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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第八部 戦いのなかで
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「それで、戦はどうなったんですか」

 なんだかんだと横道にそれまくった後、あらためて私はこれまでのことを尋ねた。ちょうど(ひる)になったので、昼食をとりながらの話になった。机と食事が部屋に運び込まれる。イリスにハルト様、アルタにトトー君とザックスさん、なぜかベール卿まで加わって、ちょっとした軍議レベルの顔ぶれだ。ようすを見に来たメイがあわてて引き返そうとしたのを、アルタがつかまえて強引に引っ張り込んだため、彼女は私の隣で居心地悪そうに小さくなっていた。

 みんなには普通の食事がふるまわれ、私には食べやすいお粥が用意された。野菜や卵がたっぷり入っているから雑炊かな。食べやすくて栄養のあるものをという、城の人たちの気遣いに感謝していただいた。

「エランド軍はナハラまで退却した。援軍を待って体勢を立て直すつもりであろうな」

 私の問いに答えてくれながら、肉を切り分けたハルト様がその一部を私のお椀に移そうとする。私は両手でお椀をふさいでブロックした。

「食べなさい」

「やです」

「好き嫌いをしているから丈夫になれぬのだ。薬だと思って食べなさい」

「今の体調でお肉なんか食べたら、逆にとどめ刺されます。絶対消化できない自信があります。どうせもどしちゃうんだから、栄養にはなりません」

「…………」

 うなるような息を吐いて、ハルト様は肉を自分の皿に戻した。

「援軍が合流するまで待ってあげるわけじゃないですよね? こちらはどう動く予定なんですか」

 周りの非難のまなざしは無視する。元気な時なら少しくらい頑張るよ。でも今は無理。ぜったい無理。消化不良とまで闘いたくはない。

「うむ、こちらも兵力を増やして攻めるつもりだ。今朝はやくに、カーメル殿の親書が届いた。リヴェロが援軍を出してくれる」

「ああ、来ましたか」

 私は一口ひとくち、ゆっくりしっかり噛みながら雑炊を飲み込んだ。おいしいな。戦場の、とにかく空腹をしのぐだけで精一杯な食事とは天地の差だ。こういうものが落ちついて食べられるありがたみを忘れずにいないと。

「ん? 知っていたような口ぶりだな」

 騎士たちはもりもりと大食い大会の真っ最中だ。おじいさんのベール卿も負けていない。あっという間に皿が空になるので、女中さんたちがあわてておかわりを運んでいる。ハルト様はさすがの優雅さを保ちつつ、食べる量はやはりメガ盛だった。

「いえ、知っていたわけじゃありませんけど、そろそろかなと思っていたので」

「というと」

「何もせずにいたわけじゃないでしょうからね。きっと第一報が入ってから、すぐに戦況をさぐって逐一ジーナに知らされていたと思います」

「……うむ」

 あのカームさんが、隣国の話だからとのんびり眺めているはずがない。いつでも動けるように、情報収集をはじめあらゆる対策を講じていたはずだ。

「これまではようすをうかがっていたんでしょうね。エランドがどの程度の戦力を投入しているのか、それにロウシェンがどこまで対抗できるのか。一時ハルト様が生死不明になったりして、リヴェロとしてはますます慎重に動く必要があったでしょう」

「狡猾なことよ」

 ベール卿が鼻を鳴らす。そうだね。でも逆の立場ならこっちもそうしていただろう。カームさんの行動は当たり前のものでもある。

「ハルト様の無事が判明して、ロウシェン軍は勢いを盛り返しエランド軍を押し戻した。この勢いに乗ってエランド軍を完全に撤退させないといけない。今動くべしと判断したのでしょう。多分、近くまで軍が来て待機していると思いますよ。いつでも参戦できるように……そう、ハバールフあたりに」

 ロウシェン、アルギリとの国境に面したリヴェロの地名をあげれば、みんながちょっと驚いた顔をした。

「そのとおりだ。よくわかったな」

 すでに周知されていたようだ。親書の中に書いてあったのだろう。

「戦場に近い場所で待機するとなったら、そこしかありませんから。北部方面からでは遠回りになりますし、カダは越えられませんし」

 カダ山脈とピエラ山脈の間にある細長い平地を通り、南からナハラへ向かうのがリヴェロからの最短距離だ。いつでもロウシェン入りできるよう国境のそばで待機していたのだろう。

