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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第七部 出陣
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 ハルト様は衝撃と怒りのあまり、言葉が出てこないようすだった。そのとなりに立つアルタもまたしかり。ふたりして、鬼の形相でこちらをにらんでいる。

 さすがに怖い。でもここであわてたって今さらだ。私はつとめて冷静に立ち上がった。

「無断で乗り込んで申しわけありません。いちおう、おとなしく留守番しているつもりだったんですが、オリグさんが同行を勧めてくださったので、それに乗せてもらいました。本当のところを言うと、私も何かしたかったので」

 この場に顔を出さないからって、オリグさんの関与を隠すつもりはない。どうせすぐわかることなんだから、ばらしてやるぞ。私ひとりの考えじゃないんだぞ、と。

「……チトセ……」

「お叱りは覚悟の上です。でも追い返すなんておっしゃらないでくださいね? ここまで来てしまったのに、今さらひとりで帰るだなんてその方が危険です。騎士のように戦うことはできませんが、使いようによっては私も役に立つと思いますよ。なんといっても、龍の加護持ちですから」

「…………」

 ハルト様が怖い顔のまま、何かを言おうとして言葉をさがしている。先にアルタが息をつき、私からメイリさんへ視線を移した。

「とりあえず、嬢ちゃんのことは後にして、まずはこっちだ。メイリ・コナー」

 名を呼ばれて、やはり立ち上がっていたメイリさんが姿勢を正した。

「なぜ、貴様がここにいる? 誰がそれを許可したか」

「……申しわけありません」

「なぜかと聞いている」

 アルタの声は低く、静かだ。いつものような大声ではなく、気味悪いほど静かに問いかける。それがよけいに凄味を増して、怖かった。

 私は横から口を挟んだ。

「私が連れてきたからです。もちろん、彼女に対する処分は承知していますけど、さすがに私もひとりで乗り込むのは不安でしたので。だからって知らない人に頼むこともできませんし。メイリさんしか頼める人がいなかったんです」

 メイリさんがこちらを見る。私はあえて、彼女を振り返らなかった。挙動不審は墓穴を掘る。堂々としていなければ。

「チトセ」

 アルタが低く言った。初めて、じゃないだろうか。彼に名前を呼ばれるのは。アルタもちゃんと発音できるのかと驚いたが、気にするべきはそこじゃない。

 いつもの嬢ちゃん呼びではなく、名前で呼んだ。それは彼が真剣に怒っていることを示している。

 私はおなかに力を入れ、強いまなざしをぐっと見返した。

「おっしゃりたいことはわかります。でも今その問題について話し合っている暇はありますか? 目的地に到着して、するべきことが山ほどあるでしょう? 現実問題の方を優先するべきかと」

「その現実問題が、お前たちのおかげで増えたんだがな」

「問題視するからでしょう。来てしまったものはしかたがないと開き直って、利用するくらい考えられなくてどうしますか」

「チトセ」

 ハルト様が私をとがめた。

「聞いていれば好き勝手なことを。そういうやり方は卑怯だとわからぬか」

「申しわけないとは思いますが、卑怯なくらいにならないと、私の言い分なんて聞いていただけないでしょう。戦にはいっさい関わらせず、安全な場所で待っているのが当たり前と決めつけられて、徹底的に蚊帳の外じゃないですか」

「当然だろう! そなたは何の訓練も受けていない、ただの娘だぞ。戦にどう関わると」

「でも、私には龍の加護があります」

 激昂しかけるハルト様に、私は精一杯静かに言った。こっちまで感情的になってしまっては、ただの口論に終始してしまう。ちゃんと、説得しなければならないのだ。

「私が望んで得た力ではありませんし、龍が何か思って与えてくれた力でもありません。加護を得たのも、ロウシェンに身を寄せることになったのも、すべてが単なる偶然だけど、今この時につながる道でもあったんです。来るべくして来た場所なんじゃないでしょうか。それを、危険だから全部ハルト様たちにまかせて、私は知らん顔で終わるのを待つだけって、何か違いませんか。できることがあるなら、自分でも努力するべきでしょう」

