表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第七部 出陣
79/130



 飛竜騎士たちによる直訴騒動の翌日、三の宮に滞在中のカームさんから面会の申し入れがあった。

 これまでにも何度も希望されていた。熱が高くてまともに話のできる状態ではなかったため、ずっと待ってもらっていた。でも、

「そう長く国を空けるわけにはいきません。わたくしは今日、こちらをお(いとま)いたします。無理をお願いして申しわけないのですが、帰る前にもう一度だけ会ってはいただけませんか。あまり長居はしないとお約束しますので」

 と言われ、会うことにした。

 今回の訪問はリヴェロの人たちにとっても予定外のことだろう。突然に王様が留守をして、困っている人も多いはずだ。ロットル侯の問題もまだ片づいてはいないだろうし、彼を長く引き止めることはできない。ハルト様の了承を得て、昼前に来てくださいと伝えた。

 今日は熱も少し下がり、気分が落ちついている。お風呂に入ってさっぱりした後、新しい寝間着の上にガウンを着、髪もきれいに整えてもらって、ベッドに半身を起こした状態で私はカームさんを迎えた。

「具合の悪いところにお邪魔をして、申しわけありません」

 いつものようにシラギさんを従えてカームさんがやってくる。私のそばにはハルト様が同席していた。

「お加減はいかがでしょう」

「ありがとうございます。大分落ちつきました」

 防寒のためずっと引かれていたカーテンを女官が開き、外の光を取り込んだ。やわらかな光を受けるカームさんは、やはり美しかった。私に対する気遣いを浮かべた表情が、憂いを含んでどきりとするほどの色香をたたえている。お見舞いだからと配慮したのか、あまり派手な装いはせず色もシックなトーンに抑えられていた。それでも地味な印象はまったくなく、洗練された華やかさがあるのだからさすがだ。

 ハルト様と挨拶をかわし、腰を下ろす所作も優雅そのもの。見るたびにつくづく思う。どうしてこんな人が、私なんかに求婚してきたのだろうと。

 十七年間の人生で一度たりとももてたことなどなかったのに、いきなりこれが相手って落差が激しすぎるだろう。彼の言葉を真面目に受け取らず、ただの社交辞令と思ってずっと聞き流していたのは悪かったけれど、信じられなくても無理はないと理解がほしい。

 ――でも、どんな相手であっても、真剣な気持ちを向けられたならきちんと答えなければ。

 私だって何も考えずに時間を費やしていたわけではない。寝込んで動けない分、いろんなことを考えた。カームさんとのことも、もう結論は出している。

「できることなら、君が元気になるまで待って、改めて話をしたかったのですが。その時間のないことが残念です」

 今日会いに来たのは出発前の挨拶みたいなものらしい。カームさんはプロポーズの返事を急かさなかった。

「しばらくはまた会えない日が続きます。次に会えるのがいつになるか、まだわかりませんが、先日お話したことをそれまでにゆっくり考えてくれますか」

 カームさんの言葉に答える前に、私はハルト様にお願いした。

「すみませんが、ふたりにしてもらえますか」

「……私が聞いてはいけない話か?」

 ハルト様は少し渋い顔をした。心配してくれているのはわかるけど、こういう話はやっぱり人に聞かれたくない。後できちんと報告するからと約束し、席を外してもらった。女官と一緒にシラギさんも出て行く。カームさんとふたりきりになって、私は口を開いた。

「先日のお話については、もう返事は決まっています。先送りにする必要はありませんので、この場でお答えします」

「急がずともよいのですよ。言ったでしょう、人の気持ちは変わるものだと。今は考えられなくとも、時間とともに違う考えを持てるようにもなります」

 先回りして言うカームさんに首を振る。

「いいえ。気持ちが変わるかどうかという問題じゃないんです。たしかに時間がたてば、今とは違う気持ちになるだろうと思います。でも、それを理由に今ずるい道を選ぶことはできません」

