観覧飛行
ご覧いただきありがとうございます。
黒いワイバーンを倒したことにより、セフィリアの庵周辺の制空権を確保できた。日をおいて上空を飛び回っていたのだが、あれからワイバーン達が現れることは無かった。少し離れた場所に行くと姿を見かけたことはあるのだが、すぐに逃げ出しこちらにちょっかいを掛けられることも無かった。
それから次に開発したのは、複座型の『イーグルディビション』だった。セフィリアがどうしても飛んでみたいと言っていたため、優先順位を上げての開発だった。元々『イーグルディビション』の搭載重量には余裕を持たせていた為、変更箇所は思いの外少なく済んだ。
そうして単独試験飛行も終わり、セフィリアを載せて飛ぶ日がやってきた。
「やっと飛べる日がやってきたのか…大変な訓練が報われるというものじゃ」
「そんな大げさな」
そう返事をすると、若干据わった目つきをしたセフィリアが俺の方を見てきた。
「…ほう?脱出訓練といいつつ木の上から叩き落としたり、対じー?訓練といいつつワシを振り子のよう振り回したり、訓練の仕上げだといって人間大砲に乗せたり、極限化下での作業訓練だと言って水に沈めたり、いろいろやってくれたじゃろ?!」
「あー、そうだったね。ちなみに脱出訓練以外は要らないって今気づいた」
「おいいいい?!」
なんか宇宙飛行士の訓練と混じってたな。なお、人間大砲は宴会芸になるかもと思っての実験だ。
「まあまあ、おかげで訓練内容が絞れたんだから、セフィリアのぎせ…無駄な訓練も意味が無かった訳じゃない」
「お主、犠牲って言おうとしたじゃろ!というか、無駄な訓練と言い切りおったぞ、こいつ…」
「それじゃ出すよ。『イーグルディビション、複座』」
描画魔法を起動すると、単座よりも若干の時間を掛けつつ姿を表した。その姿は単座とほとんど変わらず、バランス調整のために少しだけ翼の位置が変更されている程度だった。
「おお…これが…楽しみじゃな!」
先ほどまでの会話はさらっと流し、セフィリアはニカッと少年のような笑顔を浮かべていた。そんなセフィリアを俺は苦笑しつつ、座席に座るのを手助けしシートベルトの着用と問題が無いかのチェックを行った。
「おお、これで良いのか。ところでの、ソーイチロー」
「ん?よし、テンションも問題無さそうだな…なに?」
「どうしてこの天候で飛ぶんじゃ?あと時間も、な」
そう言ってセフィリアは空を見上げた。俺もそれに釣られ顔をあげると、そこには快晴の空…ではなく、低く立ち込める曇り空が視界一杯に広がっていた。それに時間も15時くらいと少し薄暗く、遊覧飛行をするにはあまり向いて無さそうなタイミングだった。しかし、俺はひょっとしたら見られるかもしれない風景に期待しているのだ。
「うーん…延期してもいいよ。ただ、ひょっとしたら誰も見たことの無い風景が見られるかもしれない。俺も気象に詳しい訳じゃないから、確かなことは言えないけどね」
「ふむ、それなら飛ぼう」
「絶対に見られるって訳じゃないよ?」
「構わん構わん。ソーイチローが考えあってのことなら、ワシは喜んで従おうぞ」
「訓練内容は考えてなかったけどね」
「そこは考えて欲しかったのぅ…」
がっくりしているセフィリアを置いておき、自分も着座しながら各種起動チェックを行う。すべて異常なしの結果だったため、キャノピーを閉め離陸シーケンスに入った。垂直移動用のスラスターに魔力を注ぎ徐々に出力を上げる。
「ふぉ?!う、浮いたぞ!」
「そりゃ飛ぶ為なんだから当たり前でしょ」
はしゃぐセフィリアに軽口を返しながら、初めて人を乗せての飛行に緊張を保ちつつ、さらにスラスターの出力を上げていく。地面に近かった視線は木の枝の高さに、次第に木のてっぺんまで見渡せるようになり、眼下は森の海へと変わっていった。推進力をスラスターから魔力タービンエンジンに切り替えスピードを上げていくと、森の海もあっという間に後ろへ流れていった。
