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入野うらら3

 ドスドスドスッ!

 ……なんだろう、聴き慣れない音が先程から背後でするのだけれど。

 私と猫人間は、近くにあった木の後ろに隠れている。そしてやはり、背中がなんかチクチクしている。

 ビュン、ザクッ!

 ……だから、この音は一体なんなのか。

「あの、訊いてもいいかな?」

「しっ、静かに! 戦闘態勢になっていると僅かな気配すら、敵だと認識されてしまうかもしれません」

「そ、そうなの」

 だから、一体何が起こっているの。

 息を押し殺して、ただ、静けさが戻るのを待った。相変わらず妙な音が続いているけれど、次第に遠くなっていく。

「もう、大丈夫みたいです。母様、よく頑張りましたね」

 頑張りましたね、と言われても、私は大人しくしていただけなのだが。

 猫人間がゆっくりと木から顔を出し、様子を窺っている。立ち上がってにっこりと微笑み、肉球が差し出された。掴まって、という意味だろう。遠慮なくそうさせてもらう。ぷにぷにしてる、気持ちが良い。

 深い溜息を吐くと、猫人間は小さく悲鳴を上げた。視線を追う、一点を凝視している、それは先程まで隠れていた木に注がれていた。

「母様!? お背中ご無事ですか!?」

 背中?

 確かに、さっきからチクチクしていたけど。なんだか針で刺されているような。

 猫人間は背後に回りこむと、再び小さく悲鳴を上げた。

「大変です、やっぱり少し刺さっていたのですね! 毒とか塗ってないといいけれど」

 毒?

 私は、先程まで隠れていた木を見つめる。なにやら、木にあってはならないものが突き刺さっている。突き刺さっているというか、飛び出している。

 ……なにこれ。っていうか、毒ってどういうことなの。

「まさか、先程のは桜鼠! 猛者だ、木を貫くことが出来るだなんて」

 猫人間は木の裏側に回った、私もついていく。……背筋が凍った。

 木を見る前に、地面が酷いことになっている。何本もの矢が突き刺さっていたり、なんかこう、鍬で掘り起こしたみたいに地面がぐちゃぐちゃになっていた。なにこれ怖い。

 唖然と静かだった先程までの風景からの変貌を、見つめるしかない。

「やはりこれは桜鼠の矢。ほら、見てください、ここです。この模様は桜鼠でしか有り得ません」

 矢尻の反対側の、あの羽みたいなぴらぴらした箇所を指して説明してくれているが、そもそも桜鼠って何。

 その羽には、美しい桜の模様が描かれている。とりあえず、桜鼠とやらの持ち物だということは私にも理解出来た。

「となると、周到に毒が塗ってあるかもしれませんね。母様、毒消し草を採ってきますからお待ちいただけますか?」

「あの、えーっと、毒が塗ってあるとどうなるの?」

「毒の効能によりますが、最悪死に至ります」

「冗談じゃない!」

「僕も困ります! 暫しお待ちを!」

 イマイチ把握出来ないというか、夢でも見ているのではないかと思って素直に現実を受け止められないのだけれど。毒が塗ってあるだなんて信じたくない。

 確かに背はチクチクとしていた、それはこの木を貫通している矢のせいだと解った。

 というか、矢ってそんなに威力があるものだったろうか。的に突き刺さるくらいしか記憶にないけれど……あ、待てよ? 有名なアニメで、矢で首を射落としたのがあった。映像を思い出し、身震いする。

 悪寒が走った、いや、もう、なんなの。だって、矢なんて……弓道部の友達が持っていたけど、こんな使い方はしていなかった。ただ、綺麗でかっこいいものだったのに。

 眩暈がしてきた、毒が回り始めたのだろうか。ぐったりと木に突き刺さっている矢を避けて、もたれると瞳を閉じる。

 なんだろう、呼吸困難に陥ってきた気がする。おそらく矢に塗ってあった毒のせいだ、わけもわからず、得体の知れない場所で私は死んでしまうのだ。

 助けて……。せっかく資格を得て子供の頃からの夢だった保母さんになれるはずだったのに!

「母様、これを!」

「ぅぐう」

 閉じた瞳から涙が溢れて頬を伝う、感傷に浸っていると口に何が苦いものが突っ込まれた。にがっ、にっが!

