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昼食の後、庭へ出た。
訓練や籠城にそなえて、庭は広く作られている。そこへ援軍が入れるだけ入っているので、馬や天幕などがひしめき合っている。
竜騎士団に与えられた一角へ向かえば、竜たちが窮屈そうに大きな身体を寄せ合っていた。私が通ると、いっせいに首を動かして注目してくる。可愛いんだけど、勝手に近寄って遊んではいけないと学んだから、軽く手を振るだけで通りすぎる。うう、そんなもの言いたげな目で見ないで。私だってみんなとじゃれ合いたいよ。また一緒に歌って踊りたい。でもそれはだめだからね。
集団から少し離れて、目当ての竜と騎士はいた。
リアちゃんと寄り添っているメイリさんは、とても柔らかな表情をしていた。私は近づくのを少し躊躇してしまう。私が行けば、あの空気を壊してしまうだろう。せっかくの穏やかな時間を邪魔したくはないな。
近くの飛竜の陰に隠れてようすをうかがう。リアちゃんはずいぶんと甘えっ子のようで、しきりに顔や首をメイリさんにすりつけ、甘えていた。あんなふうにされたら、そりゃあ可愛いよね。それを横から関係ない人間に手出しされたら、いい気はしないよね。
そういえば、竜って二、三歳くらいではまだ子供なんだっけ。メイリさんの年齢から言って、リアちゃんはそのくらいのはず。飛竜は地竜より成長が早いのか身体は他の竜と変わりないけれど、多分中身は子供だ。お母さんに甘える子供なんだな。
見ているとうらやましくなってきて、私も自分の竜がほしくなった。でも騎士でもない者がペット感覚で竜を得るだなんて、全竜騎士に対する冒涜だろうな。竜は可愛がるための生き物ではなく、ともに戦う相棒なのだから。
いいなあと指をくわえる気分で眺めていたら、隠れ蓑にしている飛竜が鼻先で私をつついてきた。うん、ごめんね、遊んでるんじゃないの。遊ばないよ、ごめんね。
「あ、ちょっと……うわ」
しきりに私の気を引こうとつついてくるのに押され、尻餅をついてしまった。飛竜はあどけない目できょとんと私を見下ろしている。ああんもう、悪気はないってわかるけど、その巨体は立派な凶器なんだよー。でも可愛いから怒れない!
「はいはい、よしよし。可愛いかわいい」
目の前にやってきた顔をなでてやる。この子のご主人様は近くにいるのだろうか。勝手にさわって気を悪くしないかな。
周りを見回すと、誰かがメイリさんに近づいていくのがわかった。帯剣を許された今でも、メイリさんは他の竜騎士たちからは冷たくされている。嫌がらせでもされるのだろうかと気になり、それなら邪魔をしてやろうと身を乗り出したが、一見したところふたりはごく普通に話しているようだった。
メイリさんの顔に、厭味を言われているようすはない。ここからでは何を話しているのか、声までは聞こえなくても、剣呑な雰囲気ではないとわかった。
茶色い髪の後ろ姿は誰だろう。すらりとした体格は飛竜騎士とも見えるが、それだけでは決めつけられない。
ナハラ騎士団の人かな? それとも他の騎士団?
今ここにはいろんな所属の騎士が集結している。制服を着ているわけでもないので、見分けなんてつかない。
普通に話せる相手がいるのはいいことだ。でもメイリさんがいつまでたっても笑わないのが気になった。もしかして、いやな相手だった? 言い寄られて困っているとか?
美人の系統に入る顔だちとうらやましいかぎりの豊かな双丘を持つ彼女に、ほれちゃう男がいたって不思議はない。鍛えられた身体はよく引き締まり、ウエストのくびれも見事だ。筋肉質でかっちりした印象はあるが、じゅうぶん魅力的な外見だと思う。同じ女で歳も一緒なのにこの違いはなに、と、どこもかしこも薄い自分を思ってかなしくなる。私と違って彼女は人とのコミュニケーションが得意だから、きっともてるんだろうな。
しばらく話した後、茶髪の騎士は立ち去った。メイリさんはその後ろ姿をじっと見送り、遠目にもわかるほど大きく息をついた。何か、ひどく疲れたようすだった。それへリアちゃんがなぐさめるようにまた甘え、彼女の笑顔を取り戻す。結局最後まで顔をたしかめられなかった騎士を私も見送り、追ってみようかなと腰を浮かせた。その時だ。
「こぉら!」
背後から叱られ、同時に身体を持ち上げられた。足がぶらんと宙に浮くほど高くされる。
「ひとりで行動するなって言われただろうに、なんで言うこと聞かないんだ」
振り向かなくてもわかる。きっとイリスは怖い顔をしているんだろうな。
「部屋からここまで、人目も竜目も馬目もたっぷりあったわ。ひとりには当たらないでしょう」
「屁理屈言うな。だいたい竜はともかく馬が見てたって意味ないだろう」
私を抱え直し、イリスはお尻をぱんと叩いた。土を払ったのか、お仕置きか。どっちにしろ女の子相手にそれやったらセクハラだ!
