8
アルギリとの国境沿いにあるチャムスク連山は、カダ山脈とはくらべものにならない、こぢんまりとした山々だ。標高は千メートルもないだろう。
――とはいえ、山登りなんて遠足くらいしか経験のない平成の女子高生には、なかなかハードな道のりである。いちおう道はあるものの、足場は悪く傾斜もきつい。これを自力で歩けば一時間ももたないのがわかりきっていたため、私はひとり馬の背に揺られていた。他のメンバーは馬の負担にならないよう自分の足で登っているというのに、情けないやら馬に申しわけないやら。
一行が整備された街道から外れ、山登りなんてしているのは、私がそれを望んだせいである。
行き先を変更すると告げた時は、当然みんなに反対された。気楽なお出かけじゃないのだ。騎士たちは主君と上官に命じられて、私を安全圏まで送り届ける任務を負っている。予定変更なんて聞けるはずがない。渋い顔で首を振られた。
彼らに命令違反を犯させることになる。メイリさんの事例を思い出すまでもなく、厳しく咎められるとわかっていた。それでも、私は頼むしかなかった。
「ごめんなさい、みなさんに大変な迷惑をかけてしまうのはわかっています。本当に、申しわけないと思います。できれば誰にも迷惑をかけず自分ひとりで行動したいところですが、私にその能力はありません。あなた方に頼むしかないんです。どうか私を、アルギリへ連れて行ってください」
私の言葉に、護衛騎士のリーダー格であるネイスさんが、困惑もあらわに尋ねた。
「アルギリになど行かれて、どうなさるのです」
「クラルス公にお会いします」
「簡単におっしゃるが……」
王様に面会を申し込むのは、きっと簡単なことではないのだろうな。いくら私がロウシェン公ゆかりの人間だからって、約束もなしに押しかけて、そうすぐには会ってもらえないのだろう。
「大丈夫、会えるはずです。以前クラルス公から紋章入りの指輪をいただいて、その折に会いに来ていいという趣旨のお言葉もいただいています。少なくとも、御前までは通してもらえます」
服の下から鎖を引き出して、そこに通した指輪を見せれば、彼らはますます困惑した顔を見合わせた。
「戦に参加したいと言ってるわけじゃありません。ハルト様のご命令どおり、危険な場所からは離れます。ただ行き先がエンエンナからディンベルへ変わるだけです。クラルス公のところで保護していただきますから、戦に巻き込まれない安全圏に避難するという目的は果たせます」
「……それは……」
ネイスさんは難しい顔でうなる。詭弁であることは百も承知だ。ハルト様はエンエンナへ帰れと言ったのだ。いくら安全でも、他の場所へ行ったのでは命令違反である。
それにアルギリが本当に安全かどうか、保証はない。そうも思っていたが、この場では口に出さなかった。なんとしても彼らに協力してもらわないと、私ひとりでは到底クラルス公のもとまでたどり着けないのだから。
「どうしてアルギリが援軍を出してくれないのか、あなた方は気になりませんか?」
簡単にはうなずけない騎士たちを、私は揺さぶる作戦に出た。誰もが考えているであろうことを指摘すれば、たちまち彼らの顔に別の厳しさが浮かぶ。
「三国間の協定以前に、これはシーリース全体の危機です。ロウシェンだけが攻められて終わるはずがない。まして今回、アルギリに近い場所で起きているんです。普通なら彼らが無視を決め込むはずがないでしょう?」
「…………」
街道上で馬を止めたまま向かい合う。騎士たちは私が何を言い出すのかと、困惑や疑問だけでなく真剣な表情でもって見返してくる。メイリさんは口を開かない。私がどうするのか、だまって見ている。
まず、ここで彼らの心を動かさないと。クラルス公にたどり着くためには、協力者を得なくてはならない。アルギリまでの道も知らなければ、ひとりで旅する力もない私には、どうしても彼らの助けが必要だ。つけ加えれば、仮に私がひとりで行くと言ったって、許してくれるはずがないし。
敵の軍勢がもうすぐそこまで迫っていて、いざ出陣と気合を入れていたところに、私の送迎なんてつまらない役目を命じられてしまった。彼らの本心は砦に駆け戻り仲間たちとともに戦いたいはずだ。みんなが命がけで戦っている場所に背を向けて、のんびり女の子を送っていくなんて、騎士として断腸の思いにちがいない。
悪いが、その心理につけ込ませてもらう。彼らを命令違反に踏み切らせるため、私はあくどく効果的な言葉を選んでいく。
「なぜアルギリは動かないのか――動けないのか。その理由をさぐりに行きたいんです。アルギリを足止めしている理由がわかれば、勝機につながります」
