桜鼠
私は育児に向いていないのかもしれない、大事に育てていたつもりだが、どうしてこの子は性格が歪んでしまったのだろう。いや、もう“この子”などとは呼べない。身長など私より高い、170センチあるかないかぐらいではないだろうか。
何処から見ても立派なオレ様属性のイケメンになってしまった、雀の雛だったのに。
頭痛がしたままで、私は項垂れながら妖怪達の話に耳を傾けている。
私を取り合っているようなのだが、この甘ったるい展開はなんなのか。そんなもの、求めていない。
「母様は、母様です! お優しい僕達の母様です!」
と、深緋。私に駆け寄ってくると左腕に捕まって、頬を擦り寄せてくる。
「そうですコン、あちき達が見つけたのですココン、邪魔しないで欲しいコーン!」
と、蒲公英。同じく駆け寄ってきて右腕に捕まると、尻尾を大きく振って叫んだ。
「みょうちきりんは、みょうちきりんだ。だが、とても良い香がする。ワシはその香りをずっと嗅いでいたいと思うのだ」
と、京紫。私の後方に立つとそっと肩を抱き締める。
「うららはね、皆のモノなんだよ。突如成長した雀に我が物顔されても困るよね」
と、花緑青。座り込んで私の右脚にそっと手を伸ばし、絡みつく。
……何これ怖い。
大口を開いて、正面に突っ立っている朽葉を見つめた。視線が交差すると、瞳を細めて軽く唇を開き微笑む。なんともまぁ、魅惑的な微笑み方だ。
何処で覚えたのか。
「声が聴こえていたのだよ、うららの声が。死なないで、頑張って、って。他の兄弟達が死んでいった、その中でオレも死ぬのだと思っていた。それでも、生きている。うららのお陰だ、うららと共に生きて行きたい、お礼がしたい」
切なそうに近寄ってきたので、思わず右手でその綺麗な唇を塞ぐ。このままだとキスされそうだった、眉間に皺を寄せて軽く睨みつける。
「朽葉、感心しません」
だが、私の手首を掴むと唇に触れていた指を口に含むと舌で舐め上げてきた。
何コイツ手馴れてやがる!
悲鳴を開けて振り払うと、顔が火照った。くっ、指に残る舌のざらついた感覚と粘着が忘れられない。
「卑猥だ! みょうちきりんになんてことを」
「うららに謝れ、今の駄目だろう!」
「あああああ和を乱さないでくださいー!」
「うううう、平穏な日々を手に入れたと思ったのにココン」
不敵に微笑み、私に手を振り払われた事など気にも留めず、朽葉はその背の翼を軽く広げた。
私は、俯きながら唇を噛み締める。倒れてから、どの位が経過したのだろうか。
険悪な雰囲気のまま、暗くなる前に夕食を摂る。料理の最中も付きまとう朽葉に、皆怒り心頭だ。げんなりする。しかし邪険に扱えないのは、彼がつい最近まで雛だったからか。
私が倒れてから、皆で看病してくれていたらしい。どうも丸二日眠っていたようだ、それで朽葉が巨大化していたのだろう。その過程を見てみたかった。
夜雀の成長は早く、戦士としては重宝される種族らしい。産まれてすぐに成体になるのではれ、それは他から見たらありがたいことだろう。……強ければ、の話だが。弱者であるならば、ただ飯を食らうだけの厄介者となる。
私もこの世界の事が分かってきた、理解は出来ないが。
文句を言い合いながら食事しているこの面々を見ていると、悪くはない気がしてきた。感情を表に出して、言い争うことがどれだけ重要か。ここの妖怪達は皆親に見離され棄てられて、生きることが精一杯だったのだ。こうして他の妖怪達と会話を繰り広げることもなかっただろう、今の皆は瞳が輝いている気がする。
楽しそうに私は見えた。
「みょうちきりん! 嫌なら拒否せねば、こやつはもう、雛ではないのだから」
「だから、オレのうららは嫌がってないわけですよ、おっさん京紫。見れば解るでしょう、可愛らしくも芯の通った素晴らしい雌・うららとオレ。何処までも似合いの二人」
……朽葉大丈夫だろうか。刷り込みで私が親に見えるを通り越し、恋愛対象にしてしまったのではないのか。
深緋が服を引っ張り、不安そうに覗きこんできたので視線をそちらに移す。
「母様、大丈夫ですか? 気分は悪くないですか?」
「大丈夫、別件で頭痛はするけれど」
私の返答に顔を引き攣らせ苦笑いすると、頬を摺り寄せてきた。
「心配でした……急に倒れられて名前を呼んでも全く気付かず。泣きながら看病しておりました」
「ごめんね、でも何だったのだろう」
