光と影1
初めて見た瞬間から憧れていたんだ。
飛竜にも、その背に輝く人にも。
「ずいぶんと可愛らしいのが混じってるじゃないか」
指示された場所で待機していると、すぐ近くから皮肉げな声がかけられた。赤みがかった金髪に色の薄い瞳をした騎士が立っている。見るからに飛竜騎士らしいすらりと細身の長身だ。
「女の身で竜騎士を目指すとは、見上げた度胸と言うべきか、あるいはただの世間知らずか」
「どう考えても世間知らずの方だろう。年齢十五歳って、おいおい……こんなお嬢ちゃんが試験を受けるのか? 誰だよ、通したのは」
別の騎士が審査書類に目を通しながら言った。周りにいる騎士たちは皆、好奇や嘲笑、あるいは難しいしかめっ面を浮かべ、あたしに注目している。一緒に試験を受ける候補生たちも、あたしには距離を置いて冷やかな目を向けていた。
あたしはそれらを、胸を張って見返した。女だということで馬鹿にされるのなんて、今に始まったことじゃない。舐めてくるやつはみんな実力で黙らせてきた。こいつらだって、じきに顔色を変えるようになるさ。
「おい、お嬢ちゃん。悪いことは言わん、やめておけ。竜騎士の最終試験がどんなものかは知ってるんだろう? 若い身空で命を粗末にするんじゃねえ」
さっきの金髪騎士に言われ、あたしは鼻で笑いたい気分になった。
そんなこと、いまさら言われるまでもない。これまでさんざん聞かされてきたし、止める人間も山ほどいた。その最たる例がうちの両親だ。
あたしの父さんは竜騎士だ。けどそれは名前だけで、竜を得てはいない。所属は騎馬隊で、一般の騎士と変わりなかった。
叙勲前に父さんは母さんと付き合っていた。そして母さんのお腹には、すでにあたしがいた。その状況で挑戦者の半分も成功しないという竜騎士の最終試験を受けて、もし命を落としたらと考え断念したらしい。騎馬隊にはそういう騎士がたくさんいる。
だからいつかあたしが竜騎士になってやるって、小さい頃から決めていたんだ。夢をあきらめた父さんの分も、あたしが立派な竜騎士になって活躍してやるって。
あたしの夢を聞いた父さんは笑って武術を教えてくれた。母さんはいい顔をしなかったが、あたしはうれしかった。真剣に訓練していることがわかると、父さんもどんどん厳しくなっていった。毎日傷だらけになったし、手は固く節くれだち、肌は日焼けして、女らしさなんてどこにもなくなった。それはますます母さんを嘆かせたけれど、あたしは気にしなかった。見た目を取り繕い、男に甘えることしかできないその辺の女の子たちより、自分のほうがずっと充実している。己の力で戦い、守ることができる。それはとても誇らしいことだった。
それだけに、竜騎士試験を受けると言った時、父さんにまで反対されたのが信じられなかった。今までずっとあたしの夢を理解して協力してきてくれたはずなのに、いざその時になって危ないからやめろだなんて――女らしく結婚して子供を産んでくれと言うなんて、ふざけているのかと思った。
シーリースの男はおおむね女を大事にする。子供を産み育てる女は、なによりの財産なのだ。あたしみたいなはねかえりですら、女だからというだけで親切にされることがあるくらいだった。そうした社会概念に加え、親心が言わせたのだとはわかる。けれどその時のあたしには、裏切られた気分しかなかった。
結局説得できないまま、家出同然に飛び出してここまでやってきた。後戻りなんてできないし、する気もない。あたしはかならず竜を得てみせる。
「ここまでの試験を合格してきたんだ、実力はあるんだろう。よそへ行けばそれなりに活躍できると思うぜ。なにもわざわざ竜騎士でなくていいだろうが」
「他の連中も聞いとけ。見た目は派手でもてはやされるがな、竜騎士ってのはそういいものでもないんだぜ。妬みの的にもなりやすいし、だから普通なら見逃されるようなちょっとした不始末でも厳しく処罰される。いざって時にゃいちばん危険な場所へ飛び込まされる。それでいて給料は他と一緒だ。特別待遇なんて何もない。正直、割に合わないと思うぜ」
「あるのは名誉くらいだ。それを承知の上、本気で命をかけられるやつだけ残れ。半端な覚悟のやつはここで引き返せ。どうせ成功せん」
候補生たちに厳しい言葉がかけられる。けれど辞退を申し出る者は一人もいなかった。