「いてっ! ……意外に足癖悪いよな。なんで蹴る」
なんでもへったくれもあるか、この無神経男。
近くなった高さで青の瞳とにらみ合う。イリスはため息をついて私をおろした。
「なにしに来たんだ? 竜と遊びに来たのか?」
「ちがう」
さっきの場所へ視線をもどせば、こちらの騒ぎに気付いてメイリさんが立ち上がっていた。そのまま近づいてくる。うしろをリアちゃんがとことことついてくるのが可愛かった。
「昼食は済ませたのか?」
メイリさんはイリスにではなく、私にたずねた。
「ええ。今日はちょっと暖かいので、外に出ようと思って」
「遅れたのは悪かったが、部屋で待っていろ。一人で歩き回るな」
彼女にも同じことを言われてしまった。横でイリスがうんうんとうなずくのがにくたらしい。
「別に、庭へ出るくらい……」
「これだけあちこちの人間が集まってるんだ。敵が入り込んでいてもわからない。ついこの間、あたしたちも同じ方法で潜入しただろうが。砦の中だからって油断するな」
うう。それを言われると反論できない。ごめんなさいと、私は彼女にあやまった。イリスには言わないよ。なんかくやしいから!
ナハラ砦は堅牢な石造りの城砦で、屋内は薄暗くひんやりしている。風のない昼間なら、暖炉もない部屋にこもるより外にいた方が暖かいので、私はそのまま庭の一角に腰をおろした。もっとお日様が照ってくれればいいのにな。灰色の空から降り注ぐ光は薄く弱く、見上げても寒々しい。
エランドの兵士たちは寒さになれているから、シーリース島の冬くらいどうということはないんだろうが、ロウシェン側はそうはいかない。鍛えられた兵士たちとはいえ、やはり寒さはハンデとなる。通常冬には行われないはずの戦をしかけてきた理由が、なんとなく理解できた。荒れた海にも、彼らは慣れているのかも。
「何か、目印か合い言葉でも決めておいた方がいいんじゃないかな。万一スパイが侵入した時のために」
私の提案にイリスはうーんとうなった。
「そうだなあ……ただ、誰でも知ってる情報となると、間者にも筒抜けだろうからあまり意味ないし」
「ICチップ入りの社員証とかあればいいにのね」
「アイシー……なんだそれ」
「気にしないで」
ハイテク機器は期待しないけど、何かで代用できないものかなあ。
「いっそ額に『肉』と刺青でもするとか」
「なぜ肉」
「額だから」
「意味がわからん……さすがに顔には入れないけど、刺青ならしてるぞ」
「え、本当に?」
ただの冗談だったのに、思いがけない返事がかえってきて私は驚いた。知らなかったのか、とイリスも意外そうな顔をする。メイリさんは……うーん、多分呆れているわけじゃないと思う。いちおう、こちらの会話を聞いている。
「ロウシェン騎士団の慣習でね、正式に叙勲された時、ここに所属がわかるような刺青をするんだ」
と、イリスは左の肩甲骨あたりを示す。
「まあ、敵味方の識別じゃなく、身元確認のためだけどな。かならず顔が判別できるとはかぎらないし、知り合い以外が見てもわかるようにさ」
……それはつまり、死体になった時の話か。
なんか一気に重くなった。イリスはそんな表情でもなく、あっけらかんと服に手をかける。ぼやっと見ていたらさっさと上着を脱いで、シャツも肌着も全部脱いでしまった。おい!?
