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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
二夜:闇鍋の集い
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闇鍋の集い

 南部長は大学から歩いて十数分の距離にあるアパート『サテライト2』に住んでいる。無駄に格好いいその名前は、自身が九鳥大学の衛星的な立ち位置にあることからきているのだそうだ。ちなみに、聞く所によれば『サテライト3』もあるらしい。1は何故か無い。不況の波にでも飲まれたのだろうか。

 部長の部屋は四階の角部屋にあるので、そこまでエレベーターで上がる。

 七時に来いとのことだったが、七瀬が到着したのはその五分前だった。呼び鈴を鳴らすと中から足音が近づいて来て、直後に扉が開いた。南部長の甘い香りがゆったりと漂ってくる。


「やあ七瀬。いいタイミングだ」

「どうも。少し早いかなと思ったんですけど」

「いや、むしろベストだな」


 部長は肩越しに、親指で室内を指し示す。見る限りそこには誰もいない。どうやら七瀬は一番乗りらしかった。


「丁度鍋の準備が終わったところなんだよ。まあ入れ。……具材は持って来てるな?」

「ちゃんとここ(・・)にありますよ」


 手に提げていたエコバッグを持ち上げると、部長は満足げに頷く。

 ちなみにその中身はと言うと。油揚げに豆腐、白菜に豚肉と非常に常識的だ。いかにも鍋といった具の数々。ただし、全て冷蔵庫の余り物である。豚肉にいたっては消費期限を一日過ぎていたりするが、生ではなく冷凍しておいたものなので大丈夫だろう。


「お前のアパートからここまで、結構遠かっただろ」

「ええまあ。歩きだと意外にかかりましたね」

「ご苦労だった。適当にくつろいでくれていいぞ」

「お言葉に甘えて。……これここに置いときますね」

「うん。今お茶を持ってくるからな」


 持ってきた食料をテーブルの上に置きながら、七瀬は何気なしに部屋を見渡した。

 その内装はおしなべて洋風である。玄関から入ってすぐ左に洗面所があり、その奥にはキッチンとリビングだ。さらに奥にはおそらく寝室へと続くであろう扉があるが、実際の所どうなのかは知らない。

 テーブルの上では、持ち運び可能なガスコンロに乗っかって、土鍋が静かにその時を待っている。テーブルテーブルと言っているが、もっと正確に描写するならばそれは四角いちゃぶ台だ。あるいは足の短いテーブル。正式名称が分からず、上手く伝えられないのがもどかしい。


 ※


 渚がやってきたのは七時丁度を回った頃だった。

 部長の部屋を訪れるのが初めてだからなのか、どこか固い動作で中に入ってくる。だがそこに七瀬を見つけるや否や、ふっとその表情が和らいだ。


「渚ちゃん」


 挨拶代わりに手を上げる。


「先輩。早いですね」

「うん。まあ、僕もさっき来たばかりなんだけどね。ですよね部長」

「ああ。……さ、渚もそんな所に立ってないで、どこか適当に座っておいてくれ。自分の家みたいに、のんびりしてくれていいからな」

「は、はい、それでは」


 腰を下ろした渚に、七瀬がお茶を入れてやった。


 ※


 それから遅れることさらに五分後、再びチャイムが鳴った。玄関の方を覗けば、両手にレジ袋を抱えた三良坂副部長の姿がある。出迎えに行った部長が、腕時計を見せてニヤリと笑った。


「これを見ろ、五分遅刻だ」

「五分か……まあ落ち着こう南さん。たいした遅れでもない」

「五分前行動という言葉を知らないのか」

「馬の耳に念仏という言葉を知らないのかい」


 いつも通りのんびりとマイペースだ。

 慣れた足取りで室内に入ってくると、副部長はドサリと袋を置いた。炭酸飲料のラベルがビニール越しにうっすらと見えている。もう片方の中身は判別出来なかったが、質感からして鍋の具材が詰まっていそうだった。


「見ちゃダメだよ、七瀬くん」


 そう言って、口の前で仰々しく指を振っている。


「なんだ三良坂、もしかしてわざわざ買ってきてくれたのか?」

「冷蔵庫に何も無かったもんでね。さすがに虚無を持ってくることは出来ないよ」

「そうか。ありがとう、助かる。ほら、お茶だ」


 労いの言葉と一緒に、よく冷えたお茶が副部長に渡された。


 ※


「これでみんな揃ったな。……結局いつものメンバーか」


 闇鍋の集いには四人が集まった。言い方を変えると四人しか集まらなかった。四人も集まったとも言える。

 新入生の守矢君はあろうことか体調を崩して療養中。もう一人、七瀬と同級の西野さんは恋人とデートらしい。

 恋人と言えば。南部長にも彼氏はいる。だが七瀬自身は会ったことが無いのでどんな人かは分からないままだ。幼馴染みらしいということは耳にしているが、それだけ。噂以上のことは、たまに聞かせてくれる惚気話から想像するしかないのである。