「……ま、今さらだな」
例の金髪騎士が肩をすくめた。
「ここまで来るやつに言ったところで、聞くわけがないよな。俺らも同じことをしてきたわけだから、その気持ちはわかるぜ。まあせいぜい頑張れ。せめて全員生きて戻ることを祈ってるぜ」
最終試験が命懸けというのは、大げさな話でもなんでもない。竜の卵を獲ってくるのは、おそろしく危険な挑戦だった。
子育て中の竜の獰猛さは、ロウシェンの人間なら誰でも知っている。たまたま近くを通りがかっただけでも攻撃されるくらいだ。あの巨体と鋭い爪や牙に襲われて、怪我だけで済んだら僥倖だ。たいていは殺される。怒り狂う竜が相手では、どんなに強い騎士だって太刀打ちできない。
その危険を覚悟で飛び込む候補生は、ある意味国いちばんの馬鹿なのかもしれなかった。誇り高き馬鹿どもだ。たとえここで命を落としたって、みんな本望だろう。
それぞれが覚悟と意気込みを持って出発の時を待っていると、羽ばたきの音とよく通る声が降ってきた。
「悪い、遅くなった!」
一頭の飛竜が突然間近に着地する。見慣れていない候補生たちはのけぞった。すぐそばで見る竜は、思う以上に大きく迫力だった。
けれど――ああ、なんてきれいなんだろうか。日を受けて銀緑色に輝く鱗と、艶のある翼。たくましい四肢。恐ろしげな顔つきにすら見とれてしまう。これが竜――飛竜だ。
あたしだけでなく、候補生たちはみんな目の前の竜に釘付けだった。
「本当におせーぞ! いつまで経っても試験が始められねえだろうが!」
金髪騎士が竜に向かって怒鳴った。いや、竜に言ったんじゃない。その背に乗る騎士にだ。
「会議が長引いたんだよ。これでも全速力で来たんだぞ。誉めてほしいくらいだ」
「おお、偉いなイシュ」
「イシュだけか!」
「全速力で飛んだのはイシュだろうが」
地上の騎士と言い合いをしているのは、若い銀髪の騎士だった。屈託のない明るい表情に目が引きつけられる。男の価値は顔じゃないって思ってる。騎士であるならなおのことだ。それでも、これは大した美形だと感心せずにはいられなかった。
銀髪の騎士が竜の背から身軽に飛び降りて、あたしたちの前に立った。それほど長身でもないな。女顔だし細身だし、騎士の身なりをしていなければとんだ優男に見えただろう。
しかしその優男が言った言葉に、あたしたち候補生はそろって目を丸くした。
「待たせて悪かった。飛竜隊隊長のイリス・ファーレン・フェルナリスだ。よろしく」
隊長!? この、やたらときれいな顔をした、まだ二十歳前の若者が!?
冗談かと思った。先輩騎士たちが悪ふざけをしているのかと。
けれど誰も笑わなかった。当たり前の顔をして聞き流している。どうやら本当のことらしいと理解が浸透していったが、まさか飛竜隊の隊長がこんな若造だったとは仰天の事実である。
――のちに知ることになるが、彼はたいへんな童顔で、これでもあたしより八つ年上の二十三歳だった。前任から隊長職を引き継いだのは三年前――つまり、二十歳の時だ。思っていたよりは年上だったが、それでも若いことには変わりなかった。
もっと驚かされたことに、地竜隊の隊長はなんとあたしと同い年の少年だという。こちらは最近任命されたばかりだが……もっと年長の騎士がたくさんいるのに、なんでこんな若い二人が隊長に選ばれたのだろうと、この時は真剣に疑問に思ったものだった。
「今回の候補生は四人だったか……この子も?」
候補生を見回した目があたしの所で止まり、イリス隊長は金髪騎士を振り返った。
「ああ。メイリ・コナー。聞いて驚きの十五歳だ」
「トトーと同い年か。うーん……」
イリス隊長はかすかに眉をひそめ、じっとあたしを見つめた。
青い瞳をしている。空を駆ける飛竜騎士にふさわしい色だ。
かなり長い間イリス隊長はだまってあたしを見ていたが、最後にひとつ息を吐き、にっと笑った。
「よくここまで来たな。最後まで頑張って、結果を勝ち取ってこい。待ってるぞ」
「――はいっ!」
どくんと、胸が大きく音を立てた。急に目の前の世界が輝き出す。うれしさに頬が熱くなった。
女で年少であることを、ひと言も馬鹿にせずはげましてくれた。待っていると――あたしを、仲間に迎えると認めてくれた!