「…………」
「他の騎士団や領主軍もここを目指しているけど、到着までに時間がかかる。他方面からの攻撃も警戒しないといけないから、全戦力をナハラへ差し向けるわけにはいかないし。現時点でも軍勢の数に大きな差があるのに、もしエランドにも後続がいればさらに厳しい戦いになります。アルギリの援軍は必要です。シーリース三国の団結力が強いことを示すためにも、なんとしてもクラルス公を動かさなければならない」
私の言葉を、騎士たちはだまって聞いている。小娘が何を知った口を、といった反応は返って来ない。相手が何者かよりも、話の内容の方に気を取られているのだろう。いい調子だ。私はさらにたたみかけた。
「最初からその目的を明らかにしたのでは、警戒されるだけでしょう。だから、エンエンナへ帰還する途中賊に襲われて、やむなくアルギリへ向かったということにしましょう。ハルト様に対してもそれで言い訳になりますし。私たちは正規のルートをたどることができず、クラルス公に保護を求めるんです。そこからなんとか、彼の本心を聞き出してみせます」
「そのようなことが……できますか」
疑わしそうにネイスさんが訊く。私は少し考え、正直に答えた。
「できる、とこの場で断言しても、誰も信じられないでしょう。私もです。それはやってみないとわからない。でも最初から無理だと決めつけて行動を起こさなければ、間違いなく確実に『できない』んです。ほんの少しでも可能性があるなら、私はそちらに賭けたいです」
「…………」
「あと、こんなのが根拠になるかどうかわかりませんが、私はクラルス公の性格を多少なりとも知っています。少しだけ、私と似たところがおありなんですよ。それで以前ちょっとした……口論、というほどでもないですけど、お話をして、最終的に気に入られた……のか、どうかは、わかりませんが」
言いながらさすがに厚かましすぎるかと口ごもる。気に入られた、というのとは違うだろうな。でも何らかの興味は引いたのだろう。私にまた会ってもいいと約束をくれた。こんな指輪までくれたんだから、その場限りの口約束というわけでもないのだろう。いちおう自信は持っていいと思う。多分。
「はっきりした答えをもらえなくても、クラルス公の言動からヒントを得られるかもしれません。情報がつかめれば事態を打破するきっかけになる。大使では警戒されて踏み込めなくても、私なら――政治や軍事のことなんて何もわからない子供になら、警戒をゆるめてぽろっとやってくれるかもしれない。試す価値はあります」
私の言葉に騎士たちの心が揺れているのがわかる。彼らだって、何かしたいのだ。戦を勝利に導き、国と仲間を守るため、力を尽くしたい気持ちは同じだろう。
「お願いします。このまま、自分の安全だけを確保して、何もせずただ逃げるなんて耐えられません。何か少しでも役に立ちたいんです。私はみなさんのように戦えないし、自分の身を守ることすらできない。たしかに戦場に立てる人間じゃありません。でも、剣を取るだけが戦い方じゃないはずでしょう? 別の場所で、別の形でも、何か手助けができる――その可能性があるかぎり、行動しないであきらめることはできません。どうか、私をアルギリへ連れて行ってください」
せいいっぱいの、心からの思いを訴える。騎士たちは顔を見合せ、黙っていた。長い沈黙が続いたあと、やがてネイスさんが思いきったようすで口を開いた。
「……街道を使ったのでは、来た道を逆戻りです。戦場の只中を通ることになる。避けるには山越えをするしかありませんが、耐えられますか?」
それは、私の願いをしりぞける言葉ではなかった。実行に移すための提案だ。私は一も二もなくうなずいた。
「やります! 山でもなんでも――ええと、山って、あれですか?」
意気込んで答えかけ、いやちょっと待てと自分にブレーキをかける。いくら気持ちがあったって、能力的に絶対の不可能はある。これがもしロッククライミングをしろとかいう話なら、どんなに必死に頑張っても途中で転落死だ。私はすぐ近くにそびえる山を見上げた。エンエンナには遠く及ばないが、丘と言える標高ではない。
「ええ。あのチャムスク山を越えるのが、アルギリへのいちばんの近道です」
ネイスさんはうなずく。私はまじまじとチャムスク山を眺めた。
……見た目は、普通の山っぽいかなあ。緑豊かな山というより、岩肌が目立つ。冬だからかな? そのため極端に切り立った崖はないのがわかる。頑張れば私にも登れそうに見えた。
「あの、もちろん頑張るつもりですけど、私の運動能力は低いので……それでも越えられそうな山でしょうか」
