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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第八部 戦いのなかで
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「ここで足を止めるな。このままクルスク城へ向かうぞ」

 ハルト様の号令で軍勢がふたたび動き出す。希望を取り戻した人々の顔は明るかった。彼らはもう、敗走の軍ではなかった。

 でもそこに、竜騎士の姿はない。私は見えない後方を何度も振り返り、イリスたちが現れないかと待ち続けた。

「大丈夫だ」

 そんな私をハルト様がなだめる。

「竜騎士の強さは知っていよう。役目を果たし、かならず追いついてくる」

 そう、信じている。信じていたい。私は上着のポケットに手を入れて、イリスと分けたリボンの片割れをにぎった。

 だいじょうぶだよね。みんな強いもの。普通の兵士なんてかなわないもの。

 でも、敵の数は五千。いくら個々の戦闘力は高くても、その十分の一にも届かない竜騎士だけで、どこまで対抗することができるのだろう。

 馬を進ませながら、ハルト様が私にかけた外套をさらにかきよせ、包み込んだ。手袋をしているからか、身をかがめて私の顔に頬を寄せた。

「熱はなさそうだが……ずいぶん震えているな。寒いか?」

「……いいえ」

 寒さは特に気にならない。それよりも、イリスたちのことが心配でしかたない。

「じきにクルスク城に着く。それまでの辛抱だ」

 歩兵に合わせた速度で一行は進む。竜で飛べばあっという間の距離も、地上を行くには時間がかかった。視界が開けて町が見えてきたのは、もうずいぶん日が傾いた頃だった。

 クルスクは人口も少ない田舎町だ。城館も小さく、町の中心部に埋もれている。建物が集まっているのはごく一部地域だけで、農地の方がずっと広かった。

 見張りに出ていた町の兵士が、こちらに気付いて騒いでいる。先に駆けていった騎士が状況を伝えると、一人が大急ぎで城へ知らせに走った。

 五千の軍勢が一度に押し寄せたのでは町は大混乱だ。ハルト様は一旦町の入り口付近で軍を停止させた。

 さほど待たされることもなく、町から数騎が飛び出してきた。中心にいる身なりの立派な人が、多分セミル卿だろう。

「陛下! ご無事でいらっしゃいましたか! 行方不明とお聞きしておりましたが……」

 まだ四十にはなっていないだろうと思われる、ハルト様と同年代のセミル卿は、なんというか平凡な印象の人だった。特に美男でもなければ強面でもなく、威厳にあふれているわけでもない。服装を変えればその辺の通行人にまぎれてもわからないだろう。なんて言うと貴族に対して失礼かもしれないが、いかにも田舎のおじさんというのんびりした雰囲気の人だった。

 それが泡を食って駆けつけてくるようすは、なんだか可愛らしい。

「心配をかけてすまなかった。つい先程、皆と合流したばかりでな」

「なんと……」

 セミル卿は気が抜けたように大きく息をつく。きっと今までものすごいストレスにさらされていたのだろう。敵をくい止めてくれると思っていた軍勢が負けて逃げてくる、主君の生死すらわからないと聞かされたのでは当然だ。町の住人を避難させることとか考えていたんだろうな。

「今日はまったくなんという日か……絶望と歓喜を交互に味わうことになるとは。いえ、ご無事で何よりです。本当によかった。陛下がご健在でおられれば、我々も心落ち着けて戦えます。お怪我などはございませんか?」

「私は大丈夫だ。この子が大分疲れていると思うので、できるだけ早く暖かい場所に入れてやりたいのだが」

 ハルト様に言われて、初めてセミル卿は私の存在に気付いたようだった。ずっと視界に入っても意識には入っていなかったのだろう。ようやく私を見、軽く眉をひそめた。

「たしか、陛下のご養女でしたな……これは、ひどい。顔色が真っ白です。唇も……」

「うむ。昨日から無理をしてきたからな。城に女手は残っているか?」

「ええ、すぐに世話をさせましょう。さあ、皆様がたも、おいでください」

 セミル卿にまねかれて一行は町へ入る。軍勢のすべてが入って大丈夫なのかと問われ、セミル卿は笑顔で太鼓判を押した。

「ご心配なく、手狭ではありますが、全員を収容することは可能です。町の住人たちも協力してくれます。数人ずつに別れてもらう必要はありますが、ちゃんと暖かい家で食事と湯にありつけますよ。すでに準備はしております」