「戦にそなたが責任感など持つ必要はない。たまたま加護を得たからといって、なぜそなたが危険をおして戦場に立たねばならぬ。そんな義務も責任もない」

「ちがいますよ」

 怒るのは私を心配してくれるから。私を大事に思ってくれるから、ハルト様たちは私の暴挙を非難する。

 けっして私を疎んじているわけじゃないと知っている。だからこそ、私の気持ちも知ってほしい。

「お父様。そう呼ばせてもらっていいですよね? 私を我が子として守ると言ってくださいましたよね」

「……そうだ」

「生まれ育った故郷のことも、育ててくれた家族のことも忘れません。でもハルト様も、私のお父さんです。この国は私の第二の故郷です。この世界での拠り所、帰る場所です。私自身にとって、大切な場所なんです」

「…………」

 リヴェロから帰ってきた時、みんなおかえりと言って迎えてくれた。故郷を離れた今、それはもう遠い言葉のはずだったのに、当たり前のように与えられたことがとてもうれしかった。あの時、ここが私の帰る場所だと強く実感したのだ。

 迎えてくれる人のいる、私のたいせつな場所。仮の宿なんかじゃない。この世界で、私が根を下ろした場所なのだ。

「自分の住む場所を守りたい。誰もが持つ当たり前の気持ちじゃないですか? 義務や責任じゃないです。自分のたいせつなものを守るだけです」

「…………」

 ハルト様は深く息を吐いた。とても納得した顔ではない。これ以上ここでもめていてもしかたないと判断したようだ。

「……とにかく、外へ出よう。このような場所にずっといて、寒くはなかったか。大丈夫なのか」

 言いながら手袋をはずし、私の額にふれて熱をたしかめる。

「だいじょうぶ、メイリさんとくっついていたから温かかったです。オリグさんが毛布と懐炉を差し入れてくれましたし」

「……オリグはどこだ」

 周りに尋ねる声には怒りが含まれている。まあ、あの人のことだから公王の怒りだってうまく受け流すだろう。

 私たちはハルト様とともに船室を出、甲板へ上がった。船は大きな河に着水していた。周囲に人里はなく、岩肌の目立つ山々と荒野、そして農地らしきものも見えた。

「これが、ルルパ河ですか?」

「そうだ。向こうに見えるのがナハラ砦だ」

 ハルト様が指さす方に、周囲と同じ色彩の無骨な建物があった。高く頑丈そうな城壁に囲まれた、石造りの城砦だ。

 ナハラ、という名前をどこかで聞いた気がして、記憶を検索し思い出した。そうだ、以前イリスが出張したっていう場所だ。

 アルギリとの国境近くにある騎士団。あそこが、そうなのか。

 船からは一キロと離れていない。歩いていっても十分もかからないな。

 河が国境線というわけではないから、すぐそばに砦を建てる必要はないのだろう。ナハラ砦は周囲を見渡せる、少し開けた場所にあった。砦からすでに出迎えが来ているらしく、船の周囲にはたくさんの馬と騎士の姿があった。そして、飛竜たちも地上に降りていた。

「――チトセ!?」

 船から降りた私の姿を見て、イリスは青い瞳を丸くした。続いて現れたメイリさんの姿にも驚き、何も言わず天を仰いで額に手を当てる。

「なにやってんだ、てめえ!?」

 怒りの声を上げたのはジェイドさんだった。彼がにらんでいるのは私でなく、メイリさんの方だ。私はメイリさんの腕に自分の腕をからめ、ぴたりと寄り添った。

「ここでもめないでください。咎められるのは承知で、私が連れて来ました。苦情はあとで聞きますから、今はまずやるべきことを済ませましょう?」

「……っ、ざけんな! あんたも、状況がわかってんのか!? みんなで遊びに来たんじゃねえんだぞ!」

「船の中でもハルト様たちとやり合いました。同じ議論をくり返すのは時間の無駄です。あなた方は、ハルト様やアルタの指示を待てばよいのではありませんか?」

「……っ」

 私の超偉そうな物言いに、ジェイドさんは怒りを通り越して目を剥いた。大変申しわけないけれど、ここはこの態度で押し切らせてもらう。弱気を見せれば一方的に叱られて、あげく追い返されるのが目に見えている。嫌われるかもとかそんなことを気にしていられない。一歩も引かない強気が必要だ。