「そう堅く考えずとも。ずるいなどと決めつける必要はありませんよ」

 もう一度首を振る。

「もう知られているんですから、はっきり言います。今の私はイリスが好きです。完全に片思いだし、この先に望みも持てないけど、だからってすぐ他の人に乗り換えることはできません。いずれふっきれるようになるまでは、ずっとイリスが好きです。その気持ちを持ったまま他の人と約束をするのは、とても不誠実なことでしょう」

 生まれ育った日本には、こういう場合を表す言葉がある。ちょっと昔に使われた言葉で、キープ君というものだ。

 本命じゃないけど、とりあえず確保しておく――カームさんの提案に乗るのは、そういう選択をすることだ。

 たとえ本人がそれでかまわないと言ったって、あまりに失礼すぎる話ではないか。また、そんな身勝手でずるい女にはなりたくない。

「堅いとか子供っぽいとか言われても、これは譲れません。ごめんなさい、私はカームさんのところへは行けません」

「…………」

 カームさんは私から視線をそらし、息を吐いた。

「急ぎすぎたということでしょうか。君が気持ちに整理をつけてから、求婚すればよかったと? ですが、わたくしの気持ちも察してほしい。君の近くにいる者たちと違い、わたくしはいつでも君と会えるわけではありません。離れている間に君は他の男に恋をした。その気持ちを忘れるのを待っても、また誰かに先を越されるかもしれない。そうやって常に出遅れて君を失うよりは、どんな形でもいいからわたくしの元へ来てほしいと願ってしまうのです。誠実であろうとする君の考えは尊いものですが……もう少し、柔軟に考えてはもらえないでしょうか」

 布団の上に置いた手に、白く長い指が重ねられる。私の手を取って、カームさんは切々と訴えた。

「約束します。必ず君に、この道を選んでよかったと思わせてみせますから。誰よりも、何よりも君を大切にします。どのようなことが起きても、もう二度と君を傷つけない。君だけは、この身に変えても守り抜きますから」

「……私だけ、ですか」

 私はうつむいた。とても情熱的な言葉を向けられているのに、気持ちが一気に冷えていく。この期に及んでもまだわかっていないカームさんに、かなしい気分になった。

「他の人に対しても同じように約束することはできないんですね」

「……酷なことを言わないでください。わたくしの立場で、その約束はできません」

「わかってます」

 手元に視線を落としたまま、私はさまざまな思いをこらえて話す。

「王として国を守るために、時にはずるいことや汚いことをする必要もあるでしょう。誰かを利用して、犠牲にすることもあるでしょう。それを全部受け入れられるわけじゃないけど、全部否定することもできません。そうせざるを得ない立場なのだと、わかるつもりです……けど、どこかにラインは設けるべきじゃないですか」

「……線引き?」

 顔を上げる。手を引いて、私はアメジストの瞳を見返した。

「カームさんの信念も目的も、王として立派なものだと思います。けれどそれを理由に、すべてを正当化してしまってはいませんか。国と民を守るためならひどいことをしてもかまわないと、開き直ってしまっていいんでしょうか」

「…………」

「この間の一件に、私たちは完全に巻き込まれた形です。私もメイリ騎士も、リヴェロの政争になんら関わりはなかった。たまたま都合のいい存在だっただけ。それをあなたに利用されて、その結果どうなりました? メイリ騎士は犯罪者として捕らえられ、復帰の見通しは立たない。イリスは責任をとって隊長職を辞任した。そのため飛竜騎士たちが反発して、処分の撤回を求めて直訴までする騒ぎになった」