「ほら、これ」
寒さに身をすくめることもなく、にこにこと背中を見せてくる。なるほど左肩近くに青い刺青があった。飛竜隊らしく飛竜のシルエットと文字――よく見ると、イリスのイニシャルだ。
「……わざわざありがとう。見てる方が寒いし気持ち悪いから早く服を着て」
「気持ち悪いってなんでだよ!?」
イリスが傷ついた顔をするが、私はだまって目をそむけた。女の子の前でいきなり脱ぐとか、気遣いなさすぎだろう。いや別にね、下まで脱いだわけじゃないし、男の上半身なんて元の世界でいやというほど見慣れているけどさ。しかしこのインパクトは半端ない。こんな身体を見たのは生まれてはじめてだ。
なんなの、この筋肉。腕も肩も胸もおなかも、まるで鎧に覆われているみたいだ。ガチガチのムキムキ、腹筋割れまくり。服を着ている時には細身に見えたのに。たしかにひょろっとした印象はなく、しっかり鍛えられた身体だとはわかっていたけれど、でもこんなすごい筋肉が隠れているなんて思わなかったよ!
見せるための筋肉じゃない。無駄なものは一グラムもない、全身力の塊といった姿だ。これ体脂肪率一桁とか言わない? 人間ってこんな身体になれるんだ。
うう、気持ち悪い。ここまでガチでムキだと、かっこいいとか色っぽいとか、そんな印象抱けない。筋肉ラブの人ならときめくんだろうが、私にはアクが強すぎる。そもそもこのきれいな女顔でマッチョって、バランス悪くないか?
「男嫌いもそこまで徹底するか……」
いじけた声で言って、イリスはもそもそと服を着なおした。
「イリスが嫌いなんじゃないの。筋肉がいやなの」
「いやって言われても……騎士が鍛えなきゃ話にならないじゃないか」
身なりを整えた彼に目を戻せば、すねた顔をしていた。うん、まあ、人に向かって気持ち悪いは失礼だったよね。謝っておこう。ごめんなさい。
どうりで細いくせに馬鹿力なわけだ。つねづね抱いていた疑問がひとつ解消された。
「騎士って、みんなそんな身体なの」
「当たり前だ」
「…………」
つい、視線をメイリさんに向けてしまう。今度ははっきり呆れた顔をしている彼女も、服の下には脅威を隠しているのだろうか。いやいや、男と女じゃ筋肉のつき方は違うし。でもきっと、それなりにすごいんだろうな。
可愛いトトー君もそうなのか。可愛くないアルタはもっとすごいのか。
なんだろう。ひどくダメージ受けた気分だ。今夜は悪夢にうなされそうだ。
「あの、みんな刺青を入れるということは、当然メイリさんも……?」
記憶から筋肉を抹消したくて、私は話を戻した。
「ああ」
「……刺青って、痛いんでしょう? それに、一生消せないって」
「それがどうした」
どうしたって……うん、騎士を目指した人には、だから何だって話だろうね。
私の感覚で考えてはいけないな。彼女にとっては身体についた傷なんかじゃなく、騎士の証、誇りなんだ。
「……たしかに、親には反対されたけどな。父さんも騎士だけに、刺青のことを知っていたから……けど、あたしは恥になんか思わない」
そのまま無視されるかと思ったのに、メイリさんは言葉を続けた。むっつりした顔は、どんな感情によるものだろうか。また私、失敗しちゃったかな。だまっていられないほど怒らせた?