「聞き分けよくしてると油断したのが間違いだった……そうだよな、チトセはこういう子だった……」

 疲れた声で、イリスがため息まじりにこぼした。

 なんともいえない、複雑きわまる顔で私を見る。朝、とてもドラマチックに見送られて出てきたはずなのに、到着してみれば私もここにいるんだもんな。あれはなんだったんだという気分だろう。私だって見送りした時点ではこうなると思わなかったよ。でもリボンを返してとは言わない。

 もう片方のリボンは私のポケットに。これからはじまる戦の中で、お互いがどうなるかわからない。かならずまた会えるように、一緒に帰れるように、両方で持っていないとね。

 ハルト様の指示で砦へ移動することになった。砦を預かるナハラ騎士団の長は、モンドさんという四十代くらいの騎士だった。モンドというと時代劇の有名人が思い出されるが、奥さんと姑に頭の上がらないやる気なしな平同心とは似ても似つかない、がっしりとたくましい体格に、精悍な顔つきのおじさんだった。灰色の髪は生え際前線がちょっとやばい状況だが、年齢を感じさせるのなんてそのくらいだ。きびきびと馬をあやつる姿は力強さにあふれているし、眼光の鋭さは仕事人の主水もかくやである。なんだこの小娘はと言わんばかりに私をじろりとひとにらみしたものの、ハルト様に遠慮してかその場では何も言わなかった。

 私を前に乗せて、ハルト様が馬を走らせる。振り落とされないようにとか、舌をかまないようにとか、初めての乗馬に必死になっているうち、すぐ砦に到着した。

「状況は」

 歩きながらハルト様が問う。一行を案内するモンドさんはてきぱきと答えた。

「斥候の報せでは、ロヴァ山のふもとを進軍中です。おそらく今夜はシナック辺りで野営するでしょう。数はおよそ五千、騎兵と歩兵が半々です」

「五千の軍勢が船で押しかけたということか? それではカルナ港にも入りきらなかったであろう」

「何ヶ所かに別れて上陸したようです。カルナ港に現れた軍勢はせいぜい二千ほどだったという話ですから、進軍しながら集結したのでしょう」

「ではまだ増える可能性があるというわけですな」

 アルタも話に加わる。年齢と、おそらく経歴でも下になるが、立場としては竜騎士団長の方が上だ。モンドさんはちゃんと敬意を払って答えた。

「ありますな。各所に斥候を放って調べさせておりますが、今のところ別方面からの進軍は確認できておりません」

「朝になったら飛竜騎士を出そう。空から広範囲の探索を行う」

「了解しました」

 指示にうなずいたのはジェイドさんだ。彼が隊長だから、イリスはこの場にいない。やっぱり、その光景に違和感と無念さを覚える。

 どうでもいいけど、みんな歩くの早いな。走らないとついていけないよ。

 ふと後ろを見ると、一行からかなり遅れてオリグさんが一人のんびりと歩いていた。私は立ち止まり、ハルト様たちが遠ざかるのを見送った。やがて追いついたオリグさんと並んで歩く。

「カルナ港だけでなく、他の場所にも別れて上陸してきたようです。そういう連絡って、入ってたんですか?」

「いいえ。敵軍が現れたと報告が来たのは、カルナ港のみです。他からも来たなら、少数ずつに別れてあまり目立たない場所で上陸したのでしょう」

「いくら少数とはいえ軍勢です。誰にも見つからずこっそりというわけにはいかなかったでしょうに」

「報せが来なかったということは、目撃者が残っていないということですな」

 オリグさんは淡々と返す。なかば予想していたとはいえ、私は信じたくない話にうつむいた。

 目立たない場所なら、きっと小さな港――商船なんて出入りしない、静かな漁村だろう。騎士団もなく、住民のほとんどが漁で生計を立てているような田舎の集落。そこへ突然現れた異国の軍勢が、おどろく人々に襲いかかり、一人残らず殺したのだろうか。