「ありがたい」

 一時的に気分が高揚しているとはいえ、兵たちの疲労は大きい。セミル卿の言葉はみんなを喜ばせた。

 ハルト様と主立った武将たちは城へ入った。ずっと空ばかり気にして視線をさまよわせる私に、アルタが声をかけた。

「嬢ちゃん、そんなに上ばかり見てると馬から転げ落ちるぞ。大丈夫だ、すぐに連中も追いついてくるさ」

「連中とは? 誰のことを言っておられるのか」

 セミル卿に聞かれて、彼はそちらにも顔を向ける。

「竜騎士たちですよ。しんがりをつとめてくれていますので」

「ああ……そういえば、伝令に来たのも若い竜騎士でしたな」

「お、そのことを忘れてた。メイリって女騎士が来たはずですが、そいつはどうしました?」

「なんでも、連れを残してきたとかで、急いで戻って行きましたが」

「あー……やっぱり行き違っちまったか。まあ、あの伝言を見てわかってくれると思うが」

 メイはあの森へ戻ったのか。ちゃんと伝言は見つけられたかな。まだ私をさがしていたらどうしよう。

 待っているって約束したのに。ひ弱な私を心配して、きっと懸命に引き返してくれただろうに。

 周りの人が手を貸してくれて、私を馬から抱き降ろす。私は城門へ向かった。

「こらこら嬢ちゃん、逆だ。そっちは外だぞ」

「……はい」

「いや、はいじゃない。外へ出てどうする。中へ入るんだ」

 引き止める手を私は振り払った。

「外で、待ってます。メイが戻ってくるから……私をさがしているから」

「大丈夫だ。戻ってきたらちゃんと教えてやるから、中へ入って休んでろ。な?」

「はい……」

「はいと言いながら外へ向かうな! ええいもう」

 業を煮やしたアルタは無理やり私を抱き上げる。おろしてほしい。中へ入ってしまったら、メイが私に気付けない。

「寒くないです。ここで待たせて」

「こら暴れるな。中で待っていればいい。メイリもイリスもトトーも、すぐに来るから」

「目印が、必要なの」

「なんの目印だよ。嬢ちゃん、なんかようすが変だぞ。大丈夫か?」

「チトセ?」

 おりようともがく私をハルト様も覗き込む。暴れたせいで外套が脱げて、地面に落ちた。乱れた私の服装に、周りの男たちが気まずい顔になった。

「ほら、そんな悩ましい格好見せるから、みんな目のやり場に困ってる。ていうか、それで寒くないはずないだろう? ほっぺたも氷みたいだぞ。早く暖かい部屋へ行こう」

「いや。はなして」

「こーらー。聞き分けがなさすぎるぞ」

「チトセ、皆待っている。今は中へ入ろう」

 待たなくていい。ハルト様たちだけで入ればいい。

 私はここにいるから。

 ここで待ってる。メイと約束したから。絶対動かないって、約束したの。

「チトセ? チトセ、こっちを見なさい!」

「どうしたんだ、ティトシェ。君らしくもない」

「陛下、いかがなさいました」

 周りの雑音がわずらわしい。メイはまだ戻らない? リアちゃんの羽ばたきは聞こえない?

「――竜騎士だ!」

 誰かの叫びに、意識が引きつけられた。空を指さしている。近づいてくる飛竜が見える。メイが帰って来た。

 竜は一頭だけじゃない。たくさんいた。イリスも戻ってきたんだ。トトー君は? 地竜はいないの? どこ?