「アルギリも軍を出して、三方向からの同時攻撃というのが理想的ですけどね。カーメル公からも働きかけてはいるでしょうが、多分アルギリは動きませんね」

 私の言葉に、居並ぶ男たちの顔がだんだん真剣になっていく。カトラリーを置いてベール卿が尋ねてきた。

「なぜそう思う」

「クラルス公なら、最初の要請があった時点でなんらかの手を打たれるはずです。アルギリにも近い場所でのことですから、カーメル公ほど落ちついて構えることはできなかったでしょう。にもかかわらず、いまだ援軍要請に応えてこない。加えて、敵の奇襲部隊がアルギリ方面から現れたことといい、おそらくエランド軍は先にアルギリを制圧したのだと思われます」

 何人かの手元で食器が音を立てた。偉い人たちに遠慮して縮こまっていたメイも、驚いた顔で私を見ていた。ハルト様は難しい顔で考え込み、アルタは二、三度軽くうなずいた。

「その可能性はあると思ったが、嬢ちゃんは確信しているわけか?」

「ええ」

「しかし、それなら情報が入ってくるはずだ。アルギリに駐在中の大使は何も言ってこないし、あちらさんが敵襲を受けたなんて話は一切聞こえてこないがな」

「そうとわかる形での敵襲ではなかったんでしょうね」

「どういうことだ?」

 私は雑炊を食べ終えて、お茶で口を落ち着けた。ひと息ついてからゆっくり答える。

「大人数の軍勢でもって押し寄せてくるだけが攻め方ではないでしょう。工作部隊がひそかに潜入し、急所を押さえるというやり方もあるはずです。これは完全な推測で、裏を取ったわけじゃないですけど、クラルス公が視察か何かに出向かれた先で襲撃を受けて、身柄を拘束されたんじゃないでしょうか。エランド側は彼を人質にすることで、アルギリの軍や高官を従わせているのではないかと」

「クラルス公が?」

「まさか、すでに公王を押さえていると?」

「ありえん……と、言いたいところだが……」

 アルタは顎をなでてうなった。

「大胆な推測だな」

「そう考えると説明がつくんですよ。アルギリの立場やクラルス公のお人柄から言って、エランドと密約を交わして手を結ぶというのは考えられません。そんなの自分の首を絞めるだけですからね。何らかの事情でやむなくエランドの動きを看過しているとして、その事情は何なのか。いちばんに考えられるのは、アルギリが切り捨てられないものを質に取られたということ。でもそういう状況だという情報すら入ってこない。エランド側が抑えているだけでなく、アルギリ側もみずから隠している――となれば、質はクラルス公ご自身だと考えるのが妥当でしょう。混乱と動揺を防ぐため、この事態はアルギリ内部でも知らない人が多いでしょうね」

「…………」

 戦が始まってからずっと考えていた。アルギリから一向に返事がかえってこないとハルト様たちが焦れていたのを見ながら、向こうで何が起こっているのか考え続けてきた。

 カームさんは動き始めた。でもクラルス公からはいまだに何も言ってこない。これはもう決定だろうと、証拠はないけれど確信していた。

 だいたいエランドが攻め込んでくるにあたって、一国だけを相手にした戦いを想定するはずがないのだ。かならずシーリース三国が協力し合ってエランドに対抗する。そんなのはじめからわかりきっている話だから、まずは三国をばらばらにするところから始めるだろう。これまで何度もそうした動きがあった。互いの不信感を煽る作戦を仕掛けられ、阻止してきた。あきらめないエランドは、ここにいたってもっと直接的な行動に出たわけだ。

 きっとリヴェロにも何かを仕掛けてはいるだろう。でもカームさんのことだから、やすやすと好きにはさせない。私に読めた状況が彼に読めないはずはない。カームさんもエランドの狙いや動きは把握しているはずだ。だからあっちでは成果を上げられなかったのだろう。

「覚えてらっしゃいますか? カーメル公暗殺未遂事件の時、それに関与していたエランドの工作員らしい人物がアルギリ方面へ逃走したでしょう。エランドはかなり早い時期からアルギリに工作員を潜入させて、準備していたんだと思います。クラルス公の身辺をさぐって、機会をうかがっていた。彼が城を離れた時を狙って行動を起こし、うまく身柄を押さえたことによって、今回の侵攻作戦にGOサインが出たのでしょう」