この言葉に応えたい。彼の部下になりたい。今まで以上に、強くつよく竜騎士への憧れがつのった。
イリス隊長は他の候補生にも、ひとりずつ声をかけていった。その後あたしたちは、それぞれ見届け役の騎士とともに山に入り、五日かけて試験を終えた。
無事に戻ったのは三人だった。候補生のうち一人は、残念ながら物言わぬ骸となって戻った。そしてあたし以外の二人も、卵を得ることかなわず、命からがら逃げ帰ってきた。試験を受けられるのは一度きりだ。彼らは他の場所で普通の騎士になるだろう。
「……結局、合格者はお嬢ちゃんだけか。まいったね」
いちばん最初にあたしに声をかけた金髪の騎士は、感心と呆れ半々に首を振った。彼の名はジェイド。隊長の副官で、あたしは彼の班に配属され指導を受けることになった。
「ロウシェン竜騎士団に、十年ぶりの女騎士が誕生だ。いや、五十年ぶりだったかな?」
「なんだよその幅の広さは! せめて十年単位にしろよ! ついでに言うなら、正確なところは二十八年ぶりだ!」
うれしそうに言う隊長に副長がつっこむ。おいおい知ることになるのだが、隊長はちょっと大雑把な性格だった。
「へえ、僕が生まれるより前か。じゃあこれって、けっこう歴史的なできごとだよな? その時代の隊長だなんて光栄だ」
つっこまれても気にせず、隊長は明るく笑う。空に輝く太陽のような笑顔だ。初めて見た時から、そしてその後もずっと、あたしはこの笑顔がなにより大好きだった。
「あーあ……さっそくたらし込んでるよ」
「無意識なのが腹立つ。あれで本人まったく気付いてないんだからな、こんちくしょー」
「やっぱり顔なのかなー。そりゃあ、隊長は腕っぷしもつえーけどよ」
先輩騎士たちが、こっちを見てこそこそ言っている。あたしが隊長に憧れているのは事実だが、断じて顔に惹かれたわけではないし、そこらの女の子みたいに媚を売る気なんかない。あたしは部下として、騎士として、この人に認められたい。その熱意をもって訓練に励んだ。女だからって周りは容赦してくれなかった。毎日怒鳴られたし、ぼろぼろになるまでしごかれた。隊長も訓練の時は厳しかった。食欲すらなくなり、部屋に戻るなり気絶するように寝る毎日だったが、心から満足だった。ずっと望んでいた日々がある。力をつけ、一日も早く一人前の騎士になって、隊長の役に立ちたかった。
幸いなのは、男の群れの中に女一人で混じっていても、いやらしい真似を仕掛けられなかったことだ。何度となく経験してきた嫌な思いを、この飛竜隊では一切我慢する必要がなかった。多分隊長や副長が周りに言い含めてくれているのだろう。おかげで余計なことにわずらわされず、仕事と訓練だけに没頭することができた。
あたしが必死に食らいついて行くことで、先輩たちの見る目も変わってきた。女だからと変に色目で見られることはなくなり、ただの仲間として扱ってもらえるようになった。卵から竜が生まれた時には隊の全員が祝福してくれて、涙が出るほどうれしかった。
――ただ、ひとつだけ気落ちすることがあった。
「どうした? メイリ」
竜舎の裏手で沈んでいると、隊長がやってきた。
「暗い顔してるな。具合でも悪いのか」
「いえ……そんなんじゃないです」
「んー? まあ熱はないか」
あたしの額に手を当てて首をひねる。大きなぬくもりに胸が高鳴った。
「何かあったのか?」
重ねて問われたことに首を振る。
「何もありません……ただ、竜が雌だったので」
「ああ、そうだったな。僕もさっき見てきたよ。生まれたては小さくて可愛いよな。そばにいてやらなくていいのか? 今は寝る時も一緒がいいくらいだぞ」