あれで実は命がけコースだとか言われたらどうしよう。戦々恐々と尋ねれば、騎士たちは少し表情をゆるめた。
「いえ、そんなに危険な山ではありません。ちゃんと道もありますから、馬も連れて行けますよ」
そうなのか。返事を聞いてほっとなる。
「ただ、街道と違って途中に村などありませんから、どうしても野宿をすることになります。今から山に入るなら、山中で夜を明かすことになります」
ああ、なるほど。そういう意味で訊かれたのか。
「……もし、私がいなくてみなさんだけだとしたら、どうです? 山越えをためらいますか?」
この質問には、否定のしぐさと自信をただよわせた表情が返ってきた。騎士たちにとっては冬の野宿も山中での夜明かしも問題ではないらしい。
それならば、私の答えは決まりだ。
「――行きましょう。あの山を越えて、アルギリへ」
そうして街道をそれて山に入り、現在に至る。
途中まで乗っていた馬を下り、騎士たちは自分の足で山道を歩いていた。鹿と違って馬は山で暮らすようにはできていない。こんな斜面を上り下りするのは苦手な生き物だ。それを励まし、うまく誘導しながら彼らは進む。竜騎士が竜に寄せるのと同じように、彼らは馬に愛情と信頼を寄せているのがわかる。
メイリさんも馬を下りていた。私を乗せた馬の手綱を引き、男たちに遅れず歩みを進めている。無理をしていないかと気になったし、ひとりだけ楽をしているのも非常に申しわけなかった。
「あの、そろそろ休憩しませんか?」
山に入って一時間以上は歩いただろうと思う頃、私はみんなに声をかけた。
「まだ早いですよ」
男たちから軽く返事がかえってくる。いや、あなたたちにはそうでも、メイリさんのことを考えてほしい。
「最初からとばすと後がきついですよ。どうせ日のあるうちには越えられないんですから、割り切ってゆっくり行きましょう」
めげずに言えば、今度は苦笑が返される。
「この程度では、とばしているとは言えません。十分ゆっくりですよ」
「……平地ならそうでも、山道だし」
「だまっていろ。ロウシェン中、いやシーリース全土をさがしても、これで音を上げるような騎士はいない。お前の基準で考えるな」
前を向いて私と視線を合わせないまま、メイリさんが厳しい声で言った。
「山のことを何も知らないくせに、口出しするな。だまってまかせていろ」
「…………」
彼女を気にしていると、気付いたのかな。また余計な気を回すと怒らせただろうか。私は馬上で小さくなって口を閉ざした。
「おい、お前こそ口の利き方に気をつけろ。姫君に対して、なんて態度だ」
メイリさんをとがめる騎士の言葉に、思わず馬から転げ落ちそうになる。あわてて体勢を直し、発言者を振り返った。
一行の中でいちばん年少の、まだ二十歳にもなっていなさそうなそばかす顔の騎士が、メイリさんをにらんでいる。
「姫君をお前呼ばわりするなんて、何を考えてるんだ」
「あ、あのう……」
真面目に言っているらしい騎士に、私はどうしようと思いながら声をかけた。
「モンド団長から、そんなふうに聞かされたんですか? 私は、お姫様なんかじゃないんですけど」
彼とメイリさん、どっちの顔もつぶさないよう、気をつけて言葉を選ぶ。
「ハルト様のご厚意で引き取られただけです。正式な養女でもありませんし、身分は普通の平民ということになるんですが」
騎士たちが妙な顔をする。そういえば以前アークさんに言われたっけ。もう私は一般人としては扱われないのだと。
彼らも同じに考えているのだろうか。
「……しかし、竜騎士たちがあなたのことを、姫と呼んでおりました。龍の姫君、とか」
ああ、そっちが原因か。
「いえ、それは身分や位の話じゃなく、ええと、あだ名みたいなもので」
ますます周囲がけげんな顔になる。私は助けを求めてメイリさんを見た。当然ながら、きれいさっぱり無視されてしまった。ううう。
「みなさんに気をつかっていただけるような身分じゃないんです。それなのに、こんなことに付き合わせて、本当にごめんなさい」
私がお姫様だと思っていたから、彼らはがまんして護衛を引き受けてくれたのだろうか。だとしたら、正体を知ってさぞ腹立たしいことだろう。なんでこんな平民の小娘のために、と思われてもしかたがない。
「よく、わかりませんが……」
騎士の一人が言った。
「知り合いの竜騎士は、あなたを女神のように語っていましたよ。まあ、少々思い込みが激しすぎだとは思いましたが……」
少々どころじゃない。めちゃくちゃ思い込みだろう。
今騎士たちが何を考えているのか、聞かなくてもわかった。全員、これのどこが女神だよ、と思っているだろう。ええ私も思いますとも!
