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百より一が勝るとき

 ※登場人物の“琵琶”を“楽士”に名称変更しました。




 とんだヘマをしてしまいました。

 考えなしにあの男に噛みついたりせず、吠え続けていれば良かったのです。そうしていれば誰かが馬小屋に来ていたでしょう。そうならば、あの男は逃げるか不審者としてお縄になるかのどちらかに収まっていたはずなのです。

 少なくとも口を上下に動かないように縛られて、檜皮色の狭いテントに転がされはしませんでした。

 縄と体の間に当て布がされているので痛くは無いのですが、自力でほどけなさそうです。

 前足と後ろ足は自由です。しかし、男によって無理やり喉に押し込められたものが未だ身体に残っていました。全体がピリピリと痺れていて、気分が悪いことこの上ありません。

 こんなに嫌な心地なのは、仔犬の頃に酷い風邪を患った時と、酔っぱらった“太刀遣い”さんが私の腹を枕にして眠りこけた時以来です。

 前者はご主人様の献身的な看病で快復できましたし、後者もご主人様と“歌姫”さんが二人がかりで引きずって持ち帰ってくれたので難を逃れましたが、今回ばかりは助けを望めません。

 本当にとんだヘマだ……。

 バカだ、間抜けだ、でくのぼう、ぬけ作、考えなし、アホ、と知ってるだけの罵り言葉がガンガンと音を立ててぶつかり合いながら頭の中を飛び交います。

 私はこれから、どうなってしまうのでしょうか。


 ――いや、考えなくても答えは決まってる。


 ぞくりと寒気がして、全身が総毛立つ。

 そんなの、絶っっ対にお断りだ!!

 全面抗戦、徹底抗戦、反抗、反目、あいつの思い通りになって溜まるか。

 みんなの元へ帰るんだ。待っていてください、ご主人様。必ずや貞操を守り抜き、あなたの前へ再び姿を見せましょう。

 逃げるにしても、何をするにせよ、とにかく情報が必要です。

 地形でも天候でもなんでも、把握しとくに越したことは無いはずです。

 低い天井のテントを観察しても、継ぎ接ぎした布の縫い糸くらいしか見えるものはありません。男の荷物などは置いてはいません。

 テントの中にいるにしても、暗く、おそらく夜であろうことはうかがえます。

 また、結構な量の虫の声が四方から聞こえてくるので、森や山の中にいる可能性が高いです。微かに水の流れる音がするので、川が近くにあるのは確実でしょう。

 うーん、入口の布を押し開いて、外を覗いてみましょう。

 少し体位を変えた位で身体がピリリと痺れますが、我慢我慢。

 鼻先で入口の布を押し開くと湿った冷たい空気が鼻孔へと入ります。

 濡れた草の匂い、濡れた土の匂い、獣の匂い。

 ほんの少しだけ開いた隙間からは、大きな黒い獣が見えました。

 程近くにいるようで、限られた視界からは全身を確認することは叶いません。。分かるのは、獣はあの男の匂いがすることと、こちらから見て右を向いて座っていることと、そして見てる間に真っ黒な毛が僅かに震わせたことだけでした。

 私は反射的に鼻を引っ込めました。

 目覚めているのがバレたら、再び妙なものを飲まされるかもしれません。

 外では衣が擦れるような音がします。

 寝たふりをすべきか。いっそのこと男と会話をしてみるか。

 考えあぐねていると、入り口の布の間から人間の指がにゅうっと入ってきて、私はつい、目を瞑りました。なし崩しに寝たふりに決定です。


 人間の手が私の頭を撫でました。

 心臓はうるさく脈打ち、向こうに気取られてしまわないか心配です。

 不安に思うほどに音は大きくなっていくようでした。


『目が覚めたか』


 気のせいです。正解ですけど、気のせいだと勘違いしてください。しかし私の祈りも虚しく、男は言葉を連ねてゆきます。


『お前に乱暴を働く気はない。だから、身を強張らせるな』


 変な物を飲ませて、拉致したことは乱暴の範疇に入らないとでも申すのでしょうか。誰か、誰かコイツに鏡を渡して。

 抗議をしたい衝動に駆られましたが、何とか抑えます。

 前回と同じ過ちを犯したくはありません。

 向こうの様子を窺ってから、行動を決めなくては。


『お前は知らないだろうが、ある戦で人間に負けてから狼族の立場は弱くてな。

 人としての姿を持ちながら、人扱いされなくなってしまった』


 男の言う通り、戦なんて初耳でした。

 牛みたいな巨躯の狼が知性を持ち、言葉を扱い、集団で襲いかかれば敗北なんてありえないように思われたので、男の話は奇妙に感じます。

 頭に浮かべても、人間側から見た地獄絵図しか想像がつきません。


『ある奴らは獣として扱い、ある奴らは商品として扱い、ある奴らは奴隷とし

 て扱い、ある奴らはペットとして扱い、ある奴らは家具として扱う。

 そうして数十年の時が経つうちに狼族は数を減らした』


 つまり、絶滅危惧種ってこと?

