表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第六部 すれちがう想い
66/130



 ハルト様の式典の時のように、見知らぬ大人たちに囲まれてあれこれ話しかけられるのかと気が重かったが、予想は外れ私に近づいてくる人はいなかった。

 それで普通だよね。こんな式典会場で、誰が私なんぞに用があるというのか。時折視線が向けられても、みんなすぐ興味なさげにスルーする。特使といっても子供のおつかいくらいに思われているのだろう。人脈作りや情報交換など、重要なお仕事はジャスリー大使がしている。ちょうど見つけた彼は、どこかのおじさんと歓談の真っ最中だった。

 少し考え、彼のもとへ行くのはやめておいた。私が顔を出したって、どう考えても邪魔なだけだ。適当にぶらついて面倒をかけないでいる方が、向こうにとってもありがたいだろうと判断し、あまり人のいない場所へ向かった。

 壁際の柱とカーテンの陰になる位置を見つけ、途中でゲットしてきたスイーツを堪能しながら一服する。こうして端から眺めていると、着飾った人々がさざめくきらびやかな会場は、まるで熱帯漁の水槽だ。ひらひら、くるくる、華やかな人々が行き交っている。

 黒い服を着た男性を見つけるたびになんとなく目を奪われ、しばらくしてその理由に思い至った。同じような式典会場でエランドの大使と初めて会った時、彼は黒い服を着ていた。その印象が強く残っているらしい。

 今やシーリースではお尋ね者となったデュペック侯。まだどこかに潜伏し、シーリース攻略の策をひそかに仕掛けているのだろうか。

 不気味さを覚えると同時に、異なる思いも抱いていた。チェンバではとにかく彼の策に乗せられないよう、裏をかいて一斉逮捕できるよう、騙しあいに終始してしまったが、本当言うともっとじっくり話が聞きたかった。彼だけでなく、ハルト様や他の人も交えて、エランドの歩んできた歴史をたしかめたかった。

 デュペック侯の言ったことが、すべて嘘だとは思わない。多少の誇張はあるだろうが、大元は本当の話なんじゃないかと思っている。あの後、私なりにエランドのことを調べてみた。スーリヤ先生に質問してもあまりくわしく教えてもらえなかったので、書庫の資料を読む許可をもらい、難しい文字に苦労しながら、エランドの成り立ちから近年に至るまでの経歴を調べた。

 その結果わかったことは、自国にとって都合の悪い歴史なんて、わざわざ残されないという事実だった。シーリースをはじめとする各国がエランドを差別し、迫害してきたということなど、どこにも書かれていなかった。

 エランドに関する少ない資料に記されていたのは、ほとんどがエランドの悪事についてだった。島国ばかりで海上ルートが主な交通手段であるだけに、海賊による被害が毎年相当数ある。資料によれば、海賊の多くはエランドを拠点にしており、国家が非公式に支援しているらしい。

 元は外の国が攻め込んできたのだとデュペック侯は言った。迫害され、略奪の標的にされ、戦うしかなかったと。まともな取引をもちかけても相手にしてもらえないのだから、海賊行為もしかたがないと考えているのではないだろうか。

 エランドと周辺国との戦争について、くわしく書かれた資料は見つけられなかった。いついつ戦いがあり、どこそこは負けてエランドの属国になった、というまるで年表の一部みたいな記述だけだった。

 いちばんくわしく書かれていたのはつい最近の、エランドとロウシェンの間に国交が開始された時の記録だ。国内外からかなりの反発があったらしい。単に海賊被害を受けているだけにしては反発の強さがおかしいので、デュペック侯の言った差別意識が大きく関わっているのだろう。でもエランドが戦を続け、次々周辺国を飲み込んでいく中、いつまでも対立関係を続けるのは好もしくない。ハルト様と上層部は国交を開き友好関係を築くことを決定した。

 そこで、いい方向へ向かえばよかったのにね。

 その後もエランドが戦をやめることはなかったので、人々の感情は悪化するばかりだった。普段は偏ったことを言わないスーリヤ先生まで、エランドに対しては批判的だった。

 国同士の関係って、本当に難しい。日本も隣の国とずいぶんもめていたっけ。互いの主張が真っ向から対立して、和解への道は遠かった。世界を越えても、人の歩む歴史は同じようなものらしい。

 この問題に打開策が見つかれば戦争も回避できるんじゃないかと思うのだが、それができれば誰も苦労しないよね。エランドは長年の不遇に耐えかねて、対話の道をなかば放棄してしまっている。

