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昼食の後、メイリさんは誰かに呼ばれてしばらく戻らなかった。
なんだろう。また大使がお説教でもしに来たかな。
でもそれならこの部屋に顔を出すだろうし、あの後特に叱られるようなことを彼女はしていない。叱られたのは私の方だ。別口だろうかと少しばかり気にして帰りを待つ。小一時間ほどして、メイリさんは特に変わったようすもなく戻ってきた。
戻ってすぐに、珍しく私のもとへやってくる。
「カーメル公から散策のお誘いがきています。城内の珍しい場所を案内したいとか」
数時間前に会ったばかりなのに、またか。もういっそお昼ごはんも一緒でよかったんじゃないのかな。仕事があるから遊んでばかりというわけにはいかないか。
「メイリさんを呼んだのは、誰だったんですか?」
「……大使館からの定時連絡です。特に報告することもありませんが、聞きたいですか?」
「いえ、それはかまいませんけど……」
定時連絡って、そんなことしていたのか。だったらこの部屋に来ればいいのに、なんでわざわざ呼び出すんだろうな。
いちいち聞くなよめんどくさいという雰囲気をひしひしと感じたので空気を読んでスルーして、私は隣室のレイダさんに出かけてくると声をかけた。メイリさんと一緒に部屋を出ると、女官が一人外で待っていた。案内されて城内を歩く。とにかく広い城だから案内がないとうかつに出歩けない。ロウシェンの宮殿は全体の規模は大きいけれど、たくさんの建物が集まる構造だから、ひとつひとつはそれほど複雑な造りをしていない。迷ったことなどない。対してこのカルブラン宮殿は立派にダンジョンだ。きっと新人の職員さんは、まず道順を覚えるところから始めるんだろうな。
あっちを曲がり、こっちを曲がり、一度外へ出たと思ったらまた建物に入り、もうどこを歩いているのかわからない。なんだかどんどん人気もなくなっていく風景にちょっと心細くなる。メイリさんも一緒だし、心配することはないと思うけど……。
やがて案内の女官は、本宮のそばに建つ塔のひとつへ私を連れて行った。珍しい場所って、この塔のことかな? かなり古そうだ。外から見る分には特に変わったところはない。内部はどうなっているのだろう。
「護衛の方はこちらでお待ちください」
入り口のところで女官に言われ、メイリさんは足を止めた。そのまま外で待機の態勢になる。中へ入れてもらえないことに、不服を見せるようすもない。
「お嬢様、どうぞ」
女官が扉を開けてうながす。私はメイリさんの顔を見、それから塔の中へ足を踏み入れた。
入ったところは、ごく普通の明るい部屋に思えた。生活空間というようすではなく、何もないただのがらんとした空間だ。寝起きしたり食事の支度をするような設備はない。奥に扉があり、塔内部と外とを仕切る空間なのだということがわかった。詰め所かな? 長く使われていないようで、部屋の隅には蜘蛛たちのマイホームが建設されていた。
その部屋で私を待っていたのは、身なりのよい男性だった。二十歳前後の、そこそこ見栄えのする若者。
「ようこそ、ティトシェ嬢。お待ちしておりました」
大げさなお辞儀をして出迎える顔には見覚えがあった。
「……たしか、ニコール様でしたか」
「覚えていてくださったとは、光栄のいたりです」
笑顔で私を見返したのは、式典の夜に私をダンスに誘った若様だった。カームさんの登場でそそくさと退散し、その後は二度と近寄ってこなかったのに、またこうして顔を見ることになるとは。
「どういうことなんでしょうか。私はカーメル公のお誘いということで出向いてきたのですが」
