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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第六部 すれちがう想い
72/130

10



 窓から見える空は雲に覆われて、ひどく寒々しい色だった。

「雪が降りそうね……今年は冬が早いわ」

 肩のショールをかき寄せながら、ユユ姫が窓辺から戻ってくる。ヘンナさんが暖炉に薪を追加した。ユユ姫は私の寝台を覆う(とばり)を、半分以上閉じた。開いているのは暖炉に向いた側だけだ。

「冷えると傷が痛むでしょう。懐炉(かいろ)を用意させましょうか」

「大丈夫。十分暖かいし、もうそんなに痛くないから」

「どうかしら。ティトは具合が悪くても隠して言わないのだから」

 背中に当てたクッションを直してくれながら、ちょっと皮肉げにユユ姫は言う。私は軽くため息をついた。

「打ち身くらいで三日も寝込むなんて、普通ありえないんだけど」

 船での一泊も含めれば四日だ。怪我よりも寝過ぎで背中が痛い。

「打撲を馬鹿にするのではないわ。それで命を落とすことだってあるのだから」

「それは、頭とか胸とか危険な場所を強く打った場合の話で……」

「あなたの怪我もけっこうひどいのよ。背中だって危険な場所だわ。骨を痛めていなくて、本当によかった」

 女官が薬湯を持ってくる。飲みやすいよう甘みを加えたもので、口直しの砂糖菓子もついている。暖炉には火が絶やされることなく、常に誰かがそばについて世話を焼いてくれている。私は暖かな空間で至れり尽くせりの看病を受けていた。怪我の程度を考えると、まったく大げさでしかない。

 電話もメールもない世界だから、私が帰った時はみんなまだ何も知らず、笑顔で出迎えてくれた。けれどイリスから報告を受けたとたん雰囲気は一変し、私は寝室に直行便で送られてしまった。それから三日、まだ起き出す許可はもらえない。御殿医の先生、絶対ハルト様の命令で嘘の診断しているな。

 私はこうして過保護に甘やかされぬくぬくしていられるけれど、メイリさんはどうしているんだろう。女官やユユ姫に聞いてもみんな知らないと言うし、ハルト様は「騎士団内のことだ。そなたが気にする必要はない」と言って教えてくれない。イリスも顔を見せないから、私には何ひとつ情報が入ってこなかった。だから想像するしかないのだけれど、多分牢に入れられるか、そこまででなくても行動を制限されて、ほぼ監禁状態なんじゃないかな。処分が下されるにしても、まずは取り調べをしてからだろうから、今はまだ保留だろう……と、思う。

 寒い思いをしていないかな。気持ちが荒んで落ち込んでいる時に寒かったりおなかが空いたりすると、ますますみじめな気分になってしまうから、あまり辛い状況じゃないといいな。

 時間が経って彼女も少しは冷静になれただろうか。私への感情はともかく、騎士としてどうすべきか、落ちついて考えられるようになっているといいのだけれど。

「ティト? 具合が悪いの?」

 メイリさんのことを考えていると表情が暗くなってしまったのか、ユユ姫が心配そうに尋ねてきた。私は笑顔をつくって首を振る。

「ううん、大丈夫。それより、私が留守の間、ハルト様とはゆっくり過ごせたの?」

「まっ」

 たちまち白い頬がピンクに染まる。相変わらず可愛い。ちょっと怒ったそぶりをしながらも、ユユ姫は「まあね」と答えた。

「別に、あなたを邪魔者扱いする気なんてなくてよ。変な気を回さなくてよかったのに」

「うんうん、それでどんなことをしたの?」

「どんなって……」

 ますますユユ姫の頬が染まっていく。

「べ、別に……普通よ、普通! お話したり、お茶を飲んだり……ちょっと、遠出もしたわ。丸一日仕事を休んで、静かな別荘で過ごしたの。特に何かしたわけではないのだけれど、楽しかったわ」

 そうか、そうか、それはよかった。ついでに婚前ベビーをこしらえたりは……してないですか、そうですか。まあ、あのハルト様が、結婚前に手を出したりしないよね。

 私の計画はおおむねうまくいったようだ。ユユ姫の幸せそうな顔からもわかるし、ハルト様もやけにお肌がつやつやしていた。恋人といちゃついて若返ったか。

 あっちもこっちもうまくいかない人間関係ばかりだったから、変わらず睦まじいふたりにほっとさせられる。想いが通じ合うって、どれだけ幸せな気分だろうか。うらやましいな。