「…………」

「たしかに、メイリ騎士自身に間違った意識と判断がありました。イリスも人選を間違えた。そそのかされても毅然とはねつける、騎士としての正しさと強さを持っていれば、過ちを犯すことはなかった。ものごとを大雑把にとらえず慎重に判断して、人選には十分な考慮をしていれば、未熟な部下にみすみす罪を犯させることもなかった――正論です。言い訳のしようもないくらい、明らかな事実です。彼らに下された処分は妥当で、自業自得と言われるでしょう。でもそれを言っていいのはロウシェンの人であって、カームさんにその権利はありません。あなたがそれを理由に自分の責任をないものにはできない」

「……そのようなつもりはありません。わたくしにできるかぎりの謝罪と償いをすると、約束しました」

「ことが起きてから謝られたって遅いんです」

 こみ上げてくる思いをこらえ、できるだけ冷静に話そうと意識する。それでもどうしても、語気が強くなってしまった。この人にはこの人の立場や事情があると、ずっと理解しようとしてきた。単純な善悪だけで片づけられない政治の難しさがある。だから安易に非難はできないと思ったけれど――納得しきれない思いが、どうしても残るのだ。

 見つめる美しい顔には、はっきりした感情は浮かんでいない。しいて言うなら困惑だろうか。今彼がどう思っているのか読み取れない。私の言いたいことをわかってくれるだろうか。立場も見ている世界もまったく違う人に、この怒りとも悲しみともつかないやるせない思いを、どうすれば伝えられるだろう。

「謝る、償うって、そればかりですね。素直に非を認められるのは立派ですけど、そんな気持ちがあるなら最初から巻き込まないでほしかった。そのつもりもなく不可抗力で巻き込んでしまったわけじゃないでしょう? わかっていてわざと巻き込んだ。こちらの気持ちや都合は後回しにして。まず利用することを考え、後で謝ればいい、償えばいいと考えたのでしょう。でもどんなに真剣に謝罪されたって、失ったものは戻らないんです。リヴェロのためにどうしても必要だったと言われても、イリスもメイリさんもリヴェロ人じゃない。なんでそのために犠牲にされなきゃいけないんだって思ってしまいます。王としてきれいごとばかり言ってはいられないとしても、せめて無関係な人を巻き込むことは避けるべきじゃありませんか。人として、それは最低のラインでしょう」

「…………」

「私の言うことなんて、政治をわかっていない子供のたわごとかもしれません。利用されようがされまいが彼らが問題を抱えていたのは事実だし、あなたはやっぱり立派な王様で、何一つ非難される筋合いではないのかもしれない。そうだとしても、人には理屈だけでは割り切れない感情というものがあることを忘れないでください。どんな正論で説得されようと、納得できない気持ちが残るんです。私はこう思うことを止められない。あなたが私たちを利用なんかしなければ――あなたのせいで――と」

「…………」

 カームさんはもう何も言わない。私が口を閉ざすと、寝室には重苦しい沈黙が落ちた。

 どれだけ時間が流れたのだろう。ずいぶん経ってから、カームさんは息と一緒に言葉を落とした。

「……君は、わたくしを許せないのですね」

 これまでとは違う、ひどく力のない声だった。常に自信と余裕をたたえていた人が、気落ちしたようすで視線を落としたまま言う。

「当然ですね……恨まれるだけのことはした……それを許してもらえると思い、恥知らずにも求婚までして。受けてもらえるはずなどないものを……」

 話がそこに戻ると、私にも罪悪感がよみがえった。これだけ熱心に求めてくれているのに拒絶する自分を、ひどい人間だと思ってしまう。

 でも、受け入れることはできない。最初に言ったとおり、私はイリスが好きなのだから。他の誰であっても受け入れられない。それに申しわけないからって、そんな理由で決めることでもないだろう。そんなの、逆に失礼だ。

 本音を言えば今でもカームさんのことは好きだ。どうしても許せない、認められない部分もあるけれど、嫌いにはなりきれない。友達としてなら、これからもずっと付き合い続けたいと思う。

 でも、それを言ってしまってはだめなんだろうな。彼の求めを断るのなら、こちらも覚悟を決めなければならない。いっそ嫌われるくらいのつもりで突き放さないと、それこそずるい曖昧な態度になってしまう。

