破壊のための両輪
きのこ雲が上がった。
きのこ雲は上がっていた。
見えなかっただけだ。
見なかっただけだ。
そのことに気づいたのは、あの爆発――いくらかの即死する人々と多くの死なないまでも後遺症を負って動くことができずに悶え苦しみ、やがて死んでいく人々を生み出す爆発――の後暫くしてから、一般にその爆発の影響評価が出されてからだった。誘爆も何度か発生しており、いよいよ自らに危険が及ぶと感じた人々がようやく動きださなければならない、と口々に言いだした頃。人々は逃げる準備をした。そのうちの多くが極めてゆっくりと、逃げる方法を探そうとせず、方角も調べるコンパスを持たないまま、家財道具だけを整理した。ひょっとすると、「逃げなきゃ、逃げなきゃ」と言っているだけのお調子者もいたかもしれない。
そこで逃げながら考えた。いや、この表現は成り立たない。考えること自体が既に逃げることと同義なのだ。
果たして、この手の爆発は今回が初めてだったのだろうかと。調べ出すと、答えはすぐ見つかった。初めてどころか数えきれないほど起こっていた。そう、距離も時間も超越した世界の住人はすぐにこういったことを見つけることが出来るのだ。
ただ過去の多くの爆発は今回より規模は小さかったし、我々の多くが知覚できるような形ではなかった。以前のものは皆の知らない間に終了し、幾らかの人々は何も知らない間に殺された。その影響に多くの人は気づかなかったし、気づいた人も逃げようとまではしなかったようだ。勿論、その存在に気づかなかったということではないだろう。仮に居たとしても出会うことはないはずだ。要するに、それが今のような爆発を伴ったということに、自らの被害が爆発によるものだということに気づかなかっただけだ。
調べた限りではそういうことになっている。距離も時間も超越した世界とはいったものの、檻の中、鏡の部屋であることに変わりはないからこれ以上確かなことは言えない。
そして、例の如く彼らは置き去りにされた。動けない彼らがホロコーストに巻き込まれた。しかし、逃げる人々とて必死なのだ。罪悪感は覚えない。そんなものは覚えたら負けなのだ、と思っている。そうなったら強制収容所行なのだ、と。
彼らは映像モザイクだろうが、造形作品だろうが相手にしない。一部の人は言う。
「あの人たちはあまりにひどい経験をしたから、頭がおかしくなってしまったんだよ」と。
一台の車が停まった。
扉が開くと、積み荷が運び出され、ベルトコンベアに乗せられた。中から防護服を着た人が数人降りてくる。車の中身が空になると、天井のスプリンクラーが一斉に作動する。降りてきた数人も別室で洗浄を受けた後、防護服を脱いだ。今日の所は皆家に帰り、編集は明日からすることにしよう、とでも言って、彼は着替えて外に出る。
想像は所詮妄想と大差ない。
何かが欠落している。
妄想は所詮虚構と大差ない。
欠落が何かしている。
彼は映像モザイク芸術家だ。爆発の被害者たちと爆発の創造物とを融合させた作品を売って暮らしている。彼は常に爆発と向き合っているのではないかと思う。彼は自らの作品のモデルも、同僚も爆発の被害者なのだ。
彼の仲間たちは次々に爆発の影響を受けていった。ある者は怪我を負って向こう側に行ってしまい、ある者は意図せずに、直接見ることなく他人を引きずり下ろして、身代わりとして捧げることで逃げ延びた。
爆発の被害者たちと爆発の創造物とに囲まれて生きる。気が狂いそうだ。
彼は難なく暮らしている。彼だっていつまでこの仕事を続けられるかわからない。影響評価によれば、比較的長く仕事を続けられそうだが、爆発は生き物だ。いつも予測通りに事が運ぶとは限らない。いや、そんなことはまずないと言っていい。彼は自分の置かれている状況の危険性は認識しつつも、不満を抱いたり、逃げようとは思ったりはしていないようだ。
「俺たちの役目だろう」
ある時彼はそう言った。身体はこの発言にも過敏に反応した。
彼は自分の罪悪感を打ち消すためにこの役目を演じているのではないか、だとしたら彼はゴールに着いてはいるが、チェックポイントを通っていないということになる。考えすぎだというのはわかっている。けれど、この疑問も打ち消すことが出来ない。戦っているのだ。
ある時から誰の発する言葉にも敏感になっていった。誰と話していても落ち着かなくなってしまった。崖から幾度となく落ちる気分。爆発と同じだ。気にしなければどうということはない。だからこの声は誰にも届かない。
トーマスとともに建物の外で立っていると、彼がやって来た。
「やあセン」
トーマスが声をかけた。
「待たせたな。じゃあ行こうか」
不思議だった。何故センが何もなかったかのように我々と会話が出来るのか。