くそう、私が姫と名乗ったわけじゃないのに。なんでこんなにいたたまれない思いをしなきゃならんのだ。私は中二病じゃない。オタクだけど痛い人にはならないよう心がけていたぞ。
「……とにかく、姫はなしでお願いします。私の名前は佐野千歳です。呼びにくければ、ティトシェでいいですから」
羞恥に耐えつつお願いする。
「メイリさんとは同い年なので、普通に話しているだけです。みなさんも、私に気を使ってくださる必要はありませんから。普通にしてください」
騎士たちは、わかったようなわからないような、困惑の顔をしている。結局リーダーのネイスさんが、話を元に戻して収拾した。
「山中で野営するといっても、どこでもいいわけではありません。野営に適した場所がありますので、日が暮れる前にそこまで登りたいと思っています。あまり頻繁に休憩をとっていると間に合いませんので、ご辛抱願います」
「……はい、ごめんなさい……」
辛抱も何も、私は馬に乗せてもらっているだけだ。落ちないようバランスを保ち続けるのもけっこう疲れるが、山道を登る騎士たちや馬の苦労とはくらべものにならない。当然文句なんてないし、メイリさんが大丈夫と主張するのを否定するわけにもいかない。言われたとおりおとなしくだまって、馬の背に揺られ続けた。
その後二回ばかり短い休憩を挟んで、ひたすらに山道を登って。空が赤く染まる頃、一行は目的の場所にたどりついた。
そこは、ちょっと開けた場所だった。山道といってもずっと同じ斜面が続くわけではなく、急になる場所もあればなだらかになる場所もある。野営地はほぼ平らな地面が続く、山の中の踊り場みたいな場所だった。
大きな岩の陰に火を起こし、騎士たちが食事の支度を始める。何も手伝わないでぼーっとしているのが申しわけなくて、何か手伝おうと思うものの、彼らの手際よさを見ていると下手にしゃしゃり出ない方がいいとわかる。私はせめて、薪になりそうな木を拾い集めることにした。
騎士たちに声をかけて、あまり遠くへ行かないよう注意しつつ辺りの地面を見て回る。このあたりは雪もあまり降らないのか、地面も木も乾いていて助かった。
そこそこ集めたところで、一旦背中を伸ばして一息つく。木々の間から、山のふもとにナハラ砦が見えた。ここはちょうど、砦の裏手にあたる場所だ。
砦よりさらに遠くに目を向けると、不自然な影が見えた。大地を覆う、森でも畑でもなさそうな、あの大きな影は……。
振り返ると、すぐ後ろにメイリさんがいた。
「あれは……」
「……敵軍だ」
メイリさんの目も、遠くの大地に向けられていた。
敵軍。エランドの軍勢が、とうとうやってきたのか。
かなり距離があるため細かい部分までは見てとれないが、その光景はコンサートやイベントなどに集まる群衆に似ていた。整然とまとまっている光景に、夏と冬のビッグイベントを思い出す。開場を待つ一般参加者たちの待機列。ちょうどあんな感じだ。砦からおそらく数キロの距離を挟んで、不気味に静止していた。
他の騎士たちも、気付いてやってくる。
「来たか……」
それぞれが厳しい顔で同じ一点をにらんでいる。唇をかみ、腰の剣に手を置く人もいた。みんな、あそこにいられないのがたまらなく悔しく、もどかしいのだろう。
「……後続の竜騎士団や各地の騎士団が、到着したように見えますか?」
誰にともなく私は尋ねた。砦の周辺を見ても、地竜隊と騎馬隊が来ているように思えないのが気になる。
「……いえ、まだのようですね」
ネイスさんが答えてくれた。
「到着しているなら、砦に入りきれず周囲に野営しているはずです。そんなようすはどこにもない」
みんなの表情が、ますます厳しくなる。
「今夜中に間に合えばいいが……」
ここから見える街道に目をやっても、それらしいものは見当たらない。彼らは、間に合ってくれるのだろうか。
