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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
間話1
11/55

閑話:幽霊カラオケ

 〝死者は生者に勝てない″というのは、専門家にとって常識であるそうだ。

 なおここでいう〝専門家″とは、神社の神主さんやお寺のお坊さん等、信用にあたる清い方々のことを示している。テレビの心霊特番でよく顔を見たり、名も知らぬ新興宗教の教祖をしていたりするような、胡散臭い自称専門家とは何の関係もない。

 七瀬の経験から言っても、この事は正しい。ただそれ故に、害意を持った幽霊はあの手この手で精神攻撃を行って、隙を作ろうとしてくるのだ。

 逆に言うと、常に明るい気持ちを持って生き生きと暮らしていれば、そうそう幽霊に悩まされることなく生きていける。

 “病は気から”という諺の通り。大切なのは気の持ち様なのだ。

 そのことを改めて実感させられる出来事が、七瀬の身にも起きた。



 四月末の某日、渚が晴れて正式な入部を果たしてから、暫く経った頃。七瀬たち文芸部は新入生歓迎コンパで、駅前のカラオケへと足を運んだ。

 背水の陣で臨んだ今年度の新入部員勧誘だったが、新規入部者は僅か二人という有様だった。内一人は渚だ。これで部員の人数は六人になり、大学に部として認められる最低限の人数は、何とか下回らずに済んでいる。


『よし、延命成功だな』


 部長はそんなことを言っていたが、それでも、数を数えるのに両手の指だけで事足りてしまうのはいささか虚しい。

 その癖、部員の誰もがあまり危機感を感じていなかったりするのは、文芸部のいい所でもあり悪い所でもある。

 

 当日の天気は雲一つ無い晴天となった。

 空の上で煌々と輝く太陽は随分と自己主張が強い。まだ四月だというのに、温かいを通り越して暑さを感じるほどだ。


「厚着して来るんじゃなかったよ……」


 長袖の下着を着たのは失敗だったかもしれない。

 そう七瀬がぼやくと、隣で渚が苦笑混じりに応えた。


「一気に温かくなりましたよね。予報だと初夏の気温だそうです」

「まだ肌寒いかなって思ったんだけどね。予想が外れたな。ちゃんと天気予報を見ておけばよかったかも」

「そういう日に限って暑くなったり寒くなったりすることって、ありますよね」


 そう応えて頷く渚はといえば、空色のTシャツに上から薄手のジャケットを羽織っている。ちょっとした木陰に佇んでいたら、凄く絵になりそうだった。

 ただ、そんな彼女の姿を見ていると、どうも心拍数が上がってしまうのが困りものだ。ふっと息をついたり、前髪をかき上げたりする些細な仕草にすら胸が高鳴ってしまう。最近はずっとそんな感じだ。


 ――これは、重症かもしれない。


「――先輩、どうかしましたか?」

「へ? あ、ううん。何でもないよ。大丈夫」


 君の事を考えていました――なんて。間違っても口にできる筈がなかった。



 初めに大学図書館で、文芸部ガイダンス的なものを済ませてから、そのまま徒歩で駅前のカラオケに向かった。そこはとあるビルの四階に位置しており、他の階にも本屋等が店舗を構えている複合施設だ。

 南部長が入口の前で立ち止まって、上を見上げた。


「ここだ。価格が他の所より良心的だから覚えておくといいぞ、一年生たち」


 一見すると、何の変哲も無い建物だ。現にその外見はいたって普通のビルだし、中にある店舗の様相もいたって健全である。

 しかし七瀬にとっては、微妙な所だった。

 建物全体から、どことなく嫌な気配を感じるのだ。強さこそ違えど、それは心霊スポットと同質のもの、用水路の底に沈殿した汚泥のような黒い念。有り体に言えば幽霊がいるということだ。

 ただ幸運なことに念の強さは、とりたてて警戒するほどではないように思う。幽霊がいるにはいるが、無差別に危害を加えてくるような悪霊ではないようだ。

 それでも、警戒するに越したことは無い。

 

