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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
二夜:闇鍋の集い
12/55

部長のお誘い

 梅雨というのは、一般的に忌避される季節だ。

 外で遊べない。洗濯物が乾かない。ただただ湿っぽいのが嫌い。その理由は十人十色だろう。梅雨が好きだと豪語する人は、雨が好きな人か梅雨前線の研究家に違いない。

 かくいう七瀬も、この時期はあまり好きではなかった。

 雨が生命の源であることは、勿論よく分かっている。今自分達が生きているのも、木々が青々とした葉を茂らせているのも、この世に水があってこそ出来る芸当だ。そして、その水をもたらしているのは雨である。

 だがそうは言っても、暫く太陽の姿を拝んでいないとどうにも心が萎えてしまうのだ。七瀬が好きなカーペンターズの曲名にもあるように、『雨の日と月曜日は』どうにも憂鬱さが増してしまう。今日は金曜日だがここ数日はしとしとと雨が降り続いているので、雨雲と同じように、陰鬱な気分も晴れてくれないのだった。

 窓の外を見て、七瀬が誰にともなく呟いた。


「……まだ止みませんね」

「ん。……そうだな。最近はずっとこんな天気か」


 原稿と睨めっこしていた南部長が、顔を上げて気だるげに応える。今日の文芸部部室はいつにもまして人気がなかった。いつもは外から聞こえてくる運動部のかけ声が無いので、余計そのように感じるのかもしれない。

 来ているのは七瀬と部長だけである。ただし部員数が六人なので、これでも三割の出席率ではあるのだが。

 止まない雨音は部屋の中まで届いてくる。灰汁を掻き回したような色の乱層雲が、空に分厚い蓋をしていた。じめじめしていてしょうがないので先ほど窓を開けたのだが、それでもあまり変わっていない。風が無いのだ。とにもかくにも蒸し暑く、服の裏が汗でじわりと滲む。

 六月ももう終盤。そろそろ梅雨が明けてもいいような気がする。


「なあ、七瀬。こんな話を知ってるか」


 のび(・・)をしながら部長が話し掛けてきた。


「どうして梅雨まっさかりの六月を、“水無月”って言うのか。雨が多いのに“水の無い月”と書くのは、一見変に思えるよな。実はこれには驚くべき真相があるんだが」

「あ、どこかでその話聞いたことがありますよ。『な』が現代語の意味だと『の』になるんでしたっけ。だから意味的には『水の月』と」

「何だ知ってるのか。くそぅ、面白くない」


 わざとらしく悔しがる素振りを見せてから、部長は立ち上がって七瀬の隣に来ると、窓の外を見てぼやく。


「しかし、こうも雨続きだと気が滅入るよな」 


 片手で鞄の中を漁りながら。


「何か、楽しいイベントでもあればいいんだけどな。こう、パッと弾けるような」

「どこかへ出かけようにもこの天気ですからね」

「室内で出来ること……って言っても、何があるかな。すぐには思いつかんな。……トランプとか……、いや違う。私が求めてるのはそういうのじゃないんだ」


 やがてその右手が、二袋のカントリーマアムを探り当てたようだった。


「七瀬よ、バニラとココアどっちが好きだ?」

「どちらかと言うとバニラですかね」

「残念だったな、両方ともココアだ」


 片方を七瀬に放ってから早速食べ始める。再び椅子に座った彼女の瞳は天井へと向いており、口元に当てられた人差し指が、小さく四拍子を刻んでいた。


「イベント、か……」


 次に部長が口を開いたのは、丁度七瀬がカントリーマアムを食べ終えた時のことだった。勢いよく手のひらを合わせれば、パチンと軽快な音が響く。


「私の家で闇鍋をしようか」

「今、なんて言いましたか?」


 唐突すぎる提案だったので、一瞬聞き間違えたかと思った。しかしどうやら七瀬のヒアリングは正確だったようで、部長は肯いてからカントリーマアムの袋をゴミ箱へと放った。

   

「闇鍋だよ闇鍋。闇の中で鍋を食べる、あの闇鍋だ。お前も聞いたことくらいはあるだろう」

「そりゃあ知ってますよ。真っ暗な部屋の中で、参加者がそれぞれ具材を持ち寄って鍋をする、あれでしょう」

「そうだ。私は、その闇鍋を文芸部のみんなと一緒にやりたいと思ってる」

「なるほど」


 七瀬が頷いた。

 闇鍋と言えば、ある意味学生時代の特権みたいな料理だ。

 各々が持ち寄った食糧を、暗闇の中で鍋に投入する。暫く煮込んだ後で、同じように電気を消したまま、正体のわからない具材を食べていく。実にスリル満点の料理である。


 ――面白そう、かも。


 おそらく大多数の人がそうであるように、七瀬はこれまで闇鍋をした経験がなかった。

 折角誘われたのだから、この機会に挑んでみるのもいいかもしれない。味を楽しめるかどうかはさておき、気の置けない仲間と一緒に、しょうもないことを喋りながら食べる闇鍋はきっと楽しいだろう。