 きっとキサルスもエランドに制圧されているだろう。エランドの本隊はシーリースのすぐ近くに待機して時を待っていたんだ。

 食事の手を止めて、それぞれが厳しい顔で考え込む。疲れたので私はお先に失礼して、寝台へ戻らせてもらった。

 横になって枕に頭を落ち着け、寝台から話を続ける。

「カーメル公がハバールフに軍を待機させていたのは、アルギリ方面からの襲撃を警戒するためでもあるんでしょう。こちらへ援軍を出しても全てが動くわけではないと思いますよ」

「そうすると、我々はクラルス公の救出策を考えねばならんわけだな」

「しかし、他国の領内でのことです。勝手な行動はできません」

 アルタの言葉にザックスさんが真面目な意見を出した。

「そもそも、今の話が事実かどうかの確認が先でしょう」

「そりゃそうだ。まあ、まずはナハラの敵軍を始末せにゃならんが、同時にアルギリの調査もしないとな」

「それ、私にやらせてください」

 立候補した私に一瞬驚いた彼らは、たちまち渋い顔になった。

「とんでもない。そなたにそのような危険な真似はさせられぬ」

「別に危険じゃないですよ。戦いに行くわけじゃないんですから。アルギリの一般国民は事態も知らされず普通に生活しているはずです。その中にまぎれて状況を調べるだけです」

「簡単に言うがな、エランドとアルギリがひた隠しにしていることを調べるのはたやすい話じゃないぞ。嬢ちゃんは密偵の訓練でも受けていたのか?」

「何も知らずにその場にいるのと、そうと知って目を光らせるのとでは大きくちがうと思いますけどね。もちろん私は何の訓練も受けていないど素人ですが、だからこそ適任じゃないかと思うんですけど」

「馬鹿馬鹿しい、おぬしに何ができるというのか。子供の出る幕ではないわ、引っ込んでおれ!」

「きっとアルギリやエランドの人もそう思うでしょうね」

 ハルト様とアルタ、ベール卿が口々に私を思い止まらせようとする。想定内の反応なので、私はひとつひとつ冷静に反論していった。

「女で、子供。そんなのが密偵だと、誰が思うでしょうか? 私が行くのがいちばん怪しまれずに済みますよ。断言します」

「だからといって、はいわかりましたとうなずけるか。だいたいそうやって寝込みながら言われても説得力がない。最低限元気に動けることが条件だろう」

 ザックスさんの意見はごもっともだ。そこを突かれると私もちょっと弱いのだけれど、もちろんこのくらいでは引き下がれない。

「経験から言って、この程度の熱なら数日で回復します。馬車でのんびり移動すれば負担も少ないですし、無害な旅行者のふりして堂々とアルギリに入ればいいでしょう」

「……おい、お前らも何か言ってやれ」

 舌打ちしたアルタが、黙って見ているイリスとトトー君にうながした。ふたりは顔を見合わせ、肩をすくめた。

「無駄じゃないかな……これ、絶対引かない顔だよ」

「もういっそ、やりたいようにさせた方がいいと思いますよ。下手に止めてこっそり抜け出されでもしたら困りますからね」

 思いがけない援護に私も驚いた。あきらめっぽい雰囲気ではあるが、それでも反対せず私の意見を受け入れてくれる二人に、ハルト様たちも目を剥いていた。

「おいおい、お前らまで何を言う」

「誰かは派遣しなきゃいけないんだし……」

「それはそうだが、誰でもいいというわけじゃない」

「だから、ティトがいいと思うんだけど」

「アルタは、チトセには無理だと思うわけ?」

 部下たちの言葉に、アルタは盛大に顔をしかめた。

「そりゃあな、嬢ちゃんの頭脳はなかなかのものだと認めてるよ。洞察力もある。けどなあ」

「危険からはできるだけ遠ざけたいっていうのは、僕らだって同感だけど。でも守られるだけで満足する子じゃないからね。でなきゃ、今ここにいるはずもない」

 イリスは苦笑で私を見た。エンエンナでおとなしく留守番をせずに、密航してついてきてしまったことを言っているんだな。

「安全な場所にかくまって大事に守って、傷のひとつもつけたくない。そう思う男どもをあっさり蹴散らして、結局いつでもやりたいように動くんだからな。もうさ、止めるより手助けする側に回った方がいいんじゃないかと開き直ったよ」

