入野うらら1
乙女ゲーの世界を目指してみます。
自称”和風ファンタジー乙女ゲー風味の逆ハーレム”ですが、なんか……ギャグもどきになってきました。不安です。
美しい人だった。
常に笑顔で、歌も踊りも上手な、みんなの人気者。
腰まである長い髪を後ろで一つに束ね、うさぎのアップリケが縫い付けられている薄桃色のエプロンをして。
細身ながらも力があって、当時の私たちを軽々と持ち上げてくれた。彼女は抱き上げたあと、くるくるまわってくれる。まるで空を飛んでいるようで、本当に楽しかった。
よく伸びる声でたどたどしくピアノを弾きつつ、歌ってくれた。私たちはそれに合わせて飛んで跳ねて笑いながら、自由気ままに踊っていた。
お昼寝タイムには、それぞれ持参したタオルケットに包まった。その時彼女は、毎回童話を読んでくれた。子守唄代わりだったのだろう、丁寧に抑揚をつけて読んでくれた。それが面白くて、結局ずっと聞いていた。
起きたら、おやつの時間だった。名前はわからないけれど、一つ一つ包み紙に入っていた丸くて甘い和菓子が大好きだった。また、食べたいな。
私は、ずっと思っていた。
彼女のようにみんなに好かれる保母さんになって、子供たちを笑顔にしたいと。
小学校の卒業文集には、こう書いた。『しょうらいのゆめは保母さんです』。
中学校の卒業文集にも、こう書いた。『将来の夢は、保母さんになることです』。
高校の進路相談では、迷うことなくこう答えた。『私は保育士を目指し、A短大の幼児教育科を受験します』。
大好きだった先生を目標に、私は保育士になる。
可愛い子供たちに囲まれて、毎日を過ごしていたい。
子供はたくさん欲しいけれど、出産も育児も大変だし、どうしたってお金がかかるから、産むのは三人が限界だと思う。
でも、私は子供が大好きだから、大勢の子供たちに携わって生きていきたいの。
可愛いは正義である。
子供たちは、無条件で可愛い。
すべてがまるっこいフォルムは、まさに神の贈り物!
ふにゃっとした笑顔も可愛い。
上手くできないとすぐに泣き出してしまう我儘っ子も、愛おしい。
振り回されてクタクタになるだろうけど、そんなの気にしない。
大きくてキラキラした瞳で下から見つめられて「せんせぇ、あそぼー」なんて言われた日にはもう、幸せの絶頂!
疲れも吹き飛ぶ、タウリン一億配合の栄養ドリンク並みのその笑顔!
好き!
……私は入野うらら、現在彼氏ナシ。
今はいないけど、過去にお付き合いの経験は有り。
憧れの先生と同じで、今まで一度も染めたことがない真っ黒の髪を二つに縛ってシュシュをつけて。
お化粧は苦手だから、常にナチュラルメイク。保湿効果がある薄いピンクのリップにベーシュのシャドウ、そして桃色チーク。
服装は地味だけど、可愛いものは好き。
子供たちと手を繋いだ時に「せんせぇ、おててガサガサー! やだー!」なんて言われないように、常にハンドクリームを塗って保湿している。
おかげさまで、両手は自慢できるほど艶やかです。
私はついに短大で単位を取得し、憧れの保育士資格を得ました!
得た、得た、得たー!
崇めている先生を思い出し、彼女と同じ薄桃色のエプロンに、うさぎのアップリケを縫いつけた。
勤務先が指定のエプロンのみ着用可だったら使えないけれど、これは私のお守りなのだ。
部屋に飾って、これに励まされて勉強した。
全ては愛しい子供たちのために。
考えると、どうしても顔が緩んでしまう。
もうすぐ、子供たちに囲まれて過ごす、憧れの生活が出来るのだから仕方ない!
学校側の推薦で、私は自宅から電車で一時間程度の保育園に勤務することが決定した。
ありがとう、偉大なる恩師たち!