「ごめんなさい。騎士がそれを誇りに思うのはわかります。恥なんかじゃないと、私も思います。そこまで考えずに、単純に女の子が傷を残すのって辛くないかな、なんて思っちゃって。失礼でしたよね。本当にごめんなさい」
「…………」
メイリさんは目を合わせてくれない。リアちゃんが覗き込んでくるのを、なでてやっている。
どうしよう。ここで何を言えばいいのだろう。私がメイリさんだったなら、何に腹を立て何に傷つくだろうか。
ご両親が反対したということは、このシーリースでも刺青は――特に女性の場合、いい印象を持たれないんだろうな。メイリさんは恥じていない。でも周りからどう見られるかわかっているから、指摘されると非難されたりばかにされたと感じるのだろうか。
さっき見たイリスの刺青を思い出す。正直筋肉のインパクトの方が強すぎて、刺青自体には何も思わなかったけど……装飾というより記号みたいな感じだったな。じっさいそういう目的のものだし。
かっこいい、なんて言ってもそらぞらしいな。肩を出さなければ見えないんだからいいじゃない、なんて言ったらもっとまずい。うーん……難しい。
「……私の国では、刺青はあまり一般的なものではなくて、ちょっと怖い印象を持たれていたんです。でも他の国では普通におしゃれとして認識されることが多かったですね。戦士の証なんてところもありました。成人した男性はみんな刺青を入れて、それが一人前の印だって自慢してたような……女性でも刺青をする人は多かったです。国や民族によって美意識や価値観はさまざまだから、ロウシェンでは刺青は騎士の証だというだけですよね」
それ以上でもそれ以下でもない。そういうつもりで言ってみる。メイリさんは視線だけをこちらへ向けた。
「……女が刺青をする国なんて、聞いたことがないぞ」
「この辺りの国じゃないですから。遠いとおい……とても、遠いところです」
「それは、おとぎ話か何かじゃないのか」
「この島の人にとってはそうでしょうね」
私は少し笑った。どれだけ海を進んでもたどりつけない、遠い異世界。そんなもの、おとぎ話だ。実在しているのは、私の記憶の中にだけ。
遠さを思うと少しかなしくなる。だからあえて明るく言った。
「ここでは考えられない、いろんな人がいたんですよ。首が私たちの倍も三倍も長いとか、足が赤ちゃんみたいに小さいとか。もちろんそれは、そうなるように矯正して作られた、後天的なものですけどね」
「そんなに足が小さかったら立てないだろう」
「そのとおり。でも当時は、それが美人の条件だったそうです。昔の話で現代にはいませんけどね。首長族はいましたよ? それも美人の条件だったな、たしか」
「…………」
未知の人々の話は、メイリさんの興味を引いたようだった。半信半疑な顔ながら、ちゃんとこちらへ向き直って聞いている。
「他にもびっくりするような習慣を持つ人々がいました。こう……下唇にお皿を入れて、丸く広がった状態でぶらさげてるとか」
「なんだそれは。どうやって唇に皿を入れるんだ」
「うーん、詳しいところは覚えてないけど、多分最初は小さいものから慣らしていくんでしょうね。だんだん皮膚が伸びて、大きなお皿も入れられるようになるんです。私も見た時はびっくりしました」
「なんのためにそんなことを」
「たしかおしゃれだったような」
「どんなおしゃれだ」
だよね。その国の人じゃなければ理解に苦しむよね。でも当人たちにとっては価値のあるものなのだ。纏足も、長い首も。
だから刺青だって、すばらしいものだ。
話しているうちに、無理をすることなく自然にそう思えた。そうだ、ロウシェンの騎士にとって刺青は、本当に価値のある素晴らしい印なのだ。
その気持ちが伝わったのか、メイリさんの顔から険が消えた。不思議そうに問いかけてくる。
「お前の国って、どこなんだ」
この問いには、すぐには答えられなかった。名前を言ってもわからない。異世界だなんて言っても信じてもらえない。
「……とおい、ところです」
笑ってごまかすしかなかった。それまで黙って見守っていたイリスが、優しく背中を叩いてくれた。
つっこむべきではないと判断したのか、メイリさんはそれ以上聞いてこなかった。どうにかさっきの失態は取り戻せたようだが、これはこれで微妙な空気になっちゃったな。どうしようかと思っていたら、目の前ににゅっと大きな顔が現れた。
「……イリス、イシュちゃんがおやつほしいって」
「いや、自分も混ぜてくれって言ってるんだよ。おやつなら僕にねだる」
イリスはくすくすと笑う。本当に賢い子だよね。なんてナイスタイミング。私はイシュちゃんの首を抱きしめた。
ふと気付けば、周りの竜――だけでなく、馬までこちらに注目している。え、龍の加護って馬にまで影響するの?
