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徒然怪奇譚  作者: どくだみ
前夜
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プロローグ

 自分の住んでいる部屋が、今にも崩れそうな砂の塔みたいに見えた。

 カーペットの上に座り込んで、理由もなく天井を見上げる。そこに取り付けられた電灯にも白色の壁紙にも、普段と異なる点はまったく無い。今置かれている状況、ただそれだけが、慣れ親しんでいる筈の空間を張りぼてのように感じさせていた。

 カーテンを閉めているせいで部屋の中は薄暗く、めぼしい音といったら、そこにいる二人分の息遣いくらいだった。まるで部屋までもが息を潜めているようだ。


 ――“あれ”はここまで追いかけてくるだろうか。


 ――の姿を脳内で思い返しながら、七瀬(ななせ)(しゅん)は隣にいる上川(かみかわ)(なぎさ)へ目を向けた。

 繋いだ手から、彼女の震えがこちらに伝わってくる。だがそれは、七瀬の方も同じだった。

 季節は冬。暖房を点けていない室内は凍えそうな程に寒く、二人の直面している現実を端的に表していた。吐き出した息が目の前で白く漂う。対照的に、彼女と触れ合っている掌だけが、不思議なくらいに温かい。

 七瀬の視線に気が付いたのか、渚は振り向いて彼を見つめ返す。互いの視線が絡まった。彼女の揺ぎ無い信頼は、間違いなく七瀬へと向けられていた。


「先輩」

「大丈夫、大丈夫だから」


 彼女への返事なのか、それとも自分を落ち着かせるための言葉なのか、言った自分でも分からなかった。きっと両方なのだろう。眉間に手を当てて一度、長い息を吐く。

 “あれ”が追いかけてくるかどうかなんて、考えるまでもなく自明の事なのだ。何故なら標的は自分達二人。地の果てまでも追跡してくるだろう――それが、“あれ”の存在理由だからだ。

 もし追いつかれれば、理不尽な結末が自分たちへと訪れる。

 咄嗟の思いつきで作ったあの足止めも、所詮はその場しのぎの子供だまし。ずっと()ってくれる訳がなかった。ただここまで辿り着かれた所で、中から招き入れない限り、“あれ”は入って来れない筈だ。

 だけどそうなれば、こちらも部屋から出て行くことは出来なくなり、敗北の約束された籠城戦を強いられることになる。

 それまでに行動をおこさなければ、結局詰むのだ。


 しかしこれは――あまりにも無謀な作戦だ。生きるために安全を捨てるなどと。自分達がこれから進むのは、極楽から垂らされた蜘蛛の糸を上るくらいに、細く困難な道のり。

 希望はあるか。それさえも分からない。


「――どうして」


 渚の口から弱々しい言葉が漏れてくる。


「どうして先輩は、私のためにここまでしてくれるんですか」

「“どうして”、か……」


 正面からそう訊かれて、すぐには綺麗な答えが浮かんでこなかった。有り体に言えば自分がそうしたかったから、だろうか。その下地にある想いにはずっと前から気づいている。


「少しだけ、喩え話をするね」


 どう言うべきか悩みに悩んだ末に、七瀬は口を開いた。


「目の前に、花が植えられた鉢があったとするよ。土の表面は乾ききっていて、その花は萎れてる。渚ちゃんはどうしたい?」

「花が……? ……水を持っていれば、それを花にあげたいです」

「ね。誰だって水を分けるでしょ。それと同じ事」

「……ここが砂漠で、それが残っている最後の水だとしても、ですか」

「うん。僕ならそうする」


 そう言って笑ってみせると、渚は驚いたように目を見開いて、それから笑顔を返してきた。


「あの時も、そう言って私の傍に居てくれましたよね」

「覚えててくれたんだ?」

「忘れたくても、忘れられませんよ」


 あの炎天下の下で彼女と出逢ったのは、数えてみればもう一年以上前になるのだろうか。運命の日から今日この時まで、実に色々な怪奇に関わってきたものだ。

 時計の秒針が、二人を急かすように時を刻む。出来ることならいつまでもこうしていたい。一緒にいるこの瞬間が、狂おしいまでに名残惜しい。彼女と一緒にしょうもないことを話していた、つい数日前の日常が、痛い程に懐かしい。

 しかし現実は理不尽だった。自分自身に叱咤して、渚に向けていた視線を無理やり引き剥がす。


 ――行こう。


 立ち上がろうとした、その時。


「待ってください」


 離れかけた七瀬の左手を、渚の右手が掴まえていた。その顔を見てみれば、彼女もまた何かを決意したような表情をしていた。


「先輩。最後にもう一つだけ、訊きたいことがあります」

「いいよ。……何?」

「――先輩にとって、私とは何ですか?」

「……っ」


 ずしりと来た。

 あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐな言葉だった。彼女の目線は、しっかりと自分を見据えて離さない。言いたいこと、伝えたいことの全てを、今の一言(ひとこと)に凝縮したのだと分かった。

 七瀬は混乱してしまう。


 彼女は――自分にとって何だろう。


 そう、改めて考える。

 大切な人、であるのは間違いない。けれども具体的に応えるのは難しい。どんな言葉も、どこかあと一つ足りないような気がする。

 返事を探す七瀬の脳内に、渚と過ごした記憶の全てが次々と、走馬灯のように甦っては消えていく。思い出の中にいる渚――その中でひときわ輝いていたのは、花のような笑顔を咲かせて、こちらを見つめる彼女だった。

 そしてようやく、七瀬は自分の想いに確信が持てた。


「渚ちゃんは――」


 自分も彼女と同じように、この一言へ全てを託そう。


「――スミレの花、かな」


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