「はい……」
生まれた子はあたしも可愛い。最初に見たあたしをちゃんと親だと思い込んでくれて、なついてくる。獣のような温かさやふわふわした毛はなくても、可愛くてならなかった。
でも、雌だった……。
「雌なのが気に入らないのか? なんでだ?」
「気に入らないんじゃないです……でも、雌は雄に比べて力が弱いし、飛ぶ速度でも劣るし……」
こればかりは生まれてくるまでわからない。卵の段階では、中にいるのが雄か雌かなんて見分けようがない。
「僕の竜だって雌だぞ」
隊長は言って、あたしの頭に手を置いた。
「たしかに、雄に力負けするところはあるけどな。それでも竜だ、他のどんな動物より強いんだぞ」
「……はい」
「雌には雌の長所がある。なんといっても賢い。人間もそうだけど、男ってのは馬鹿だからな。女の子の方が賢いんだよ」
頭をぽんぽんと叩きながら、隊長は笑う。
「主人への忠実さも雌の方がまさってる。比較して、どっちがいいとか悪いとかいうものじゃないんだよ」
「…………」
「女のお前が雌だからという理由で竜を否定するな。それはお前自身を否定するのと同じだぞ。腕力や体力面での不利を、努力と根性で克服してきたんだろうが。性別なんか関係ないって、実力で周りに示してきたんだろう。それなら、竜のことも丸ごと受け入れられるはずだ」
女だから――
これまでさんざん、性別を理由に軽視されたり馬鹿にされたりしてきた。悔しさはすべて努力の原動力にして、実力で思い知らせてきたけれど、男に生まれていたらと思うことだって正直あった。
あたしが男だったなら、こんな目には遇わなかったのに、と。
だから竜が雌だと知った時、落胆したんだ。あたしだけじゃなく、竜まで女だなんて。どこまでも性別のせいで苦しめられるのかって。
だけど隊長は関係ないって言ってくれる。女には女のよさがあるんだと認めてくれる。この人だけは、一度もあたしを否定しなかった。力が足りなくても、叱咤激励するだけでけっして馬鹿にはしなかった。
ああ……うれしい。この人の言葉が、気持ちが、存在が、とてもとてもうれしい。
「お前の生涯唯一無二の相棒だ。大切に育ててやれ。でないと、親竜に申しわけがたたないだろう。無理やりうばってきたんだからな。生まれた子にとってはお前が親なんだから、しっかり責任持てよ」
最後にあたしの背中をどやして、隊長は背後を指さす。示されるまま振り向けば、竜舎からよちよちと這い出る姿があった。
あたしを見てピイと鳴く。まだそんなに歩けないと思っていたのに、あたしの声が聞こえてここまで必死に追いかけてきたのか。
切ないまでの愛しさが胸にこみ上げた。あたしは夢中で走り寄って竜を抱き上げた。まだこの腕の中におさまるほどに小さい命。でもいつか、あたしを乗せて空を飛んでくれるんだ。
あたしの竜。あたしだけの、竜。
「名前は決めたのか?」
隊長が聞く。あたしは泣き笑いで答えた。
「リアです」
隊長はあの、あたしが大好きな笑顔でうなずいてくれた。
「輝き(リア)か。いい名前だ」
竜騎士になって二年目、隊長がまたふられたという話を聞いた。
初めて聞く話じゃない。あたしが知るだけでも三回同じことがあった。いつも相手から告白されて、付き合ったもののうまくいかず、結局相手から別れ話を切り出されるというお決まりの結末だ。
ただ今回は、これまでと違う点がひとつあった。
「原因は隊長の浮気だってさ。例の龍の姫君のとこへ毎日通って彼女ほったらかしにして、それでキレられたんだとよ」
「おー、ふっちまえ、ふっちまえ。あんな美人と付き合っときながら浮気とは許せん。万死に値する」