「月白様のお言葉によれば、最近水脈の騒がしさが尋常ではないとか。母様がこちらへ来た頃からそれは日に日に大きくなったらしいですが、何か天変地異の前触れではないかと警戒しているみたいです」
妖怪だから地震や火山の噴火に敏感なのかもしれない、嵐とかだろうか。
「月白様は、素敵なお方です。僕達を気遣って、あれから食料も届けてくださったのですよ。選ばれた雄があんなに優しいお方だと、嬉しくなります」
確かに、深緋が嬉しそうに微笑んで語っていたから以前の様に苦手な妖怪ではなくなったのだろうなと思ったが、ここまで懐いていたとは。何があった。
「あの方も、辛いみたいですね。ご自身の立ち位置を疑問に思っていらっしゃいます、嬉しいなって思って。見捨てられた妖怪達を全て助けることなど出来ないけれど、なんとか戦士になれない妖怪達も住み易い場所を作ろうとしているそうです。感動しました」
へぇ……そうなのか。感心してしまった、暖かい場所で甘い汁を吸い過ごすだけの妖怪ではないらしい。
「ワシも考えた、皆で出来ることを見つけて、各々が得意なことをしていけば良いのだろう? 戦えないが、それ以外で皆の役に立てる事を」
そうだよ、ただ“生きる”ではなくて、愉しんで生きなくては。辛い事もあるけれど、何か大切なものがあるからみんな頑張って生きていくのだ。
世界は、違っても。
そっぽを向いて照れくさそうに唇を尖らせた京紫に、知らず微笑んでいた。人間も妖怪も特に変わりはしない、産まれて来たのだから誰だって少しでも幸せになりたい。出来れば嫌な事には遭遇したくない、けれども長い道のりでそれは不可能だから、回避する為に、乗り越える為に。時には自力で、そして友達や家族と共に進む。
「うららに会わなければ、こんな考え持てなかったよ。生きていても、良いだなんて。生きたい、だなんて。生きることに必死で、愉しむ事など知らなかった」
「ありがとう、母様。貴女様はやはり素晴らしいお方なのです!」
食事を終え、周囲が暗くなる前に眠りにつく。私を囲んで皆が口々にお礼を言ってくれた、こうして面と向かって言われると非常に照れくさいが、悪くは無い。
私は照れ隠しに低目の声を意図的に出して、お礼を言った。
「こ、こちらこそありがとう。私は特に何もしていないよ」
そう言って肩を竦めると、身体が小刻みに揺れる。地震だろうか?
思わず隣に居た蒲公英の腕に触れると、彼の様子がおかしい。大きな耳と尻尾を逆立てて、低く唸っている。その可愛らしい口元には不釣合いな牙が、光って見えた。瞬間、鳥肌が立ってしまう。
気付けば、他の妖怪達も様子が一変していた。立ち上がって、遥か遠くを見つめている。
訊ける雰囲気ではない、何があったのか。天変地異なのだろうか。
「来ますコン! 千里眼で遠視するココン!」
「駄目だよ蒲公英、敵の動きが速すぎる。逃げられない」
威嚇するように、妖怪達が一斉に咆哮する。耳を手で塞いだが、その音量に空気が震え、私も悲鳴を上げていた。ビリビリと皮膚を刺激する。
子供の頃台風の時、楽しくて外に出て両親に怒られた。あの時のような生暖かく不気味な風が舞い起こり、そして雨ではなく最悪なものをつれてきてしまった。
忘れはしない、どれだけのインパクトがあっただろう。男性の声に近い声、しかし、オネェ言葉。
「おやおや、噂通りに貧相な西軍の雄共が。何故生きているんだい、恥さらし共が!」
「さ、桜鼠」
絞り出した私の声、それに気付いているのかいないのかみんなを軽く見渡すと鼻で愉快そうに笑う。
「目障りだねぇ、強い戦士のみを必要とするこの世界でのうのうと生きているだなんて。弱いから戦闘には参加しない、だが生きていく上で必要な食物は摂取する? それは高貴な戦士達が口にするべきものだろう? 命を賭けて仲間と戦う戦士達の生きる源なのだから、愚鈍の出る幕はないよっ」
豪快な嘲笑、足を一歩踏み出せば地面が揺れる。ギラギラと光り輝く瞳は、獲物を見つけたワニのようだ。川に引きずり込んで喰い散らかすまさにそれ、そのもの。
気配を察知したのか、ある意味天変地異だ。東軍の桜鼠が女戦士達を率いてやってきてしまった、その巨体の後ろに数人控えている。
考えてもいなかった、狙われることを。
「うわああああ!」
名を呼んだ、深緋の小さな身体が宙に浮かんで後方に吹き飛ばされる。
私の声は、悲鳴で掻き消えた。
彼らの名を呼んだ、だが、声は届かない。届いたところでどうなるというのだろう、細身の京紫、花緑青も私の横を通り抜けて、吹き飛ばされた。
雛だった朽葉も、悲鳴を上げて倒れ込む。
