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カームさんとの晩餐はなごやかに進み、食後は場所を変えてお茶とデザートをいただくことになった。
やはり豪華な内装の、食堂よりは小規模な部屋で並んで長椅子に腰かける。前の暖炉には火が入れられていた。もうそういう時期なのだ。秋なんて駆け足で通りすぎて、近いうちに初雪が降るのだろう。
デザートはアイスクリームだった。暖房しながら冷たいものを食べるなんて贅沢だよね。特にこっちの世界では。
「なにやら物思うようすでしたが、気がかりなことでもあるのですか」
優しい声でカームさんが尋ねてきた。さりげなく距離を詰めて、寄り添うほどに近くなっている。彼と目を合わせようと思ったら、けっこう上を向かないといけない。
「いえ……あの、昼間は失礼いたしました。メイリ騎士が直接声をおかけしたことは非礼であったと、後で大使から注意を受けました。私もその辺りのことをよく承知していませず、彼女に事前に話しておきませんでしたので、あのような事態を招いてしまい、ご無礼をいたしました。申しわけございません」
「かまいませんよ。あの程度のこと、気にしておりませんから。それよりもチトセ、なぜそのような堅苦しい物言いをするのです?」
いっしょうけんめい気をつかって言葉を選んでいたら、つっこまれてしまった。
「……目上の方と話す時の言葉づかいについても、注意されましたので。これまでの態度は、公王陛下に対するには失礼すぎたと反省しました」
注意されたのはメイリさんだけど、私だって似たようなものだ。けっして他人ごととは思えない。あれは自分への叱責でもあると思って聞いていた。
「そう。彼は正しいことを言ったのでしょうね。ですがチトセ、わたくしに対して身構える必要はありませんよ。むしろ、君に距離を置かれてはかなしい。わたくしと君は友人でしょう? 友人の間で堅苦しい遠慮は不要です。どうかこれまでどおりにしてください」
ね、と身をかがめて私の顔をのぞき込んでくる。アメジストの瞳に、私はやんわり微笑み返した。
「メイリ騎士といえば、君への態度が少々気になりましたね。聞いてもよいでしょうか。彼女と何かあったのですか?」
思い出したように言われた言葉に、ああやっぱり気付かれていたかと恥ずかしかった。あれだけ露骨だったら気付かない方がおかしいけど。
「何か……というほどでも。私が不快にさせて、嫌われてしまったのだと思います」
「心当たりがあるのですか」
「……多分」
まあね、メイリさんもちょっと大人げないとは思う。私の失言で不愉快になったからって、あそこまで極端な反応しなくてもいいんじゃないという気持ちはある。そんなにも許せないことだったなら、いっそはっきり抗議してくれればよかったのに。何も言わないでただ嫌って無視するだなんて、かつてのいじめっ子たちを思い出してしまう。
騎士といっても同じ十七歳だし、同級生感覚で見た方がいいのだろうか。トトー君みたいな十七歳の方が特殊ではあるかも。
「君がそれほど人と積極的に関わるとも思えないのですが……彼女とは前から付き合いが?」
「いえ、今回初めて会いました」
「それであの態度とは妙ですね。多少気に障ることがあったとしても、ああまではならないでしょうに。そういう極端な性格なのか……」
――たしかに、妙といえば妙かもしれないな。
言われてちょっと考える。人から嫌われることには慣れているから特に疑問に思わず、また私が悪かったのだと思っていたけれど、大人げない人で終わらせないでもうちょっと突っ込んで考えてみれば、メイリさんの態度はなるほど不自然な気もした。
よっぽど極端な人でもない限り、一度いやな思いをしたからってあんなに拒絶しないよね。この子やなカンジとか思いつつも、一応我慢するものなんじゃないだろうか。それができない問題児なら、イリスも護衛に選んだりしないだろう。してみると、彼女に嫌われた原因は私が考えているようなものではないのかもしれない。