「やっぱり姫さんがいたか」
大きな生き物たちの間をすり抜けて、ジェイドさんがやってきた。
「竜たちがやけにこっちを気にしてるから、もしやと思ったら」
「馬まで見てるんですけど……なんででしょう」
「馬はけっこう好奇心が強いからな。頭もいいし。姫さんは馬が嫌いか?」
「モフモフはみんな好きです」
「……そんなにモフモフしてるかね? まあ竜に比べりゃモフモフか」
馬ばかり見ているのが気に入らなかったのか、イシュちゃんがちょっと不満げに鼻を鳴らした。私はすべすべの顔をなでてやった。
「竜の鱗も好き。さわり心地いいよね。男の筋肉よりずっと好き」
「まだ言うし! そんなに嫌か!?」
「ごめん、言い方が悪かった。男という生き物が気に入らないだけ」
「いやもっと悪いから!」
イリスをいじめ、しばらくはほのぼのした時間が流れる。積極的に話しかけはしないものの、ジェイドさんはメイリさんを邪魔にするでもなく普通にしている。少し緊張するようすだったメイリさんも、だんだん表情がやわらいできた――と、思ったのもわずかな間だった。
「敵が動いた! 出るぞ!」
中庭に緊張をはらんだ声が響いた。たちまち、のんびりした空気は消え去った。騎士たちがあわただしく動き出す。イリスとジェイドさんも腰を上げた。
「中へ戻ってろ。補給部隊も走り回るから、うろついてると邪魔になるし危ない。終わるまで部屋で待機しているんだ」
イリスが私に言いつけ、二人は足早に立ち去ってしまう。イシュちゃんもイリスの後を追い、気付けば私とメイリさん、そしてリアちゃんだけが取り残されていた。
「……行くぞ」
メイリさんが私をうながす。ついてきたがるリアちゃんを押しとどめた。
「ここで待っていろ」
命じられたリアちゃんは、不服そうにしっぽで地面を叩いていた。目が行かないでと訴えている。
「……ひとりで戻りますから、リアちゃんについててあげてください」
「だめだ」
私の言葉に、メイリさんはぴしゃりと返した。
「さっきの話をもう忘れたか? 砦の中でも油断するんじゃない。それに、これも訓練の一環だ。甘やかしてばかりいたんじゃ、騎士の竜にはできない。待てと命じられたらじっと待っていられるようでないと」
うーん、たしかにそうかもしれないけど。
「周りのただならぬ空気を感じ取って、不安になってるんじゃないかな」
「それでも待てないといけないんだ……そう命じられたら」
彼女の言葉は、自分自身に言い聞かせているように思えた。敵を迎え撃つべく出ていく仲間たちを、メイリさんはただ見送らなければならない。本当はリアちゃんとともに出ていきたいのだろうに。
エンエンナを発つ前、あんなに必死について行きたがった彼女だ。何か役に立って死んでいきたいと泣いて叫んだ。今だって気持ちは変わらないだろう。でも私を守れと命じられ、受け入れたため、彼女は懸命にこらえている。
私というお荷物がいなければと思うも、もしそうなら彼女が帯剣を許され自由に行動することはできなかった。なるべくしてなった状況だ。受け入れるしかない。
そして私もまた、自分の無力さを情けなく思いつつ、安全な場所で待っていないといけない。もう無茶な真似はできない。
ふたりともに歯がゆい思いを抱えたまま、私たちは城内に戻った。遠くから敵軍の銅鑼の音が聞こえた。
小さな衝突をくり返す中、やはり敵は時間かせぎをしているのだと誰もが確信する。私とオリグさんが提案した民衆の避難を指示するため、連絡役の飛竜騎士たちが砦を発ち、周辺の探索にも力が入れられた。いつどこから敵の援軍が現れるかわからない。ロウシェンの軍には、ぴりぴりした空気がただよっていた。
オリグさんから借りた地図をベッドの上に広げ、私は考えていた。ハルト様は外のようすを見に出かけてしまったので、部屋でお留守番だ。砦の外には絶対に連れて行ってもらえないので、ちょっと気になっていることを考える。
「……なにをそんなに考え込んでいる」
地図とにらめっこしていたら、珍しくメイリさんの方から声をかけてきた。私は顔を上げ、彼女を見る。
何日も行動をともにし同じ部屋で寝起きしているからか、私と彼女の間のぎこちない空気も少しは薄れてきた。仲良くなれた、とはとても言えないが、以前のようなぎすぎすした関係ではないと思える。
なので私は、思いきって話してみた。
「ちょっと気になっていることがあって……敵は何を狙っているのかなって」
「どういうことだ?」