 私の想いは一方通行だ。向けられる想いにも応えられない。

 カームさんにちゃんと気持ちを伝えなくてはと思うのに、まだどんな言葉で伝えればいいのか考えがまとまらず、手紙も書いていなかった。彼の方はどうしているんだろうか。大人だし私と違って恋愛経験豊富だろうから、もう割り切っているかな。ずいぶんひどいことを言ったから、私のことなんて嫌いになってしまったかも。結局あの後、ジーナを発つまで一度も会わなかった。もう私の顔も見たくないと思われているだろうか。

 彼に応えることができないのに、嫌われたかもしれないと思うと胸が痛かった。あの人のすべてを認めることはできない。やっぱり受け入れられない部分もある。それでも、私はあの人が好きなんだ。嫌いにはなれない。できることなら、ずっと友達でいたかった。

 勝手だな。私ははっきり大嫌いと言ってしまったのに。あの時カームさんは、今の私よりずっと辛かっただろう。さんざん傷つけておいて、いまさら虫のいいことを言っている。嫌われたってどうしたってしかたがない。それで私が傷つく権利なんてないんだ。

 人の言葉や想いをちゃんと受け止めなかった私だから、自分の想いをかなえたいなんて願うことはできない。私も、このままずっと片思いで終わるんだろう。

「……ティト、疲れた? もう寝る?」

 ぼんやり考え込んでいると、ユユ姫がそっと声をかけてきた。そちらへ顔を向けると、ちょうど寝室に入ってきた女官と目が合った。

「地竜隊長トーヴィル様がお越しです。お通ししてもよろしいでしょうか」

 あら、とユユ姫も振り返る。私はすぐに通してもらうようお願いした。ほどなくしてトトー君がやってきた。彼と会うのは何日ぶりだろうか。

「プチひさしぶり」

「うん……おかえり」

「ずいぶんいまさらな『おかえり』ね。もう三日過ぎていてよ」

 トトー君ののんびりした挨拶に、ユユ姫が笑った。

「ボクだって忙しいんです……」

 相変わらずの無表情で言って、トトー君は寝台脇の椅子に座った。

「具合はどう?」

「わざわざありがとう。元気よ」

 お仕事をしていて、しかも隊長で、本人の言うとおりトトー君は忙しいはずだ。でも私が寝込むと、かならず一度はお見舞いに来てくれる。忘れず気にかけてくれるのがうれしい。

「本当は寝込む必要なんてなかったんだけどね」

「だめよ。医師から安静にしているよう言われたでしょ」

 私の返事にユユ姫が口を挟んだ。

「あれ絶対嘘よ。ハルト様がそう言うように指示してるんでしょ」

「してません」

「うそだー」

「……たしかに、元気そうだね。安心したよ」

 言い合う私たちを眺めて、トトー君は軽くうなずいた。

「それなら外出できるかな……温泉に行かない?」

「温泉?」

 私とユユ姫は言い合いを止めて、トトー君に目を戻した。

騎士(ボク)らがよく利用するとこで……外になるけど、怪我に……特にそういう、打ち身に効くんだ」

 外の温泉――というと、露天風呂か! おお、それは魅力的なお誘いだ。

「すぐ行ける場所なの?」

「ああ……それほど遠くない」

「行きたい! 連れてって」

 テンションの上がる私とは反対に、ユユ姫は渋い顔をした。

「騎士たちがよく使う湯って……そんなところにティトを?」

「……ちゃんと、見張りますよ」

 んん? 私はふたりを見比べ、それから気がついた。そうか、ちゃんとした浴場施設ではないのかも。自然にお湯が沸き出しているだけの場所なのかな。

「それって、山の中? それとも河原とか?」

「山の中だよ……心配しなくても、ちゃんと人払いはするから。覗くやつがいるとしたら、山の獣くらいだ」

 トトー君がそう言ってくれるのなら、そっちは心配しなくていいだろう。なにげに視線が「大体コレを覗いてもなー」に思えるのは気のせいかな?