「……武装もしていない一般人に、一方的に攻撃をしかけるのは、こちらでは当たり前のことなんですか」

「指揮官と状況しだいですな。今回に関しては、目立たず上陸するためその必要があったわけですな」

「でもそんなの、戦争じゃなくて虐殺です」

「戦とは殺し合いです。どのような形であれ、多数の死者が出るものです。咎めるべきは虐殺をしたことよりも、そもそも戦を始めたことですな」

「…………」

「それゆえ、陛下は常に戦を回避すべく努力しておられた。世のまともな為政者はみなそうです。しかしエランドの皇帝は異なる考えをお持ちのようだ。通常はこじつけでも開戦の口実を掲げ、宣戦布告を行うものですが、それも一切ありません。こたびの侵攻は完全な不意打ちです。一般的な常識や正義をぶつけたところで、意に介さぬでしょうな」

「…………」

 体裁を気にするのは、国際社会からの非難をかわすためだ。一方的な悪者にされないよう、口実を設けたり残虐すぎる行いを慎んだりする。

 でもエランドは、もともと国際社会からつまはじきにされていた。差別と偏見にさらされ、白い目で見られている。考えてみれば、今さら体裁なんて気にするはずもなかった。どうせ何をやっても悪者扱いされるなら、いっそ本当に悪者になってやるって、そう考えても不思議はない。

 キサルスに侵攻した時に、ロウシェンとの国交は断絶している。あの時ロウシェンが敵対側に立ったことで、もう口実なんて必要ないと判断したのかもしれない。エランドにとっては、とっくの昔に開戦していたのだろう。

 こうなる前に、なんとか話し合いで解決できなかったのかと、考えても無駄なことを思ってしまう。今さら意味のない仮定だとわかっている。でももし、もっとエランドの言い分を聞いていたら……。それでも状況は変わらなかっただろうか……。

 一方的に攻め込んで無力な民を手にかけるエランドに、正義があるとは言わない。ただ、彼らは戦そのものを、殺戮そのものを求めていたわけではないと思うから、和解の道がどこかにあるのではと期待を捨てきれないのだ。

 デュペック侯から聞かされた話が私の中にしこりとなって残っている。うっかり流されそうになる意識を引き止め、あまり同情的になりすぎないよう、話のすべてを鵜呑みにしないよう、つとめて自分に言い聞かせた。彼らにどんな理由があったとしても、罪のない人々が犠牲になっているのは事実なのだ。それを許すことはできない。そしてこれ以上の被害を出さないよう、戦わなくてはならない。話し合いを求めるにしても、まずは目の前の脅威を排除してからだ。

 会議室らしき部屋に私とオリグさんがたどり着いた時、すでに中では議論が交わされていた。誰も私たちに注目してこない。オリグさんは飄々と中へ踏み込み、空いた椅子に座る。私もこそこそとその後に続き、となりに座って広げられた地図を見た。

 この付近一帯の詳細な地図だ。現在地であるナラハ砦と、北西に少し離れた場所に目印が乗せられている。多分あれがエランド軍のいるところだな。

 縮尺率とかがわからないから正確な距離はつかめないけれど、多分二、三十キロは離れているんじゃないだろうか。あと一日も進めば出くわすくらいの距離だ。

 出ていけと言われないのをいいことに、私は交わされる話を横で聞く。時々地図を確認しつつ、気になったところはそっとオリグさんに尋ねる。それでだいたいの状況は把握できた。

 ナハラ砦の兵力は約二千。明日には騎馬隊と地竜隊も到着するだろうから、合わせて三千。敵軍はその倍近く。単純な数の比較では、圧倒的に不利な状況である。

 でも出てきたのは、なんといっても竜騎士団だ。相手は半数が歩兵だし、互角以上に戦える。

 私はいつだったかイリスに話したことを思い出した。あれはこの世界に流れ着いたばかりの、リヴェロの離宮に立ち寄った日のことだった。

 飛竜騎士は地上のどんな障害も無視して敵陣の最奥まで飛んで行ける。だから一気に本陣を攻めればいいと言ったのだった。

 上空から油をまいて、そこに火矢を射かける――多分、効果のある方法だろう。軍勢が正面からぶつかり合って戦うよりも、結果的には犠牲者もずっと少なくすみそうだ。

 でもそれを実行することを思えば、ためらわずにいられなかった。これも一方的な虐殺ではないか。相手が武装した軍勢であっても、あまりに残虐な手段だ。あの時は現実のこととして考えたわけではなく、ゲーム感覚で話した。本当にその方法で人を殺すなんて考えていなかった。現実になった今、自分自身の考えたことがおそろしい。

