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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
二夜:闇鍋の集い
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花“蝶”風月

 世の大学生で、バイトをしていない者はきっと少数派だろう。親の仕送りだけでは足りないとか、社会勉強とか、理由は違えどほとんどの学生が何らかの職に就いている筈だ。かくいう七瀬も、その多数派に属している。

 七瀬がアルバイトとして働く『花鳥風月』は、個人経営の花屋だ。家からも大学からも歩いて十数分という、立地としてはこの上ないくらいに最高の職場である。

 大学入学時からしょっちゅうここを訪れていたせいで、瞬く間に七瀬は顔なじみとなった。去年の夏にアルバイトの誘いをもらい、それを了承して今に至る。

 店の前。所狭しと並べられた木々の枝を、一人の女性が剪定している。七瀬が近づいていくと、彼女は不意に顔を上げた。


「いらっしゃいませ!……ああ、何だ俊君か」


 彼女は村雨 緑。ここ『花鳥風月』の店主だ。若々しい雰囲気を纏っているがこれでも高校三年の娘がいる。授業時間の関係上、お互い顔を合わせることは少ないのだが、快活で活発な()だ。

 夫は単身赴任中とのことで、一年近く働いている今でもまだその姿を見たことがなかった。ちなみに店長がいつもつけている椿の髪留めはその夫との思い出の品らしく、一度その事を訊いたら幸せそうな表情で話してくれた。


「こんにちは。働きに来ました。今日は何をすればいいですか?」

「そうね、午前中雨だったから水やりはいらないかな。……花がら摘みをお願いできる? アジュガとクレマチス、花期が終わってきてるの」


 〝花がら摘み″というのは、咲き終わった花をあらかじめ摘み取っておくことだ。特に湿度の高いこの季節は、枯れた花びらをそのままに放っておくと、腐ってカビが発生することがある。そうなれば花の健康が多少なりとも脅かされてしまうし、何より見た目が悪くなってしまって、商品として致命的なのだ。

 店の奥に荷物を置き、支給されているエプロンを羽織って外に出る。

 店長が言った通り、華やかに咲いているものに混じって、いくつか枯れている花があった。茎を傷めてしまわないように、摘む時は優しく、を心掛ける。

 名も無き草たちが鉢から生えてきていたので、それも一緒に抜いておいた。それらは後でまとめて、店の裏手にある庭の一角へ積んでおく。そうしておくことで質の良い腐葉土が出来るのだ。ミミズやダンゴムシ等、その課程には色々な生き物が関わってくる。文章では書き表しきれない程に複雑な関係性だ。


 ※


 店先にはたくさんの鉢が並べられているが、それが商品の全てではない。強光を好まない一部の観葉植物や多肉植物などは、店内の棚に並べられている。植物は清潔感溢れるホワイトの鉢に植えられ、暖色の蛍光灯がそれを照らしていた。おしゃれな感じがする。


「へえ、闇鍋パーティなんてするんだ」


 店内を掃除している最中、何気なしに昼のことを話したところ、緑店長は興味深そうにそう言った。なお、今日のバイトの時間は六時までなので、闇鍋には間に合う手筈になっている。しかし空は曇りのままだ。雨は止んだが、まだまだ晴れる気配はない。


「おもしろい部長さんなのね」

「おもしろいと言うか、とにかくすごい人ですよ。色々と」

「いいじゃないいいじゃない。充実してる」


 彼女は笑った。どことなくその雰囲気は南部長に似ていた。


「大学の四年間ってほんとに貴重よ。どれだけ毎日を輝かせていけるかが勝負。青春短し、楽しめ少年!」

「同じような事を、つい数時間前に部長から言われましたね。〝命短し、恋せよ少年″って」

「うーん、その部長さんに一度会ってみたくなってきちゃうな」


 たしかに気が合いそうではある。何となく、バーの片隅で盃を傾け合う二人の姿が思い浮かんだ。


「――ところで」

「はい?」

「俊君、好きな子がいたのね。知らなかったわ」

「はぇ!? い、いきなり何なんですか」

「〝恋せよ少年″って言われたのなら、もしかすると気になる子がいるのかと思ったのだけど。反応的にその通りみたいね。ほら、やっぱり気になるじゃない? そういうの」

「そ、それは……」


 結論から言うと、好きな人はいる。ただしそれを言うかどうかはまた別の話だ。

 そもそも、その恋が成就する保証なんてどこにもない。自分の好きな相手を無闇に広めて置いて、玉砕しましたではあまりに情けないだろう。 

 さてどうしようかと七瀬が思案していたその時、背後で店のドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 挨拶をした緑店長に続こうと、七瀬も振り向く。が、客の姿を見た瞬間に、思わず固まってしまった。