「……七瀬先輩」


 隣から、小さな声で名前を呼ばれた。渚も霊の気配を捉えているようで、彼女の表情には不安の色が浮かんでいた。


「何かいそう(・・・)な雰囲気ですけど、私の気のせいでしょうか」

「いや、僕も何となくそんな感じがするから、きっといる(・・)んだろうね。渚ちゃんがそう言ってくれたおかげで確信が持てたよ」

「……大丈夫ですよね」

「うん。……きっとね」


 幸いにも今は昼間だ。加えて感じる気配もそう強くはない。

 だから余程の事がなければ、大事にはならないだろう。

 最悪幽霊を見つけてしまっても、無視してしまえばいいのだから。



 そう考えていた矢先、カラオケが店を構える四階に到着すれば、案の定そこにいた(・・)

 入口をくぐってすぐの壁際に、半透明な体の男性が突っ立っていた。うつむいていて顔は見えないが、その周りだけ明らかに空気が淀んでいる。幽霊に違いなかった。

 建物のどこかにいることは分かっていたが、よりにもよって、どうして此処なのだろう。よしんばこちらに害意は無くても、いる(・・)と分かれば、どうにも気になってしまうではないか。

 七瀬の視線を感じたのか、幽霊が顔を上げそうになったので、慌てて反対の方に向き直る。そちらでは丁度、南部長が受付を済ませている所だった。


「六名様ですね。御予約はなさっていますか?」

「確か〝九鳥大学文芸部″で予約してあった筈です。あと人数は六人ではなくて五人ですね」

「えっ? ……あれ、六名様いらっしゃったように見えましたが。失礼いたしました。しばらくお待ちください」


 入ってきた新入生は二人なので、部員数自体は六人だ。しかし今日集まったのは五人。

 一人、七瀬と同級の()が来ていないのは、兼部中のテニスサークルが行うコンパと被ってしまったかららしい。

 『私らよりテニスを選んだか……』と部長が残念そうに呟いていた。ちなみにそのテニスサークルは、九鳥大学きってのマンモスサークルだったりする。持ち前のマンパワーを活かした人海戦術と、爽快感を全面に押し出したイメージ戦略によって、今年も大勢の新入生を獲得したそうだ。

 ところで。さっきの店員が人数を数え間違えたのは、どうしてだろうか。

 自分の背後を確認するだけの勇気は、七瀬には無かった。


「お待たせしました。九鳥大学文芸部、様。一番のボックスを本日貸切ですね。ごゆっくりどうぞ」

「ええ、ありがとうございます」


 マイクを二本、受け取る。貸切、などという贅沢な言葉にはあまり縁が無かったので、七瀬は思わず苦笑してしまった。


「部長」

「ん? どうかしたか」

「わざわざ貸し切ったんですね。しかも一番って言うと、他より広い部屋でしょう」

「ああ。時間なんて気にせず、歌いたいように歌えた方がいいだろう。それに広い方が伸び伸び出来るしな。私らは五人ぽっちだが、それでも普通の部屋じゃあいささか窮屈だ」

「それもそうですね」


 ただ使う人数がたったの五人なので、いかんせん空虚な気がして物寂しいのではないかとも思う。


「まあ任せとけ。その分私が盛り上げてやるさ」


 部長はニヤリと笑って言った。



 部屋には二つのソファーが置かれていた。奥にある方に副部長と新入生の子が一人座り、手前には南部長、七瀬、渚の順で席に着く。傍から見るとそこそこ奇妙な並び方かもしれない。

 美女二人に挟まれた七瀬などは、傍から見ればまさしく両手に花の風情だ。しかし悲しきかな、そのどちらもが高嶺の花だったりする。

 歌い始める前にとりあえずまずは飲み物をと、皆一斉に席を立つ。

 七瀬が扉を開いた。


「――あ」


 受付の所にいた男の幽霊がそこに立っていた。その身に纏っているくたびれたコートの、胸ポケットに縫い込まれた刺繍さえ、はっきりと見える。

 不意打ちな出来事に、七瀬の体が固まった。幽霊に遭遇するだけならよくあることだし、見えていないふりをして放っておけばそれでいい。だが今回はあまりにも急すぎた。

 無視を貫くには、まず前提として相手に一切の反応をしないことが必須だ。しかし七瀬は今――幽霊に気づいているような素振りを見せてしまった。

 ひっ、と。渚が息を飲む音が、背中の方から聞こえてくる。

 この場で幽霊を見れるのは彼女と七瀬の二人だけだ。入り口に立っていた幽霊がここに来ているということは、相手はおそらく、こちらが〝見える″ことに感づいていたのだろう。そして先ほどの反応で、その推測は確信へと変貌したに違いない。


