最強の男
世界が違っても同じように人間が暮らす国ならば、お祭の時期も似ているものらしい。
実りの秋、収穫を祝う祭がシーリース全土で行われた。
エンエンナの宮殿でも、公式な祭事の他に純粋に楽しむための催しがいくつも企画されていた。そのうちのひとつがお茶の席での話題になった。
「武術大会?」
聞き返した私に、イリスが楽しそうに教えてくれた。
「そう、我こそはって腕自慢の連中が集まって、一番を争うんだ。かなり盛大な大会になるんだよ。見物客も多いし」
「……ふーん」
私はカップを下ろし、可愛らしい花の形の焼き菓子を取った。甘さがくどくなくて、お茶うけに最適だ。いいなあ、こういうの。遠慮なくがっつける袋入りのお菓子も懐かしいけど、いかにも高級で上品なお菓子をつまみながらのお茶って、優雅だよね。ちょっとお姫様気分。
「……やっぱり、この手の話題には興味なさそうだな」
イリスががっくりと肩を落とす。焼き菓子の味をゆっくり堪能した後、私は答えた。
「優勝者には秘宝が与えられるとかいうなら、興味なくもないけど」
「秘宝?」
「七つ集めればどんな願いもかなう玉とか」
「玉? えっと、それはチトセの世界の伝説かい」
「似たようなものかな」
この世界に来た直後の私だったなら、うっかりパンツがほしいとか願っちゃったところだな。
「あいにく、そのような秘宝は存在せぬな。あったら欲しいものだ」
ハルト様がゆったりと笑った。
「賞金や賞品は用意されているが、普通のものだよ。参加者は何よりも名誉を求めるのだ」
「でも、武術の腕を競うなら、優勝者なんて決まってるんじゃ……」
私は居並ぶ男たちを見回した。お茶の席に集まったのは、いつもの面々だ。優勝候補でここにいないのは、騎馬隊長のザックスさんくらいである。
「あ、でも何で勝負するかにもよるのか。剣ならイリスはトトー君に勝てないのよね。ということはつまり、アルタにも勝てないのよね」
「……どうせ僕は弱いよ」
イリスがふてくされて、勢いよく背もたれに身を任せる。その肩を隣に座るアルタが笑いながら叩いた。
「そういうこと言ってるから、嬢ちゃんの評価が低いんだろうが。こいつの名誉のためにいちおう断っとくがな、イリスは別に弱くないぞ。剣より弓と槍が得意なだけだ。たしかに剣なら俺の方が上だがな」
「ボクも剣で負けたことはない……」
「なぐさめてるのか追い討ちかけてるのか、どっちだよ!?」
騎士たちのコントに、ユユ姫が声を立てて笑った。
「彼らは参加できないのよ。ザックスもね。ティトが言ったとおり、彼らが出たのでは他の者が勝てないもの。それではつまらないから、参加が禁止されているの」
なるほど。本当にお祭なんだな。
勝負の方法は、言ってみれば異種格闘戦だった。弓矢などの飛び道具は禁止で、その他は剣を使ってもよし、槍を使ってもよし、素手でもよしというかなりフリーダムな闘いが繰り広げられるらしい。もちろん武器はどれも試合用の、殺傷力のないものが使われる。
男の意地と筋肉のぶつかり合いだ。毎年いちばんの人気企画だそうで、女性の見物客も大勢やってくる。これがきっかけで成立するカップルもいたりするから、なおのこと男たちは張り切るのだとか。楽しそうで結構なことだ。むさくるしい男どもの闘いなんて、私にはまっっったくどうでもいいけれど。
そう思って適当に聞き流していたのに、アルタがとんでもないことを言い出した。
「優勝者には勝利の女神からの祝福が与えられる。今年は嬢ちゃんに女神役を頼むぜ」
「いや」
「即答だな! 何をするとか、聞かないのか!?」
聞くまでもないだろう、そんなの。元の世界でも聞いたことのあるシチュエーションだ。きっとこっちもやることは一緒だろう。
「男にキスとかぜったいお断りだから」
「女ならいいのか?」
しょうもないツッコミをするアルタは無視してやる。ノリを期待しても無駄だ。そういう馬鹿さわぎは私の趣味じゃない。
でかい図体でわざとらしくいじける騎士団長に、ハルト様がやれやれといった顔で息をついた。
「勝者の証であるエリスの枝を授け、祝福のくちづけを……いや、もちろん額か頬でよいのだが、与えることになる。昨年まではユユがやっていたが」
「いやです」
「…………」