「獣って、おサルさんやカピバラが入りに来る?」

「カピバラ?」

「おっきいネズミ」

「……ネズミが温泉に入るってのは聞いたことがないな……獣は人の来るような場所には現れないよ」

 なんだ、来ないのか。ちょっと残念。

 なかなかいい顔してくれないユユ姫を説得し、私はいそいそと身支度を始めた。温泉も楽しみだし、ベッドから脱出できるのもうれしい。湯治のためならハルト様にも叱られないよね。

「ティトはお風呂が好きねえ」

 ユユ姫はあきらめ顔で苦笑していた。ええ好きですとも、日本人だからね。お風呂へのこだわりは古代ローマ人にだって負けないよ。

「露天風呂って気持ちいいのよ。ユユ姫は入ったことないの?」

「外でというのはね……だって、落ちつかないじゃない」

「慣れれば平気よ。今度ハルト様と一緒に行ったら?」

「なっ……もう、ティトってば! 時々言うことが下品よ!」

 えー、別にいいじゃないこのくらい。婚約者なんだし、一緒にお風呂入ってますますいちゃつけばいいよ。そんでさっさとお世継ぎを作っちゃえ。

 着替えを済ませ、隣室で待っているトトー君のもとへ向かえば、ユユ姫の声が追いかけてきた。

「ちゃんと外套を着ていきなさい。そのままで外に出たら寒いわよ」

「厚着してるから大丈夫」

「だめよ、待ちなさい」

 クロゼットを開ける音がする。私はトトー君と顔を見合わせた。

「ハルト様といい、過保護よね。似た者夫婦になりそう」

「……否定はしないけど、ティトはすぐ熱出すし、しょうがないんじゃない……?」

 みんな私をどれだけ弱いと思っているんだろう。強くもないけどさあ。

 待っている間、私は気になっていたことを尋ねた。

「イリスはどうしてる? トトー君会った?」

「いや……そろそろ謹慎が解けて出てきてるんじゃないかな……」

「謹慎?」

 思いがけない言葉が返ってきて驚く。トトー君は平然とした顔のままうなずいた。

「自主的なね……そんなに長く休ませてやれるかってアルタが言ってたから、もう解けてると思うよ。今日正式に辞表が受理されたし」

「辞表って」

「トトー!」

 ユユ姫の鋭い声が割って入る。外套を手にしたヘンナさんと一緒に、こちらへ来ていた。

「どういうこと……辞表って、イリス、騎士団を辞めちゃうの?」

「いや、辞めない……隊長職を辞めるんだ」

 隊長を、辞める……? え? それって……。

「トトー、その話は」

「隠したって意味ないでしょう……すぐにわかることだ」

 とがめるユユ姫に、トトー君は肩をすくめて言う。

 ユユ姫も知っていたの? 私が目を向けると、気まずい顔でそらされる。

「なんで、イリスが隊長を辞めちゃうの」

「今回の件について、責任を取ったんだ」

 今回の、責任? メイリさんのことで……?

「え、だって……イリスは、何も」

「部下をきちんと指導していなかった。メイリに常識や騎士としての自覚が欠如していることに、気付いていなかった。そんな未熟者に単独任務を与え、外国へ送り出した……どれを取っても責任問題だよ……謹慎くらいで許される話じゃない」

 淡々と語られる厳しい内容に、私は束の間絶句した。

「でも、降格までしなくても」

「妥当だと思うけど……」

 いつもと変わりない、おっとりした口調でトトー君は語る。でもその内容は容赦ない。イリスへの同情などは見せず、事実だけを指摘していく。

「リヴェロの事件に巻き込まれたとは言っても、メイリの行動はロウシェンの問題だ……ちゃんと責任を追及しないといけない。なあなあで片づけてしまったんじゃ、しめしがつかない」

「…………」

 言葉を失う私の肩に、優しい手がそっと触れた。ユユ姫が後ろから寄り添っていた。

「その話は、いずれハルト様がきちんと説明してくださるわ。だいじょうぶよ、何も追放するわけじゃないんだから。今後の功績次第では、隊長に返り咲くこともできるわよ。だからあなたは気にしなくていいの」