もし間に合わなければ、ナハラ騎士団二千名と飛竜隊だけで五千の軍勢と戦わなければならない。いくら機動力にすぐれた飛竜隊がいるとはいえ、その数はわずか百名余り。それ以上増やせないのだ。人工繁殖ができない竜を絶滅させないためには、あまりたくさん捕獲できない。一騎あたりの戦闘力は並をはるかに超えるけれど、百ばかりの戦力で五千の軍勢にどれだけ打撃を与えられるだろうか。
メイリさんはきつく拳をにぎりしめていた。本当なら大きな戦力となっていたはずの人なのに、戦場から離れて眺めることしかできない。どれだけの思いだろうか。私以上に、きっとずっと悔しくもどかしい思いだろう。
私たちは言葉少なに岩陰に戻り、簡単な夕食を終えて日暮れとともに就寝した。毛布を身体に巻き付けて岩に身を寄せ、冷たい風を避けて横になる。多分、今夜はみんなあまり眠れないだろうと思った。けれど横になっているだけでも身体は休められる。明日のために、今は休むしかない。
ハルト様を、アルタを、そしてイリスを信じよう。こういう状況になることを、彼らが考えていなかったはずはない。対策くらい考えているだろう。あそこにはオリグさんもいる。きっと大丈夫――不安に押しつぶされそうな自分に何度も言い聞かせる。同じ思いなのか、周囲で寝る騎士たちも息を吐いたり寝返りを打ったりと、寝入るようすはなかった。火の番をしている騎士も、どこか落ち着きがなく見える。
眠れずにじりじりしていると、誰かが起き上がって場所を移動して来、私のすぐそばにどさりと腰を下ろした。メイリさんだ。彼女は無言で、自分の毛布で私を乱暴にくるんだ。
「なに、を……? それじゃメイリさんが……」
「このまま夜を明かせば、お前は朝までもたないだろう。病弱なくせに真冬の山で野宿だなんて、無謀を通り越して大馬鹿だ」
……うう、反論できない。
「……だったら、メイリさんも一緒に入ってください。ほら、龍船の中でしたみたいに、くっついて毛布をかぶっていれば、あったかいですから」
起き上がって毛布を広げ、彼女をさそう。とたんに冷たい空気が身をとりまいた。寒い。ものすごく寒い。
「お、お願いします……」
震えながら頼むと、メイリさんは息をつき、身を寄せてくれた。
くっつき合って二人分の毛布にくるまる。あたたかい。人肌の温かさと、たしかな存在感に、とても励まされる。
「ありがとう……」
私への憎しみは、消えていないだろう。今こうして、仲間の苦難を目の前にしながら手を出すことができないでいるのも、そもそもは私と関わったためだ。メイリさんが私を憎む理由は多すぎて、彼女とうちとけられる希望なんて持てそうにない。
なのに、メイリさんは私を助けてくれる。イリスとの約束を守るためであっても、自分の気持ちを抑えて私を守ってくれる。
とても強い人だ。かつて彼女は自分の心に負け、間違いを犯してしまったけれど、そこから成長しているんだ。葛藤に負けず、本来の強さを発揮できるようになっている。
この強さがあるから、イリスにも認められるのかな。危険から離れることだけを求められる私と違って、メイリさんは役目をまかされている。
うらやましい……。
感情を抑えて私を助けてくれるメイリさんに、心から感謝しつつ、同時にうらやましさと妬ましさを感じずにはいられなかった。そしてそんな自分を、泣きたいほど情けなく思うばかりだった。
乱れる思いと寒さにさらされながらも、疲れた身体はいつしか眠りに落ちていった。
寝入ってからおそらく数時間――いちばん眠りの深い頃だ。私を乱暴に揺する手があった。
「起きろ!」
押し殺した声が私を叱りつける。どうにか覚醒した意識で重いまぶたをこじ開け、私はすぐそばですでに起き上がっている人を見た。
「しっかり目を覚ませ! 早く起きるんだ!」