 今ここに集まっている人々は、それぞれどんなことを考えているのだろう。名だたる貴族や高い地位にある人たちなのだから、シーリースにせまった戦争の危機について、まったく何も考えていないはずはない――でも目の前の光景はひたすら優雅で華やかで、そんな暗い問題とは結びつかなかった。

 溜息がこぼれたのは、いろいろ考えてちょっと憂鬱になっただけである。別に、お皿が空になって物足りないからではない。ひとりでいるのがさみしいわけでもない。注目されたいとかダンスに誘われたいとか、そんなことは一切考えていない。むしろ逆だ。誰も私に気付かずスルーしてほしい。

 なのに、なんでわざわざこんな隅っこの物陰に寄ってくる男がいるのだろう。

「ロウシェンの特使殿ですよね? 私はモンセラ家の嫡男でニコールと申します。よろしければ一曲お相手いただけませんか」

 笑顔をふりまきながら私の前に立つのは、二十歳前後の若者だ。聞いてもいないのに家名を言い嫡男だとアピールするあたり、御家自慢の貴族なんだろう。ちょっと派手だけど悪くない見た目をしていた。

 貴族の若様にダンスにさそわれて、庶民の娘としては喜ぶべきところだろうな。あるいは、特使としてそれなりにもてなしてもらったと感謝するべきか。ここで嫌がる私が間違っているのはわかるのだが。

 でもなあ……知らない男と手を取り合い身を寄せ合って踊るなんて、ものすごーく、いやだなあ。

 ロウシェンでの式典でだって、知り合い以外とは踊らなかった。挨拶くらいなら頑張るけれど、ダンスまではきつい。やりたくない。

 そんなこと言ってちゃだめかな。特使として来た以上は、これも仕事のうちとがまんするべきか。友好の一助となるように……でも何か、断るいい口実ないかな。

 なんとか逃げたくて必死に口実をさがす私の手を、ニコール若様が断りもなしに取り上げた。伝わる体温にぞっとなって思わず手を引こうとしたが、強い力で阻止される。引っ張られてつい立ち上がってしまった。

「あの……」

「さあ、どうぞ。あなたのような可愛らしい方が、こんな隅にうもれていてはもったいない」

 いやいやいや、ぜひ埋没させてください。目立ちたくありません、壁の花上等、うもれることこそわが人生。むしろ透明人間になりたいくらいで!

 強引に引き出されるのに逆らえず、ドナドナの子牛な気分になりかけていたら、視界の端にちらりと長い黒髪が見えた。今の、ミルシアさん?

 ――あ、もしかして、これって……。

 ひらめくものを感じた時、突然周囲がざわりとどよめいた。うん?

「……いけませんね」

 間近で響いた艶ボイスに背中がぞわわとなった。視界をゴージャスな黒レースが覆う。長く白い指が背後から私の頬をなでた。

「わたくしを放って、他の男と踊るなど……許しませんよ、チトセ」

 どこからツッコミを入れたらいいのかわからない発言だが、それはさておき人前で抱きしめるのはやめてください。ていうか、マントで包み込むな。何やらかすか!

 カームさんの腕の中でレースにうもれてもがいていたら、ニコール若様が一礼して退散していった。青ざめているように見えたね。もしやカームさん、にらんだ? いや、まさかね。この人がそんな真似はするまい。

 きっとにらまれるより怖い笑顔で威嚇したのだろう。自分とこの王様にそんなことをされたら泡くって逃げるしかない。お気の毒に。

「カー……メル様、こんなとこにいらしていいんですか? まだご挨拶の方が残っているのでは」

 あやうくカームさんと呼びかけて、どうにか修正する。セーフ! 会場中の注目を浴びている状況で二の(マナ)なんぞ口にしたら、もうどうなるか想像もしたくない。

「つれない子。挨拶を済ませたら早々にわたくしの前から去ってしまい、そのまま戻っても来ず……さみしさに耐えかねて追ってみれば、そのようなことを言うのですか」

 いや、去るはめになったのは、あなたの従妹に誘われたからですが。それに本日の主役を独り占めするわけにもいかないでしょう。

「……まあ、今のは助かりました。ありがとうございます。というわけで、いい加減放してくださいませんか」

 もうナンパ若様は行ってしまったし、周り中の人がひそひそやりながらこちらを見ている。勘弁してほしい。いつまでやってる気だ。

「どうしましょうか? 自由にするとすぐに飛び立ってしまう小鳥は、いっそ羽を切って籠に閉じ込めてしまいましょうか」

 笑い含みな声が物騒な冗談を言う。ヤンデレかい。ふざけないでほしい。私がこの状況を本気で迷惑がっているのがわからないのか。

「……カーメル様」

 声に不満を表せば、ようやく私を捕える腕が離れた。

「しかたありませんね。一曲踊ってくれるなら、許してあげましょう」

 なんで私が許されねばならんのか。ちょっと理不尽に思いながら、差し出される手を渋々取った。もう嫌というほど目立っているから、一曲踊るくらいいまさらだ。カームさん相手なら別に嫌じゃないし。