「おお!」

 どよめきの中に羽音が混じり、あわただしく飛竜が城の前庭に着地する。

「ハルト様!」

 飛び降りたイリスがそのままこちらへ駆けてきた。私がずっと待ち続けた人は、私なんか見ないでハルト様ばっかり見ている。

「ご無事で!」

「イリス、よく頑張ってくれた。皆無事か? そろっているか?」

「はい。ですが敵は近くまで来ています。さすがに今日はこれ以上の追撃はしないでしょうが、明日早朝にでも攻め込んできそうです」

「うむ。早急に対策を立てよう。とにかく、一旦中へ入って休め」

「イリス、メイは? トトー君はどこ?」

 割り込んだ私に、イリスが目を向けた。

「ああ、トトーもすぐ来るよ。メイリなら――メイリ!」

 呼びかけに、舞い降りた竜たちの中から一人の騎士が駆け寄ってきた。

「チィ!」

 見知った姿にほっとなる。よかった。メイがいた。

「メイ、メイ」

 アルタに下ろされて、私はよろめきつつメイへ踏み出す。

「大丈夫か? 遅くなってごめん」

「遅くなんかない。メイは悪くない。さがさせてごめんなさい」

「いいから。それより、その姿はどうしたんだ。何があった」

「なにもないわ……ごめんなさい」

 謝り続ける私に、もういいからとメイがぶっきらぼうに手を伸ばす。

「あの伝言を残したのはアルタか?」

「ああ。たまたま森で嬢ちゃんを拾ってな。そっちもメイリと合流してくれてよかったよ」

「すごいたまたまだな……大体、なんでアルタやハルト様が森にいたんだよ。そこ詳しく聞きたいんだけど」

「はいはい、後で説明してやるよ。一人ひとりに言ってたんじゃきりがないから、全員まとめてな」

「いい加減な説明じゃ許さないからな」

「お前にいい加減と言われたくないわ」

 言い合うイリスとアルタに周りのみんなも顔をほころばせる。でもまだ足りない。トトー君がいない。

 トトー君はどこ。

「隊長!」

 緊張をはらんだメイの声に、素早く反応したのはイリスだった。今はジェイドさんが隊長なのに、戦場ではすっかり彼がリーダーに戻っている。

「どうした」

「チィが変です。ものすごく、冷たい」

「チトセ?」

 イリスがやってくる。メイの手から私を引き寄せ、乱れた服装に一瞬眉を寄せたが、何も言わず手袋を脱いで私の頬や額にふれた。

「ずっと寒い中にいたから冷たいのは当然なんですけど……なんか、ようすも変だし。震えもひどい」

「この格好は」

「ああ、俺たちを追っていたエランド兵に襲われてな。いや、言っておくが未遂だぞ。ちゃんと助けた。嬢ちゃんはきれいなままだ、誤解するなよ」

「……そいつらは」

「すまんな、お前に残しといてやれる状況じゃなくてね。こっちで始末した」

「そう……まあいい。それより、チトセの状態が問題だな。このままだと凍死しかねない。急いで手当てを」

 イリスの言葉に見ていた人たちが顔色を変えた。

「凍死?」

「イリス、それは」

「危険な状態です。このまま放置すればそうなる可能性が高い。早く温めないと」

 イリスは私を抱き上げ、足早に歩き出した。メイがあわてて外套を拾い上げ、私にかけてくれる。

「顔色が悪いのは気になっていたが……聞けば寒くはないと答えていた」

 並んで歩きながらハルト様が言う。そうだ。寒くなんかない。別に平気だ。

 ……でも、なんだかすごく眠い。

「チトセ、まだだめだ。寝るな。もう少し頑張れ」

 どうして? イリスもメイもここにいる。もう安心していいでしょう?