「おお、それは心よりお詫び申し上げます。私の名を出したところで来ていただけるとは思えませんでしたので。どうにかしてあなたともう一度お会いしたいと熱望したがゆえのことです。どうか、この愚かな男の恋心に免じてお許しください」
芝居がかった台詞を聞き流しながら、私は周囲をさぐった。室内にいるのは私を連れてきた女官とニコール若様、それから彼のお供らしい男が一人。あの女官も本物かどうか疑わしいところだな。
恋心、ね。たしかにそうなんだろうな。こんな真似をするくらいだから、相当に入れあげているのだろう。私にではなく――
「奥にいらっしゃるのは、ミルシア様ですか?」
私の言葉にニコール若様がぴくりと顔を引きつらせる。私は彼を無視して、奥の扉をじっと見つめた。
応えるように扉が開き、奥から人が姿を表す。予想どおり、この場には不似合いな華やかなドレス姿だった。
「勘がいいのね」
ミルシアさんは友達にでも会ったかのように、微笑みを浮かべてやってくる。さっきの女官がすかさず彼女のそばへ寄り添った。
「まあ……こういうのには慣れていますから。あの会場で彼が私をダンスに誘ったのも、あなたが仕向けたことなんでしょう? 転ばせるかどうかして、私に恥をかかせるようにと指図して」
私なんぞにダンスを申し込みに来る人がいるなんて、妙だと思ったのだ。ロウシェンでは何かと注目される立場だが、こっちの宮廷ではどうでもいい小娘として無視されるはず。ミルシアさんみたいに美人じゃないし、男が寄ってくるはずもなかったのに。
視界の端にミルシアさんの姿が映った瞬間、あ、これ罠だと気付いた。幸いカームさんのおかげでことなきを得たが、あのままだときっと会場中の笑い物にされるような展開が待っていたのだろう。
あの時はその程度の嫌がらせで済んだ。でも今回は笑われて終わり、では済まないのだろうな。
私はミルシアさんを見据えたまま後退しようとした。すかさず先回りして、ニコール若様の従者が背後に立った。逃がすつもりはない、か。
「……それで、今回はどういうご用件なんでしょうか?」
「まあ、ずいぶんと落ちついているのね。おびえてみせればまだ可愛げもあるというのに、なんて憎たらしい態度かしら。そのふてぶてしい顔をお兄様はご存じなのかしらね」
「よくご存じですよ。あの方とも過去に何度かやり合いましたからね」
肩をすくめて答えると、ミルシアさんの顔がゆがんだ。
「……本当に、にくたらしいこと。お兄様に対してどこまでなれなれしいの。あの方は、本来あなたごときが近づけるような存在ではないのよ。それをよくも……」
「どっちかというと、向こうから近づいてきたんですが」
「おだまりなさい!」
苛立ちを乗せた甲高い声が響く。ミルシアさんはもう表情をとりつくろうこともなく、いまいましげに私をにらんでいた。
私はため息をついた。
「ひとつだけお断りしておきますが、私は別にカーメル公と特別な関係にあるわけではありませんよ。あくまでも友人です。こんな真似をしなくても、予定の日数が過ぎたらロウシェンへ帰ります」
「何が友人よ、言ったでしょう? あなたごときがお兄様になれなれしくするものではないと。お兄様のそばをうろつくだけで目障りなのよ! 卑しい下賤の娘が!」
うーん、やっぱり無理かー。まあ、話し合いで片づく状況じゃないのは一目瞭然だけど。
さて……いったい、この後私に何をするつもりなのだろうな。ただの嫌がらせ程度ならいいが……どうにも剣呑な雰囲気だなあ。
ミルシアさんは悪意にゆがんだ笑みを浮かべて言った。
「何を勘違いしているのか、このわたくしに向かってもそうやって生意気な口を利いているけれど、本来ならば這いつくばって顔も上げられない立場だということを自覚なさいね? わたくしは王族なのよ? 卑しい平民に直接声をかけてあげているのだから、感謝してほしいわ」