 ホールの中央へ連れて行かれ、会場にいるすべての人から注目されて踊る。うん、これはダンス競技会だ。周りはギャラリーと審査員だ。そう思おう。それはそれでプレッシャーだけど。

 でもステップを失敗してつまずいたり、パートナーの足を踏むといった心配はまったくなかった。さすがにおみごとなリードだ。イリスの足は何度か踏んでしまったし、トトー君とはそれこそ競技みたいなダンスになったのに、カームさんはとても優雅に私をエスコートした。全然頑張っていないのに身体が軽やかに動く。虹色のスカートがふわふわと揺れて、時折黒いレースと戯れる。

「上手ですね。特訓したと手紙にありましたが、短い期間でよくこれだけ身につけたこと」

「カーメル様がお上手だからですよ。すごく踊りやすいです」

 三十センチくらい身長差があるから、本当ならもっと踊りにくいはずなのに。面白いように身体が動くので、踊っているうちにすっかり楽しくなってしまった。カームさんの方も面白がって、どんどんターンの速度を上げていく。曲が終わってお辞儀を交わす頃には、すっかり息があがってしまっていた。

「こんなに運動したの、久しぶりかも」

 息を整えながら、ちょっと照れ笑いをする。少しも息を乱していないカームさんが、微笑みながら私の頬にふれた。

「ふふ、白い頬がいつになく上気して、美味しそうなこと。食べてしまいたいですね」

 また妖しげなムードを出して迫ってくる。どうしてくれようか、このお色気魔人は。押しのけてやろうと身構えたら、それより早く女の子の甲高い声が割って入った。

「お兄様、次はわたくしと踊ってくださいませ」

 ミルシアさんが来ていた。カームさんが姿勢を戻す。ミルシアさんは彼の腕にじゃれついた。

「今日はまだ一度も踊ってくださっていないでしょう? このままでは帰れません」

 甘えるふりして、私からカームさんを引き離そうとする。うん、よしよし、その調子で頑張ってくれ。こちらとしても歓迎だ。

 この隙に逃げ出そうとあとずさったら、カームさんの腕に阻止されてしまった。ミルシアさんが抱きついているのとは反対の腕で私を抱き寄せる。結果、すごく近い距離でミルシアさんと顔を突き合わせることになってしまった。怖いよ、この距離は。

「今宵はもう踊りません。他の人と踊ってきなさい」

 機嫌を悪くしたのか、カームさんは少し冷たい声で言って強引にミルシアさんから腕を引き抜いた。そうして背を向けようとした彼に、ミルシアさんが抗議した。

「ひどいわ、お兄様、わたくしに恥をかかせるおつもりなの? いつも必ず踊ってくださったのに」

「少々甘やかしすぎましたね。人と話しているところに割り込むなど、礼を失したふるまいですよ。王族の姫として恥ずかしいかぎりです。控えなさい」

「んまあ……!」

 さも心外と言わんばかりに、ミルシアさんはおもいきり眉を上げた。

「それは、控えるべき相手なら考えますけど……どうしてわたくしが平民相手に遠慮しなくてはいけませんの。むしろ逆でしょうに」

「ミルシア」

「まさか、わたくしよりその子の方が立場が上だなどとおっしゃるのではないでしょうね? 形だけでも特使ということで、ロウシェン公に対してはばかられたのはわかりますけど、もう義理は十分に果たしたのではありませんこと? お声をかけてやるばかりか、一曲相手までしてやって、平民の娘には一生ものの記念になりましたわよ。これ以上お情けをかけておかしな勘違いをさせてしまっては、かえってかわいそうですわ」

 おーおー、言う言う。人前じゃ完璧なお姫様をとりつくろっているのかと思いきや、結構自分に正直じゃないか。こんなに真正面からぶつかってこられるとは、ちょっとだけ意外だった。

 外見はカームさんとの血縁を濃く感じるのに、中身はかなり違うようだ。まあカームさんばりの腹黒で敵意を向けられたら非常に怖いところだったので、わかりやすい素直なお姫様でよかった。