 ……ああ、でもトトー君が。トトー君の顔をまだ見ていない。

「トトー君……」

「そうだ、トトーを待ってやってくれ。今こっちへ向かってるから」

「チィ、しっかりしろ!」

 だいじょうぶよ……ただ、眠いだけ……。

「火を――いや、湯だ。湯を用意してくれ!」

「いけません、ハルト様。この状態で急激に熱を与えれば、かえって危険です」

「なぜだ!? 凍えているのだろう。早く温めないと!」

「そうなんですが、やり方があるんです。懐炉か、できれば湯たんぽを用意してください。いくつも。部屋はあまり温めず、厚手の毛布と甘い飲み物を」

「酒の方がよくないかね?」

 イリスの指示を家人に伝えながら、セミル卿が言う。それにもイリスは首を振った。

「酒も逆効果なんです。身体が温まるのは一時的なもので、よけいに熱を失いますから。甘い飲み物がいい。それと……」

 イリスの声が遠い。眠い。身体が言うことをきかない。

 ……でも、いいかな。

 ハルト様は無事だった。イリスとメイも戻ってきた。トトー君もじきに来るなら……もう、いいかな……。

「チトセ!」

 私を呼ぶイリスの声がうれしい。彼がここにいてくれるなら、もういい。

「イリス……」

「いるよ。ここにいる。だから目を開けてくれ。まだ眠るな」

「あのね……」

「うん?」

 イリスの胸に頬をすり寄せる。とても幸せな気持ちに包まれ、私は微笑んだ。

「大好き……ずっと、そばにいてね……」




 ――視界が白い。

 どこまでも、白い景色が広がっている。

 凍りついた大地に吹きつける、雪混じりの風。何もかもが白い凍てつく世界に、その人はただひとり、ぽつんと立っていた。

 こんなところで何をしているの?

 私は不思議に思う。誰もいない、何もない世界が、とても寂しかった。

「寂しくなんかない。君も、ここに来ればわかる」

 声には出していないのに、その人は私に答えた。

「ここは我々の故郷であり、眠りにつく場所だ」

 どういうこと? 私の故郷はこんなところじゃない。四季の豊かな国で、春には桜が咲き、夏はとても暑くて、秋になると木々が真っ赤に燃え上がった。

 ここはきっと、一年中が雪と氷に閉ざされているのでしょう?

「ここにも四季はあるさ。短いが雪が消える季節もある。花が咲き果実も実る。厳しい土地だけれど人は生きている。いいところだよ」

 どうかしら。私はこんな寂しい場所はいやだ。愛する人たちのいる、色彩にあふれた世界へ戻りたい。

「そうだね。今はまだ、来るべき時ではない。戻りなさい。いつか君が眠りにつく時が来たら、きっとまた会えるだろう……待っているよ」

 不思議な人。まるで私のことを知っているみたいに。

 私はあなたを知らない。顔もわからない、誰かさん。

 でもどこか、なつかしいような気もした。




 ぼんやりと開いた目に、ベッドを覆う天蓋が見えた。

 見覚えのない天蓋だな……私の部屋じゃないよね。ここ、どこだっけ。

「お目覚めですか?」

 寝ぼけた意識で天蓋を見つめていると、女の人の顔が現れた。とてもうれしそうに私を覗き込んでくる。だれだっけ。

「ご気分はいかがですか。手や足は、痛みませんか?」

 えー……いや、別に、なんとも……。

 私は柔らかな布団に寝かされていた。身体の下にも上にも毛布があって、どこもぬくぬくと温かい。身じろぎをすると、何か邪魔なものがあるのに気がついた。温かいけれど妙に固くて邪魔な……なんだ、これ。

 脇の下に入っていたものを持ち上げてみる。重たい。蓋をした平たい金属製の……なんだろう。どこかで見たことあるような。

 反対の脇にも同じものが入っていた。それに、どうやら脚の間にも。なんでこんなものが布団の中にと困惑しつつ、なにかが引っかかって記憶を検索する。そうだ、これ湯たんぽだ。省エネグッズの売り場で見たことがある。昔は冬の必需品だったって、祖母が教えてくれた。

 両脇と脚に湯たんぽを挟むって、なんかどこかで見た覚えがあるな。たしか、低体温症の処置じゃなかったっけ。

「奥様!」

「まあ、目を覚ましたのね……よかったこと」

 さっきの人に呼ばれて優しそうな婦人がやってくる。若くはないが、中年と言うにはちょっと失礼かなという年頃の……正直、大人の女性って年齢がつかみにくい。多分三十は越えていると思う。