 ――でも、それなら剣で斬り合って殺すのはいいのかって話になる。それだって人が死ぬことには変わりない。敵だけでなく、味方にもたくさんの犠牲者が出る。

 オリグさんの言うとおりだ。そもそも戦を始めること自体が、大きな罪なのだ。

 今現在、敵に攻められている状況で、そんなことを言ってもはじまらないのだけれど……。

 いろいろ考えたことをオリグさんに聞いてもらう。話に加わらず二人だけでこそこそしているのを、ようやくハルト様たちが見とがめた。

「オリグ、そなたの意見を出してくれ」

 ハルト様が言う。オリグさんは澄ました顔で、私を示した。

「策ならば彼女が提案してくれます」

 私はぎょっとオリグさんの顔を見上げた。

「ちょっ……」

 オリグさんの袖を引っ張るが、知らん顔される。ハルト様とアルタは軽くため息をつき、ジェイドさんも呆れた顔でスルーする。モンドさんが顔一杯に不快感を表した。

「陛下、ご説明いただけるまで待つつもりでおりましたが、そろそろお聞きしたい。あの娘はいったい何なのです?」

「……私の子だ」

 ハルト様の答えにモンドさんは困惑を見せ、少し考えてからうなずいた。

「ああ、最近引き取られたという、あれですか。それについては、私ごときがどうこう申し上げることではございませんが、なにゆえこの場に伴われたのです。じきに戦場になるというのに、あんな小さな娘をどうなさるのか」

「いや……」

 どう答えようかと悩むようすで、ハルト様は言葉を濁した。私を見て、またため息をつく。

「チトセ、下がっていなさい。疲れているだろう。早めに食事をして、温かくして休みなさい」

 とうとう追い出されるか。私は大人しく返事して立ち上がった。

「その前にさきほどの策を話して行っていただきたいですな。あれはなかなか有効です」

 空気を読まない参謀室長が私を引き止める。

「参謀官はオリグさんでしょう。冗談言ってないで、ちゃんとご自分の仕事をしてくださいよ」

「しておりますとも。参謀官はひとりで策を考えるわけではありません。情報を集め、まとめるのが役目。よき案があるならばそれを拾い上げるのは当然のこと」

「オリグ殿、このような時に何をふざけておられるか。状況はきわめて深刻なのですぞ」

 モンドさんが怒る。そうだよね、これから戦だってのに、こんな小娘に意見を言わせようなんて苛々するよね。私でもふざけるなって怒るな。

「私は常に真剣です。ふざけたことなど一度もありません」

 オリグさんはびくともしない。いや、その返事がそもそもふざけてるだろう。たしかにユーモアとは無縁そうな顔してるけど、実はかなりのお茶目さんだと知ってるぞ。多分今、モンドさんのことをおちょくっている。

 そっとうかがうと、モンドさんのこめかみに青筋が浮いていた。うわあ……もしかしてこの二人、いつもこんな調子なんだろうか。

「あー、そんじゃまあ、聞いてみるか。嬢ちゃん、策とはどんなのだ?」

 アルタが二人の言い合いに割って入った。本気で私の意見を聞く気なんてなさそうだ。さっさと話を終わらせて、私を追い出したいのだろう。私はうらめしくオリグさんを見下ろし、当然ながら知らん顔をされ、しかたなく口を開いた。

「作戦なんてものじゃありません。思いつきを言ってみただけです」

「ああ、それで?」

 内容なんてどうでもいいアルタは、軽く先をうながす。やだなあ、もう。注目されて話すのは苦手だよ。

「割れやすい瓶に油を入れて、口に布を詰めます。それをたくさん用意して、火種も持って飛竜騎士が敵陣に飛んでいきます。布に火をつけ、地上に投げ落とす。敵の糧食を狙うといいでしょう。荷が燃え上がり敵陣が混乱すると同時に突撃を開始する。先頭は地竜騎士で。それで敵の出端をくじくことができますし、糧食が燃えれば進軍も続けられなくなるでしょう――と、思ったんですけど、実行できるかどうかわからないから、聞いてみたんです」