言うことがあまりにもお馬鹿さんなのと、どうせ悪口を言うだけで済ませる気はないのだろうという気持ちから、私は遠慮を捨てて言い返した。
「それはおそれいります。ミルシア様には特に興味がないので、無視してくださっても一向にかまわないのですが」
「な……」
「私の知っている姫君は、身分を嵩に着なくても自然と尊敬される真の人格者です。教師からも、王族の方々は国と民の守護者だと教えられました。人品すぐれた尊い方々なのだと思っていましたから、そうじゃない人もいたとは驚きですね。ユユ姫の素晴らしさを改めて知りました」
「……っ、こ、この……っ」
私の憎まれ口に、ミルシアさんはぶるぶると震え出した。ザマミロ。ついでに舌でも出してやりたい気分だ。普段は黙ってますけどね、言おうと思ったらこのくらいは言えますよ。性格の悪さじゃ負けてないっての。保身を考えてむやみに波風立てないようにしているだけで、もうとっくに立ちまくりのこの状況では我慢したって意味がない。だったら言いたいように言ってやる。
嘘の呼び出しでこんなところにおびき出して、大人の男を協力者に引き入れて。やることがずいぶんと悪質だ。どこがお姫様なんだ。警察沙汰になるほどのいじめをやらかす連中と同じじゃないか。
カームさん、本当に身内の躾がなっていないよ。多少のわがままは許されても、限度というものがあるだろう。
憎悪に満ちたミルシアさんの視線を、私は真っ向から受け止める。にらみ合う私たちの間に、ニコール若様がしたり顔で割って入った。
「姫、このような愚民にお言葉を重ねたところで無意味です。卑しき者は獣と同じ、頭ではなく身体に教えてやるしかないのですよ」
背後から彼の従者が私の両腕をつかむ。口をふさがれる前に、私は声を張り上げた。
「メイリさん! 来てください!」
メイリさんは出口のすぐ外にいる。防音性もない木の扉なんだから、十分に聞こえるはず。
「メイリさん!」
普段は出さない大声で護衛の騎士を呼ぶ。でも扉は開かれず、外から開こうとする物音も聞こえなかった。
……これは……。
ミルシアさんが楽しそうに笑い声を上げた。
「ばかね、呼んでも来やしないわよ」
私は視線を彼女に戻す。青い瞳に残酷な愉悦が浮かんでいた。
「あなたを連れ出したのは、あの女騎士なのよ。その意味がわからないの?」
「…………」
男の力で捕らえられ、動くことのできない私にミルシアさんはゆっくり近づいてくる。
「あなた、彼女にずいぶんと嫌われているのね。見ていてすぐにわかったわ。素性の知れない卑しい平民ごときにつき従って守ってやらなきゃいけないだなんて、誇り高い竜騎士には耐えがたい屈辱なのでしょうね。気の毒に。嫌々あなたに付いているというのが、はたから見て丸わかりだったわ」
「…………」
「ロウシェンの人間からも嫌われて、みじめね。あなたを認める者なんて、どこにもいないということよ。どうやってハルト公に取り入ったのか知らないけれど、じきに化けの皮がはがれて追い出されるのではないかしら?」
私の顔を覗き込み、意地悪くせせら笑う。可憐なはずの美貌なのに、ひどく醜悪に思えた。
私は腹を立てていいはず。その権利がある。なのに、なぜかあまり怒りはわいてこない。さっきまではそれらしい感情もあったのに、どこかへ見失ってしまった。
今はとても不思議だ。身分も血筋も申し分なくて、容姿も並外れて美しく、完璧なお姫様。なのに、どうしてこんなにゆがんでしまっているのだろう。
これだけ恵まれた人ならば、他人をうらやんだり妬んだりすることもないだろう。暗い気持ちとは無縁に生きて、おっとりと浮世離れした人になるものじゃないのか。世間知らずと言われることはあっても、いじめに関わるような性悪女にはならないはず……と、思うのに。
現実はこのとおりだ。人の性質って、生まれ育ちに影響されるものではないのか?