 噂をすればなんとやら。客というのは他でもない、上川渚その人だったのだ。


 ※


「え……先輩?」


 渚が戸惑った風に言った。入った花屋で、まさか七瀬が働いているとは思ってもいなかったのだろう。

 そして戸惑ったのは七瀬も同じだった。意中の人うんぬんという話の最中に当の本人が現れたのだから、その当惑もまあ仕方ないのだけれど。


「いらっしゃい……ませ?」


 胸中の高鳴りを悟られないようにしようとすればする程、舌が回りにくくなるのはどうしてだろうか。普段、部室で話している時はそこまで緊張しないのに。


「七瀬先輩、ですよね」

「う、うん。今バイト中なんだ」

「あら、もしかすると、二人はお友達?」


 その質問に対して、二人が同時に口を開いた。


「サークルの後輩です」

「サークルの先輩です」


 言った直後、また二人同時に、今度は申し訳なさそうな表情を浮かべる。相手の言葉とタイミングがかぶってしまった事を気にして、互いに小さく頭を下げあった。

 緑店長がその様子を見て微笑む。


「ふふ、二人とも息ぴったりね。……さて、ちなみにお客様、今日は何をお探しですか?」


 一息の内に接客モードへ切り替わった彼女に、渚は少し面食らったようだった。答えるまでに少し間が生まれる。


「アパートのベランダががらんとして殺風景なので、そこに置くいい花を探しているんですけど……」

「素敵ですね。今の時期なら、バーベナやオキザリスあたりが花を咲かせています。ですが育てる側の楽しみという面では、これから花を咲かせるものを選んでもいいでしょうね。ハーブだとオレガノあたりですかね。他にも色々とあるので、ぜひゆっくりとお選びになってください。 俊君。掃除は全部私がやっておくから、彼女をご案内してあげて」

「分かりました。それじゃ行こうか、渚ちゃん」


 ※


 二人は連れ立って外へと出て行く。入れ替わりに入ってきた風が、パキラの葉をさらさらと揺らしていった。

 ドアベルを鳴らして扉が閉まる。そうすると次第に、店内に静けさがやってくる。

 窓ガラス越しに外の様子を覗けば。七瀬と渚が楽しそうに話しているのが目に映った。その後ろ姿を見守りながら、緑店長はくすぐったそうに笑った。


「……隠してるつもりでも、バレバレよ、俊君」


 ――いい笑顔してるじゃないの。


 こうして傍から見ていると、微笑ましさのあまりこちらまで自然と笑顔になってくる。


「命短し、恋せよ少年!」


 呪文を唱えるような口調で言ってから、彼女は掃除を再開した。


 ※


「これが店長の言っていたバーベナ。隣にあるのが百合と時計草。オキザリスは向こうの方だったかな」

「うわあっ……! たくさんあるんですね」

「花屋はこの時期賑わうからね。緑に包まれてる感じがして僕は好きなんだ」


 店の外には、花の鉢や睡蓮の水鉢等が所狭しと並んでいる。頭上には防腐塗装を施された木の棒が格子状に張られていて、そこに蔦が巻きついていた。葉っぱの先から雨の水滴が垂れ落ちる。歩いていく内に、まるでおとぎ話の森の中にいるような気分になる。


「――そういえば、渚ちゃんはさ」


 思い出したように、七瀬が手を叩いた。


「今夜、部長の家で闇鍋をするって話、もう聞いてるんだよね」

「はい。午前中に、部長さんから連絡が来ましたから」

「僕は行く予定だけど、渚ちゃんはどう?」


 そう訊くと、渚はすぐに肯いた。


「もちろん参加します。楽しみですよね」


 ――よし。


 心の中でガッツポーズをする。

 素晴らしい。彼女が来れば間違いなく楽しさ倍増だ。鍋が大爆発を起こしたりでもしない限り、今夜の事はいい思い出として残るだろう。

 浮かれていた七瀬の視界を、不意に一匹の蝶が横切った。


「……っと」


 黒の地に、空色の模様をしつらえた羽を羽ばたかせて。花たちの間を踊るように飛び回っている。


「――アオスジアゲハですね」


 渚が言った。


「すごい、見ただけで分かるんだ?」

「小さい頃、一時期蝶が大好きだった名残です。その中でもアオスジアゲハは一番のお気に入りで………。青と緑の中間みたいなあの色に、魅了されていたんです。先輩だって、大概の花は見れば分かるじゃないですか。それと同じこと、ですよ」

「それじゃあ、僕らは似たものどうしかな? 好きなことならいくらでも覚えていられるものね」


 七瀬は小さく笑って、アオスジアゲハの方を見た。踊るように花の上を飛んでいる様が目に映える。思わず見とれてしまいそうになった。


「……花に蝶って、どうしてこんなに似合ってるんだろう」


 可憐に羽ばたくその姿が、花の優美さを引き立てる。だがその一方で、花という背景を得ることで蝶はますます魅力的に映る。

 そういう意味では、二つは互いを高め合う存在なのかもしれない。互いに必要とし、互いに必要とされる関係だ。

 不意に、アオスジアゲハは二人の方にやってきた。何となく七瀬が手を伸ばす。するとアオスジアゲハはそこに留まった。七瀬自身そうなると思っていなかったので、まさかの事態に驚く。


「――凄い」


 渚が言った。声には出さないが、七瀬も同じ思いだ。


「蝶に好かれてますよ、先輩」

「嬉しい。蝶に来てもらえた花の気持ちが少しわかった気がする。それにしてもこの蝶は、僕の手を木の枝か何かと間違えでもしたのかな」

「きっと、先輩と自分は似ているって分かってるんですよ」


 七瀬の、他人と比べれば少しばかり長めなその指の上で羽を休ませる蝶を見て、渚は静かに微笑んだ。


「僕と蝶が似ているって?」

「そうです。だって…」


 渚の視線が、今度は七瀬の方に向く。


「先輩も蝶も、花が好きじゃないですか」

「なるほどね。――でも、違う所だってあるよ?」


 指先から飛び立つアオスジアゲハを見送りながら、七瀬は続けた。


「蝶は、ほら。花から花へ飛び移っていくけど」

「……けど?」

「僕はどちらかといえば、一つの花を大切にするタイプかな」

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