うーん、なんて説明しよう。自分の中でも、まだ完全にはまとまっていない考えなので、人に説明するのは難しい。
「ええと……全力で戦わずにちまちまと衝突するだけで、もう完全に時間かせぎだって誰でもわかりますよね」
「……ああ」
「それが、何を狙ってのものなのかなって」
メイリさんはいぶかしげに眉をひそめた。
「何って、援軍を待っているんだろう。お前がそう言ったんじゃないか」
「そうなんですけど」
たしかに、そう考えた。間違いではないのだと思う。オリグさんも同じ意見だったので、自信を持っていた。
でもだんだん不安になってきたのだ。
「ちょっとくくらいならともかく、こうもあからさまにやってたら相手にも狙いがばればれでしょう。なんかおかしくないかなって……」
このもやもやとした気持ち、何かひっかかって落ちつかない気持ちが、メイリさんにはいまひとつよくわからないらしい。呆れたような、とがめるようなまなざしを向けてくる。
「お前の言っていることの方がおかしいぞ。時間かせぎじゃないとしたら、なんのために戦いを引き延ばす? 援軍なくしてやつらに勝ち目はないって、自分で言ったくせに。他にどんな意図がありうる?」
「それがわからないから、考えてるんです」
私は肩を落とした。オリグさんに聞いてみたいな。でもハルト様と一緒に出ちゃったから、しばらく帰って来ないし。
視点を変えて考えてみようかな。時間かせぎをしていると、わざと見せつけているのでは? 当然こちらは、それに対処すべく手を打つ。民衆を避難させ、敵を退却させる――退却が目的? 勝ち目がないと判断して逃げることを考えている?
――ちがう。そんないきあたりばったりの、馬鹿な行動はしないだろう。五千の兵だけでは首都まで攻め上るなんて無理だと、最初からわかっていたはずだ。援軍はかならず来る。でもそれをこちらにも悟らせる意図は?
「…………」
私はベッドに突っ伏した。目を閉じて頭をフル回転させる。
わざと教えるなら、こちらがどう動くかを読んでいるということ――自分たちの狙いどおりに動かせたいということではないだろうか。私たちは援軍と合流させないよう、できるだけ早く退却させようと結論を出した。そのために民衆を避難させて……退路の町を空っぽにして……。
空の町が目当て? いや、立て籠もったところで、結局追い詰められるだけだ。
他に何がある? 何を見落としている?
私たちがしたこと……敵にも影響すること……。
「……っ!」
閃光が脳裏を横切った。私は勢いよく身体を起こした。突然の動作にメイリさんが驚いた。
「どうした?」
「…………」
返事をする余裕もなく、私はたった今見えたものをあらためて見つめなおす。忘れてしまわないように。頭を整理するために。
まさか……もし、そうなのだとしたら……。
「ハルト様……アルタっ」
「陛下も団長も見回りに出ておられる。知ってるだろうが」
あわててベッドから下りる私に、メイリさんが言う。そうだ、そうだった。すぐに知らせたいのに、今ここにはいないんだった。ああ、どうしよう。電話も無線もないし――って、誰かに呼びに行ってもらえばいいんじゃないか。すぐに行ける人――飛竜騎士!
「イリスは!?」
「イリス様なら、多分竜のところに」
最後まで聞かずに私は部屋を飛び出した。後ろでメイリさんが「おい!?」と呼び止めるが待っていられない。きっとついてきてくれるだろう。私はそのまま廊下を走った。
「おっと」
向かいから来た人とぶつかりそうになる。よけようとしてふらついた私を、その人が支えてくれる。謝ってまた走り出そうとしたのに、両肩をしっかりつかむ手は離されず、私はその場に縫い止められた。
「すみません、急いでるので、はなしてください」
振り払おうとしたらますます強い力でつかまれた。痛い。
「なにをそんなにあわててるのかな? 怖いものからでも逃げてるのかい」
からかう声に、苛立って顔を上げる。若い顔が目に入った。あまり特徴のない、どこにでもいそうな青年だ。でも、どこかで見たような。
「ベネット」
追いついたメイリさんが私をつかまえる騎士を見て驚いた。一旦彼女を振り返り、そしてまた目の前の騎士に目を戻して。
ベネット。聞き覚えのある名前だ。それは、たしか……。
「やあメイリ。ふたりで鬼ごっこかい? 俺も混ぜてくれよ」
どこかいやな印象を受ける笑みを浮かべ、冷やかすように言った騎士の右耳の下には、大きな傷跡が白く残っていた。