「イリス」

 アルタに笑顔だけで答え、イリスはハルト様に向かって言った。

「チトセにやらせてやってくださいませんか。もちろん、彼女ひとりで行かせるわけじゃありません。護衛はつけます。無茶をさせないよう、監視もかねて」

「…………」

 ハルト様はぎゅっと眉を寄せて沈黙する。彼の言葉を待っていると、不意にメイが椅子を鳴らして立ち上がった。

「たっ、隊長!」

「ジェイドならいないぞ。飛竜隊からは平隊員しか来てないなあ」

 イリスの言葉に、全員が白い目を向けた。この期に及んで――と、みんなの顔に書いてある。建前はどうあれ、結局飛竜隊のリーダーはイリスだ。

「そうだなあ、平隊員の言い分なんぞ聞けんなあ」

 アルタが茶々を入れて、机の下でイリスに蹴られた。すかさず蹴り返し、また蹴られと馬鹿げた闘いが展開される。大人げない二人をザックスさんが咳払いして止めた。

「何か意見が?」

 自分の上官ではなく騎馬隊長にうながされて、ぎこちなく緊張しながらメイは続きを口にした。

「その……チィ、いえ、チトセに同行する護衛を、あたし――私に、任命してください」

 イリスは首をかしげ、アルタを見る。

「僕に許可を出せる権限はないな。アルタ?」

「俺はまず嬢ちゃんが行くことも許可しとらんが」

 アルタは腕を組んで顔をそむけた。彼も認めてくれないとなると、頑固なハルト様の説得はまず無理だ。これはやっぱりこっそり抜け出すしかないだろうかと算段していたら、トトー君が言った。

「ティトとメイリだけじゃ、まだ不安だね……経験のある年長者が同行する必要があるよ……できれば参謀室から誰か呼び寄せたいところだけど、時間がかかるかな……」

「ご心配なく! ここにおります!」

 いきなり声が割って入り、給仕の女中さんたちの後ろから人が進み出た。部屋中の視線を一身に集めた、使用人風の男性を見た瞬間、私は飛び起きた。

「ホーンさん!?」

「やあ姫君。さっきからいたんだけど、誰も気付いてくれなくてちょーっと寂しかったよー。まあ、気付かれないようにしてたんだけどね。どう? 俺の変装ってなかなかでしょ」

 ……いや、たしかに見事な溶け込みっぷりだったけど、そういう話以前に。

「お前さん、生きていたのか」

 アルタの言葉が、全員の気持ちを代弁していた。

「生きてますよー。団長や陛下同様、俺も船には乗ってませんでしたからね」

「……どういうことだ。では、オリグも無事なのか」

 ハルト様に声をかけられ、ホーンさんは少しかしこまって頭を下げた。

「いえ、室長のことはわかりません。あの時、室長はエランド軍に潜入しろと命じて俺を船から降ろしたんです」

「エランド軍に?」

「はい。小者のふりをして雑用しながら、向こうの内情をさぐっていました。先日の撤退で、潮時かと判断しこちらへ戻ってきた次第です。あ、ついでに連中の食料に軽く毒を混ぜてきましたから、今頃腹を壊す奴が続出してると思いますよ」

 ベール卿が呆れ返った顔になる。参謀室のことをよく知る面々は、うんうんとうなずいた。

「これでこそうちの参謀官だよな」

「……こういうのを、参謀と称するのはいかがなものか。密偵、工作員と呼ぶべきではないかね」

 ベール卿の皮肉な声にアルタは苦笑を返した。

「本職は参謀ですよ。ただ、ちょいと多才な人材がそろってるんですな――で? 向こうに潜入して有益な情報は得られたのか?」

「はいはい。まず、あの脅威の新兵器、空飛ぶ鉄の鳥、姫君いわく戦闘機ですが、総数は十八機。そのうち十二機がこれまでに撃墜されていますので、残りは六機です。ただ、なんか事情があってあまり長く使えないみたいですね。何かが足りないという話でしたが……」