それとも私が知らないだけで、お姫様にはお姫様の苦労や悩みがあり、人格をゆがめてしまうほどのストレスにさらされていたりするのだろうか。
不思議には思うけれど、まずは自分のことだな。他人を心配している場合じゃない。今いちばん危ない立場なのは、ほかならぬこの私なのだから。
「……本当に可愛げのないこと」
表情を変えない私にいまいましげに吐き捨てて、ミルシアさんは手にした扇で軽く私の頬をはたいた。それから私を押さえる従者に言いつける。
「連れて行きなさい」
従者は私を乱暴に引っ張って、扉の奥の空間へ連れ込んだ。
そこは狭いながらもホールになっていて、上へあがる螺旋階段があった。従者はそれを無視して、隅にある小さな扉へ向かう。その向こうは部屋などではなく、地下へおりる階段だった。
明かり取りの窓などないのか、狭い階段はひどく暗い。下の方は真っ暗でどうなっているのかもよく見えない。
「約束だったわね、珍しい場所へご案内してさしあげるわ」
後ろをついてきたミルシアさんが言った。
「ここはね、昔牢獄として使われていたの。囚人の中でも特に罪の重い者が、この地下に入れられていたのよ」
女官がランプに火をつけて、私たちのすぐ後に続く。その明かりでかろうじて足元が見える中、従者の男は階段を下り始めた。もちろん私を連れたまま。
「拷問などもされていたらしいわ。ほとんどの者が獄死して、二度と地上へ出ることはなかったそうよ。先代の陛下の頃に完全に使われなくなって、そのまま打ち捨てられていたの」
ミルシアさんの声も追いかけてくる。律儀に下までついてくる気だろうか。階段は狭く急で、しかもすり減っていて大変危ない。ドレス姿で転げ落ちなければいいけれど。
「なにぶん古い建物だから、あちこち傷んでいてね。そろそろ取り壊すか改装でもしようかって話になって最近調べたところ、地下へおりる階段が途中で崩れてしまっていたのがわかったの」
従者が足を止める。そこから先に、階段はなかった。
残骸とむき出しになった土壁が明かりに照らされる。
「危ないから絶対に近づかないようにって言われていたのだけど、あなたがどうしても見たいって言うから、仕方なく連れてきてあげたわ。でもどうしましょう? あなたったら人の注意も聞かないで身を乗り出して、落ちてしまったの。こんな真っ暗で手も届かない場所に落ちたのでは、助けようもないわねえ?」
……ああ、そういうことですか。ご丁寧に説明ありがとうございます。
従者の男が私を前へ押し出す。突き飛ばされて勢いと重力に逆らうこともできず、私はそのまま暗い空間へ投げ出された。
自由落下にはならず、じきに階段だか残骸だかにぶつかる。そのままあちこちぶつけながら、私は転がり落ちた。身体を丸め、頭だけは必死にかばう。多少怪我をしてもなんとかなるが、頭をやられたら命の危機だ。
さいわいそれほど長くはかからず、気を失う前に落下は止まった。……身体中がめちゃくちゃ痛い。ちょっと私こんなんばっかじゃないですか? 落ちるのこれで何度目だよ。
「安心なさい、ちゃんと人に知らせて助けてあげるから。あなたがそこで、十分に反省したらね。それまで、せいぜい亡霊にとり殺されないよう気をつけなさいな」
勝ち誇った笑い声と複数の足音が遠のいていき、やがて頭上で扉の閉まる音が響いた。地下に静寂が訪れてから、私はゆっくりと身体を起こした。
……うん、大丈夫。痛いのは痛いが、大きな怪我はしていないようだ。せいぜい打ち身と擦り傷くらい? 崖から落ちた時に比べれば全然どうってことない。ちょっぴりやせ我慢だけど、どうってことない。
何も見えない暗闇かと思ったら、地下は意外に明るかった。どこに光源があるのだろう。周囲のようすが、暗いながらもはっきり見える。上から見た時はあんなに真っ暗だったのに。
私の前には崩れた階段。落ちついて見れば、登れなくもない感じだ。一応足元が見えるので、足場になりそうな場所をさがしつつ上へ戻れそうだった。
