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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第一部 龍の娘
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「ここの水はエルナ川から引いているのです。元々この離宮は避暑のために造られたと言われています。この涼みの間で、かつての公王や公妃が夏を過ごしました。今日はあいにくの空模様で残念でしたが、晴れた日にはいくつもの虹ができるのですよ」

 私を案内するカーメル公が、ガイドさんよろしく部屋の説明をしてくれる。はんなりと上品な語り口は少々オネエちっくである。もしやそっち系の人かと思わせて、時折さり気ない色気を垂れ流す。つくづく上手い、と私は感心せずにはいられない。

「こんな仕掛けを二百年も前の人が造ったんですか。すごいですねー」

 私は適当に相槌を打ちながら、面白い仕掛けよりもカーメル公ばかりが気になる女の子を演じる。本当は男なんぞより世界遺産クラスの異文化建築にひそかに萌えているのだが、今地を出すわけにはいかない。

 光を通す天井を持ち四方の壁すべてが水のカーテンになっている部屋で、私達はお茶をいただいた。

 たしかに涼しい部屋だった。まだ夏ではないから、ブレザーを着ていなかったらちょっと寒かっただろう。でもこの部屋、避暑だけが目的かな? ここなら盗み聞きされる心配がなさそうだよね。壁の向こうは水が音を遮断してくれるし、扉に張り付いても水音が邪魔して室内の会話なんてわからないだろう。密談にもってこいの場所なんじゃないかと思ったのは内緒だ。

 今の私は恋する少女。隣に座る麗人しか目に入らないのだから。

 ってなぜ隣。カップルじゃあるまいし、向かいに座るのが普通だろう。こんな場面でも彼の計算が透けて見える。

 けっしてあからさまではなく、けれど相手の気持ちを盛り上げるように。カーメル公は巧みに私をリードする。

 午前中はハルト様と会談の続きだった。私に声がかかったのは昼食の後だ。約束のデートはあくまでも仕事の後の空いた時間に。さあ口説くぜという勢いはまったく感じさせない。

 離宮を案内して回る間も、いたって紳士的にエスコートするだけでベタベタしてはこなかった。こうして並んで座っていても、ふたりの間には良識的な距離がある。

 え、もしかして本当にただ親切で構ってくれてるだけ? 疑って悪かった? なんて一瞬思いそうになる。

 よくよく注意して観察しないと、彼の思惑にまんまとはめられてしまいそうだった。

 カーメル公のやり口は本当にうまい。いやらしいほどに上手い。

 こんな美形で一国の王様なんて人に、いきなりまともに口説かれたら男嫌いの私でなくても引く人は多いだろう。何の戯れか悪い冗談かと尻込みするだろう。よっぽど自分に自信を持っていなければ、そうそういい気にはなれない。なれないほどに、彼の美貌は並外れている。

 まして私はどこぞのお嬢様やお姫様ではなく、一般庶民だ。しかも身寄りのない孤児――と、カーメル公は認識しているだろう。そんな小娘が、あり得ないアプローチを受けてホイホイその気になれるわけがない。

 だから、彼は口説いてはこない。その気があるようなそぶりは見せない。でもところどころでさりげなくも絶妙な行動をとり、相手がのぼせ上がるように仕向けていく。

 たとえば、段差がある場所では危ないからと手を引いて。(何かの乙女ゲームにありそうだな)

 花の木の下を通った時には、髪についた花びらをそっと取り。(これも漫画やゲームでよく見るな!)

 強い風が吹き付けた時には、風よけとなって私をかばい。(女は守られシチュが好き。万国共通異世界だってきっと共通)

 普通に微笑むだけで色気ダダ漏れの美形にそんなことをされて、ときめかない女は百合かよほど男の好みがかけ離れているかだろう。

 素敵な人に優しくされて、相手にその気がないのはわかっているけど惹かれずにはいられない――なんて、少女漫画か乙女ゲーム的な展開が作り出されていく。

 本当に、上手いよな。まともに相手にされるはずがないと思っている女でも、一人ひそかに想いを募らせるだけならいくらでもアリだ。そうやって、相手の警戒心をやんわりとほどいていく。

 この手口で一体どれだけの女を手玉にとってきたのだろう。そう思うと憎しみすらわいてくる。

 時間が経つほどに増していく不快感を表に出さないよう、私は細心の注意を払わなければならなかった。

「もうよいのですか? 君のために用意したお菓子です、遠慮なくお食べなさい」

「いえ……なんだかもう、胸がいっぱいで……」

 頑張れ私、恋する乙女になりきるんだ!

「本当に小鳥ですね」

 カーメル公はくすりと笑い、控えていた使用人にお菓子を包むよう言いつけた。

「では残りはお土産に持って帰りなさい」

「……ありがとうございます」

 ここで頬を染めるくらいできれば私も大したものだが、さすがに血液と体温までは操れない。できるだけ、うれしそうな表情を作ってみせる。演技で調子を合わせているとバレたら何もかもがだいなしだから、内心けっこう必死だ。バレてない? バレてないよね?