 ミルシアさんの言葉に、周囲からもくすくすと笑いがあがった。どうしようかな。あからさまに馬鹿にされ、周りの人間からも嘲笑を浴びせられたという状況に、特使としては抗議するべきだよね。ここで黙って聞いていたのではロウシェンの面目が丸潰れだ。しかし怒って文句を言うのは優雅じゃない。さり気なく、チクリとやり返すにはどう言ってやればいいかな。

 考えるも、答を出す暇はなかった。頭の上からひんやりとした声が降ってきた。

「勘違いしているのはそなたでしょう。わたくしの大切な人に向かって、どこまで暴言を吐くつもりです。あまり度を越すようならば、身内のわがままでは済まされませんよ」

「な……」

 厳しい言葉に、信じられないといった顔でミルシアさんが絶句した。

「人を(さげす)み、(あざけ)る時の顔は、醜いものです。身内にそのような顔を見せられるとは、情けないこと。不快です、さがりなさい」

「お兄様!」

 悲鳴のような声に冷然と背を向けて、カームさんは強引に私をうながしその場を立ち去る。一部始終を見ていた人々は、さっきとは違う雰囲気でざわめいていた。

 ざわめきの収まらない中、カームさんは玉座の近くに(しつら)えられた長椅子に私を連れて行った。

「失礼しましたね。不愉快な思いをさせて、申しわけありません」

 私を抱き寄せたまま腰を下ろす。すかさず侍従が飲み物を差し出した。カームさんはグラスを取り、私にもすすめる。

「いえ、私は……」

「お酒ではありませんよ。踊って喉がかわいたのではありませんか」

 持たされたグラスはほどよく冷えていた。たしかに喉がかわいていたので、私は赤い色をした甘酸っぱい飲み物に口をつけた。何かの果汁らしい。

「ミルシアの無礼を許してください。周りがちやほやと甘やかすものですから、すっかりわがままになってしまって」

「いえ……」

「もう少し理性を働かせてくれるかと思ったのですがね。君の冷静さと思慮深さを見習ってほしいものです」

「…………」

 公王専用の休憩所に、注目はしても寄ってくる人はいない。そういう暗黙の了解でもあるのだろうが、なかったとしても近寄れないだろうなと思った。

 依然私の身体に腕を回し、密着するほどに抱き寄せてカームさんは耳元にささやいてくる。こんなの、どう考えても友人の付き合い方じゃない。人目もはばからずにいちゃつくバカップルだ。いったいどういうつもりなんだろう。大勢の臣下の人々が見ているというのに。

 まるで、見せつけるかのように――

「……私、今夜はもう失礼します」

 侍従にグラスを返して立ち上がろうとしたら、強引に引き止められてしまった。

「機嫌をそこねてしまいましたか? 人前であのように(おとし)められては、当然でしょうね。繊細な君を酷な目に遇わせてしまいました。どう償えば許していただけるでしょうか。教えてください、いとしい人。君のためなら、どんなことでもいたしましょう」

「…………」

 私はゆっくり息を吐いて、気持ちと頭を落ち着けた。

「ミルシア様のことは、気にしていません。あの程度で傷つくほど繊細じゃありません。言ったでしょう? 故郷では毎日嫌がらせされていたって。私、そういうことに関してはかなり図太い方なんです。ミルシア様なんてやることも言うことも可愛らしくて、全然問題にならないですよ。問題なのはカーメル様、あなたの方です」

 顔を上げてカームさんを見る。美しいアメジストの瞳が、底知れない輝きを帯びて私を見つめてくる。

「みんなが見ている前で、こんなふうにべたべたと……わざと、見せつけるように。いったい、何を狙っているんです?」

「ねらうだなどと。そう、たしかに少し調子に乗りすぎましたね。君が目の前に存在するということがうれしくてつい。申しわけありません」

 そう言いながらも、カームさんは私の頬をなでる。蠱惑的な笑みの下で何を考えているのか、ミルシアさんと違ってまったく読めない。

 これが他の人だったなら、わざと人前で私をかまいつけて注目を浴びさせ、陰口や嫌がらせの標的にさせるという、遠回しないじめだと判断するところだが、この人がそんなことをするとは思えないし。

 ……いや、待てよ。

「ご歓談中、失礼いたします」

 控えめにかけられた声に思考がさえぎられた。振り向けば、黒髪の中年男性がかしこまっている。カームさんが少しだけ私から身を離して答えた。

「何用でしょう、ロットル侯」

 声をかけられて、はじめて男性は顔を上げる。私はすぐにぴんときた。端正な顔だちと青い瞳だ。

「さきほどは娘がご無礼をいたしまして。お詫びを申し上げにまいりました」

 ロットル侯はそう言ってもう一度頭を下げる。やはり、ミルシアさんのお父さんなんだ。よく似ている。

 つまり、カームさんの叔父さん、ということになるんだよね?