 まともに人を焼き殺すのは、やはり怖い。でも荷を狙うくらいなら、やってもいいかなと思ったのだ。どれだけ屈強な戦士たちでも、ご飯を食べずに戦い続けることはできない。食料を失えば戦意喪失するんじゃないかと思う。

 まあでも、こんなこと誰でも思いつくよね。何を初歩的な話をって笑われて終わりだろうな。

 私は頭を下げて部屋を出ていこうとした。どこへ行けばいいのかな。休めと言われても、初めて来た場所で右も左もわからない。

「あの、私どこへ行けばいいんでしょう。お部屋を貸していただけるんですか」

 振り向いて尋ねると、モンドさんが何かぎくしゃくとうなずいた。

「あ、ああ――ええと、陛下のお部屋の近くでよろしいですかな」

「あ、うむ……いや、あまり部屋数に余裕はなかろう。同室でよい」

「いえ、それはさすがに。なんとかいたしますので、お気になさらず」

 一度に百人以上増えたのだ。部屋の割り振りが大変だろうな。明日にはもっと増えるし、どうなるんだろう。全員建物内に収容しきれるのかな。

「あの、私と一緒に来た女性の騎士がいたでしょう。彼女と同室にしていただけませんか。他に女性はいないでしょうし、メイリさんもどこで寝るかの問題がありますので」

「わかった」

「嬢ちゃんはそれでいいのか」

 アルタに聞かれて、私は首をかしげた。

「なにがです?」

「あいつは、一度嬢ちゃんを嵌めて危害を加えた。そんな奴と一緒にいて平気かと聞いているんだ」

「…………」

 ――ああ。

 聞かれて、今頃に思い出した。そうだったな、メイリさんはみんなからの信頼を失ったのだった。

 当事者の私が忘れてどうするんだと言われそうだが、当事者だからこそというか……メイリさんがまた私に何かするとは、思わないもの。でもそれって、他の人には理解しづらいことなんだろうな。

「アルタは、彼女がまた何かすると思っているんですか? ジェイドさんは? 彼女は過去を反省することなく、問題行動を繰り返す悪質な人間だと思われているんですか?」

「…………」

 問いかけたジェイドさんは、困った顔になって目をそらす。うん、その態度だけで十分だ。本当はジェイドさんにもわかっているんだね。

 仕事にも訓練にも参加させてもらえず、ずっと下働きのようなことばかりやらされていたメイリさんは、それでも不満を口にしたり反抗したりせず、投げ出しもせず、黙々と働いていた。周りから冷たく無視され、時には嫌がらせもされ、孤独な状況だったのに、真面目に今自分がするべきことをやっていた。

 もう十分反省しているよ。どうしてこうなったのか、いやというほど理解して、なんとか罪を償おうと努力していたんだ。

 たとえ許しを得られなくても、何か役に立って死んで行きたいと叫んだメイリさんが、今さら私に何かするなんて考えられなかった。

「ハルト様」

 私はハルト様に目を戻した。

「なんだ」

「メイリ・コナー騎士に帯剣を許し、私につけてくださいませんか。勝手についてきてこんなこと言うのも申しわけないですけど、戦えない私には護衛が必要です。彼女にその任を与えてください」

「…………」

 ハルト様が眉を寄せる。事情を知らないモンドさんは、もの言いたげな顔で私とハルト様を交互に見ていた。

「今は雑兵の一人たりとも、無駄な仕事などさせられない状況です。本来ここにいるはずのない私の護衛になんて、回せない。でも彼女ならかまわないでしょう? メイリ騎士も本来ここにはいないはずの人員です。私につけたところで、影響はないでしょう」