でも、他の原因って何だろう。特にこれといって思い当たらない。引き合わされてからまだ数日だ。その間ろくに会話もなかったのに、嫌われるほどのことをする機会もなかった。
もしかして、もっと前から嫌われていた? こちらは初対面のつもりでも、メイリさんの方は以前から私を知っていたのだろうか。
ふと思いついたことがあった。確証はない。まるきり見当違いかもしれない。でも、もしこれが当たっているのなら……。
「そう思い詰めないで」
考え込んでいたら、カームさんがそっと私の手を取った。
「君が気にすることはありません。彼女が自分の感情を制御できずにいるだけなのですから。ジャスリー大使に言って他の騎士と替えてもらってはどうです? 滞在中、あんな状態の相手とずっと一緒に行動するのは気鬱でしょう。言い出しにくいなら、わたくしから大使にうまく伝えてあげますよ」
大使館にはジャスリー大使と一緒に赴任してきた騎士が何人かいる。メイリさんと交代してもらうことは可能だ。でも私は首を振った。
「いいえ、大丈夫です。すみません、気をつかわせてしまって」
「わたくしに遠慮は無用と言いましたよ。四六時中そばに控える相手があのような態度で、つらくはないのですか」
「それほどでも。楽しいことじゃないのはたしかですけど、思い詰めるほどつらいわけでもありません。元々人づきあいが下手で、故郷では嫌われ者でしたから。友達のひとりも作れず毎日嫌がらせされるような生活してました。それに比べたらメイリ騎士はずっと良心的です。何もされないし言われませんもの」
そう、私を嫌っていても、特に何かしかけてくるわけではない。彼女は彼女なりに我慢しているのだろう。
向こうだって私に付き従うのは不愉快だろうが、だからといって役目をはずされて他の人と替えられたら、そっちの方がもっと不愉快だろう。そんな真似をしたら修復不可能なまでに亀裂が入ってしまうと、それだけははっきりしていた。
だから交代なんて考えない。このまま、メイリさんに護衛をしてもらう。
「君をいじめ、最後に見捨てた者のことですね……それは相手の性根が曲がっているのでしょう。そのような者にばかり囲まれていたとは、かわいそうに」
以前少し話したことがあったので、カームさんは痛ましそうに言った。シリアスな反応にちょっととまどう。
「いえ、あれは私も悪かったんです。こちらへ来ていろいろ経験して、自分の欠点というものが理解できてきました。あの頃の私は嫌われてもしかたのない人間だったんです」
私は笑って、さりげなく手を引いた。
そうしたら今度は肩を抱かれてしまった。ちょっとスキンシップ過剰ではないですか? ジャスリー大使じゃないけど、友人の範疇を超えてるよね。
それとも、このくらいはするものだろうか。仲間同士で肩を組むとか、よく見かける光景ではあるな。これってそういう状況? 違うような……うーん。
――やめよう。あまり深くは考えまい。平常運転でこういう人なんだよ、うん。
「そのように自分を卑下しないで……わたくしは、君が好きですよ」
フェロモンボイスが耳元にささやく。気にしない気にしない。口説かれているみたいだとか、きっと自意識過剰だ。うんと年上で女性には不自由しそうにない美形で、しかも王様だ。そんな人が私を口説くはずがない。単にまぎらわしい話し癖なだけだろう。
「ありがとうございます。こっちでは友達もできて、少しは自分も変わっていけそうな気がしてます。そう簡単に欠点は直らないですけど……でも私が間違った考え方をしていたら、周りの人がちゃんと叱ってくれます。この間もイリスにものすごく叱られたんですよ。噴水に放り込まれました」