 内容に反して、当事者のはずの男の口調は淡々としています。


『数が減ったのに気付いても、奴らは取引の値を上げるだけだった。

 解放する気はまるで無いらしい。

 近頃は隠れ忍んで暮らす者を探し出しては、鎖をつけるか毛皮だけにしようと

 する始末だ。 

 あの一座の人達がどんなに“善き人”であっても、お前が狼族だと気付かな

 くとも、そう遠くない内に下劣な連中に嗅ぎつけられて、暮らしも生活も壊

 されるだろう。命すら危ういんだ。

 だから――』

『だから、俺と共に来い、とでも言うつもり?

 私にとっては、鎖をつけるって人間とアンタは同じだよ』

『心外だな……、っと、起きていたのか』


 目を開くと、男は左手でテントの入り口の布を開いたまま押さえつつ、テント入口のすぐ外に座ってました。右手は私の頭に置かれています。

 入口から覗かせた顔には驚きの色が見えました。


『面の皮が厚い。

 ていうか、アンタは眠ってる犬に長々とセールストークをしてたんですか』

『まさか。……いや、目覚めてるとは踏んでいたが、あまり返事が無いから段々

 と不安にはなっていた』


 アホか。ううん、こんなのに返事した私がアホか。

 なんでこんなのに捕まったんだろ……。


『とにかく!! 私はアンタみたいな野蛮人について行く気が無ければ、

 子供を産む気も無いんです。帰してください』

『野蛮人か。人であるお前の首に縄をつけ、残飯しか与えず、賃金も払わずに

 働かせる彼らは野蛮では無いとでも?』

『私は犬です。そんな待遇の動物はそこら彼処にいますよ』


 誘拐犯が何を言ってるんだ。

 あの方たちに間違いなんかあるものか。

 犬にしては、幸運な環境です。野犬にしたって、飼い主に恵まれなかった犬にしたって、最期は似たようなものだと、この目で見てきました。


『違う。お前は人と狼の姿を持つ狼族だ』

『違わない。私は生まれた時から犬だったし、犬でしかなかった。

 第一に人が獣になったり、獣が人になったりなんて馬鹿馬鹿しい!

 到底信じられません』


 男は面食らった様子です。目を伏せて数秒だけ考え込んむと、そりゃそうか、と呟きました。


『じゃあ、俺が今から狼になる様子を見せてやろう。

 百回聞くより、一回見るのが勝つって言うしな。

 しばし待て』


 男は的を得たり、と一人で納得して両手を引っ込めたので、テントの入り口の布は元通りに内側と外側を遮る仕事を始めたのでした。

 外ではゴソゴソと布の擦れる音がします。

 何故、私を待たせる必要があるのでしょうか。

 男と黒い狼。

 匂いが一緒というだけで、実は全く別の存在だったりしないでしょうか。

 種や仕掛けがあるんじゃないか。

 私は疑念に衝き動かされて、そーっと顔を外に出しました。

 目の前には外套を地面に置いて、シャツのボタンをいそいそと外している男がいます。

 何してんだ。この男。

 目が合うと、男は慌ててボタンをかけ直して、手で私の顔を覆います。

 むしろ頭を掴んでます。


『待てと言っただろう』

『何してんですか。アンタ。吠えますか? 吠えますね。吠えますよ』

『待ってくれ、後生だから!

 あのな、服を着たまま狼になると、大きさも体の造りもまるで違うから

 服がダメになるんだ。

 変な意味じゃなくて、仕方なくだな!

 でも、裸体をお前の眼前に晒すつもりもないし、あのだな』

『分かった、分かりましたから! 痛いですって』


 視界を遮られる直前、急いでるからか男のシャツのボタンは二段も三段も掛け違っていて、隙間から肌が見えました。のぞいた肌には他より色の濃く、ぐにゃぐにゃと波打つように盛り上がっている部分がありました。服の下にも広がっているに違いなさそうです。

 あれは火傷の跡だ。



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