 閑話休題。


「闇鍋とは――」


 部長が人差し指を立てる。


「複数人で食材を持ち寄り、暗闇の中で食べる鍋料理のことだ。この原型は平安時代には既に存在しており、今のような形になったのは明治時代からだ。あの正岡子規も、仲間たちと闇鍋を楽しんだらしい」

「いきなりどうしたんですか」

「言ってみたかっただけだ。さて、それじゃあ始めよう。具は電気を消してから入れる。箸に取った具は何であれ、必ず自分で食べること。食べ物を粗末にするのはダメだからな」


 南部長が鍋の蓋を取った。同時に白い蒸気が噴き上がってくる。微かに潮の香りがしたので何かと思って見てみれば、鍋の底に昆布が一切れ沈んでいた。さすがは南部長、どうやら先んじて出汁を取っていたようだ。

 四人が皆、各々持ち寄った食材を手に取る。


「何であれ食べる……ね。おもしろくなりそうじゃない」

「まさか副部長、食べられないようなもの持って来てませんよね」

「まあ落ち着こう七瀬君。俺がそんなことすると思うのか?」

「しないと信じたいですね。でも、天才と狂気は紙一重って言いますから」

「準備いいか。電気、消すぞ」


 部長の指が電気のスイッチに置かれる。三人が各々頷く。

 だがいよいよ闇鍋が始まろうというその時、不意に、ゴトリという物音が洗面所の方から響いてきた。それなりに大きかったので、部屋にいる全員の視線がそちらに向く。

 鼠か何かだろうか。だがそれにしてはやけに音が響いたように思えるが。例えるなら、そう、洗面器が床に転がり落ちた時のような――。

 そのまま数秒の間、誰も何も言わないままに異様な雰囲気が流れた。


「……今のは」

「風か何かだろう。……電気、消していいな」


 どこか自分に言い聞かせるような口調が気になったが、七瀬が何か言うよりも早く、部長は明かりのスイッチを押した。パチリという音がして、部屋の中が夜になった。

 “夜”とはいっても、外にある街灯の光がカーテン越しに入ってくるので、完全な暗闇ではない。食事に困らない程度に明るく、具の正体が何なのか分からない程度には暗いという絶妙な塩梅だ。

 次第に目が慣れてきて、物の輪郭がはっきりしてきた。部長の合図で一斉に具を入れ始める。さっきの物音のせいか、お湯の跳ねる音が暗闇の中でいささか不気味に感じた。


 全て投入した後は、蓋をしてしばらく煮る。その間、持ち寄った具材の正体についてちょっとした心理戦もあったりした。もちろん誰もネタをばらしたりはしなかったが。


 いよいよ食べるという時になり、皆探り探りで箸を伸ばす。正直なところ箸越しの感触はまったくあてにならず、それが何なのか食べるまで分からない状況だ。そのせいでやけにどきどきする。

 七瀬が掴んだそれは、よく分からない感触がした。目を凝らして見るけれど、正体が分かる筈もない。人は情報の八割を視覚に頼っているらしいが、何故もっとバランスよく進化しなかったのかと内心で嘆息した。

 手触りならぬ箸触りによって推測を試みる。しかし、そこから得られる情報はあまりにも少なかった。

 思い切って一口でいってみた。警戒しながら噛んでみると、たいしてカも入れない内からドロッと形が崩れる。


「……うぅ」


 濃厚な味わいが鍋の汁と混ざりながら口の中いっぱいに広がった。単体で食べる分には美味しいそれなのだが、いかんせん昆布出汁とは致命的にミスマッチだった。


「……誰ですかチーズなんか入れたの。お茶くださいお茶」

「ははは、やったな七瀬、〝大当たり〟だ」

「災難ですね先輩。やかんここにありますよ」


 七瀬が冷たい麦茶で口の中を洗浄している間に、他三人も具を口に運ぶ。その反応は三者三様だった。


「豚肉だ。やった当たりです。入れてくれた人に感謝しないと」

「う……味付け無しのもやしは少しきついな。味ぽんを持ってくる」

「七瀬君、俺の方にもお茶を回してくれ。うどんが熱い」

「はい、ここに。あ、すいません当たりました」


 とまあこんな具合に。

 幸運だったのは、持ち寄った食材がみなそれなりに良心的だったことである。リンゴのような明らかに合わないだろうものも無ければ、納豆やドリアといった鍋そのものの味をぶち壊してくれる代物も入っていなかったようだ。