冗談めかして言うと、カームさんは柳眉をひそめ、私をぎゅっと抱きしめた。
「なんということを……乱暴な。かよわい君を冷たい水に落とすなど、騎士のすることとは思えません。かわいそうに、さぞ冷たかったでしょう」
「い、いえ、あの」
笑い話のつもりで言ったのに、こんなにマジな反応されるとは思わなかった。カームさんには野蛮な話に聞こえたかな。
「大丈夫です。熱も出しませんでした。付き合って濡れたハルト様の方が風邪ひいちゃって……それにイリスも、あとでユユ姫から叱られてたし。もともとは、私が悪かったんですし」
あわててフォローする。
「けんかしたんです。癇癪起こしてハルト様の言葉もまともに聞こうとしなかったんです。あれはショック療法みたいなもので……あの、ちゃんと仲直りもしたし、本当に大丈夫ですよ?」
「君は本当によい子ですね。そのような目に遇っても恨むことなく自分のせいだなどと。こんな君を嫌う者の気が知れません。君はとても優しい、素直な心根の持ち主です。可愛い子……大好きですよ」
「…………」
カームさんは私の髪に頬を寄せ、何度も背をなでる。とてもやさしい、いたわりに満ちた声で、喜ぶべきところなのだろうけれど。
うーむ、なんだろう、この居心地の悪さは。以前みたいに好意を疑って、何かたくらんでいるんじゃないかと警戒する気はない。言葉どおりの意味だと受け取れるのに、何か落ちつかない。
けなされるばかりも切ないが、こんなふうにベタ誉めされてもなあ。私に欠点があるのは事実なのだ。それが時として人間関係に悪影響をおよぼしている。だからだめなところはだめと、はっきり指摘してくれる方がありがたい。自分ではなかなか気付けないから。
イリスは私を非難するばかりじゃない。それ以上に大切にしてくれている。叱るのだって、私のためを思って言ってくれているのだ。けっして乱暴な人ではない。ちょっと、加減を間違える時があるだけで。
優しい思いやりはうれしい。でもできれば、甘やかすばかりでなくきちんと事実も指摘してほしいと思うのは……それこそ、甘えかな。
カームさんは私の親でも先生でもないのだから、教育する義務なんてないものね。
友達といってもまだ付き合いは浅いし、年もうんと離れている。互いの立場は天と地ほどに違う。カームさんとしては、気をつかって優しく接しなくてはと思うのだろう。
それはそれで、いいか。うん。付き合いが長くなってもっと親しくなれば、そのうち遠慮も取れてずばり言い合える関係にもなれるだろう。
――もっとも、距離感は大切にしないといけない。私はいまだ抱きしめる腕から強引に脱出した。誤解されるようなふるまいは、慎まないとね。
時間が過ぎておやすみを言う頃合いになり、私は控室で待っていてくれたメイリさんとともに、あてがわれた部屋へ戻った。やはり、途中ひとこともかわさずに。
私への感情はともかく、今回の件について彼女がどう考えているのか少しばかり気にはなる。でもそれこそ聞ける関係じゃないし。耳に痛い言葉は受け入れがたいけれど、なんとか消化して成長の糧にできたらいいよねと、ひそかに願うばかりだった。
ジーナ到着の翌日に、カルブラン宮殿において公王生誕の盛大なる記念式典が催された。
この日のためにハルト様とユユ姫が用意してくれたのは、可憐で軽やかなドレスだった。スカート丈は膝くらいまで。貴婦人たちが着るような足を全部隠してしまうドレスだと、踏んづけてすっ転ぶ自信が大いにあるのでね。それに平均的日本人には、あまりロングドレスは似合わないと思う。ああいうのはすらりとした長身だから映えるのだ。
そのかわり、バレエの衣装みたいにふんわりと広がるスカートだった。極薄のシフォン生地が何枚も重なり、微妙な色の違いがグラデーションを作り出している。一番上にはビーズが縫いつけてあり、淡い虹と雨上がりの水滴みたいだ。襟元から胸にかけては繊細なレースで飾られ、袖には細いリボン。とても上品な可愛らしいドレスで、私もひと目見て気に入った。ただひとつ、衣装負けしていないかとそれだけが心配。