 ――どうしようか。

 

 頭の中で考えをめぐらせていると、唐突に南部長の声が降ってきた。


「どうした? 誰かいるのか」


 肩越しに顔を突き出して廊下を見渡した後、怪訝そうな表情で呟いた。


「……誰もいないじゃないか」


 凡そ、当然の反応だった。目と鼻の先に幽霊がいることなんて、彼女には知り得ないことなのだから。

 部長は穏やかな微笑を浮かべて、七瀬の背中をポンポンと叩いた。


「疲れてるのか? なら無理だけはするなよ。調子が悪いなら遠慮なく言ってくれていいからな」


 こういう台詞がすらりと出てくる事こそ、彼女がカリスマたる所以か。そのたのもしさと頼り甲斐たるや、まさしく姉御肌という言葉がピッタリだと思う。目の前に幽霊が立っているという状況でありながら、不思議と安心感を覚えるのだ。

 颯爽と飲み物を取りに向かったその背中に、七瀬も一歩遅れて続いた。



 だが勿論、問題は何一つ解決してはいない。それどころか悪化していた。

 ウーロン茶のグラスを持って部屋に戻ってみれば、幽霊が室内にいたのだ。自分達が飲み物を取りに部屋を出た、その瞬間、扉の隙間から進入したに違いなかった。悪い展開に、思わず頭を抱えそうになる。

 幽霊は部屋の角、入口から一番奥の暗がりに立っている。その顔ははっきりと見えないが、虚ろな瞳がこちらに向いていると直感で分かった。

 刺すような視線が全身を隈なく舐めてくる。その内分けは興味半分、嫉妬のような感情が半分といったところだろうか。

 隣に座る渚も、同じものを感じているようだった。身体を強張らせている彼女の姿が、視界の端に映る。

 あの男の幽霊にも、何か訴えたいことがあるのかもしれない。何か心残りがあるのかもしれない。

 だからといって、出会う霊全てに手を差し伸べていたら、遅かれ早かれ自分が壊れてしまうから。自分から関わりに行くつもりはない。渚も同じ考えのようで、幽霊がいる方向に決して顔を向けまいとする雰囲気が伝わって来た。

 生きている人は死者より強いと言うが、それは平時の話。相手に気づき、気づかれた時点で既に半分相手の土俵だ。

 そんな二人の苦悩はいざ知らず。三良坂副部長がマイクを手に取り、空中でブラブラと揺らして言った。


「さて、最初に歌おうという勇者はいずこかな?」

「寄越せ。私がやろう」


 部長が立ち上がって左手を伸ばす。ストレッチがてらかもう片方の右肩を回すと、甘い匂いが微かに七瀬の方へ流れてきた。


「そんなに急がなくてもマイクは逃げないさ。まあ落ち着こう。曲はどうする?」

「何にするかな……。今日は歓迎会で来ているし、初めは盛り上がるようなやつにするべきか?」

「そんなに気にすることもないよ。南さんが好きな曲を歌えばいい」

「そうだな。じゃあ三良坂、いつものアレ(・・)を頼む」

「持ち歌かい」


 部長は選んだ曲は、とある有名な映画の主題歌にもなった洋楽だった。特にサビの部分は、聴けば自ずと、船尾で海原に向って両手を広げるあの名シーンが浮かんでくるに違いない。

 『My heart will go on』。

 それは、空気を震わせるようなティンホイッスルの音色から始まる愛の歌。伴奏からして既に美しく、神々しい雰囲気さえ醸し出す一方で、どこか悲劇的な切なさを抱かせてくれる。マイクを片手に、部長が鋭く息を吸い込んだ。