新しくはないけれど、昔から地域の方々に馴染みのある“つきみや保育園”が私の勤務先。
公式ホームページには、温かい雰囲気を醸し出す正面写真が掲載されている。
保育園の門に掲げられている『つきみや保育園』の字体すら、丸くて可愛らしい。
居ても立っても居られず、何食わぬ顔で現地に赴いた。
住宅地にある保育園で、なかなか広い敷地を所有している。
瞳を閉じると、子供たちと走り回っている私が見えた。
先輩が優しいといいな、保護者と仲良く出来るといいな。
あぁ、それでも。
子供たちがいれば私は大丈夫、耐えられる。
暫くして、就職の挨拶に出向いた。
園内を案内してもらうと、天国だった。
緊張が吹き飛び、口角が上がってしまう。
子供たちの可愛いことったらありゃしない!
制服はポロシャツだけが指定で、他は自由。
手作りのエプロンが使用出来ることに歓喜し、何着も用意せねばと意気込む。
体験学習として、その日は外で鬼ごっこをして遊んだり、室内で大きい画用紙にクレヨンでお絵かきをした。
あぁ、なんて幸せなんだろう!
大勢の天使に囲まれ、発狂するかと思った。
恐らく、私は幼児フェチなのだ。
天職に就くことが出来たから、当分彼氏は必要ない。
それどころではない、私はこの楽園を満喫する。
帰り際、子供たちが手を振ってくれた。
仲良くなった子は、縋りついて泣きじゃくった。
あぁ、泣かないで。
春になれば、私はここにいるよ。
……そう、春になったら私は念願の保育士!
卒業前に、友達と二泊三日の旅行に出かけた。
行き先は奮発し、興味があった沖縄。
日本なのに非日常的な風景に癒され、本州よりも時間の流れが遅いような人々の生活ぶりに笑みを零す。
旅行から帰ると、保育士たちのブログを読み漁った。
無料で読めるなんて有り難い、この時代に産まれてよかったと心底思う。
子供たちが興味を持つことを書き綴り、どう日常に組み込むか毎日考えた。
歌も踊りも楽器も練習した、楽しくて仕方がない。
充実した日々を過ごすある日のこと。
就職の報告をするため、自宅から車で一時間程度の山の中にある墓参りへ出向いた。
ここは、狸に蛇、猪や鹿が徘徊する田舎。
子供の頃何度か近くの川で遊んだけれど、今見ると妙に狭い。こんな場所によく浮き輪を持ち込めたものだと感心する。
それだけ私が大きくなったのだろう、しみじみしてしまった。
煌く清冽な小川の流れは、緩やかに変化し続ける私の未来。
少しの不安と大きな希望を抱く小川は、やがて全てを包み込む母なる海へ到達する。
私は聖なる母になるのだ!
……いかんいかん、嬉し過ぎてぶっ飛んだ思考になっていた。
掃き清め、苔むした墓石を丁寧に洗う。
いつもより長い時間手を合わせ、神妙な顔つきで報告した。
「おじいちゃん、おばあちゃん。私、夢を叶えたよ。頑張るから見ててね」
お守りエプロンを持参したので、それを広げて誇らしげに見せた。
きっと喜んでくれている、だって二人はいつも応援してくれた。
『うららちゃんなら大丈夫、きっと誰からも好かれる先生になれるよ』
そう言いながら、何度も頭を撫でてくれたのを覚えている。
線香の煙が、細くあがっていく。
周囲に漂う香煙が、徐々に薄れた。
山火事の原因になるから、と立ち去る際に線香の火は消していくことが暗黙のルールだ。父が火を消している間、ふと私は右を見つめた。
お墓の右は急斜面になっている、が、歩けないわけではない。石畳の道が出来ている、それは神社へと続いていた。赤色の鳥居が何個か急斜面に並んで建っており、不思議な入口へと誘ってくれる。
そういえば、行ったことがない。どうなっているのだろう? 子供の頃は、何か怖くて行けなかったけれど。大人になったし、祖父母を見守ってくれている神社なのだから、お礼を言わねばならないかもしれない。無視するのは、良くない気がした。
「お父さん、お母さん、ちょっとだけ上の神社にお参りに行ってくるね」