でも今すぐ登るのはやめた方がいいな。上にはまだミルシアさんたちがいるだろう。もうしばらく待って、完全に人がいなくなってから登った方がいい。でないとまた突き落とされるのがオチだ。
そう考えて、違う方向へ目を向ける。地下の牢獄跡なんて半端ないホラースポットだ。怖い系けっこう平気な私でも、さすがにこの状況は背中が寒い。狭い廊下の奥にある曲がり角へ、行ってみる気にはなれなかった。
やっぱりお城にはこういう場所があるんだな。エンエンナの宮殿にもあるんだろうか? ロウシェンの歴史にだって闇の部分はあるだろう。考えていたら俄然興味がわいてきた。帰ったらハルト様にねだってみよう。いや、オリグさんの方が詳しいかも。
……その前に、ここから無事に脱出する必要があるのだけれど。
私は階段跡の前に座り直して、時間が過ぎるのを待った。ミルシアさんの捨て台詞は私の恐怖心をあおるためだろう。じっさいこんな場所にあまり長時間いたくない。うっかり本当に幽霊と出くわしてしまいそうだ。会っちゃったらどうしよう? こっちの世界の幽霊に九字や真言は効くのだろうか。
年季の入ったいじめられっ子だったけれど、ここまでされたのは初めてだ。私を嫌う連中は、意地悪ではあっても、悪辣なわけではなかった。ニュースで聞くような痛ましいできごとは、私の身には起こらなかった。それがよもや、世界を越えて今頃経験するはめになるとは。
ミルシアさんの悪意には特にどうとも思わない。ただメイリさんまでが共謀していたことについては、ちょっと落ち込んだ。嫌われているのはわかっていたけど、ここまでされるなんて。嫌々でも職務はまっとうする気なんだと思っていたのに、私の読みが甘すぎたのか……。
大使館との定時連絡なんて、嘘だったんだな。あのときミルシアさんから接触されていたのか。彼女のもちかけた作戦に乗って、私を連れ出した……と。
ため息が出る。そんなに私の存在が許せなかったのだろうか。
まったく確証のないただの想像だけど、メイリさんは多分イリスが好きなのだと思う。メイリさんがイリスの話をする時は、ひときわ目が輝いていた。ただでさえ女にもてる美形だし、優しくて面倒見がいいし。いい加減とか大雑把とか時々無神経とか、残念なところもあるけれど、それでもここぞというところでは頼りになるいい男だ。イリスが部下に慕われていることは知っている。メイリさんが彼に恋心を抱いてたって不思議じゃない。
だから、私が嫌いなんだろうな。
気付いてみればいつものことだ。イリスと親しくしている私は、いつだって彼を慕う女の子たちの敵意の的だった。
でも私はイリスの恋人ってわけじゃないんだから、メイリさんのライバルにはならない。そこのところを理解してもらえば、もうちょっとましな関係になれないだろうか。
イリスからは妹扱いされているのだと説明して、ユユ姫にしたみたいにメイリさんの恋路を応援して……。
そこまで考えて、妙にすっきりしない気持ちに首をかしげた。なんだろう? ユユ姫とハルト様のことは全力で応援できたのに。ふたりが結ばれて幸せになってくれたらいいと、ずっと願っていた。なのに、イリスとメイリさんに同じ気持ちを寄せられない。ふたりを応援するという考えが、どうにもしっくりこない。
嫌われて、冷たくされて、こんなひどい嫌がらせにまで加担されて。私もメイリさんが嫌いになったのだろうか。そりゃあ、今のところ好きと言える関係ではないけれど……でもできることなら友達になりたい。その気持ちは今も変わらない。
イリスとのことを応援するのは、メイリさんとの関係を改善するいいきっかけになりそうだ。考えれば考えるほど、そうするべきだとしか思えない。なのにやっぱり、気が乗らない。
なんでだろう……そりゃあ、いろいろ複雑な気分ではあるけれど。友達になる前に、一度くらいは謝ってほしい。でも彼女が嫌いとまでは思わないのにな。