 カーメル公はインテリアとして置かれていた楽器を手に取った。いや、あれ絶対意図的にセッティングしていたよね。だって楽器なんて繊細なもの、こんな湿気の多い場所には保管しないだろう。

 さも、そこあった物を手慰みに取りましたというふりで、カーメル公は琵琶に似た弦楽器をつまびく。琵琶よりリュートかな。吟遊詩人アイテムとしてゲーム内ではおなじみだ。

 これはちょっとあざとすぎないか。内心私は冷笑した。まあ、何も気づいていない女なら、ここでさらにときめくのかもしれないが。

 吟遊詩人と言えば美形の役どころ。でも綺麗すぎて逆にハマりきれていない。

 軽く伏せられたまつげが、白い肌に陰を落としていた。髪はなまじな日本人よりも黒い、まさに漆黒濡れ羽色。前髪は長めなのに、バックはベリーショートだ。なぜにロン毛でないのかと異議を唱えたい。この手の美形はロン毛がお約束だろうに。その代りでもなかろうが、耳には瞳と同じアメジストのピアスが揺れていた。

 すっきりとあらわになったうなじが、たいそう色っぽい。男なのに色っぽい。このお色気は犯罪レベルと認定していいだろうか。

 私はだんだん疲れてきた。いつになったらこの茶番が終わるのだろう。そろそろ何か行動を起こしてくれないものか――そんな心の声が聞こえるはずもなかろうに、まさにその瞬間、カーメル公が動いた。

 それまでは、私の知らない異国の音楽だった。ところが不意に、聞き覚えのあるメロディが流れ出す。私は目を瞠った。顔色が変わるのを止められなかった。

 間違いなかった。それはたしかに、私の知る日本の音楽だった。

 昨日、庭園の片隅でうたった歌だ。いちばん最初に花を見て思い出した曲。なぜここで、このメロディが奏でられるのか。

 彼が元々知っている曲でないことは、すぐにわかった。完全な演奏ではない。曲の一部だけを繰り返す。それは、つまり……。

 カーメル公が顔を上げて、私を見た。

 私は表情を取り繕おうとして、失敗した。いや、この場面では動揺しても不自然ではないだろう。あえて驚きそのままに訊ねる。

「どうして……それを」

「歌っていたでしょう?」

 さらりと返される。ああ、やはり――昨日のアレを聞かれていたのだ。それもほとんど初めから。

 この曲から聞いていたということは、その次にうたった曲も聞かれただろう。そしてその途中で泣き出したところも、多分見られた。なんてこと。

 私は顔を伏せた。ここで不自然でない態度は――恥ずかしがる、が正解かな。

「やだ、どうして……聞いてらしたんですか」

「聞こえたのですよ」

 笑いを含んだ声でカーメル公は言う。

「可愛らしい声が聞こえてきたので気になって外を見てみたら、竜に囲まれた君がいたのです。花の下で竜に歌ってきかせる少女とは、まるで物語の一節のようで、しばらく見とれました」

「そんな……」

「竜があんなに懐いているのも驚きでした。よく馴らされた竜は主には忠実に従いますが、他の人間にはそうそうなつかない。もっと冷淡なものです。それが、みな君に懐き甘えていた」

 冷淡というのは意外だった。アイドル状態になったのはたしかに歌ってからだが、それ以前でもそこそこ友好的に相手をしてくれていた。竜は人なつこいのだと思っていた。

「竜が踊るなど聞いたことのない話です。周りの者にも確かめたのですが、誰もが驚いていました」

「そ、そうなんですか?」

 あのノリのよさが知られていなかったとは逆に驚きである。竜に音楽を聞かせるような機会がなく、見逃されていたのだろうか。

「可愛いですよね。自分から聞かせてくれっておねだりしてくるんですよ。それに、一頭一頭好みがあるようで、静かな曲が好きな子もいれば、元気な曲で喜ぶ子もいて」

 演歌でしびれてる奴もいたな。

「竜の飼育係になりたいなって思って、そんなお仕事ないかハルト様に聞いたんですけど、竜の世話は全部主人の騎士がやるから飼育係というのはいないって言われて。ちょっと残念でした」

「そうですね。けれど君なら、竜を狩ることができるでしょう」

「狩る?」

 ちょっとマジに熱く竜のことを語っていた私は、状況を思い出してカーメル公に視線を戻した。

 その瞬間、うなじにぞくりとしたものが這い上った。

 こちらへ向けられる優しい微笑みに、別の感情が隠されているのを感じた。うわべは完璧な笑顔。でもその裏に何かが隠されていると、私の本能が警鐘を鳴り響かせる。こんな経験、過去にもたくさんした。いい人のふりをして近寄ってくる、本当は底意地の悪い人間を何人見ただろう。さんざん嫌な思いをさせられたから、私はこの手の状況にひどく敏感になってしまった。