「なんと愛らしい……まるで虹の妖精ですね。目を離した隙に消えてしまうのではないかと不安になってしまいますよ。もっと近くへ来て、幻ではないと教えてください」
そうおっしゃる公王様の方が、よっぽどお美しいです。今日はまた格別に。もう神々しいほどに。いよいよ三十路ですねなんて言う気もおきません。
普段淡い色を着ることの多い人が、今夜は珍しく黒をまとっていた。でも地味とか喪服みたいだなんて印象はまったくない。だって全体に金糸銀糸で刺繍が入っているし、もちろんビーズも縫いつけられている。襟や袖はゴージャスなレースが飾っていた。マントがわりに背に流れるのもレースだ。レースの似合う男性ってなかなかいないよね。実にきらびやかで派手なお姿だった。
これでけっして下品にはならないのだからすごい。絶対に他の人には着こなせない衣装だ。着られるとしたら、年末の国民的歌番組に出演する演歌歌手くらいかな。
「お誕生日、おめでとうございます」
作法の先生に教わったことを思い出しつつ、私は頑張っておしとやかにお辞儀した。同行してきたジャスリー大使が、銀盆に乗せた目録を係の侍従に渡す。プレゼントはとっくに受け渡し済みだ。当日本番では目録だけ。本人に直接渡さないのって、なんだか味気なくて盛り上がらないよね。
「ありがとう。さあ、こちらへ来て……ああ、本当に可愛らしいこと。虹が空へ帰ってしまわないよう捕らえておくには、どうすればよいのでしょうね。金の鳥籠を作りましょうか。それとも水晶の宮殿? 君を地上にとどめるためならば、どんなことでもいたしましょう」
王様、王様、中二病的ポエムはやばいですよ。いくら美形だからって、ちょっとこれは寒い。言われる私もいたたまれない。周りの「なにが虹だよただのガキじゃん」という視線が痛いです。勘弁して。
顔が引きつりそうなのをこらえて笑顔をキープする。あまりそばへ寄るとまたキスされたり抱き寄せられたりしそうな気配だったので、髪や頬をくすぐる手から逃れてジャスリー大使の隣まで戻った。
さすがにね。この大会場でスキンシップはだめでしょう。周りに何百人いると思ってるんだ。
するべきことは済ませたのだし、さっさと下がろうとタイミングを計っていたら、先に進み出た人がいた。淡いすみれ色のドレスに流れる、とても長い黒髪が目を引く。私とそう年の変わらない、それこそ妖精か天使のような美少女だった。
「ごきげんよう、お兄様」
鈴の音が赤い唇からこぼれる。美少女は声もきれいだな。
「おや、ミルシア。ごきげんよう」
私なんて足元にも及ばないほど、このうえなく優雅にお辞儀する彼女に、カームさんは少々気安げな返事を返した。
「お客様が多くてなかなかご挨拶にうかがえませんでしたわ。大切なお兄様のお誕生日だというのに。いまさらですけど、おめでとうございます」
「ありがとう。今宵も美しいですね。あちこちから熱い視線が向けられていますよ。また求婚者の列ができてしまうのではありませんか。そなたも十八、そろそろよい相手を決めないとね」
「まあ、いやですわ。わたくし、お兄様以外の方には嫁ぎませんことよ」
「またそのような……」
カームさんはくすりと笑う。可愛い妹のわがままを聞く兄、ということかな?
「ちょうどよい、紹介しましょう。ミルシア、彼女はハルト公の養い子、チトセ嬢です。こたびはロウシェンの特使として来てくださいました」
うっかり美少女に見とれて立ち去りそこねていた私を、カームさんが紹介した。ミルシアさんの視線がこちらを向く。瞳は青なんだな。
「チトセ、こちらはわたくしの従妹のミルシアです。君とは年も近いですから、仲良くしてやってください」
従妹か。兄妹じゃなかったんだ。うん、それなら結婚できるよね?