「は、速いの…これでどれくらいじゃ?」
セフィリアはまるで初めて乗るジェットコースターのように体を硬直させながら、そんなことを聞いてきた。
「んー…150km/hくらい。もうちょっと高度上げれば速さは感じにくくなるから、もうちょっとまってて」
機首を起こしスピードも上げると、ぐんぐんと地上が遠くなっていった。その風景をセフィリアはキャノピーに顔を貼り付けるようにしながら眺め、キャッキャと喜んでいた。速さは苦手そうなのに、高さは平気なのか…。
しかしある程度の高さにくると、時間と天候のせいで地上は次第に霞掛かり、あまりよく見えなくなってきていた。そんな風景にセフィリアがしょんぼりしていた。
「むう…よく見えん…」
「セフィリア、今度は上見てみて」
「うえ?」
そう言って顔を上げると、すぐそこまで天井のような雲が広がり、先程とはまた違った風景を見せてくれていた。
「ふぉ?!なんじゃこれは!雲とは綿みたいなものを想像しておったが、違うのじゃな。むしろこれは…水蒸気か?」
「お、さすがセフィリア、正解だ」
「おほほほほ!すごい、すごいの!これが雲なんじゃなぁ…今まで当たり前に見ていたものが、実はこんな物だとは想像だにしなんだわ。おお、ソ、ソーイチロー、雲の中に入るのか?!」
進路を変えずそのまま雲の中に入っていくと、それに驚いたセフィリアは少し体を固くしていた。
「衝撃とかは無いから安心して」
そう言うとセフィリアは体から力を抜き、落ち着いて周りを見渡し始めた。
「むう、雲は外から見るにはいいが、中に入ると真っ白で何も見えん」
「まあね。でもきっとそんなに雲の厚さは無いはずだから、もう少しで…」
高度を上げながら、そんな話している間に灰色だった周囲は段々と明るくなり、そして雲間を抜けると目を焼くような光に覆われた。
「これは…」
「なんと…」
目が光に慣れると、そこに広がっていたのは一面の雲海だった。どこまでも雲の波が続き、その形をゆっくりと変えている。柔らかな光を発している夕日は白い雲をオレンジに染めあげ、揺蕩う雲間は夜を連想させる暗さを抱いていた。上空は眼下を埋め尽くす雲とは違い、一点のシミも無い大空に覆われていた。西の空が黄色に染まり、反対に東の空は藍色に染まり、その天頂は黄色から藍色のグラディエーションになっていた。
そのような天上の世界を、俺はアホのように口を開けて見ているしかなかった。ただセフィリアは、アホのように口を開けているのは同じだが、その赤い瞳から一滴の涙が流れているところだけは、俺と違っていた。
「世の中にはワシの見たことがない場所なぞ、山のようにあるんじゃろうなぁ…」
「そんなの当たり前じゃないか。高いところ、低いところ、暑いところ、寒いところ、時間が変われば風景も変わるし、神様にでもならんと見れる訳無いじゃない」
「それもそうじゃな」
そう言ったきり、セフィリアは日が落ちるまで黙って見続けていた。そしてそろそろいい時間になったので、帰ろうと考えて、ふと気づいたことがあった。
「セフィリア、そろそろ帰りたいんだけどさ」
「うむ、とっぷりと夜が更けたな。早く戻ろうかの」
「うん、それでさ、ここどこ?」
「……は?」
セフィリアは未だ且つ無いほど柔らかい声を出していたのだが、最後は鳩が機関銃を食らったような声を上げていた。
「いや~…適当に飛んでたら道に迷っちゃった」
視界は利かずGPSも地図も無く、遠距離通話魔法も通じない。テヘッと可愛く笑って誤魔化そうと思ったのだが、セフィリアはぷるぷると震え、
「こ、こ、このお馬鹿ぁぁぁぁ!ワシの感動と感激を返せ!!」
「うわっ!響くから叫ぶな!ちょっ、こんな狭いところで魔法使うな!!って、あちちちち?!」
狭いコックピットの中でセフィリアの罵倒がいつまでも響いていた。