「私ひとりだけの問題でおさまるなら、許せました。怪我なんて治るし、腹が立てば文句を言えばいい。それだけでおさまる話ならよかったんです。でも、そうじゃなかった……取り消せない大きな傷が残りました。あなたがどれだけ真摯に誠意を尽くしてくださっても、元には戻れません。二度としないと誓われても、それは私一人に対してだけ。結局根本的な意識は何も変わっていない。私の目には、あなたは本当に自分の罪を理解して反省しているようには見えません。イリスもメイリさんも――ミルシア様やロットル侯も、犯した罪の分、罰を受けました。大切なものをなくしました。あなたは? あなたには、どんな罰があったんですか。公王に対して、誰も罰なんて与えない――それなら、せめて私だけは、あなたを許しません。あなたの身勝手さ、傲慢さを責め続けます」

 ゆっくりとカームさんが顔を上げる。私を見返す顔には、切なそうな淡い苦笑が浮かんでいた。

「そう……そうでしたね。君は、そういう子でした。おひとよしで、自分が傷つくことには寛大であり無頓着でもあるのに、他の誰かが傷つけられると怒る。別人のように攻撃的になって、傷つけた者をやりこめる……知っていたのに、どうしてわからなかったのでしょう。君のおひとよしな面だけを見て、許してもらえると思い込んで……愚かでした」

 カームさんは静かに椅子から立ち上がった。数歩下がり、その場に膝をつく。胸に手を当てて、私に向かって深々と頭を下げた。

 ほとんど土下座に近いかもしれない。至高の位にある人が、床につきそうなまでに深く(こうべ)を垂れる。

「心から、君にお詫びします」

 頭を上げないまま彼は言った。

「たくさんの思い違いをしていました。君の言うとおり、傲慢な思い上がりがありました。それに気づきもせず、無神経に求婚までして、よけいに君の心を傷つけた。謝ったところでどうにもなりませんが……これ以外に方法を知らぬのです。申しわけありません」

 時間をかけて深い礼をした後、また彼は静かに立ち上がる。私を見下ろす瞳には、もう何かを強く求め訴える力はなかった。

「愚か者はおとなしく引き下がりましょう。二度と君をわずらわせないとお約束します……本当に、申しわけありませんでした」

 私は小さくうなずいた。

「あなたを尊敬し、好ましくも思いました。でも同時に、けっして受け入れられない、許せない部分もありました。こんな私なんかを好きになってもらえたのは、とてもありがたいことですけど……あなたに恋はできません。ごめんなさい」

 カームさんはただ静かに微笑んだ。胸が痛くなるほどに、どこまでも美しく、そして切ない微笑みだった。

 無言で軽く頭を下げ、踵を返す。優美な姿が扉の向こうに消えてしまうまで、私はじっと見送り続けた。

 扉が閉じられる。ひとりになった空間で、私は辛い息を吐いた。

 ……おしまい、なんだな。あの人との関係は、これで終わったんだ。

 もう今までのように会うことはない。手紙も来ない。どこかで顔を合わせることがあったとしても、言葉もかわさないか、知らない人のようによそよそしく挨拶するだけなのだろうな。

 とてつもないさみしさが襲ってきた。ずっとひとりでいた時には、味わったことのない気持ちだった。友達だと思った相手を失うのは、ひどくさみしかった。失恋とは別のかなしさが喉の奥を痛くする。