「ご気分はいかが? あなた、丸一日眠り続けていらしたのよ」

 私の頬にふれてきた手は、すべすべしてとても柔らかかった。きっと水仕事なんてしたことがないんだろうな。貴族の女性だと、聞かなくてもわかった。

「一日……寝てたんですか?」

「ええ。なかなか体温が上がらなくて、どうしようかと思いましたわ。ああでも、顔色がよくなって。唇にも色が戻ったわね。よかった」

 貴族の婦人も使用人らしい女性も、涙ぐまんばかりに喜んでくれている。なんだろう、この状況。まるで私が死にかけていたとでもいうような。

 ……死にかけていたのかな?

 こんな処置をされていたところを見ると、私は低体温症になっていたのだろう。そういえば寒さに耐えきれず途中でメイと別れたのだった。彼女が戻るのを待つ間、寒くて寒くてたまらなくて……いや? ハルト様たちと再会したんじゃなかったっけ? あれ? イリスは? どうなったんだっけ。何が先だった?

 記憶が混乱している。私は起き上がり、すっきりしない頭を押さえた。

「……ここは、クルスク城ですか……?」

「そうですよ。覚えていて? 陛下と一緒に、昨日到着したでしょう」

 昨日……もう一日経っているのか。

 ゆっくりと理解して、そして気付いた。一日も経っているのなら、敵軍はもう来ているのでは。

「戦はどうなりました? 敵は……」

 ベッドから下りようとする私を婦人は押しとどめた。

「大丈夫、ここまでは来ません。ロウシェンの勇敢な兵士たちが、町を守ってくれています」

「今、戦闘中なんですか?」

「ええ……でも大丈夫。きっと敵軍をうち破ってくれますよ」

 願いごとみたいな返事には満足できず、私は強引に立ち上がり窓へ向かった。ガラスに顔を寄せても、よくわからない。焦れて掛け金をはずし、外へ顔を突き出した。冷たい風に震えたが、かまわずに耳を澄ませる。

 ――聞こえる。

 遠くから、戦いの気配が届いてくる。

「いけません! また凍えますよ!」

 あわてて後ろから毛布をかけられる。身体に悪いことはわかっている。でも確かめずにはいられない。

 見えるかぎりの場所を見回す。その時、遠くで轟音が響いた。

 町の外だ。煙が上がっている。まさか、また戦闘機が現れた? 空襲を受けているのだろうか。

 空を飛び回る影が小さく見える。飛竜と――やはり、戦闘機だ。一瞬背筋に悪寒が走った。

 でも、それがこちらへ飛んでくることはなかった。そして地上をなめ尽くす赤い炎も見当たらない。戦闘機を追い回すように竜が飛んでいた。

 ここからでは細かいところまで見えないが、一機、急に飛び方がおかしくなったのがわかった。ふらふらと方向を変えてどこかへ飛んで行き、やがてその方向から轟音とともに煙が上がる。墜落したのだとわかった。

「もういけません。さあ、戻って」

 強引に引き戻され、窓が閉められる。私はまたベッドへ連れて行かれた。

「あの……」

「戦のことは殿方におまかせしていれば大丈夫です。あなたが秘策を授けてくださったとも聞きましたよ。きっと勝って戻ってきてくださいますから」

 秘策って、私がイリスたちに話したことだろうか。じゃあ、あれを実行できたのか。

「長くて丈夫な網を……って」

「ええ、そうですよ。あの若い竜騎士の伝言を受けて、大急ぎで用意しました。戦にそんなものをどう使うのかと誰もが首をかしげていましたが、農民たちは河や池で漁もしますからね。呼びかければ、すぐに集められましたよ」

 そうか。準備が間に合ったんだ。そしてイリスは、私が話したことを確実に実行してくれた。すごい。正直離れ業だと思っていた。本当に実行できるのかどうか、考えた私にもわからなかったのに。