「……そういう問題ではない。わかっているだろう」

「では、彼女をどこかに拘束でもして、無駄に待機させますか? どうせいるのなら、せいぜい有効に活用した方がいいと思いますが」

「…………」

「嬢ちゃん、同じ話をくり返させんでくれ。示しがつかんと言っただろうが」

 アルタが苦い顔で言う。私はわざと笑ってみせた。

「戦時のどさくさに乗じて、どこかの大雑把男を復職させようと考えている人の言葉とは思えませんね。ここで彼女が立派に勤めを果たせば、復帰を許す口実になるんじゃないですか?」

「なんでも勝手な言い分が通せると思うんじゃない」

「ではなぜ、彼女を無期限の謹慎処分にとどめたんです。復帰させるつもりが一切ないなら、さっさと除隊してしまえばよかったでしょう。可能性を残しておきながら、機会をつぶすのは矛盾していますよ」

「…………」

 いまいましげにアルタは息を吐く。ジェイドさんが控えめに口を挟んだ。

「復帰させるにしても、まだ早い。あれから半年と経っていないんだ」

 復帰そのものに反対する意見ではないと、解釈する。メイリさんに腹を立てていても、この人だって自分が育てた後輩をあっさり見捨てる気にはなれないのだろう。自分の責任だって、何度も言っていたものね。

 うれしい気持ちを隠し、私は肩をすくめてみせた。

「みなさん、意外にお馬鹿ですね。どうしてわからないんでしょう」

「なに……?」

 心の中でごめんなさいと謝る。本当はお父様たちにこんな失礼な態度をとりたくないんですよ。でもここは、ふてぶてしくも生意気なクソガキになりきらねばいけない。

「今国民が注目し気にしているのは、一騎士の進退なんてちっぽけな問題じゃありません。ぶっちゃけ、そんなのどうでもいいんです。侵略者を追い払うことができるか、自分たちの暮らしを守れるか、その重大な問題を前にして、復帰の時期がどうの示しがどうのと考える余裕があると思いますか? それどころじゃありませんよ。そして、世論っていうのは現金なものなんです。見事敵を追い払った、その戦いに貢献したとなれば、過去の罪を許す方向へ一気に傾きます。ついでに言うと、戦場で何があったかなんて、その場にいない人間にはわからないんです。実際以上に大げさに誉めたところで、ばれませんよ。そうか、そんなに頑張ったのか、けっこう偉い奴じゃないかって見直してくれるでしょう。というか、見直させるように誘導するんですね。サクラでも仕込めば簡単にできますよ。基本的に人はそういう物語が好きですから」

「…………」

 呆気に取られた顔で、みんな私を見ている。平然としているのはオリグさんのみだ。しばらくして、アルタがうめいた。

「……なんつー腹の黒い……この状況を逆に利用するのか」

 失礼な。自分だってどさくさにまぎれてイリスを復職させようとしているくせに。

 私はもう一度ハルト様に向けて言った。

「己の罪を悔い改め、かつて危害を加えた相手に今度こそ誠意をもって尽くした。筋書きとしては十分できすぎなくらいですよ。あと、他の騎士と一緒に戦わせるよりはいいでしょう。世間はともかく、騎士たちはさすがに簡単には受け入れられないでしょうからね」

「…………」

「オリグ、まさかお前さんの入れ知恵か?」

 アルタに疑われ、オリグさんはしれっと返した。

「彼女の意見に全面的に賛同しますが、私は何も言っておりません。自力でこれだけ考えられる人物なればこそ、同行させたいと申したのです。素材は磨いてこそ光るもの。大事にしまいこむばかりでは、成長は望めません」

「だからって、いきなり現場に放り込むたあ、お前も無茶がすぎるぜ」

 ――つまり、経験を積ませて私を成長させようと、そういう意図でオリグさんは密航の手引きをしてくれたのか?

 たしかに無茶というか、スパルタきわまりない気がするが――まあいい。私にとってもありがたい展開だと思っておこう。

 ハルト様が深々と息を吐いた。全員の視線が彼に集中した。

 グレーの瞳が私を見返す。深く、鋭いまなざしに、私は気後れしないよう力を込めて見返した。

 大丈夫です。そうまなざしで答える。ハルト様は一度目を閉じ、そして言った。

「……よかろう。そなたの要求を認め、メイリ・コナーに帯剣を許可する」

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