プラシーボ効果のカラクリなんて考えなきゃ良かった。
「ねえ、欲しい?」
少年がつまんだソレを少女の目の高さに持ち上げると、こくりと頷かれた。サイドを編んだ三つ編みが揺れる。
じゃああげる、と少年はにっこり笑った。
「よく効くよ」
ハイ、と手のひらに載せられて、少女の目が輝いた。
「ありがとう!」
嬉しそうに笑った少女は、少年から受け取ったペットボトルの水でソレを飲み下すと、ペットボトルを返し、手を振って教室を出て行った。背中がるんるんしている。
ご機嫌な背中が見えなくなるまで手を振り返してから少年はイヤフォンをはめ、音楽プレーヤーを操作する。
が。そのコードを引っ張って、「待てよ」と先程まで二人を何となく見ていたクラスメートが、微妙な表情で少年の鞄を見下ろす。
「今の、なに」
休み時間の、なんてことのない風景だったハズだ。問いただしたのは、クラスメートの視界に入ったモノのせいである。
きょとんとした少年が視線をたどり、苦笑を浮かべてカバンのチャックを閉めた。
「頭痛いって言うから、クスリをね、あげたんだ」
苦笑しながら、どこかニンマリと口端を引き上げ、目の奥にはいたずらっぽい色がある。
「よく効くクスリ」
言いながら少年の声はくすくすと笑いが混じる。
「薬、ってお前、ソレ」
「幼なじみなんだ、今の」
脈絡のない返しにさえぎられて、クラスメートは鼻白む。
その反応をちらりと見てから少年は窓の外に視線を投げた。ざあざあと降る雨はカーテンの様だ。けぶる景色はどこもかしこも濡れて、暗い。
「昔ね。あいつが風邪引いた時、僕はたまたまコレを持ってた。で、風邪薬が見当たらなくて」
教室の電灯を跳ね返すガラスに、少年のいたずらっぽい笑顔が映っている。
「まさか、ソレを」
窓に映っている少年は目を笑わせた。クラスメートはぽかんと口を開ける。
話はつながったが、たどり着いた真相は酷かった。
「お前何してんの……」
呆れ、そして怒りでクラスメートの声は低くなる。
カバンを開いてクラスメートに「ソレ」と言われたボトルパッケージを開けると、先程少年が少女にあげたクスリがたくさん入っていた。
乾燥した小豆くらいの、白いタブレットである。
「だって、よく効くんだよ。頭痛や腹痛、風邪なんかにね」
ボトルを振ってみせる少年に、「そんなわけあるか」とクラスメートは噛み付く。
「本当だよ」
少年はバツが悪そうなかおを振り向けた。
「効いちゃうんだよね~」
「ウソだろ? だってソレ、ラムネじゃないか」
駄菓子の。
子供が買える安価な菓子だ。
頷いた少年は「プラシーボって知らない?」と首を傾げた。
「たとえば、『よく効くクスリ出しときますね』ってお医者さんに言われたら、スゴく安心するじゃない?」
医療用語でいう偽薬ってヤツだよ、と少年は言う。
「病は気からって言うし、人間の思い込みって案外スゴいんだよね」
「あのな。思い込みで病気が治ったら医者は要らない」
「自然治癒力の範囲内なら効くよ。だから、ラムネがスゴいんじゃなくて、あいつの思い込みがスゴいんだよ」
くすくすと少年は笑い、種明かしをしたら効かなくなるから内緒にしてくれと言って、ラムネをクラスメートの手に幾つか載せ、時計を指差す。
時計を振り返ったら、もう直ぐ昼の授業が始まる時間だ。どうやら話も終わりらしい。
席に戻ったクラスメートはラムネを噛み砕きながら先程の話を思い出し、首を捻る。
ラムネと知らず風邪を治すとは、あの少女は余程思い込みが激しいのだろうか。
幼なじみだと言うから子供の純粋さで信じてしまったのだろうか。これまで効いた実績があるからこそかも知れないが、おかしいと感じてはいないのだろうか。
だって、舌に載せた時点でもう味がラムネじゃないか。
いくら偽薬と言っても、と考えてクラスメートは少年を見る。
クラスメートの席から二列離れた窓際の真ん中ら辺で音楽を聴きながら、水を飲む少年の背中を。
偽薬は、呑む方の思い込みだけでは成立しない。医者が処方するからだ。
少年は医者じゃない。その代わり、多分スゴく信頼されているのだ。
ナチュラルに間接キスになってるけど二人とも気にしてないのはそういう事を意識しない間柄なのか。
それってどんな、と下世話な方に転がった思考にはたと気付いて、リア充め、とクラスメートは手の中に残っていたラムネをガリガリ噛み潰し、やるせない溜め息を吐いて机に沈んだ。
プラシーボ効果のカラクリなんて考えなきゃ良かった。