 故に食事は、スリルを味わいつつもつつがなく進んだ。ちなみに、七瀬が入れた豚肉は皆に好評だった。持って来て正解である。


 ※


 いただきますからごちそうさままでに、要した時間は一時間ぐらいだっただろうか。空になった鍋を囲んで、暗闇の中で四人が一息ついている。


「たまにはこういうのもいいねえ」と、三良坂副部長が言ったのに、周りが頷く。


「そういえば〝はずれ〟が無かったですよね」

「チーズ以外はね。あれ入れたの部長でしょう。反応で何となく分かりましたよ」

「ん? 何を言っているのかよく分からんな。冤罪だ」


 真っ暗な中で部長が肩をすくめる仕草をすると、笑い声が上がる。以前副部長が『部員は家族みたいなもの』と言ったけれど、こうしていると本当にそう思えてくる気がした。


「さて突然だが。お腹がまだ若干物足りないような気がしないか?」

「どうしたいきなり。たしかに俺はまだ食べられるけども」

「腹六分目くらいですかね」

「私もそのくらいです」

「うん。そう思ってだな、口直しにデザートを用意しておいたんだ。取ってくるから待ってろ」


 喜ばしい報せに歓声らしきものが上がる。祭り特有の盛り上がりというかなんというか。いつもこの調子では疲れるけれど、たまにはこういうのも楽しい。


「っと、その前に電気を」


 立ち上がった部長はスイッチの方に向かった。パチリと一回押す。

 が。何故か電気は点かなかった。何度か押しなおしてみるも、一向に点く気配が無い。暗闇の中に乾いた音だけが響く。


「おかしいな」

「どうしたんですか」

「電気が点かないんだ。芯が切れたかな」

「食べる前までは普通に点いてましたし、いきなり切れやしないでしょう。ブレーカーの方じゃないですか?」


 そう言った七瀬だったが、直後にそれはおかしいと気付いた。

 たしかに、一度に同じ部屋で大量の電気を使えばブレーカーは落ちることがある。しかし今回の場合それは起こらない筈なのだ。

 何故ならここは闇鍋の集い。灯火管制下のような暗闇の中で、電気なんてそもそも使っていないのである。唯一使っているのは冷蔵庫と換気扇ぐらいだ。

 その状況でブレーカーが落ちる訳がない。だとすれば故障だろうか? もしそうならタイミングが悪すぎる。


「まさか……。渚、その辺りに置いてあった懐中電灯、取ってくれないか」


 南部長も半信半疑だった。懐中電灯を受け取ってキッチンへと向かう。気になったので、七瀬も様子を見にいくことにした。その後ろから渚が付いて来る。

 光が踊るように壁を伝って、分電盤を照らした。

 落ちる筈のないブレーカーは……たしかに落ちていた。


「落ちてる」


 南部長から独白じみた声が漏れる。信じられない、どうして。そんな声色だ。


「――変だな」


 その直後だ。

 背後から、すなわちキッチンの入口方面から向けられる、何者かの視線を七瀬は感じた。それはまるで、質量をもっているかのように、ねっとりと体中に纏わりついてくる。舌を使って全身をくまなく舐めまわされている気がした。

 怖気が走る。前進が硬直して、動けない。


「……っ!」

「ひっ……!」


 すぐ隣で、渚が小さく悲鳴を上げた。彼女も同じものを感じたらしかった。一方で部長は視線に気付いた気配はなく、分電盤とにらめっこしている。

 今この部屋にいるのは、七瀬、渚、南部長、三良坂副部長の四人だけの筈である。だがこの視線が部長のものでないのは明白だし、副部長とも考えにくい。あの人にこんな事は出来ない。

 となればつまり。自分たち以外に少なくとも一人、この視線の持ち主が室内にいることになる。いる筈の無い、いてはいけない類いの何ものかが。

 今振り向けばその正体を見ることが出来るだろう。しかしそんな事を試す勇気は無かった。推測が正しければ、後ろにいるのは何らかの怪奇的存在だ。下手に刺激するのはまずい。ひとまずは無視して様子を窺おう。

 幸いにも、電気が点くと同時にその視線は消え去った。それでもまだ、心臓が激しく鳴っている。


「――どうした、お前ら」

「いえ……何でも」


 応える声は震えていた。振り向いてみたが、既にそこには誰もいない。そして誰かがいたような痕跡もない。

 形容しがたいもやっとしたものだけが、胸の中に残っていた。

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