「あら珍しい。斜面が急だから、お母さんは車で待っているわよ」
「うん、すぐ戻るね」
スニーカーで来て正解だった、想像以上に急な斜面をヒィヒィ言いながら上る。杖が欲しいくらいだったけれど、生憎そんなものはない。微妙に手入れされているので、道に草が生い茂っているわけではないけれど、通路の左右は結構草が幅を利かせていた。石畳の隙間から、顔を覗かせている雑草を見つめながら、必死に上る。鳥居を数個潜り抜けて、額にじんわりと浮かんだ汗をハンドタオルで押さえた。
思わず、見上げる。立派な大木が聳えている。風に葉がさわさわと揺れて、そこだけ異空間のようだった。巨大すぎる葉達が、太陽の光を遮断し周囲を薄暗くしている。陽が届かない為だろう、気温も下より低い気がした。肌寒くて、軽く震える。風が一筋、吹いて私の頬を撫でて流れていった。
大木の真正面に、小さなお賽銭箱が設置されていた。大木には不釣合いな気がするその、貧相な賽銭箱に近づく。手洗い場は左にあるのだが、水の勢いが弱々しい。やはり、手は洗うべきだろうか、洗うべきだよね。方向を変えて、手を洗い口を漱いだ。冷たい水温に思わず手を引っ込めたが、山の湧き水なのだろう我慢して手を洗う。
財布から奮発して五百円玉を取り出すと、私は賽銭箱の前に立つ。五百円玉を投げ入れて、手を合わせて瞳を閉じた。
「もうすぐ、保母さんになります。どうか、最期まで挫けずに、精一杯仕事が出来ますように、可愛い子供達に恵まれますように、母親の方からも『うらら先生でよかったわぁ』と評判上々でありますように、将来アイドルになってしまう飛び抜けたスーパーキッズがいて、テレビに出るようになってから『うらら先生が大好きで、憧れの存在です』なんて発言してくれて、テレビに登場したり出来たら嬉しいななんて思ったりとかしているけれど、それは無しで」
願い事が長過ぎただろうか。まぁ、五百円分ということで。
私は、瞳をゆっくりと開いた。
踵を返し、来た道を戻っていく。急な斜面は、下りならば楽だった。鳥居を潜り抜けて、両親が待っている車を目指す。父の自家用車は定番の白いセダンだ、そろそろ廃車になるのだが、愛着があってなかなか手放せないらしい。
……あれ? 車が、ない。おかしいな、何処かへ行ってしまうなんてこと、ない筈なのに。
焦った、焦った、とにかく焦った。駆け足気味に下りていく、車があった場所に息を切らせて立ち尽くした。本当に車がない、そんな馬鹿な。
混乱している私は、両親を呼んだ、精一杯呼んだ。
ところで、今気が付いたのだけれど。小川の形が、さっきと違う気がする。さっきよりも……幅が狭い気がするんですけど。と、思って周囲を見渡した。瞳を充血させながら、目をカッと開いて見渡した。
おかしい、民家がない。っていうか、そもそも、コンクリートの道がない。あと、お墓もない。
「そ、そんな馬鹿な」
眩暈がした、気味が悪くて嘔吐しそうになった。背負っているリュックに気がつき、慌ててアイフォンを取り出す。LTEの文字が、ない。っていうか、電波を受信していない。
夢だろうか、夢だと良いけれど何処から夢だったのか。泣きたいけれど、涙が出てこない。助けて、誰か、助けて。この状況を説明して。
呆然と立ち尽くしていると、何か物音に気がつき振り返る。先程降りてきた鳥居をくぐって、何かがこちらに向かってきた。思わず身構えるけれど……。
「も、もふもふ!?」
何やら愛らしいものが転がってくる。近寄って来て解った、尻尾が二つある猫のような子供だ。三毛猫だろうか、三毛猫っぽいけど、耳と尻尾が生えていて、肉球があるけれど二足歩行の人間みたいな猫。五歳くらいだろうか、ぬいぐるみみたいだ。
……なにあれ可愛い!
艶やかな毛並み、大きくてくりくり動く目、首を傾げる愛らしい仕草。
……なにこれ可愛い!
気がついたら、真下まで来ていた。大きな瞳で見上げてくるその、もふもふした可愛い三毛猫みたいな子供。
「……母様」
その子は私を、そう呼んだ。