 そんな思いが顔に出ていたのか、部長がニヤリと笑った。


「どうやら興味を持ったみたいだな」

「……分かりましたか?」

「お前は正直だからな。とても分かりやすいぞ」


 部長は机に肘をついて、その身を七瀬の方に乗り出してきた。瞳の奥で好奇心の光が瞬いていた。それはまるで、秘密の作戦会議をしている小学生のようだった。


「実はな、私も前々から一度やってみたいと思ってたんだ。それを今思い出した。でもどうせなら、皆でやった方が盛り上がるだろ? 仲の良いやつらと一緒なら、なおさら」

「“鍋”は元々そういう料理ですからね。ただ、少し時季外れな気もしますけど」


 七瀬が席を立って、電気ポットの元に向かう。


「紅茶、飲みますか」

「悪いがコーヒーで頼む。……しかしな、七瀬。思い立ったが吉日って諺があるだろ。そう考えれば時期なんてたいした問題じゃあない。まあちょっと暑くなるかもしれんが、最悪冷房をつければ済む話だ」


 冬に炬燵でアイスを食べる、みたいなものだろうか。

 ポットのお湯で紅茶を淹れながら、七瀬が応える。


「初夏の夜、一つの部屋に大勢で集まって闇鍋を囲む……すごい絵面になりそうですね」

「いや待て、全員集まったとしても六人きりだ。六人は大勢とは言わんぞ」

「零細サークルの現実って、中々にシビアですよね」

「うむ。少数精鋭主義ここに極まれり、と言った所だな」


 自嘲するように笑った部長を見て、部員の数が一桁という事をいまさらながらに思いしらされる。


「ま、おかげで何だかんだ気楽にやれてるから、悪いことばかりでもないか。とりあえず、六人までなら私の部屋に収まってくれる。スペースについては心配しなくていいぞ」

「大丈夫そうですね。ちなみにいつ頃から始めるつもりなんですか?」

「今日、夜七時頃からだな」

「今日、ですか?」


 七瀬の手元で、紅茶とコーヒーが心地いい香りを上げている。部長は立ち上がってコーヒーのカップを手に取った。揺らぎ上る湯気を吸い込むと、かすかに唇の端を崩す。


「私の知る限りだと、今日は皆、特に何の用事も無かった筈だ。ということで、七瀬。鍋の具材を持参して、七時に私の家に集合だ」

「分かりました。それまでに雨が止めばいいんですけど」

「問題ない。この雨は長引いても午後には止んで、夜からは晴れ始める。朝の天気予報でそう言っていたよ」

「つまり、今夜の闇鍋は決定事項ですね」

「決定事項だな」

「それじゃあ、冷蔵庫から適当に見繕ってきます」


 二つ返事で了承してから、七瀬は冷蔵庫の中身に考えを巡らせる。

 豚肉の残りが冷凍室にあった筈だから、それを持っていこう。野菜は何が残っていただろうか。豆腐や油揚げも鍋には合いそうだ。色々と想像が膨らむ。


「うん、そういうことで頼む。食べれないものは持って来るなよ?」

「自分でも食べるんですから、当然ですよ」


 苦笑しながら紅茶を一口飲むと、果物のような香りの液体が喉を下っていく。

 その時ふと、何の脈絡もなく、渚の顔が脳内に浮かんだ。七瀬と同じく、彼女もまた数少ない文芸部員の一人である。つまり彼女のところにも、部長からのお誘いは行くわけで。


「部長」

「何だ?」

「――渚ちゃんは来ますかね?」


 そんな疑問が、自然と口をついて出た。


「――ほう?」


 南部長が意味深な笑みを浮かべる。その視線はまるで、旅人を見守る天使のようだった。


「部長、何か誤解してませんか」

「誤解? そんなことある訳ないだろ。私はちゃんと、お前の言いたいことを分かってるぞ」

「いや、あの――」


 名誉にも関わることなので弁明しよう。今の質問に、下世話な目論見はまったく含まれていないと。

 ただ。ただ単に、渚が来ればもっと楽しくなるだろうな――と思った、それだけなのだ。確かにここ最近、ふとしたことで彼女の姿を思い浮かべたり、一緒にいるだけで心臓が高鳴ったりすることはある。何気ない会話が、すごく貴重に思えたりもする。だがしかし、それとこれとはまた別の話であって――。

 

「――大丈夫だ。そういうことなら、私に任しとくといい」


 こちらの心中はいざ知らず。南部長の中では、既に何かしら結論が出たらしかった。自身の携帯を取り出して何やら入力を始める。七瀬がその様子を見ていると、部長は視線に気が付いて、小さく首をかしげた。


「ただのメールだよ。今日の七時に闇鍋をする旨、忘れない内に渚に伝えとこうと思ってな。連絡は早い方がいいだろう」


 渚の連絡先は、七瀬も既に、メールアドレスと電話番号を交換していた。数週間前の事である。

 大げさに聞こえるかもしれないが、あの時はこれまでの人生で一番勇気を必要とする瞬間だった。声が上擦り、『あの』『その』を過剰なまでに多用し。事前のイメージトレーニングなど役立たずも甚だしかった。傍からは不審人物に見えていたかもしれない。

 けれどもその分、彼女が笑顔で了承してくれた時の感動と言ったら、これはよく出来た夢なのではと錯覚する程だった。


「気になるか?」

「……まさか」

「ふうん……。まあ安心しろ。命短し、恋せよ少年。そう心配せずとも渚はきっと来るだろうさ」


 はっはっは。そう笑って、まるで我が子に接するみたいに、七瀬の頭をポンポンと叩いた。

 何だろう、確信は無いが、部長には全て見透かされているような気がする。


「子供か何かですか、僕は」

「どちらかというと弟だな」


 可愛げのない弟だよ、と余計なひと言をつけ足して。そのまま髪をバサバサと弄んできた部長に、七瀬は苦笑しながらもされるがままだった。

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