 甘やかす声に、私は力なく首を振る。

 気にするなって言われても――そんなの、無理だ。

「自分のせいみたいに考えてるなら、間違いだよ。ティトは悪くない……悪いのはメイリと、彼女を監督できていなかったイリスだ……本人がそう言って辞表を提出したんだよ」

「イリスが……?」

 トトー君はうなずいた。

「しめしがつかないって言ったろ……イリスもそう考えて、責任を取ることにしたんだ……最初からそのつもりだったみたいだね」

 もう我慢できなかった。私はユユ姫の手を置き去りにして駆け出した。

「ティト!」

 部屋を飛び出し、外へ向かう。トトー君は追いかけてこなかった。

 一の宮を出たくらいで、もう息切れして苦しくなってくる。気持ちは焦るのに走り続けられない。息を乱しながら、それでも必死に早足で進んでいたら、遠くにハルト様の姿を見つけた。

 点在する宮殿建物をつなぐ、橋のような渡り廊下を歩いている。アルタと宰相も一緒だ。かなり高い場所にあるため、これまでは怖くて近寄れなかった。今はそんなことを気にする余裕もなく、私は気力をふりしぼってそちらへ急いだ。

「ハルト様……っ」

 ぜいぜいと喘ぎながら呼んだ声が、向こうに届いた。ハルト様は足を止め、驚いた顔で振り返った。

「チトセ?」

 最後の力で彼のもとまで走る。胸と脇腹が痛い。背中も痛い。山の空気は息が白く曇るほどなのに、服の下では汗をかいていた。

「なにをしている。まだ起き出してはならんと言ったであろう。そのように走っては傷に障るではないか」

 さっそく繰り出されるお説教を無視して息を整え、私は尋ねた。

「イリスの罷免って、もう決定なんですか。取り消すことはできませんか」

 ハルト様の表情が変わる。

「聞いたのか……」

「考え直してください! たしかに責任はあるでしょうけど、降格までしなくても――責任なら、今後正しく勤めをまっとうすることで取れませんか」

「それは通らんなあ」

 答えたのはハルト様ではなかった。

 アルタがちょっと困った顔で私を見下ろしていた。

「叱られて反省しましたごめんなさいで終わる話じゃないんだよ。ここできちんと処分が下されなければ、不祥事を起こしても罰されないという悪しき前例を作っちまう。甘いことは言ってられん」

「でも……」

「でも、ではないわ。社会のしきたりだ。何もわかっておらぬ子供が口出しするのではない」

 厳しく言ったのは宰相だった。鋭いまなざしを向けられて怯んでしまう。

「リュシー」

 ハルト様が宰相をなだめた。そうして私に諭す。

「イリスがみずから申し出たことだ。見苦しく言い訳することなく職を返上した。潔い決断だ。道理を曲げて身内贔屓な裁量を下せば、逆に彼の名を貶める。そなたならば、理解できるであろう? 撤回はできん。イリスは降格処分とする」

「…………」

 私の顔があまりに情けなかったのか、アルタが大きな手を頭に乗せてきた。くしゃりと私の髪をかきまぜる。

「これはイリスを守るための措置でもあるんだぜ? 一般の騎士団なら、団員の一人が不祥事を起こしたくらいで上の首をすげ替えたりはせん。責任をとると言っても、せいぜい減俸とかそのくらいだな。だが竜騎士となるとそうはいかん」

 全軍を統括する総司令官は言う。

「竜騎士――その名のとおり竜を持つ騎士は、選ばれた精鋭中の精鋭であり、特別視されている。竜騎士団の中でも、飛竜隊地竜隊と騎馬隊との間には隔たりがあるくらいだ。国中から尊敬と憧れの目で見られる竜騎士は、それだけに何かとやっかみの対象にもなる。今回の件は、反感を抱く連中には恰好の攻撃材料だ。降格どころか、追放しろという意見が飛び出してくるのは目に見えている。言ってるのがそこらの小物ならいいが、中にはそれなりに権力持った奴らもいるからな。そういう連中に口出しされる前に、こちらでさっさと処分を決定したってわけだ。それなりに厳しい処遇にはするが、騎士団からの追放なんぞはせんとな」