先輩たちが噂している。隊長はみんなに慕われているけど、こと女性関係に関してだけはクソミソにけなされていた。ほとんどはただのやっかみだ。あたしが見る限り、隊長は女ったらしじゃないと思う。むしろ女に関心が薄い方だろう。いつだって女の方から言い寄ってくるのだ。あの外見だけに惹かれて。
来るもの拒まずな感じで付き合い始めるあたりは、たしかにちょっとどうかと思うが……。
そんなことより、隊長の「浮気」とやらの方が気になった。
龍の姫君って、どんな人なんだろう。
行き倒れていたところを公王様に拾われて、そのまま保護されているというような話は、先輩たちから漏れ聞こえてくる。でも詳しいことはわからない。美人なんだろうか。
「隊長、龍の姫君に惚れたんかねえ。これまで自分から女に寄っていくようなことはなかっただろ。見た目と裏腹に淡白っていうかよ、いわゆる脳味噌筋肉の典型みたいな人だったじゃねえか。女になんかろくすっぽ興味持たなかったくせに、姫君にはえらくご執心だなんて、気になるねえ」
どきりとする。隊長の特別な人――そんな話を聞いては、心中穏やかではいられなかった。
これまでの恋人たちにだって、ちょっとは嫉妬心を抱くこともあった。きれいな人が隊長のそばに立っているのを見ると、胸が痛む。でもあれは彼女たちの片思いにすぎないってわかってる。隊長の方は友達感覚しかない。だから付き合っていてもいまいち盛り上がらず、じきに破局する。それがわかっているから、いつも安心して見ていられたんだ。
それが、龍の姫君には隊長の方から近寄っていっているって……。
本当に、惚れちゃったんだろうか。
「マジで惚れたんなら、隊長に対する認識を変えにゃならんな。あんなちっこい姫さん相手に二十四の大人がよー。はっきり言って犯罪だろ?」
「それは言っちゃだめだ。公王陛下とユユ姫なんか十七歳差だぞ。陛下も年の差気にしてなかなかふんぎりつけてくださらないんだ。隊長のことで騒いだら、よけい後ろ向きになられちまう」
「いや、ユユ姫はじゅうぶん大人だし色っぽいし、問題ないだろ。龍の姫君は誰がどう見ても子供だぞ? 胸も色気もねえ」
「そういうのが好きって男もいるよな……」
「うわー、認めたくねえぇ。うちの隊長が幼女嗜好の変態だなんてー」
「誰が変態だ」
いきなり割り込んできた声に、みんなわっと飛び上がった。隊長が青筋つきの笑顔で立っていた。
「お前ら、人のこと言いたい放題言ってくれてるな。誰が幼女嗜好だと?」
「ち、違うのかよ。龍の姫さんに夢中なくせに」
先輩が言い返す。度胸があるのかないのか……腰がひけてるぞ。
「変なふうに勘繰るな。色々心配な子だからほっとけないだけだ。それとティトは、ああ見えても十六歳だから。いや、たしかもうじき十七歳になるって言ってたな」
あたしと同い年なのか。それはちょっと驚きだ。
同い年の女の子……ますます気になってくる。
龍の姫君だなんて大仰な呼び名には理由があった。その子には、龍の加護があるというのだ。シーリースの民なら誰でも知っている伝説、遥か昔の祖王。おとぎ話の英雄と同じように、すべての竜を従えることができるという話だった。
冗談だろうと笑ってしまいそうなところだが、つい先日それを証明するできごとがあった。突然竜たちが騒ぎだしてどこかへ行きたがるので飛ばせてみたら、野生の地竜が吠えて呼んでいたのだ。それだけでも仰天のできごとだったのに、地竜にそんな真似をさせたのが龍の姫君だという。ユユ姫を助けるために騎士たちを呼んできてほしいと地竜に頼んだのだ。たまたま出会っただけの、野生の、しかも子育て中の地竜に!