「母様、下がってくださいコン!」
「た、蒲公英」
私の前に立ったその愛らしい姿が、目の前で見る見るうちに大きくなった。唖然と見上げると、哀しそうに振り向いたその瞳が宙を泳いでいる。
美しい長い髪は艶やかで、風になびいて幻想的だった。大きな耳と尻尾は健在、妖狐という名に相応しい青年が立っている。
「霊力を解放すると幼子の姿が保てないのですよ。……子供の姿のほうが敵を欺けたので偽っておりましたが、これがあちきの本来の姿で御座います。申し訳、ありませんでした」
大きく腕を振ると、彼の身体から突風が巻き起こった。木の葉が舞い、敵へとその風を向かわせる。
「ぬるいわ! 妖狐一族の出来損ないごときでは話にならぬっ」
巻き起こった風に実態などないだろうに、大きく両手を地面と垂直に開いた桜鼠は小規模の竜巻となったそれをまるで丸太でも掴むようにがっしりと抱いて、空へと放り投げた。
鼻息荒く、ズシン、と地面を揺るがし迫る彼女に再び蒲公英が風を起こそうとするが、それよりも速くに彼女の繰り出した右脚によって身体ごと吹き飛ばされる。
「下がりなさい、うらら」
月白の声に思わずそちらを向いた、吹き飛ばされている皆の身体が見えて、口元を押さえた私の隣に来てくれる。
扇が外された綺麗な顔は、怒気に包まれていた。かなり迫力がある、刺すような冷たさの空気が周囲を襲っていた。水の妖怪が本気を出すと、空気が凍るのだろうか。
「ほぉ、懐かしい雄が出てきたねぇ。西軍の月白といえば、歴代河童の中でも三本の指に入る強豪と聴く。しかし、それは数年前の話。今はもう、小童以下よ!」
やはり知っているらしい、知っていても桜鼠の敵ではないようだ。身動きとれない私の目の前で、攻防が繰り広げられた。ものの数分で決着はついてしまったようだが、怖いのに目を閉じる事が出来なくて一部始終を見ていた。月白の霊力などお構いなしに、物理で猛攻撃してくる桜鼠。弓矢が得意ではなかったのか、自分が認めた相手にしか弓を使わないのか。……みんなが取るに足らない相手だからか、使うまでもないと。
彼女は弓を背負ったまま、その拳のみでみんなを吹き飛ばした。風圧が比ではない、これで弓矢を使わせたらどうなるのだろう。弓矢は、高速を超えるのでは。しかし、それで保つ弓も素晴らしい。
いやいやそんなことは今どうでもよい、思考回路などとうに崩壊気味だ。逃げるべきなのか、いや、逃げると言っても何処へ。何をしたら良いのかわからないまま、現状の把握は出来ても心がついていかないまま、私など無視して呻いているみんなへと彼女達は進む。
何をしているの、私。妖怪に人間が敵うわけがないけれど、何をしているの!
喉の奥から、声が出た。奇声だったろうが、私にとっては咆哮だ。震える足は左右同時に出ていたかもしれない、顔も引き攣って、緊張と恐怖で泣いていたかもしれない。
それでも、気がついたら桜鼠を追い越し、皆の前で両手を精一杯千切れるくらいに広げて、足も広げて、顔を上げた。
ささやかな、抵抗。歯を食い縛れ、私。なるべく身体を大きく見せる、虚勢を張るのだ。
怪訝に見てきた東軍の戦士たちは、鼻で笑う。
「譲ちゃん、足が、いや身体が震えているよぉ」
下卑た笑い声が爆発した、滑稽だと呟いている。後ろのほうでは途切れ途切れに私に逃げろ、と言う皆の声がしているが、冗談ではない。
「ただ飛ぶことしか能が無い八咫烏など、ただの鴉。天狗も同様に翼のある未熟児。霊力が追いつかない妖狐に、涸れ果てた河童など見るも無残。そして夜雀のくせして飛ぶことすら出来ない……ってどこまで阿呆共なんだい!? 少しは戦士の末端として自害するとかないのかい!? 生き恥さらして何が楽しい、西軍の戦士達の顔に泥を塗るのかいっ」
「皆を悪く言わないで!」
頭に血が上った、沸騰した。金きり声で叫んだら、感情が昂ぶって涙が零れる。それでも、皆を侮辱されて黙ってなどいられない。その大木のような太い腕から繰り出される攻撃は、ダンプカーと激突した程度なのだろうか。それよりも、大きいのだろうか。
他人を見下げて高揚していた桜鼠は、気分を削がれたのだろう。獣の瞳で私を標的へ変えた様だ、眼球がグルグルと回転し、その中の光が動く。
蛇に睨まれた蛙……そうかもしれないが、私は負けない。
本年は大変お世話になりました、来年も宜しくお願い致します。
……完結していないのは気のせいです←
次かその次で終わります、目標は2日完結です。
皆様良いお年を!