 でも、彼が望んでいたのは友達の関係ではなかったから。

 私はそれに応えられなかったから。

 このさみしさとかなしさを、私は受け止めないといけない。

 頬を伝い、顎からしたたり落ちたものが手を濡らす。一度閉ざされた扉がまた静かに開き、人が入ってくるのを知りながらも、私は動けなかった。

 ハルト様はそばまで歩いてくると、だまって私の横に腰を下ろした。

 濡れる私の頬を、大きな手が包み込む。

「チトセ……もし、彼を慕っているのなら、無理にこらえる必要はない」

 私の顔を上げさせて、覗き込む。

「以前にも言ったな。そなたが望むように、したいようにしなさい。他のことを気にして、がまんしなくてよい」

 私は首を振った。

「……違います」

「そなたが彼とともに生きることを望むなら、できる限りの助力をしてやる。今度こそ正式に私の養女とし、堂々と輿入れできるようにはからってやろう。向こうでの暮らしに不安があるなら、いくらでも助けてやるから……」

「違います――ちがうんです」

 私はハルト様の手を振り払う勢いで、強く首を振り続けた。

「ちがうの……そうじゃないんです。私は、あの人には応えられません。そういう相手に見られないんです」

 言葉にするといっそうかなしくなる。涙が止まらない。

「……そうか」

「どうしてあの人を好きにならなかったの……許せない部分があっても、嫌いじゃないのに……友達にはなれるのに、どうして好きになれないの……っ」

「わかった。もうよい」

 ハルト様の腕が背中に回され、懐に抱きしめられる。私もハルト様にしがみついた。

「そのように思い詰めずともよい。恋情など、かならず通じ合うものとは限らぬ。実る想いの数と同じほどに、あるいはそれ以上に実らぬ想いもある。けっして特別な話ではない。縁がなかった、それだけだ」

 ハルト様はゆっくりと私の背中をなでてくれた。

「そこから立ち直り、人はまた新しい恋をさがす。そうしていつか生涯の伴侶とめぐり合うのだ。数限りなく繰り返されてきた、当たり前の歴史だ。だから嘆かずともよい。時が経てば、穏やかな気持ちでまた彼と語らうこともできるだろう」

 優しい声が私をなぐさめる。ハルト様にしがみついて泣きながら、私は遠い時間の先に思いを馳せた。

 本当にそんな日がくるだろうか。私はあの人を許せなかったけれど、あの人だって拒絶した私を許せないだろう。でもいつか、お互いに許し合えて、友達に戻れる日がくるだろうか。

 いつか、そんな日をと望む。どうかあの人の傷が癒されて、幸せを迎えられますように。おばあさんになってからでもいいから、私をまた友達と呼んでくれますように。

 そして私の実らない想いも、いつか穏やかに振り返れる日がくるといい。




 あらためてハルト様に謝罪をし、カームさんはリヴェロへ帰っていった。先だっての事件についてはすべて自分の責任によるものだから、イリスやメイリさんに対して情状酌量を考慮してほしいと口添えもしてくれたそうだ。だからってすでに決定された処分は覆らないし、糾弾する人々も簡単に許してはくれない。今はどうすることもできない。

 イリスについては、あまり心配していない。ハルト様たちはいずれ隊長に戻したいと考えているし、そうならなかったとしても彼が竜騎士であることは変わらない。本人も身分にはこだわっていないし、私があれこれ悩む必要はないだろう。

 心配なのはメイリさんの方だ。彼女はもっと悪い状況にある。牢からは出されたらしいが、騎士として復帰したわけではなく、仕事にも訓練にもいっさい参加させてもらえないらしい。当然なのだろうと理解はできる。それでも彼女を見捨てる気持ちにはなれなかった。

 今すぐは無理でも、いずれ彼女にも機会が与えられればと思う。騎士として未熟で、人としても間違った考えを持っていたのだろうけれど、誰からも切り捨てられて当然だとは思えない。そんなふうに見捨てられて、その後どうなろうと知ったことではないと忘れ去られるほどの悪人だろうか。私にはとてもそう思えないのだ。