「さすがに、イリスを除名するわけにはいかぬからな。彼は騎士団に必要な存在だ」

 ハルト様が口にした除名という言葉に、私はもう一人の騎士のことを思い出した。

「メイリさんは……どうなるんですか」

 ハルト様は困った顔で口をつぐみ、アルタも頭をかいた。

「イリスが降格なら、メイリさんは……」

「嬢ちゃん」

「た、たしかに、彼女は間違ったことをしました。罰は受けるべきです。でも挽回の機会くらいあってもいいんじゃないですか? 彼女は少し軽率だっただけです。何も本気で私を害したり、背任行為をする気なんかなかったんです。ちょっとした意地悪くらいの気持ちで……そもそも、あれはカーメル公の策に乗せられたんです。私も、ミルシア姫も、メイリさんも」

「チトセ……」

「――なあ、嬢ちゃん」

 アルタが大きく息を吐き出して、私の前にしゃがみ込んだ。子供の相手をするように、下から私の目を見上げて言う。

「前に聞かせてくれたことがあったよな。嬢ちゃんの国には、軍とは別の治安組織があったって。警察と言ったか。その警察の人間が犯罪の共犯になったらどうなる? そんな重大なことだとは思わなかった、軽いいたずらのつもりだったと主張して、それで認められるか? 許されるか?」

「…………」

「それを許す組織を民は許すか? メイリがしたのはそういうことだ。どういうつもりだったかは関係ない――いや、認識不足も大きな問題点だ。経験が浅いからとか、指導が足りなかったとかで大目に見ることはできん。騎士を名乗る以上は、どんな新人であっても最低限心得ておくべきことなんだ」

「……でも……」

 言い返そうとして、言葉が続かない。アルタの言うことは正しい。頭ではちゃんと理解できている。反論なんて、できるはずがなかった。

 だけど――

 なんとか反論を考える私に、宰相がふたたび厳しい言葉をぶつけてきた。

「いい加減にせい、我々は忙しいのだ。いつまでも子供の相手をしておられん。これ以上わがままで陛下をわずらわせるな」

「リュシー」

 ハルト様が止めるが、宰相は容赦しなかった。

「道理を曲げてでもかばいたがるのは、自分が原因だからか? メイリ・コナーが処分されるのは、自分が悪者になった気がして嫌か。それはメイリ・コナーのためではなく、自分をかばっているだけだろう」

「…………」

 言葉が胸に突き刺さる。言いがかりだとはねつけることができない、私の本音の一部だった。

 たしかにそういう気持ちはある。メイリさんが処分されるのは気がひける、ますます私が恨まれそうで嫌だと。

 それを見抜かれて恥ずかしくなる。謝って一の宮へ逃げ帰りたい衝動に襲われた。

 でも――だめだ。

 私は奥歯をかみしめ、ぐっと拳を握り込んだ。

「……それでも、罰則の軽減をお願いします」

 ここで引き下がることはできない。それだけじゃない。彼女を許してほしい理由は、それだけではない。

「彼女は、竜騎士です。ただ腕が立つだけではない、竜を持っているという特別な存在です。卵を無事手に入れて、生まれた竜を育てて、調教して――現場に立てるようになるまで、年単位の時間がかかっています。彼女を除名したとして、代わりがすぐに補充できますか? 竜の数を減らさないため、捕獲数は厳格に制限されていると聞いています。今現在、竜を育てている最中の騎士はほんの数名。彼らもまだ実戦には出られない。エランドとの問題は解決したわけではありません。いずれまた攻めてくるでしょう。切り札となる竜騎士は、一人たりとも減らせないはずです」

 王都を守る竜騎士団は、総勢約千名。しかしその大半はザックスさん率いる騎馬隊だ。名前のとおり竜を持つ騎士は、二隊合わせても全体の三割足らずでしかない。文字通りの少数精鋭なのだ。

 竜は人に飼育されると卵を産まなくなるから、絶滅させないため捕獲数には神経質なまでの取り決めがある。当然騎士の数も増やせない。卵を手に入れてくるのは最終試験で、それ以前にも数々の試験があり、厳しい選抜を勝ち抜いた人だけが竜騎士になれるのだ。