「初めまして、ミルシア様。佐野千歳です」
「ごきげんよう、ティ……ト、セさん? 変わったお名前ね」
「遠い国の生まれなので。こちらの方々には発音しづらいみたいですね。たいていティトシェと呼ばれています。どうぞそうお呼びください」
「そう。わたくしは、ミルシア・ミーナ・アズ・ディアナです。はじめまして」
ミルシアさんは王族の印である四つの名前を、ゆっくり強調するように名乗った。
「可愛らしい姿をしていますが、こう見えてもチトセは十七歳なのですよ」
「まあ、本当に? とてもそうは見えませんわ」
ええ、そうですね。ご多分に漏れず、ミルシアさんも立派な胸でいらっしゃいます。うらやましいかぎりで。
「それとここだけの話、彼女はわたくしの命の恩人なのですよ」
何がここだけの話。だから周りに何百人と。
「私は何もしていません。こちらこそ助けていただいたでしょう」
「刺客をわたくしに近づかせまいと自らを囮にしてくれたくせに、何を言うのやら。その前にもロウシェンとの関係が悪化しかけていたのを、君が間に入ってとりもってくれたでしょう。わたくしだけでなくリヴェロの恩人ですよ、君は」
「大げさです。みなさんがびっくりされますから、あまりそういう冗談をおっしゃらないでください」
「どこに冗談が? じっさいにあったことしか言っておりませんが」
ああもう。目立つからやめてくれっていうのが伝わらないのか。わざとか? わざとだよな。この人が気付かないはずがない。
「まあ、とても興味深いお話ですわね。ぜひゆっくりうかがいたいですわ」
案の定ミルシアさんが食いついてきた。
「よろしければ、あちらでお話ししませんこと? わたくしのお友達もいますの。みんな同じ年頃の女の子たちですわ。あなたを紹介させてくださいな」
……うーん。
正直なところ、遠慮したい気持ち二百パーセントだ。……って、そういうわけには行かないだろうなあ。ここはうなずくしかないか。
私はジャスリー大使と別れ、ミルシアさんに連れられて玉座から離れた会場の隅へと向かった。そこには飲み物や軽食を乗せたテーブルがあり、ミルシアさんの言うとおり同年代の少女が十人近く集まっていた。
みんなリヴェロ貴族の令嬢たちだろう。美人ぞろいだ。化粧で大分造ってる子もいるけどね。きらびやかな会場の中でもひときわ目立つ、華やかな一団だった。その中でもミルシアさんはダントツに美しい。白い肌といい、絹糸のような黒髪といい、白雪姫をやったらハマりそうだ。
もっとも、中身はきっとお妃の方だろうな。
私は用心深くテーブルから距離を取った。
「まあ、ミルシア様、その方がロウシェンの?」
「ええ。ティトシェさんというのですって。セラ、あなたと同い年よ」
「まあぁ……お可愛らしいから、てっきりもっと下だと思っていましたわ」
はじめは普通に愛想のいい笑顔と言葉がかわされる。でもさりげなく動いて周囲の目から私を隠そうとする動きは、しっかりチェックしてますよ。飲み物のグラスを持っている子は……一人いるな。あれだけはそばに寄せないよう気をつけねば。
「本当に、十七歳にしてはずいぶんと小さいですわよね。身体も細くて、まるで枯れ木のよう……いえ、華奢でいらっしゃること」
「もしかして、ご病弱なのではなくて? 色白というより、青白くて幽霊みたいですし」
「平民のご出身だとうかがいましたわ。貧しい家庭の子供は満足に食べることもできないとか。きっとご苦労なさったのね。おかわいそうに」
「でも今はロウシェン公のご養女なのでしょう? 大変な出世ではありませんの。いったいどうやって取り入ったのかしら。ずいぶんと世渡り上手でいらっしゃるのねえ」
令嬢たちは口々にさえずり、世間話のような口調でチクチクやりはじめる。周りからは普通に女の子たちが集まって盛り上がっているだけに見えるだろう。あくまでも優雅に、にこやかに、彼女たちは悪意をぶつけてくる。
「大人しそうなお顔をして、したたかなのね。でもまさか、陛下まで狙っているのではないでしょうね?」
「ほほほ、そんな身の程知らずなこと、さすがに考えませんわよねえ? いくらロウシェン公の後ろ楯があるからといって、庶民あがりの馬の骨が……あらいやだ、品のない物言いを。ごめんあそばせ」
「わざわざジーナまで乗り込んできて、ご苦労なこと。でも公王様がお優しいからといって、勘違いしてはいけなくてよ。あのお方は女性にはとても紳士的でお優しいの。たとえ相手が、取るに足らない庶民の小娘であってもね」