 プロペラによって推進力を得ている飛行機は、そこを破損すればたちまち飛行不可能になる。単純な理屈だ。だから竜騎士が二人一組になって網の両端を持って飛び、戦闘機とすれ違いざまそれを広げて突っ込ませればどうかと思った。プロペラに巻きつくか、突き破ってもその衝撃で故障させられれば、あとは落ちていくだけ。矢で狙うよりもずっと効果的な方法だと思った。

 高速で飛ぶ飛行機相手に、そんな方法で対抗できるだろうか。タイミングが合わないと竜騎士の方が危険だ。いろいろ問題点があって、ものすごく不安だった。

 でも、やったんだ。やってのけたんだ。すごい。竜騎士って、本当にすごい。

 窓を閉じていても届く轟音は、その後も何度か聞こえた。町が火に包まれることはなかった。緊張して待つ私たちのもとへ、やがて引き上げてきた人々は、勝利の喜びを顔いっぱいに浮かべていた。




「チトセ! 目を覚ましたか!」

 玄関まで迎えに出た私を見て、ハルト様が駆け寄ってくる。その後ろには武将たちが顔をそろえていた。アルタがいる。竜騎士団の三隊長も。セミル卿にベール卿、ケイシー卿――みんな、そろってる。

 ……ただ、参謀たちの姿だけがない。オリグさんとホーンさんは、もう戻ってこない。

 それだけが、かなしかった。

「起きて大丈夫なのか? 寒くはないか」

「はい。ご迷惑をおかけしました。申しわけありません」

 セミル卿の奥方、フィオラ夫人に着替えを貸してもらったので寒くない。これでもかところころに着膨れしたうえ厚手のショールまで羽織っているのだから、全然問題ない。

 それでもハルト様は心配そうに私の頬にふれた。ぬくもりをたしかめ、ほっと息をつく。

「よかった……熱を出しておらぬからと安心していたら、凍死しかけていたとは。まったく、肝が冷えたぞ」

「すみません。低体温症のことを失念していました」

「低体温症?」

「体温が奪われて、放置すると凍死に至る症状のことです」

 冷たい水につかるとか、濡れた状態で風に当たるとか、条件次第では夏にだって起こる症状だ。軽度ではそれと気付かないから、うっかり放置して深刻な事態に陥ることがある。今回の私みたいに。

「死にかけたというのに、よくもそう冷静に……イリスに感謝しなさい。彼の的確な処置がなければ、命を落としていたかもしれぬのだぞ」

 呆れを含んだ声で言われて、私はイリスを見た。目が合った彼は、それまでほっとしていたようすだったのに、急にうろたえて挙動不審になった。

「イリス?」

「あ、いや……えっと、具合はどうなんだ? まだ寝てた方がいいぞ」

「うん……どうかしたの?」

「えっ? いや、別に――うん、どうもしない」

「……?」

 明らかにどうかしているのだが、イリスは私と目を合わせてくれない。それが不満でにらんでいたら、アルタが苦笑して割って入った。

「さあさあ、いつまでもこんなところで立ち話をしていないで。腹も減っているし、一服しましょう。嬢ちゃんは部屋に戻って寝るんだ。イリス、送ってやれ」

「えっ、僕!?」

「なんだ、不服か? ならトトーに頼むかな」

「いいよ……」

「あっ、いやっ、不服とかじゃなくて! いいよ、連れてくから。ほらチトセ、行こう」

 ……なんなんだろう、このイリスのあわてぶりは。そしてそれをにやにやと見守る、周囲のおかしな雰囲気は。

 私ひとり事情が理解できない状態に気分を悪くしつつ、彼らに背を向ける。自分で歩くと言ったのに無理やりイリスに抱き上げられ、それをまたみんなが冷やかすように見送るのが、ますます不愉快だった。

 なんなんだろうな、この居心地の悪さは。

 二階へ向かうイリスの足取りは、やけにせわしなかった。

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