いえ、何も。様子が変に見えたのは、気のせいですよ」

「――そうか」


 一歩下がった彼女の顔は、どこか憂いを帯びているように見えた。その表情の下に隠しているものが何かは分からないけれど、部長自身が話そうとしないなら、七瀬は訊き出すつもりもない。


「悪い、変なことを訊いた。今のは忘れてくれ。……それじゃあな、帰りは気を付けて。なんか起きたらちゃんと守ってやれよ」

「ええ。……渚ちゃん、行こう」

「はい、行きましょう」


 夜の世界へと入っていく二人の後ろで、扉が音をたてて閉まった。


 ※


 ささやかな街灯の明かりに照らされて、七瀬と渚は肩を並べて歩く。夜の道はどこか幻想的で、それでいて不気味だった。

 良い物も悪い物も、全てが闇に包まれて息を潜めている。普段は気持ち良い夜風でさえ、今はやけに生ぬるく感じた。

 不意にどこかから、犬の鳴き声が聞こえてきた。


「七瀬先輩」

「渚ちゃん」


 口を開いたのは二人同時で、そして慌てて譲り合う。

 数秒の沈黙が過ぎ、結局七瀬が先に話すことになった。


「あの“視線”のこと、いい?」

「はい。私も、その事を話そうと思っていましたから」


 街灯の下で何となく立ち止まった二人は、どこの家の物とも知らぬ塀に隣合わせになってもたれた。フラフラと蛾が飛んできたので手を振って追い払う。 


「渚ちゃんはどう思う?」

「嫌な感じでした。……あまり、良い(・・)ものではないと思います」

「僕も同感。体中を舐めまわされる、みたいな感じだったものね。部長の部屋にどうしてあんなのが……って。どうにも納得が」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「うん?」

「“舐めまわされているみたい”と言いましたか」


 七瀬が頷くと、渚は二、三、瞬きを返す。


「私は違う風に感じました。まるで……そう、針で刺されるような感じです。何故かは分からないんですが、私のことをすごく敵対視しているみたいでした。」

「まさか」


 眉を潜めて応える。

 物事の感じ方には得てして個人差があるものだが、ここまで違うのはさすがに奇妙だ。

 その理由として考えられるのは主に二つ。一つは、その“何か”が実は複数だった可能性。もう一つは、二人に対して別々の念が向けられていた可能性。


「気配自体は、一つだったよね」

「間違いない筈です」


 ならば、必然的に後者が正しいということになる。

 だがそうだとしても、“何か”がそうした理由が分からない。二人のうちどちらかに特別な執着でもあるのだろうか。しかし七瀬にこれといった心当たりは無いし、渚も部長の家を訪れるのは初めての筈である。


「あの」

「ん?」

「先輩は、気がつきませんでしたか」

「……何のこと」

「丁度、鍋を食べている時」


 渚はそこで一拍区切ってから、続けた。


「先輩のすぐ後ろに、何か(・・)がいたんですよ」

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