胸のもやもやはおさまるどころかどんどん増していく。自分の気持ちすらわからなくなって、一旦思考を切り換えようと息をついた時、突然騒々しい物音が響いた。
びくりと飛び跳ねて身をすくめる。息を殺して周囲の気配をさぐったが、幽霊などではなく、物音は頭上から聞こえていた。
いくつもの足音と人の声――なんて言っているのか聞き取れない。ひどく殺気立った、争うような気配を感じる。
見上げる私の視界に、突然光が差し込んだ。
「ティトシェ嬢! ご無事ですか!?」
地下に響く大きな声――聞き覚えのない男の声だ。暗さに慣れてしまった目をすがめて声の主を見上げれば、知らない騎士が階段の上からこちらを見下ろしていた。
「ティトシェ嬢! そこにいらっしゃいますか!? 返事をしてください!」
騎士と私の距離は、十メートルもあるかどうか。明かりも届いているし、私の姿ははっきり見えるだろうに、なぜか騎士と目が合わない。彼はきょろきょろと視線をさまよわせている。
上からだと見えないのかな? たしかに私が上から見た時も、真っ暗がりで何も見えなかった。明るい場所から暗いところは見えないという、あれだろうか。
「ティトシェ嬢! ご無事ならお返事を!」
「はい、無事です」
とりあえず返事をしながら、私は崩れた元階段を登った。
ミルシアさんが姿を消してから十分と経っていない。後で人に知らせるつもりだったにしても、早すぎる。これは彼女の意図したことではないだろう。耳を澄ませば、騒ぎの中に女の金切り声みたいなものも聞こえた。
「ティ、ティトシェ嬢……?」
「ここです。登れますからご心配なく」
足元に注意しつつ、私は上へ進む。時折瓦礫が崩れてひやりとしながら、どうにか無事に階段の残っているところまで登れた。
私の姿をみとめるや、騎士は腕を伸ばしてつかまえ、引き寄せた。
「よくご無事で……この暗がりの中、どうやって登ってこられたのですか」
「いえ、十分明るいですよ。はっきり見えました」
「明るい……?」
騎士はいぶかしげな顔で首をかしげていたが、とにかく上へと私をうながし、一階のホールへ連れて上がった。
階段を出ると、何人もの騎士がいた。みな一様にほっとした顔になって、私をいたわる言葉を口にする。彼らに守られて元の部屋へ戻れば、そこには身柄を拘束されたミルシアさんたちがいた。
「無礼者! わたくしを誰だと思っているの!? このような真似をしてただで済むとは思わないでしょうね!? その汚らわしい手を離しなさい!」
取り押さえる騎士にミルシアさんは怒り狂って叫んでいる。ニコール若様も従者も女官も、みんな騎士に取り押さえられていた。
これはいったい……。
私の姿に気付いて、ミルシアさんが射殺すような目を向けてくる。すかさず騎士が私の前に立って彼女からかばった。
「さあ、外へ」
「あの、いったいどうなって……」
「ご説明はのちほどいたします。ひとまず宮殿に戻り、お怪我の手当てをいたしませんと」
とまどう私に騎士がうながす。その言葉に思い出し、明るい場所であらためて自分の身体を見下ろせば、汚れているし痣はできているし血のにじんでいる場所もあるしと、なかなかに派手なありさまだった。きっと服の下も痣だらけだろうな。いてて。
「痛みませんか? 歩くのがお辛ければ、抱いてお運びいたします」
「いえ、そこまでは……大した怪我はしていませんので、大丈夫です」
申し出を辞退して、自分の足で塔を出る。屋外で服の汚れをはたき落としながら、そういえばと視線をめぐらせれば――
明るい緑の瞳とぶつかった。思ったよりも近くにメイリさんの姿があった。彼女もやはり身柄を拘束され、腰の剣も取り上げられていた。
私たちは無言で見つめ合った。彼女にどんな言葉をかければいいのか、私にはわからなかった。
怒りと憎しみに染まる顔が、まっすぐこちらを向いている。
友達になれたら――なんて、馬鹿げた妄想だと思い知らせるように、彼女はただひたすらに私を憎んでいた。