「燃料」

 口を挟んだ私に、そうそうとホーンさんはうなずく。

「動かすための材料が必要らしいです。今ナハラにいる軍には、それが不足しているんです。こっちが対抗策を編み出したこともあって、しばらく使用を控えるという話をしていました。いざって時の切り札に残しておくみたいです」

「残り六機か……それでも、十分な脅威だな。飛竜騎士がいなければあれには対抗できぬ」

 ハルト様が難しい顔で漏らす。

「いやー、自信を持って投入した兵器があっという間に三分の一に減っちゃったんで、向こうはけっこう衝撃を受けてますよ。やはり竜騎士は怖いって認識が広がってますね。ま、だからって尻尾撒いて逃げるわけにはいかないんで、仲間と合流することを相談しています。姫君の言葉どおり、アルギリに連中の仲間がいるようです。ちなみにクラルス公は、多分レーネにいらっしゃいます」

 軽い口調でホーンさんはすらすらと言う。レーネってどこだっけと、私は脳内に地図を広げた。たしか島の最南端にある、海辺の街だったような。

「それも連中の話から得た情報か?」

「いえ、これは別口から。クラルス公は冬に体調を崩されやすいんで、暖かいレーネの離宮で避寒されるのが通例なんですよ。エランドが狙うのに、絶好の機会でしょう?」

「なるほど」

「ディンベル駐在のロッカ大使は、しばらくクラルス公にお目通りがかなわないらしいですが、公がいらっしゃらないのなら当然ですよね。表向きは戻られたことになっていますが、エルシタン宮殿の玉座は空のままでしょう」

 ……すごいな。この場に参謀官がひとり加わっただけで、必要な情報が次々出てくる。ベール卿じゃないけれど、ロウシェンの参謀室は本当にスパイみたいだ。

 そのボスがいないことが、心底残念だった。オリグさんはどうなったのだろう。捜索に出た飛竜騎士は、船の一部分らしき燃えかすは見つけたものの、それ以上の収穫を得られずに戻ってきた。ルルパ河は流れが速く、グレン峡谷の辺りから深さも増す。墜落した船はそのまま流されてしまったのではないかというのが、私達の考えだ。下流へくだれば流れは穏やかになり、周囲も開けた平地になるが、そこまで船が無事に浮いていられるかわからない。下流の町から連絡も来ないし、状況を見る限りかなり絶望的だった。

 いつも死にそうな顔をしながら、実は元気でアクティブだったオリグさん。あの人がもうこの世にいないなんて、逆に信じられない。でも生きているなら、どうして戻ってこないの。

 戻るに戻れない、連絡もできない状況なのだろうか。あの戦いからまだ三日。電話もないこの世界で距離が離れてしまえば、連絡を取るには時間がかかる。途中に敵軍がいれば戻ることも難しいだろう。そう考えてまだ希望は捨てていなかった。でも状況が、どうしても気持ちを重くする。

「……レーネへ調査員を派遣する必要はあるな。だが……」

 ハルト様が私を見る。そしてまた、厳しい顔で手元に視線を落とす。

 しばらく続いた沈黙を、アルタの大きなため息が破った。

「メイリとホーン、この二人を連れて行ってもまだ不足だ。メイリは圧倒的に経験不足でいざって時の判断が危うい。ホーンは戦えん。両方できるやつが一人は必要だろう。イリス、嬢ちゃんの味方をするなら責任取ってお前が同行しろ」

「え……」

 イリスと、そしてメイも驚いてアルタを見た。今の言葉は、私の潜入を許可するってことだよね。じっと見つめる私に気付いて、アルタはおどけるように眉を上げた。

「こっそり抜け出されるよりはましだからな。この調子だと、ホーンや竜騎士たちが手引きするだろうし? となったら、もう正式に認めるしかないでしょう、ハルト様」

「…………」

「目的はあくまでも調査。救出作戦とは別。それを徹底させた上で許可しましょう。こっちもできるだけ早く始末をつけてアルギリへ向かえるよう、リヴェロと協力していくということで」

 腹心に言われて、とうとうハルト様も息を吐いた。

「……わかった。その条件で、チトセが出向くことを許可する」

「――っ」

 思わず私は寝台から下りた。靴を履くのももどかしく、ハルト様のそばまで行く。

 あきらめを含んだまなざしで、ハルト様は私を見返した。

「ともに戦いたいというそなたの気持ちを、理解していないわけではない。じっさいそなたは役に立ってくれている。それを否定していたわけではないのだ。ただ、危険には巻き込みたくなかった」