 ……これは、来たか。

 私はひそかに呼吸を整えて、己に気合を入れ直した。

「竜を狩るって、どういうことですか」

 何も気づいていない、無邪気な顔を装う。かなしいかな、こういった演技にも慣れっこだ。

「文字通りですよ。竜は飼育されている環境下では卵を産みません。なぜかは不明ですが、雄と雌を一緒にしても子を成さないのです。野生の竜だけが卵を産む。だから、新しい竜を手に入れるためには、野生を狩るしかないのです」

「……そうなんですか」

 ではイシュちゃんも、捕獲されて連れてこられたのか。

 そうと知ると、少しかわいそうに思えてくる。イリスに甘えていたし、無理やりこき使われているとかではないのだろうけれど。

「そのうえ、竜が棲息するのはカダ山脈の一部のみ。ロウシェン以外の国が竜を得ることはできません。ロウシェンは竜が国外へ流出することを防ぐため売買も禁じていますから、他国の者が竜を手に入れようと思ったら密猟するしかない」

「密猟……」

「たやすいことではありません。野生の竜は気性が荒い。慣れた者でも失敗して命を落とすことがあります。しかし歌ひとつで誘い出し、手なずけることができるなら……これほどありがたいことはない」

 やんわりと突き付けられる言葉が怖い。この人は何が言いたいのだろう。

「じゃ、じゃあ、竜が音楽好きってことは、誰にも知られない方がいいですよね?」

「どうでしょうね。人が竜と付き合うようになってから、何百年も経っています。竜がただの音楽好きであるなら、とうに知られているはず」

「え、でも……」

「わたくしは、君が竜にとって特別な存在なのだと思いますよ。他の者が歌っても、君と同じようにはいかないでしょう。何か、竜を引きつけるものが君にあるのだと思いますが」

「そんな、まさか……」

 笑いかけて、私はふとある可能性に思い至った。もし、本当に私が特別だというなら、その理由は。

 姿かたちはまるで違う。大きさも桁違い。けれど同じ「りゅう」という響きに変換される存在。微妙なニュアンスの違いはあれど、何か共通するところがあるからどちらも「りゅう」なのではないだろうか。

 私に残る龍の加護。言葉が通じる以外にも、何かあるとしたら。

 確証はない。ただの思いつきだ。けれど私に特別な要素なんて、他にはない。

「何か、心当たりでもありましたか」

 私の表情の変化を読み取りカーメル公が言う。ここでどう反応してみせればいいのだろう。全部正直に言うか? それともばっくれるか? もしくはなんでそんなことを聞くんだと切り返すか?

「わ、わかりません……」

 私は第四の選択肢を選んだ。

「何も知らなかったので……竜のことだって、よく知らないし。でも……ハルト様たちは、知ってらしたのでしょうか」

「君の歌に竜が反応することを、彼らは知っているのですか」

「いえ……」

「君に辛い思いをさせるのは本意ではないのですが……聞かせてください。君は、なぜハルト殿と共にいるのです? 彼からは身寄りを失くした子だとしか聞かされていませんが、一体何があったのです」

 いつの間にか楽器を下ろし、カーメル公は私との距離を詰めていた。ほとんど寄り添う形で、私にささやきかける。

「あの中庭で泣いていましたね。君の身に、何があったのです」

 私はカーメル公にすがりついた。花の香りがする胸元に顔をうずめる。

 相手は憧れの人。その人が私の境遇に気づき、心配そうに事情を聞きだそうとする。ここぞと甘え救いを求めるのは、ごく自然な流れだろう。きっと向こうもそれを狙って、さんざん私を誘惑してきたのだ。ここで乗らなくてどうするか。

「怖い……みんな、死んじゃったの……私だけが助かって……でもこれからどうしたらいいのかわからない。ハルト様が大丈夫って言ってくれたけど、でも私ロウシェンなんて国知らないし。誰も知ってる人いないし……どうなるのか、考えたら怖い……」

 泣くのは簡単。今は特に。家族と生き別れた悲しみを思い出せば、涙はすぐに浮かんでくる。号泣しなくていい。ちょっと涙目になる程度で十分だ。

 嘘はひとつも言っていない。あの事故で死者が一人も出なかったなんてことはないだろう。きっと大勢亡くなっているはずだ。私だけがこっちへ流されたのも本当の話。事実を大幅に省略し、ちょっと思わせぶりに核心をぼかして、想像の幅を広げてやる。これで相手がどう解釈しようと私は嘘などついていない。

 カーメル公が私を抱きしめた。優しく、甘く、私の耳に誘惑を吹き込んでくる。

「かわいそうに……彼の元では心安らげないのなら、わたくしと共に来ますか」

 ぴくりと、演技ではなく肩が跳ねた。

 ゆっくり顔を上げると、アメジストの瞳がすぐそばにある。思わず演技を忘れて引きこまれそうになる、妖しく美しい瞳が私を見つめている。

「わたくしの元へいらっしゃい、チトセ」

 可愛い子、と睦言めいたささやきをこぼし、髪をなでる。私はふたたび彼の胸に顔をうずめ、抑えきれない侮蔑の(わら)いを隠した。

 ――これだから、顔のいい男は嫌いなのだ。

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