 誰だって間違えることも失敗することもある。もちろん許されることと許されないことはあるけれど――口をきわめて罵る人たちだって、自分はなにも間違えずひとつも失敗していないと言い切れるのだろうか。みんな自分勝手だ。他人のこととなると当然の権利のように責めたてる。元の世界でもさんざん目にした。何か事件があれば、たちまちネット上に批判の書き込みがあふれた。当事者の気持ちや事情なんて何も知らない人たちが、勝手な決めつけで罵倒する。

 人間の持つ、そういう闇の部分が嫌だ。それもまた、誰もが持っているものなのだろう。いじめにも、果ては戦にもつながる問題だと思う。

 メイリさんは夢と情熱に燃えて竜騎士を目指し、懸命に働いていたはずだ。でも、どこかで一歩踏み間違えた。元の道に戻れず迷ってしまった。本当は戻りたいはずだ。覚悟の上で自ら踏み出したのだとは思えない。

 道を間違えてしまったきっかけが私の存在だから、見捨てられない、罪悪感を覚えるという面もある。でもそれを抜きにしても、やっぱりメイリさんには元の場所に戻ってほしい。誰だって打ちのめされたみじめな姿でいるよりも、いきいきと輝いている方がいいに決まっている。

 カームさんの口添えが、その助けになってくれるといいのだけれど。

 いずれにせよ、しばらくは何も動きはないだろう。一時期騒がしくなった宮殿周辺も、ひと月も過ぎれば落ち着きを取り戻していった。季節は本格的な冬となり、雪がちらつくだけでなく積もる日も増えた。寒いと動きにくいし暖房費がかかるし食料品が値上がりするといった問題もあるが、ひとついいことがある。

「おそらく春までは、エランドも動かぬだろう。冬の戦などただでさえ難しい。雪や寒さは大きな障害となるし、海も荒れるのに無理な遠征をしたところで成功率は低い。地の利はこちらにあるしな。過去の行動を見ても、皇帝は愚かな真似はせぬだろう」

 暖炉の前でくつろぎながらハルト様が言う。私を安心させながらも、彼は春が来てからのことを考えているのだろう。穏やかな顔に時々憂いを浮かべる。戦のことだと私には何も力になれないのが悔しかった。ハルト様を助けられるように、みんなを守れるように、私にも何かできればいいのに。

 やっぱり、オリグさんにちゃんと弟子入りして参謀官を目指そうかな。

「じゃあ、挙式は新年で決定ですか?」

 私が尋ねると、ハルト様は少し照れくさそうにうなずいた。

「その頃なら、まだ何も起こらぬだろうからな」

 逆に言うと、その機会を逃すと先がどうなるかわからないということだ。

 なんにせよめでたい話である。いよいよユユ姫との婚礼が本決まりして、今みんな準備に大忙しだ。なにせ新年まであとふた月ほどしかない。一般人ならともかく、王様の結婚に準備が数ヶ月ってのはきついだろう。それでも迷惑そうにしている人はいなかった。誰もが待ち望んだ時だ。幸せな苦労ならいくらでもどんと来いって感じで張り切っている。

「私はこんな歳で、再婚だし、時期が時期でもある。さほど大がかりなものにせず、内輪だけで済ませたいのだがな」

「そうはいかないでしょう。そりゃあ、新年はどこの国も行事があって王様の参列は無理でしょうけど、代理の人くらいは来ますよ。それに、ユユ姫の方は初婚ですよ。十九歳の乙女が、夢の結婚式です。地味に済ませるなんて可哀相すぎます。だいたい花婿なんてただの添え物で、結婚式の主役は花嫁なんですから、そちらに合わせるのが当然でしょう」