「あこがれる気持はわかるわ。ただ、自分とは別の世界の方だということだけは、わきまえておかないとね? 分不相応な欲を持つと、あなただけでなくロウシェン公まで笑われることになってよ。あなたと陛下では、あまりに不釣り合いだってわかるでしょう? あなたなど御前に立つものおこがましい……あの方にふさわしいのは、こちらのミルシア様だけですわ」
しゃべっているのは取り巻き連中だけで、ミルシアさん自身はだまって微笑むばかりだ。余裕で私を圧倒できると思っているのだろう。じっさい、私と彼女では勝負にもならない。身分だの何だのを抜きにしても、美貌も女性的魅力もそなえた彼女に対抗しようなんて気持ちは、はなからなかった。彼女に対抗できる人といったら、私の知る範囲ではユユ姫くらいだ。そしてもちろん、ユユ姫の圧勝で。
友達の欲目だけじゃないよ? 人柄が違う。外側だけでなく内面の美しさ可愛さも持ち合わせたユユ姫の方が素晴らしいのは、当然じゃないか。
取り巻き連中を使って私をいびろうとするお姫様なんて、結局悪役お妃の役どころだ。いくら美人でもこれじゃあねえ。
私もミルシアさんにならって、だまって微笑んでおいた。言い返す気もないし、何か言ったところで意味もない。好きなだけ言っていろという気分だ。
ことさらに庶民を強調するくせに、私がこんな意地悪程度でこたえると思っているのだろうか。深窓の令嬢じゃあるまいし、そこまで打たれ弱くないぞ。
そもそもミルシアさんと顔を合わせた瞬間から、こういう展開になるのは予測できていた。たしかに美人で優雅で上品ではあるのだが、腹芸はあまり得意じゃなさそうだ。私に向けられた視線には、はっきりと敵意が現れていた。カームさんの親戚にしては素直というか、わかりやすい人だ。
私とカームさんの話は、まだ完全には終わっていなかった。まがりなりにも他国の特使が挨拶をしている最中に割り込むなんて、誉められた行為ではないだろう。平民だとか小娘だとかは関係ない。今の私は特使なのだ。ジャスリー大使も、自分と同等の立場だと言っていたではないか。内心でどう思おうと、表面上はきちんと礼儀を守って尊重すべき相手なのである。
さらには、自分はカームさんに嫁ぐのだと堂々と宣言するし。あれが私に対する牽制、もしくは宣戦布告でなくて何なのか。あまりにやることがたわいなくて、いっそかわいらしい。別に努力しなくても勝手に顔が笑ってしまう。
……うん、だからね、私は性格が悪いんだよ。いじめられて素直にめそめそするような、可愛げのある人間じゃないのだ。そのせいで周りから嫌われて、もっと陰湿ないじめをさんざん受けてきた。それでも自殺や登校拒否なんて考えない、図太い神経しているんだよ。
お姫様や貴族の令嬢たちだからなあ。そういう庶民の図太さなんてわからないんだろうな。ちょっといじめられたらすぐに泣いて逃げ帰るだろうと、自分たちを基準に考えているのだろう。
あいにく、こういうわかりやすい悪意に対してはまったく傷つかない。だって相手は私を傷つけてやろうと、最初から敵意を持って攻撃してきているのだ。私が何か悪いわけじゃない。落ち込む理由なんてない。ちょっとばかりウザくてめんどくさいだけだ。
ミルシアさんのは、言ってしまえばただの嫉妬と独占欲。カームさんに近づく女性すべてが気に入らないのだろう。
何を言っても私がだまっているので、だんだん令嬢たちもネタが尽きてきたようだ。全員が攻撃を中断し、ふと沈黙が下りた。私は彼女たちを見回し、ゆっくりと尋ねた。
「おしまいですか?」
は? なにこいつ? そんな顔を全員がする。次の言葉が飛び出してくる前に、私は先回りして言った。
「それでは、失礼させていただきますね。お疲れさまでした」
お辞儀をしてさっさと踵を返す。進行方向にいた令嬢が「ちょっと……!」と私を止めようとしたが、伸ばされた手を笑顔で押し戻して強引に横をすり抜けた。
体育館裏や女子トイレじゃないからね。腕や髪をつかんで引き止めるなんて真似はできない。彼女たちは私を見送るしかない。
グラスを持っていた令嬢が急いで私を追いかけてきて中身をぶちまけたが、いちばん警戒していた相手だ。みすみすやられたりはしない。
私はさっと身をひるがえして攻撃範囲から逃れた。代わりにさっき止めようとした令嬢にかかって、背後で悲鳴が上がった。
何事かと周囲の視線が集まる。すかさず無関係なふりであら大変と振り返れば、燃えるようなミルシアさんのまなざしとぶつかった。
おー、怖いこわい。
この騒ぎを引き起こした元凶はと見れば、遠く離れた玉座で変わらず優雅にたたずんでいらっしゃった。
――まったくもう。