そんな真似、ほかのどんな人間にもかなわない。殺されるどころか逆に助けられ、願うままに力を貸してもらえるだなんて。
あたしもあの時、先輩たちと一緒に駆けつけていた。人垣がすごくて近くまで行けなかったので、龍の姫君がどんな人なのかたしかめることはできなかった。遠目にちらりと見えた限りでは、なんだか汚れたぼろ布みたいだった。
「当たり前だよ。ティトは崖から落ちて、さらに崩落に巻き込まれて生き埋めになっていたんだから。怪我はけっこうひどかったけど、正直あの程度で済んで幸いなくらいだよ。二、三回死んでもおかしくない状況だったからな」
あたしたちに聞かれて、隊長は姫君のことを教えてくれた。
「ティトは普通の女の子だよ。ちょっと内向的で人見知りが強くて、そのくせ肝の据わった腹黒だけどな」
それ、どんなやつだよ。隊長の説明では、さっぱり人物像が浮かんでこない。
あたしだけでなく先輩たちも、怪訝な顔で首をひねっていた。
「勉強熱心なところはいいんだけど、小食な上に偏食なのが困るんだよな。肉嫌い、魚も嫌い、油っこいものはだめ、味の濃いものもいやがる。よろこんで食べるのは甘いものだけだ。食べやすいものじゃないと受け付けなくて、粥と果物ばっか食べてる。ほんのちょっとですぐ腹がふくれたって言うし、あれじゃあ身体が弱いのも当然だ」
ずいぶんわがままだな。行き倒れてたんだろ? なのに食べ物に文句をつけるのか?
貧しい家の子供は甘いお菓子なんて食べられない。十分に腹を満たすことすらできない。身寄りのない行き倒れなら、それよりひどい生活をしていたんじゃないのか? それがたまたま公王様に拾われてお姫様の暮らしをさせてもらって、さらには龍の姫君だなんて呼ばれてちやほやされて、調子に乗っちまったんだな。
「せめてもうちょっと食事量が増えればいいんだけど……」
「メイリ、お前の食欲を分けてやれよ」
先輩の一人があたしに声をかけた。ちょうど煮込みのおかわりを取っている時だった。男並みに食べるあたしを、周りがげらげらと笑う。あたしはふんと鼻を鳴らした。大食いだと笑いたきゃ笑え。毎日死ぬほどしごかれてんのに、食べなきゃ身体がもたないじゃないか。
「いいや、メイリくらいよく食べてくれる方が安心だよ」
あたしを馬鹿にしないのは、いつだって隊長だけだ。
「食べるやつは強い。食べないやつは弱い。これまでそういう例をたくさん見てきたからわかる。食べることは大切なんだよ」
そう言いながら隊長も煮込みを取る。
「しっかり栄養とって身体を動かして、健康的に生活すればティトだってもっと丈夫になれるのになあ。あのまま年をとったら、いろいろ大変なことになるよ。なんとかできないものかってハルト様も悩んでいらっしゃる」
別にいいんじゃないの、ほっとけば。わがままで好き嫌いして食べないんだろ。そんなやつ、どうなったって自業自得じゃないか。隊長や公王様の責任じゃないだろう。
直接顔を合わせることもないまま、あたしはティトシェという龍の姫君に対して、あまりいい印象を持てなくなってきた。
食卓に並ぶ料理は厨房係が作っているが、見習いやあたしみたいな下っ端騎士も手伝っている。野菜を洗ったり芋の皮を剥いたり、作った後の鍋や道具を洗ったりといった雑用もあたしたちの仕事の一環だ。
料理一つに、いろんな人間の手間がかかっている。野菜や肉だって道に落ちてるわけじゃないんだ。作るためにどれだけの人手と時間がかけられているか。そういったたくさんの労力と、おいしく栄養たっぷりなものを食べさせてやりたいっていう気持ちを、ティトシェは無視している。あたしはそういうやつが嫌いだ。
「いやいや、若い女の子ってのはみんな小食なものっすよ。俺たち男から見ると、小鳥がつついたのかってくらいしか食べないもんさ。目の前にいる女がこんな大食らいだから余計小食に思えちまうんでしょうけど、そんなに心配しなくてもいいんじゃないっすかね」
