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幸か不幸か

 狼は地から響くような唸り声を上げました。

 強靭そうな顎から覗く牙、鋭い爪、見上げるほどに巨大な体躯。 

 いや、でも、大きすぎる。雄牛くらいの体格はありそうです。

 ……狼どころか、イヌ科かどうかすら怪しくないか。この化け物。

 大変です。緊急事態で異常事態。狩人さん早く来て、珍しい毛皮と肉が手に入りますよ。


 逃げたい、でも逃げられません。

 威圧感に身がすくんで……恐怖に震えて……動けなくて……云々のいずれかで蛇に睨まれた蛙の状態に?

 いいえ。全部違います。

 ご主人様が逃げそこなったからです。


 ご主人様の馬鹿ーー!!!!

 ご丁寧に腰まで抜かしてます。声も出せない様子です。

 襲うのにこれほど適した物件もそうそうあるまい、って感じです。ほっとく訳にはまいりません。

 私が一肌脱ぐしかあるまい。私が死んだら剥製に仕立てるか、像を建てるかして末永く栄誉を称えてください。

 ご主人様を庇うようにして立ってはいるけど、あの化け物にはどうしたって敵わないに決まってます。

 もはや未来は確定している。

 どうしようもない。

 息遣い一つを聞いてても恐ろしくて堪らないです。

 何で私たちがこんな目に遭わなきゃいけないんでしょう。

 狼なら羊でも襲えばいいものを。

 狼はどうして街中に現われたのでしょうか。


 じり、と一歩、狼がこちらへと近づきます。

 私は思わず後じさりしそうになったけど、耐えました。後ろでご主人様の息を飲む音が聞こえます。

 

 もう一歩。


 狩りが目的だったら、さっきまであった人込みを襲う方が確実だし、効率が良いはずです。

 どこかがおかしくないか。

 第一、私みたいな小物相手に時間を使うのも無駄じゃないでしょうか。

 牙か爪かで一瞬にして殺せないわけないのに。

 血の匂いもしません。ここに来るまで誰も襲ってないということです。


 もう一歩。


 こちらを見据える金色の目が揺らいだような気がしました。

 黒い毛が太陽に反射してキラと光ったと思ったら、狼は身を翻します。

 そして、来た時と同じように跳躍すると、人や物やらを器用に避けて着地し、風のような速さで走り去りました。目で追っていたけれど、建物が陰になってすぐに見えなくなってしまいます。

 何だったんですか、一体。

 狼が消えた角をじっと見ていましたが、再び姿を現すこともなく、分かることもありません。

 疑問符が頭を飛び交いますが、今できることをしましょう。

 騒がしい中、一人だけ静かな……魂が抜けたように呆けてるご主人様の意識を戻さなくては。

 まずは頬を手で押してみよう。


◆◆◆◆


 日が沈んだ街の中にはピリピリとした空気が漂っていました。

 もちろん、昼間の狼が原因です。

 準備が出来次第、山狩りが行われるでしょう。

 旅の道中で襲われたら堪りませんから、私たちもしばらくはこの街で足止めを食らうのは決定です。

 命の危険もさることながら、殺伐とした状況では仕事が捗るはずもないので、一座の皆も暗ーい空気を身に纏っています。

 お金の管理を担当している座長の顔は輪をかけて険しいです。

 座長はお金にうるさい方です。いえ、抜け目ないという方が正しいでしょう。

 座長の管理があったからこそ、私たちは旅を続けられてるといっても過言ではありません。


 狼が去った後、ご主人様へ駆け寄ったのも束の間、地面に散らばったままだったおひねりを回収する速度の早かったこと。

 “歌姫”さんが介抱についていたし、五体満足で無事だったとは言え、あの切り替えの早さは称賛に値します。

 蓄えはあればあるほど良いのです。

 備えあれば憂うことも無いのですから。


 周囲に反して、私は落ち着いていました。

 狼が再度現われたところで、人間や家畜に危害をくわえるような気がしないからです。

 実際問題、私たちは営業妨害をくらいましたが、それは別として。

 血生臭いことにはならないように感じるのです。

 狼らしからぬ所がかえって不気味と思わなくもないですが……。

 

 実は飼い主がいて、命令を受けていたかもしれない。

 あの大きさですから、人並みか、それ以上の知性を持っていて行動をしているのかもしれない。

 病か何らかの疾患が原因で頭を駄目にしているのかもしれない。

 いくらか考えを巡らしましたが、馬小屋では正解か否か図れるはずもなく。

 せっかくご主人様がくださった肉の塊も碌にお腹に収まらず、私はもやもやした気分のまま眠りについてしまいました。







『おい』


 匂いがした。


『おい』


 飛び起きると、一人の男がいました。

 歳は十代後半くらいで、つり目が特徴的な、まだ幼さの残る顔立ちをしています。

 私がいきなり身を起こしたので、ぶつかってしまい、いささか面喰っていました。

 変だ。

 寝起きで働かない頭を必死に回転させるけれど、状況が掴めません。

 男はそっと、私の頬に手を添えます。


『安心しろ、俺はお前と同族(・・)だ』



 私にも理解できる言葉を伝える男は

 あの狼と同じ匂いのする男は

 金色の目を細め、微笑みました。

  

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