メイリさんが私を急かす。響かないよう最小限に抑えられた声と、ひどく余裕のないようすが、私から眠気を吹き飛ばした。わけもわからないまま、何か大変な問題が起きたのだと悟る。
「どうし……」
尋ねる暇も許されず、私が目を覚ましたと知るや彼女は無理やり引き起こした。腕を引かれるまま立ち上がり、寒さに震える。
寒いのは当たり前だけど……わずかながらもぬくもりを与えてくれていた火がない。たき火の明かりは消え失せ、周囲は月明かりだけにはかなく照らされていた。
暗がりの中、騎士たちがあわただしく動いていた。たき火があった場所に砂をかけ、火を消すだけでなく痕跡すらも消そうとしている。
ある騎士は荷物をまとめ、また別の騎士は馬たちを引いて集めていた。
ただごとじゃない。何が起きたのだろう。
「先に行け。そっちの木立に隠れるんだ」
ネイスさんの声がメイリさんに言った。メイリさんは私の手を引き、道の端から斜面へと続く木立に駆けていく。月明かりだけでは足元がよく見えない。私は岩や木の根につまずいて、何度も地面に手をついた。それをメイリさんにひきずるように立たされ、木立の中へ連れ込まれる。
騎士たちもすぐに後を追ってきた。うながされて、私たちはさらに木立の奥へ進む。彼らが背後を気にしているのはわかった。何がいるのだろう――何が、来るのだろう。
「どうか、お静かに。できるだけ物音を立てないよう、じっとしていてください。この闇の中なら、うかつに動かないかぎり気付かれることはありません」
私のそばに来て、ネイスさんが小声で言う。がまんできなくて私は尋ねた。
「何が、来るんですか」
「……わかりません」
緊張をはらんだ声で、彼は答えた。
「かなりの数の気配が近づいてきます。旅の商隊とか、そんな程度ではない。おそらくは、どこかの軍勢でしょう」
軍勢――どこの?
私は忙しく考えた。今の状況で軍勢が来るとしたら、いちばん高い可能性は援軍だ。ハルト様は各地に号令をかけた。ナハラへ向かうべく、多くの軍が出陣しているはず。
でも、それがこんな場所を通るか? ここは街道からはずれた山の中だ。少しでも早く到着するため近道したのだと考えるにしても、不自然さがぬぐえない。
だってこの山の向こうには、援軍を出せるような騎士団も領主も存在しない。そしてすぐに、アルギリとの国境に着く。
普通に考えて、ロウシェンの軍じゃない。アルギリの援軍が来るのか? それなら大いに結構だけれど……なぜだろう、ひどくいやな予感がする。
みんなも同じ気分らしく、緊張して道の方をうかがっていた。そうして闇の中で息をひそめてから五分と経たないうちに、私の耳にもはっきりと、足音と気配が近づいてくるのが聞こえた。
人馬の足音に混じって、金属のふれ合う音もする。この物音を私は知っている。昨日から何度も耳にした音だ。
武装した集団が動く音――ネイスさんの言うとおり、軍勢が近づいてくる。
いったい、どこの軍が。
やがて木々の向こうに、行進する集団が姿を現した。数は――どのくらいだろう。暗いし、隠れて隙間からようすをうかがうばかりだから、正確なところはつかめない。でも飛竜隊よりは多そうだ。私は通っていた高校で、体育祭や修学旅行など、生徒たちがそろって移動した時を思い出した。一学年三百人弱――それよりは、少ないかもしれない。そうすると、ざっと二百人程度といったところだろうか。
ますます援軍という線が遠のく。竜騎士団じゃあるまいし、そんな少人数で出動する軍があるものか。
ここは、ナハラ砦の裏手。今しも正面の軍勢と戦おうと身構えているロウシェン軍の、背後を突ける位置だ。
そこに現れた少数の軍勢――そこから導き出される答は。
息をひそめ、固唾をのんでうずくまる私たちの前で、正体不明の軍は歩みを止めた。