さっきの先輩が、またあたしを指して厭味なことを言う。あたしはそいつが目の前に引き寄せた肉の皿から、最後のひとかけを奪い取ってやった。
「あっ、このやろっ!」
怒りの声に舌を出し、肉を口に放り込む。ザマミロ。
「メイリ、行儀が悪いぞ。いくらなんでも手づかみはよせ」
隊長に叱られた。あたしは首をすくめ、指についた汁を舐め取った。
その後もティトシェと顔を合わせる機会はなく、あたしも特に会いたいとは思わないまま日が過ぎていった。
隊長がティトシェに相手にしてもらえないといじけているのを見て、先輩たちはここぞと勝ち誇ったり、あるいはなぐさめたりしていた。あたしは複雑な思いだった。前の恋人にふられた原因が自分だと聞いて、ティトシェが腹を立てたらしいのだが、それで隊長に当たるなんてひどくないか? いやでも、これさいわいと仲良くされてもいやだし、このままがいいんだろうか……。
もやもやした思いを抱えている最中にまた事件が起き、ティトシェはますます人の注目を浴びるようになった。そしてその後、あたしにとって看過できないことが起こった。
その日は夜間の巡回当番に当たっていた。リヴェロ公が刺客に襲われた直後だから、騎士団はぴりぴりしていた。あたしは班の先輩たちと一緒に出動し、宮殿周辺に異常がないか見回っていた。
一度竜から降りて点呼と報告をしていた時だ。竜たちが急に何かに気付いたように顔を上げ、止める暇もなく飛び立ってしまった。
地上に残されたあたしたちは、呆気に取られて見送るしかなかった。呼んでも竜たちは戻ってこず、これはよほどの事態が起きたのかと暗い山道を懸命に走り、隊長のもとへ急いだ。その夜はリヴェロとアルギリの両公王を招いて、宮殿で小さな宴が開かれていた。隊長も団長もそこに出席している。ちょうど近くにいてよかった。あたしたちは事情を説明し、隊長を呼び出してもらおうとした。
だが、そこで知らされたのは、信じがたいできごとだった。
あたしたちの竜は、宴の会場へ集まっていた。なぜそんなことをしたのか……それは、ティトシェが呼んだからだった。
宴の余興にと彼女が近くにいる竜を呼び寄せ、踊らせたという。
さすが龍の姫君と周りが驚き称賛する中、あたしははらわたが煮えくり返る気分だった。
余興って……なんだよ、それ。あたしたちは、また大事件が起きたのかと焦ったんだぞ。主人の命令に忠実なはずの竜が、呼んでも戻らなくて、いったい何が起こったのかって気が気じゃなかったんだ。
それなのに、呑気に歌って踊っていただけなのか。
しかも、勝手にあたしの竜を使って。
あたしのリアに、余興の芸をさせただと? ふざけんな、お前に何の権利があってそんなことができるんだよ。リアはあたしの竜だぞ。断りもなく勝手に連れ出して、くだらない余興に利用するなんて。龍の加護ってのは、そんなことのためにあるのかよ!
くやしかった。命をかけて必死に卵を求めた五日間。夢を果たせず竜騎士をあきらめた二人と、生きて戻れなかった一人を思い出す。あの闘いと、それからの厳しく苦しい訓練に明け暮れた二年間が、笑いながら踏みにじられた気分だった。
龍の姫君って、なんなんだよ。どうしてみんな、認められるんだよ。祖王の再来だなんて言って、何がありがたいんだ。何かいいことしてくれたのかよ。周りに面倒かけるばかりで、何もありがたいことなんかしてないじゃないか!
胸にどす黒いものが渦巻いていく。この気持ちを隊長だけはわかってくれるかと、そう思ったのに。
「素晴らしい光景だったよ。お前たちにも見せてやりたかったな。いつかティトに頼んで、もう一度やってもらおうか」
そんなことを笑いながら言う。あの、太陽の笑顔で。
くやしい。どうして。にくい。
まだ一度も顔を合わせたことのない相手。けれどあたしの中で、ティトシェは許せない、認められない存在になっていった。