「……はい」

「そなたに万一のことがあったらと思うと、おびえずにいられなかった。妻と息子のように、突然失うことになるのが怖かった」

 ――ああ、そうだね。ハルト様は過去の傷を抱えているから、近しい人の喪失に人一倍臆病になっているんだ。

 騎士たちは戦うことがつとめだ。ハルト様も彼らのことは、割り切っているだろう。でも私やユユ姫に対して同じようには考えられない。当然だ。

 椅子に座ったまま、ハルト様が腕を伸ばす。私はそれに応え、みずからもハルト様の首に腕をまわして抱きついた。

「だが、安全な場所に閉じ込めるばかりが正しいのかというと、自信はないな。結局は私のわがままでしかないのかもしれん。子供の自立心は見守るべきだと、物の本にも書いてあったしな」

 物の本って何それ。何を読んだんですかハルト様。

「約束してくれ。けっして無茶はしないと。調査に行くことは許可するが、それを逸脱した行動は認めぬぞ。常に自身の安全を第一に考えた上で行動してくれ」

「約束します」

 私は顔を上げ、しっかりとうなずいた。グレーの瞳が優しさと力強さを織りまぜて微笑む。

「クラルス殿の明確な所在と状況。アルギリに存在するエランド軍の数や場所。それらをできるだけくわしく調べてきてくれ」

「はい」

 私も微笑み返し、もう一度ハルト様を抱きしめた。

「ありがとうございます、お父様」

「…………」

 一瞬固まったハルト様は、くすりと笑いを漏らし、私の背中を叩いた。

「こんな時にそう呼んでくれるのか」

 見なくてもわかる。きっと今、苦笑しているんだろうな。

 いつも呼んであげられなくてごめんなさい。でも心の中ではいつだってお父様ですよ。それにいずれユユ姫との間に子供ができたら、一生お父様って呼んでもらえるんだから、今は我慢してくださいね。

「まだ交戦中なのに、僕が抜けていいのかよ」

「平隊員が一人や二人抜けたからってどうだというんだ? 飛竜隊の隊長はちゃんと残ってるだろうが」

 向こうでは、イリスとアルタがやり合っていた。

「それとも何か? ジェイドには指揮は取れんか。やつに隊長職は無理だったか?」

「いや、そうじゃないけど」

「そもそも他の男に嬢ちゃんを任せて平気なのか? 自分で守りたいとは思わないのかよ」

「ちょっ……聞こえるから!」

「なにを今さら。嬢ちゃんの方だって……」

「しー! ……チトセは覚えてないんだよ」

「は? なんだそりゃ」

「だからしーって! どうしてそう声が大きいんだよ」

 ……何を言い合っているんだか。

 ハルト様に抱きつきながら、耳だけはしっかり二人に向けていた。いくら声をひそめたって、この距離じゃ聞こえるっての。馬鹿じゃない?

 何について言っているのかは、のちほど追求することにしよう。今はハルト様が許可をくれたこと、そしてイリスとメイが同行してくれることを喜ぼう。

 調査活動なんて初めての経験だけれど、ホーンさんも一緒ならきっと大丈夫。かならず情報を持ち帰ってみせる。

 一日も早く戦を終わらせて、穏やかな日々を取り戻してみせる。敵襲におびえなくていいように。家族と離れた地で無残に命を落とす人がいなくなるように。みんなが安心して、暖かい家で眠れるように。大切な人を失わなくてすむように。

 かならず――

 寒く苦しかった戦場が脳裏をよぎっていく。私を守ってくれた騎士の死、炎の中に倒れていたベネットさん、苦しみながら死んでいった戦士たち。

 たくさん死んだ。敵も死んだ。まだまだ死ぬ。戦が続くかぎり、死者の数は増え続ける。悲しみが増え続ける。

 どこかで止めないと。こんなこと、いつまでも続けてなんかいられない。

 かならず、戦を終わらせてみせる。

 強く、深く、決意を抱いて、それから二日後、私はアルギリへ向けて旅立った。




                    ***** 第八部・終 *****

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