 直後、駅前のカラオケに歌姫が舞い降りた。

 彼女の歌声は、そんな錯覚を抱かせるだけの力を持っていた。部屋中の空気までもが、喉の動きと共鳴することで、歌唱に加わっているかのようだった。音程が合っているのは勿論のこと、英語の発音も一切違和感を覚えさせない。

 一度目の間奏に入った時、聴いている四人から、はからずも同時に感嘆の声が上がった。


「ふふ」


 それを聞いて、部長は嬉しそうに笑った。


「好きなんだ、この歌」


 部屋の空気が澄んできたように感じたので、ふと見てみれば。隅にいた筈の幽霊が、いつのまにか姿を消してしまっている。

 これは南部長の歌声のおかげ――ということになるのだろうか。何はともあれ、これで憂いは無くなった。七瀬はそっと胸を撫で下ろす。隣の渚にも目で合図を送ると、彼女も幽霊が消えた事に気づいていたようで、ホッとした様子で頷き返してくる。

 そうしている内に、二番目の歌詞が始まった。



「部長さん、すごい歌上手ですね。カッコいいです。憧れます」


 歌い終えた南部長が、マイクを降ろしてソファに体を預ける。その反対側で渚が言った。心なしか目を輝かせているようにも見える。まさに、興奮冷めやらぬ様子、といったところだ。

 烏龍茶を飲みつつ、七瀬が応える。

 

「上手いよねぇ。僕もこれまでに何回か聴いたことがあるけど、その度に聴き惚れちゃう」

「先輩は、部長さんとよくカラオケへ行ったりするんですか?」

「えっとね……二人だけで行ったことはないかな。今日みたいに、文芸部で集まって行ったことはあるけどね」

「楽しそうです」

「うん、楽しいよ」


 七瀬が即答して、続ける。


「部長はね。撫子のような人であって、(くるま)百合(ゆり)みたいな人でもあるから。僕なんかじゃあ逆立ちしても勝てないような」

「車百合……それはつまり〝多才な人”ってことですね」

「あ。気づいてくれてちょっと嬉しい。車百合の花言葉なんてだいぶマイナーだと思ったのだけど」


 すると彼女はくすぐったそうに笑った。


「大学生になったら、こんなやりとりをしてみたいなあって思っている内に、いつのまにか覚えていたんですよ」

「すごい。でもこんな掛け合いが出来る人なんて、そうそういないと思うな」

「七瀬先輩がいるじゃあないですか。そもそも先輩以外とは、こんなやりとり出来ません」


 ――え。


 ドキッとした。

 採点の結果に盛り上がる周りの声がシャットアウトされて、彼女の声だけが頭の中に響いてくる。それくらい、今の言葉に胸を打たれた。

 自意識過剰だと、笑いたいなら笑えばいい。


「……出来ることなら、ダリアの花を送りたいな」

「花言葉は〝感謝”ですよね。どういたしまして、です」


 それは他愛のない掛け合いだけれど、相手が彼女というだけで、不思議なほどに楽しく感じれる。


 ―――ずっとこうして話していたい。


 そんなことを願うのは、さすがに高望みすぎるだろうか。


「……何だか照れるね」


 そうこうしている内に部長からマイクが回ってきた。それを受け取る際、何故か意味深な笑みを浮かべられる。

 少しの間迷ってから、七瀬は二本目のマイクも手に取った。そして片方を渚に差し出した。


「渚ちゃん」

「はい」

「下手の横好きが相手でよかったら、一緒に歌ってみない?」


 断られるかもと不安だったが、彼女はすんなりとそれを受け取ってくれた。


「喜んで御一緒します、先輩」


 二人で何を歌ったのかということは、秘密にしておこう。



 結局あれ以降、男性の幽霊とは出会わぬままに歓迎会はお開きと相成った。

 あの霊が何故あそこにいたのか、地縛霊なのか浮遊霊なのか。疑問は解決されないまま残っているが、それはさして重要ではない。関わりを持っていなければ、そんな疑問は存在しないも同然なのだから。

 ただ、一つだけ言うとすれば。あの場から幽霊がいなくなっていたのは、きっと部長の歌声が、あまりにも綺麗すぎたからだった。

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