「毒消し草です、結構強いものですからおそらく相当苦いですけど、さぁ飲み込んで!」

 猫人間が、心配そうに覗き込んでいるが、何これめっちゃ苦い。苦いというかこれ自体が毒なのではないかと思えてきた。

 私は口の中に強引に入れられた何かわからないそれを、言われるがままに噛んだ。が、口に咥えているだけでも苦いのに噛んだら想像を絶する苦味に襲われる。

 青汁なんて、美味しく加工してあるものだ。今後、どんな青汁でも飲み干そう。この、口内に入っているものに比べたら、どれもこれもめっちゃ美味しい。蜂蜜をふんだんに使ってあったり、ただの草に比べたら。

 日本人、青汁に美味しさを求めすぎだ。

「ぅ、ぅげー」

「吐いては駄目です母様、頑張って!」

 舌がピリピリする、嘔吐しそうになる。しかし、懸命に飲み込むしかなかった。良薬口に苦し、だ。

「ほら、竹の筒にお水を汲んできましたから」

 それを早く頂戴よ。

 差し出された竹の筒を奪い取るようにして受け取ると、一気に飲み干す。喉を流れる冷たい水に、少し落ち着いた。まだ舌はピリピリするし、苦味が口内を占拠しているけれど、どうにか話すことが出来そうだ。

「あり、がと」

「母様、背中を見せてくださいね。念の為、塗っておきます」

 私が荒い呼吸を繰り返している間に、猫人間は近くの岩と、手頃な石で草をすり潰していた。緑の汁で染まった石を、ぼんやりと見つめる。腰の辺りで何かが動き、冷たいものが背中に触れた。 

 思わず、声が出た。

「ひゃぁっ」

「傷みますか? 大丈夫です、母様は死なせません」

 物騒なこと言わないで欲しい、私だって死にたくはない。

 動けない私を良いことに、猫人間はスキニーデニムからお気に入りのブランドのTシャツを引っ張り出し、暖かな二重織りになっているBABAシャツをも引っ張り出し、私の皮膚に草を塗りつけていた。

 に、肉球がぷにぷにしてて、なんか変な感じっ。

 ……青臭いそれを、肉球で背中に塗られるという意味不明なプレイに感じているわけにはいかない。危うく人間として、道を踏み外すところだった。

「ねぇ、死なない? 私、死なない?」

「熱は出るかも知れませんが、この辺りの毒消し草は質が良いから大丈夫ですよ」

 と、言ってにっこりと笑ったので釣られて私も笑ったのだが。「多分」と小声で付け加えられたのが激しく不安だ。

 だが、見ず知らずの私を必死に守り、助けようとしてくれたこの猫人間。悪い奴ではないらしい。しかし、何故『母様』と呼ばれているのだろう。

 毒のせいなのか、草のせいなのか、口が麻痺しているような感じで上手く呂律が回らないが、たどたどしく質問してみる。

 歯医者さんに行った後みたいだ、気分は良くない。気持ちが悪い。

「あろさ、ろーして君はわたすをたすけれくれたろ?」

「えーっと、通訳します。”あのさ、どうして君は私を助けてくれるの?”ですか?」

 大きく頷く、猫人間は不思議そうに首を傾げて口を開いた。本当に、その質問が疑問のようだった。

「あなたが母様だからです。母親を助け守らない子なんて、いませんよね」

「れも、あたひは」

「えーっと、”でも、私は”でしょうか?」

 再び大きく頷く私に、猫人間はそっと顔を寄せてきた。

 ……長い睫毛だな、猫みたいな耳や尻尾を除いても魅力があるくらい可愛らしい子だ。どきどきしてしまう。

「僕のお母さんに、似ているんです。僕、産まれて暫くしてお母さんとはぐれてしまいました。覚えているのは黒髪の美しい人だった、ということです。丁度、母様くらいの身長でした。この辺りで、はぐれてしまったので迎えに来てくれたんだと思って、それで嬉しくて」

 なんてことなの、そんな事情があったなんて。確かにまだ幼い、お母さんが恋しくて私を身代わりにしているのだろう。

 ちょっと、”黒髪の美しい人”なんて表現されて嬉しい私がそこにいた。

「ホントの母様ではないことは知っています、でも、母様って呼ばせてください。きっとあなたは、僕達とは違う人なのでしょう。僕、見ていたんです。鳥居の奥に大木ありますよね、あそこが僕の住処なんです。突然突風が吹き荒れて、目を閉じて顔を伏せて……顔を上げたら母様が立っていました。飛び出しそうになったけど、去っていく母様を目で追って、思わずついて行って声をかけたんです」

 この子、私がここへ来た時のこと見ていたんだ。もっと追求しなくてはならない、そこに元の世界に帰るヒントが隠されている気がする。

「僕、深緋(こきひ)、っていいます」

 恥ずかしそうにそう言って、深緋(こきひ)は遠慮気味に私の腰に抱きついてきた。

 きゅん、とした。

 思わず頭に手を載せて、撫でる。大きな耳がぴこぴことくすぐったそうに動き、腰にまわしている手に力がこもる。

 暫し、この子に情が移って母親気分になりながら優しく撫で続ける。

 なんて可愛い、愛おしい。人間ではないけれど、まだ子供。

 私はもうすぐ保母さんになるのだ、この猫人間……深緋(こきひ)にも得た知識を持って接しよう。愛情に飢えているに違いないのだから。

 直ぐにでも帰りたいけれど、帰るまでは一緒にいよう。この腕を振り払うことなど出来ない。

 正義感に燃えている私の下で、深緋(こきひ)が鋭い悲鳴を上げた。

「わわわっ、戻ってきた! 母様、隠れますよ!」

 ……少し落ち着かせてよ、だからなんなの。忙しいな。

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