三人でガラスとコンクリートの曲面が織り成す構造物に向かった。中は混雑していた。人の海だった。吐き気がする。人々に包まれて消えてしまいそうだった。海を泳いで浜辺から上の階に向かった。先ほどの通路の上は吹き抜けになっていて、高台から海を見下すことができるというわけだ。
海の彼らが見たいのは、日常生活の切断面だ。普段失っているものを取り戻すためだろうか、とにかく他人の生活を盗み見ている。しかも何の意味もない。爆発の創造物が独りでに提供する切断面を消費している。
全く、人々は矛盾しているように見える。逃げなければ、と言っている爆発に積極的に近づき、抱かれようとしている。人の介在する世界より、人の全く介在しない世界と対話することを望んでいる。爆発後の世界、向こう側が作り出す無意味な創造物の羅列に彼らは魅かれている。
二階は比較的人が少なかった。静かで落ち着くことが出来るから好都合なのだが、それだけ同志が少ないということでもあった。三人は入口のゲートにカードをタッチして、静かな部屋に入った。
部屋の中は、真剣勝負の連続だった。箱は置いてある。我々がすることは箱にかかった紐を一つずつ解くこと。中に何があるかわかる時もあるし、わからない時もある。中に入っているものを見落としてしまう時もある。センは奇抜な解き方をする。ただ、何の道具も使わずに素手で紐を解きだす癖――それ自体は悪くないが最終的にうまく紐を解けないことが多い――があって、時々結び目を増やしてしまう。トーマスは、そもそも紐は解くためにあるのだということがわかっていなかった。木箱の木目やら施された漆塗りの技工、箱に刻まれた文字といったことのみに目が行っていた。近頃はやっと解くことを覚えたが、慣れるには時間が必要なようだ。ひょっとしたら下の人々と同じになっていたかもしれない。
センが吸い込まれていくのを見た。彼は素直に、大声ひとつ上げることなく向こう側に連れていかれた。こちら側に連れ戻そうかと考えもしたが、彼にとって他人の力でこちらに留まることは苦痛だろう、と思って止めた。
観察は残酷すぎた。一人また一人と周りの人が引きずられていくのを見るのは耐えられない。
隣のトーマスは落ち着いていた。
トーマスの家で、二人で古い特撮映画を見た。
怪獣が台本に沿って建物を破壊していく。破壊される建物とされない建物は事前に台本で決定づけられている。最終的には怪獣に都市が破壊しつくされて、人間が滅亡するか、防衛軍が怪獣を撃退するか、打ち倒すかで終わる。
だが怪獣は実際にはいないのだ。いるのは背中にチャックの付いた着ぐるみを着たスタントマンだけだ。
様々な着ぐるみが描き出す何パターンもの国旗群が襲い掛かってくる。
今となっては、着ぐるみを着て撮影するのはよほどの物好き、特撮マニアだけだ。もう着ぐるみもなくなってしまったのだ。コンピュータグラフィックの描き出す怪獣映画はもはや中身を失い、現実を超越してしまった。
建物が怪獣の攻撃によって爆発した。外壁も窓も窓枠も粉々に砕け散る。こんなことが現実に起ころうはずがないと思った。建物を壊したときに火花が散るように仕掛けがしてあるのだ。
しかし何度も見るうちに現実なのではないかと思い出した。爆弾はあらかじめ仕掛けられており、怪獣が破壊によって起爆させる。幾度となく表現される怪獣と爆発との強い結びつき、血塗られた愉快な結婚生活を見出してしまった私は怪獣に恐怖を覚えずにはいられなくなってしまった。
監督やカメラマン、その他映画にかかわる特撮映画のスタッフを皆で取り押さえる。
何も知らずに破壊を続ける怪獣に後から迫り、背中のチャックを探り当て一気に引き下ろす。中に入っているのは汗まみれのスタントマンではなく、ただのプログラミング言語の羅列、決壊したダムから吹き出す液体だった。怪獣の抜け殻は急速に腐ってしまった。
怪獣の放つ液体が澱粉を得て、以前とは全く違った形態、いくつものスライムを形成した。スライムは様々な色が一緒くたになってグロテスクな模様を持った個体として存在していた。皆でスライムを切り分け、わかる範囲で所属していた怪獣の残骸に戻してやる。だがそのためには移植する細胞が攻撃されないように免疫を調整しなければならない。
強い斥力でどこにも戻らない部分が残ったらどうすればいいのだろう。他人に任せておくときっと中途半端に焼き払ってしまう。それじゃそれまでの苦労が報われない。
気の長い作業だ。
「もっと効率のいい方法はないのか」
仲間の一人が声を上げた。
「今は分からない」
爆発の勢いは緩んだものの、炎は我々に近づいていた。
気づけば部屋の中にトーマスはいなかった。画面は手を変え品を変え、エンドロールと本編とを繰り返していた。外に出てもトーマスはいなかった。どこにもいなかった。間に合わなかった。
もう誰も私を知らない。