 そんな存在を、簡単に入れ換えることなんてできない。そこが狙い目だ。感情論だけでは説得できない。理詰めで譲歩を引き出さないと。

「それに、メイリさんを除名したとして、リアちゃんはどうなるんですか。竜は育ての親である主人にしかなつきません。他の誰かが代わりに主人になることはできない。山へ帰したところで人に育てられた竜が野生として生きていけるかわからないし、メイリさんのもとへ戻ってしまう可能性も大きい。だからといって、無駄に飼い殺しにするわけにもいかないでしょう」

 アルタが舌打ちをしながら立ち上がった。盛大に苦笑して私を見下ろす。

「そこを突いてくるか。ったく、嬢ちゃんは賢いなあ」

 ……ほめ言葉じゃないな。皮肉な調子だ。

「さすがオリグの弟子だぜ」

「小癪な理屈をこねまわすことばかり上手だの」

 宰相もいまいましげに息をつく。オリグさんの弟子になった覚えはないけど――でも、この反応は。

 ハルト様を見ると、ため息をつかれた。

「オリグにもそう言われた。竜騎士は安易に手放すべきではないとな」

 オリグさんが? なんと、あの人が動いてくれていたとは。

「一理あるのは認める……だが、簡単に許すことはできん。その理屈で押し通すにしても、あっさり罪を許したのでは、あまりにしめしがつかん。なにより、本人が自らの過ちを悔い改め、二度としないという意識を持たねば、今後任務につかせることもできん。処分保留の上で無期限の謹慎が最大限の譲歩だ」

 無期限。それは、すぐに許されるかもしれないが、ずっと許されないままかもしれないということだ。状況から見て、楽観的にはとらえられない。

 でも今すぐ除名という事態は、かろうじて回避できたのか。

 ありがとう、オリグさん。私の言葉だけでは聞き入れてもらえなかっただろう。彼の口添えに大感謝だ。

 あとは、メイリさん次第。彼女が意識を変えることができたら、復帰も可能になる。

「ありがとうこざいます」

 頭を下げる私に、大人たちは複雑な顔をしていた。

「なんで嬢ちゃんはそんなにメイリをかばうんだ? イリスですら、擁護するようなことは一切言わなかったぞ。誰に聞いてもメイリは除名すべしと答えるだろう。嬢ちゃんが罪悪感を抱く必要なんぞない。それはわかってるだろうに、なんでいちばんの被害者がそうも同情的なんだ」

 アルタに不思議そうに聞かれたが、答えることはできなかった。

 言っても、多分誰にも理解してもらえないだろう。私のこの気持ちは、自分をかばっているだけだという宰相の言葉どおりだ。以前の私と同じ道にはまりこんでしまっているメイリさんを、元の明るい場所へ戻してあげたいというのは……彼女を見ているつもりでも、結局自分しか見ていないのかも。

 メイリさんを見ていると、私自身を見ているようで辛い。感情の闇につかまって苦しんでいる姿は、以前の私と同じだ。自分に非があることはわかっている。でも止められない気持ちがある。わかってくれない周りを恨んでしまう。そんな自分にも嫌気がさして辛くてたまらないのに、抜け出せない――きっと、メイリさんも同じだろう。

 同い年の女の子で、同じ人を好きになって、そして同じ闇にはまりこんで。

 このままメイリさんを見捨ててしまったら、きっと一生消えない傷になる。思い出すたび、痛みに苦しむことになる。

 だからなんとかしたいというのは、とても利己的な理由に思えた。ハルト様たちには言えない。私は首を振って、答えなかった。

「……早く帰りなさい。身体を冷やすと、また熱を出すぞ」

 あきらめたようすでハルト様が言い、彼らは私に背を向けて歩き出した。もう一度頭を下げて見送り、私はそのまましばらく橋の上にたたずんでいた。

 見晴らしのいい場所からは、飛竜隊の隊舎が見える。付近を飛び回る竜の姿もあった。ここからだと、あの大きな飛竜が羽虫みたいだ。

 イリスは、あそこにいるのだろうか。

 無性に彼の顔が見たかった。会ったところで、もう処分はどうにもできない。特別な竜騎士の中の、さらに特別な隊長――その名誉を失ってしまった人に、どんな言葉をかければいいのかわからなかった。

 それでも会いたかった。動き出した足は下界へと向かう。汗をかいた身体が冷えてきて、山肌を吹き抜ける風がこたえたが、足も心もひたすら前へ進み続けた。

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