 乙女心をわかっていないお父様を叱ってやる。たちまちハルト様は小さくなった。

「そ、そうだな……」

 それから私を見て、複雑な笑みを浮かべる。

「いつかそなたにも、立派な婚礼を挙げさせてやりたいと思うが……もうしばらくは子供のままでいてほしいとも思うな。勝手な言い分だが」

 私はこれには微笑みだけを返して、何も言わなかった。

 いつまでも子供ではいられないけれど、結婚できるかどうかはわからないな。せっかくの機会は自分で断ってしまった。そう何度も宝くじは当たらないだろう。

 もともと結婚願望なんてないしな。ちゃんと仕事ができる、社会に役立つ人間になれたら、それでいい。

 いつかイリスが結婚する時、心から祝福してあげられるようになれたらいい。

 春がくるまでの、束の間の平和だった。私はユユ姫の館へも頻繁に訪問して、準備の進み具合をたしかめたりした。花嫁衣装のデザインに参加させてもらったので、出来上がりが楽しみだ。お祝い返しといった習慣はこちらにもあるそうなので、話を聞かせてもらいつつアイデアを出したりもして、いちおう少しくらいは役に立てている、かも?

 そのかたわら、こっそり飛竜隊をのぞきに行ったりもした。

 騎士たちも今はあまりぴりぴりすることなく、訓練と日常勤務で過ごしている。そのようすを物陰からこっそりうかがいつつ、私はいつもある人の姿をさがしていた。

 彼女はたいてい隊舎や竜舎で下働きのような仕事をしていた。あまり騎士らしくない作業服姿に剣をさげることもなく、黙々と掃除や水汲みをしている。真冬の冷たい水で手を真っ赤にしながら、だれたり投げ出したりすることなく孤独な仕事に励んでいた。

 周りの騎士たちは彼女の存在を無視しているようだが、たまに嫌がらせをする人もいた。私は嫌がらせしたやつの顔をチェックして、後で名前も調べておいた。腹を立てるところまでは仕方なくても、嫌がらせなんてしていいはずがない。偉そうに非難するなら、自分だってもっと騎士として立派なふるまいをするべきだろう。

 今は何もしないし言わないけれど、誰がいつ何をしたのか、そこはきちんと記録しておく。いずれ必要になるかもしれないから。

 そんな探偵みたいな真似が、私の最近の日課になりつつある。

 今日もメイリさんの姿をさがして、私は人に見つからないようこそこそと忍び込んだ。

 竜舎に彼女の姿はなかった。騎士たちが訓練している間、メイリさんはよく竜舎の掃除をしているのだけれど、今日は別の場所で働いているのだろうか。

 かまってほしそうな竜たちにごめんねと手を振って、メイリさんをさがして歩く。隊舎の裏手に回った時人の話し声が聞こえて、とっさに壁にへばりついた。

 あまり声高にならない、抑えられた声だ。男と女の声……ということは、片方はメイリさん?

 角からそうっと目だけ出して覗いてみる。メイリさんと、誰か知らない若い男が立ち話をしていた。

 男の顔に見覚えはなかった。腰に剣をさげた騎士の姿だが、なんとなく飛竜騎士ではないように思う。どこか雰囲気が異なった。

 茶色い髪の、これといって特徴のない風貌だった。それなりに整った顔だちだとは思うが、イリスやアルタのような際立った美男子ではない。あっさり周囲に埋没してしまいそうな平凡さだ。

 誰なんだろう。ぼそぼそとした声は、なんと言っているかまではわからない。メイリさんの表情からしてあまり楽しそうではない。さりとて嫌がらせを受けているという雰囲気でもない。

 ふたりに見つからないよう、私はできるだけ気配を隠す。向こうも人目を気にしているのか、あまり長く話し込まなかった。じきに男が立ち去っていく。メイリさんが難しい顔でその背中を見送っているのが、ひどく気になった。

 なんだろう、落ちつかない。

 もし、彼女を気にかけて励ましに来ていたのなら、とてもうれしいのだけれど。

 本当に誰なんだろうな、あれは。

 追いかけてみようか。今なら急げば間に合うだろう。

 メイリさんが動く。その場を離れたのを確認して、私は角から踏み出そうとした。

 その瞬間、何かが後ろから私をはがいじめにする。

 上げかけた声は、口を覆う大きな手によって封じられてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