「ミルシアはどうしました?」

「今日はもう帰らせました。ずいぶんと拗ねておりましたが」

 ロットル侯は苦笑する。

「よく言い聞かせておいてください。他国の特使をあのように侮辱するなど、大変な心得違いです。そろそろ輿入れの話が出てもおかしくない年頃だというのに、いつまでも子供じみていては困ります」

「申しわけありません。あの子は昔から陛下しか見ておりませんゆえ、その陛下が目の前で他の女性に親しげにしておられるのが、どうにも我慢ならなかったのでしょう」

 ロットル侯の口調には、やはり気安さがある。叔父と甥、身内という関係から、けっこう気楽に言いたいことが言えるのだろう。

「陛下はずいぶんと、そちらのお嬢さんをお気に召しておられるようですな」

「ええ、わたくしの大切な人ですよ。ハルト殿からどうやって奪ってやろうかと、頭を悩ませております。よい知恵はありませんか、ロットル侯?」

「知恵など必要ありますまい。陛下が微笑みかければ、心を奪われぬ女性などおりませぬ」

「ところが、彼女は手ごわくてね。そう簡単になびいてくれないのですよ」

 カームさんは肩をすくめ、からかうようなまなざしを私に向けてくる。どう反応すればいいんだ。対処に困って、私は無表情で傍観を決め込むことにする。

「それは、それは。幼い見かけによらず、手管に長けているというわけですか。陛下のお遊びの相手には、ちょうどよろしいですな」

「そう、この見た目にだまされてはいけないのですよ。とても賢い、冷静な人ですから。遊びなどと、とんでもないこと。本気で攻めないと、見向きもしてもらえません」

「陛下にそこまで言わせるとは大したものですな。まあ、お楽しみにけちをつけるつもりはございませんが」

 ロットル侯の声に、それまでとは違う響きが混じる。彼は年長者としてたしなめる顔つきになった。

「ほどほどに……とだけは、申し上げておきましょうか。人の目もございます。あまりお戯れがすぎるのは、いかがなものかと。ご身分とお立場をよもやお忘れではありますまいが、遊びは遊びと、区別はつけてくださいませ。れっきとした王族の姫であるのに、扱いを下にされたミルシアも可哀相ですよ。いかにお気に入りとはいえ、分を越えた扱いはその娘にとってもよいことではありますまい」

「承知していますよ。そう、区別はつけないとね……何を大切にすべきか、もちろん考えていますとも」

 笑顔で釘を刺してくる叔父に対し、カームさんも笑顔で迎え撃つ。うわー、さすが血縁。このふたり、そっくりだ。なんておっかない光景だろう。ミルシアさんの素直な悪意がなつかしい。この親父さんにあの娘っていうのも不思議だな。中身は母親似なのかな? 父親に似ないでくれてよかった。

 腹黒対決観戦にHP(ヒットポイント)を削られ、ぐったりしながらその後なんとかカームさんから解放された私は、速攻でジャスリー大使にとっつかまった。大使は私の部屋までついてきて、またも延々とお説教を聞かされてしまった。

「カーメル公と男女の付き合いをする気があるのなら、はっきりそう言いたまえ。それならそれで、こちらも対処を考える」

「いえ、そういうつもりはありません」

「ないのなら、あのようなふるまいは慎みなさい。今夜の君は、どこからどう見ても彼の愛人でしかなかったぞ。陛下がそれを意図して君を送り込んだのかと、あらぬ噂まで立てられていた。ロウシェンにとってはなはだ不名誉な事態だ。そもそも、未婚の娘としてもっと恥じらいを持つべきだろう。あのように人目もはばからずべたべたするなど、いかがわしい下賤の女のすることだ。節度と品位を心がけるようにと、言ったばかりではないか」

 ガミガミやられて言い返すこともできない私を、離れて控えるメイリさんが軽蔑しきった冷たい目で見ていた。うう、さすがにへこむ……カームさんにいいように振り回されたおのれが情けない。

 こんな予定じゃなかったのになあ。

 来るんじゃなかったかな……ハルト様から離れるだけなら、デイルのところにでも転がり込ませてもらえばよかっただろうか。

 滞在二日目にして早くも帰りたくなった私に、その後カームさんからお詫びと称してやたらと高価な贈り物が届けられ、ますます頭が痛い夜なのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