「頼むよ、嬢ちゃーん。騎士たちにとって、嬢ちゃんはまさに女神なんだよ。そりゃユユ姫みたいな美貌と色気はないが、なんといっても龍の加護を――ぶっ」
アルタは私が投げたクッションを、顔面で受け止めた。よけようと思ったら軽くかわせるくせに、付き合いのいいことだ。
「黙れセクハラ親父」
「……心配しなくても、優勝者はきっとティトの知ってる人になるよ。知り合いならいやじゃないだろう?」
目の前に転がってきたクッションを拾い上げ、こちらに返しながらトトー君が言った。優勝候補は決まっているのか。誰だろう、この連中以外の腕自慢で私の知っている人なんて……。
「アークさん?」
ひとり思い当たって、私はユユ姫を見た。ユユ姫はふふっとごまかすように笑った。
「……違うか。アークさんは騎士じゃないもんね」
「いいえ、騎士以外も参加自由よ。もちろんアークも毎年参加しているわ」
「そうなの?」
「ええ」
でもユユ姫のようすを見る限り、優勝候補というわけでもなさそうな。にこにこ笑うばかりで、彼女は正解とも間違いとも言わない。
他に誰がいただろう。竜騎士の中にも何人かは顔と名前が一致する人がいる。とはいえ、知り合いと言えるほどの関係ではないし。
「まさかの大穴でハルト様とか」
うちのお父様は、こう見えても剣の心得があるらしい。王様が出てきたら誰も勝てないよね。でもそんな接待試合、つまらないな。
私の視線を受けてハルト様は苦笑した。
「そのような試合に出られるほどの腕は持っておらぬ。あったところで出るわけにはいかぬ」
……やっぱり違うか。
じゃあ本当に誰なんだろう。他に心当たりなんてまったく思いつかない。
一人だけわからずにいる私を、みんなはにやにやと笑いながら眺めていた。苛立ってさっさと教えろと言っても、先に教えてしまったら面白くないからと誰も答えてくれない。いいけどね。とにかく女神役はお断りだから!
私は頑として了承しなかったのに、アルタはさっさと話を進めてしまう。こっちの言い分なんてちっとも聞いてくれない。決めた、当日はばっくれよう。試合会場になんか近寄るもんか。そもそも武術に興味はない。スポーツ観戦も特に好きではない。好んで見ていたのはフィギュアスケートだけだ。
――そう思っていたのに、なぜか会場にいる今日の私である。
ハルト様に一の宮から無理やり引っ張り出されて、ここまで強制連行されてしまった。
武術大会が開かれているのは、地竜隊の訓練場だった。飛竜隊の訓練場はちょっと離れたところにあるし、騎馬隊はもっと遠い。ここがいちばん集まりやすいということで使われているのだった。
日頃は騎士と竜しかいない場所に、さまざまないでたちの人が集まっていた。貴族もいれば平民もいる。女性ももちろん多い。みんな楽しそうだ。特に若い女の子たちはきゃっきゃと盛り上がっていた。お目当ての選手がいるか、ここでいい男を見つけようとでも意気込んでいるのだろう。
ハルト様が人と挨拶している隙に逃げ出し、人込みにまぎれて脱出を図ったのに、会場から出る前につかまってしまった。私の計画はとうにお見通しだったらしい。トトー君に手を引かれてとぼとぼと歩く。ああいやだ、なんで私が男にキスなんか。
「……そんなに嫌がらなくても。だから大丈夫だって、言ってるじゃない……」
ふてくされる私をトトー君が振り返る。私はぷいと顔をそむけてやった。どう大丈夫なのか、聞いても教えてくれないくせに。
そむけた顔がたまたま競技場の方を向く。すると思いがけないものが目に入り、私は足を止めてしまった。
「……トトー君、あれって」
「……ああ、ちょうど今から始まるみたいだね」
トトー君も気がついて足を止める。今しも勝負が始まる競技場に立っていたのは、私もトトー君もよく知るマッシュ家の若様だった。
えええ!? デイルも参加してたの? まさか優勝候補って、デイル?
模擬刀を手に立つ彼の対戦相手は騎士だった。デイルも背は高いしそれなりに見栄えのするプロポーションだけど、騎士と並べば明らかに見劣りする。鍛えられた印象はあまりない。でも態度は堂々として立派だ。強気に騎士をにらみ返していた。
そういえばデイルの気弱な姿って、見た覚えがないな。彼はいつでも自信たっぷりに胸を張っていた。根拠のない自信であることもしばしばだけど。
「ねえトトー君、デイルって……」
強いの?と聞くより早く、審判が声高らかに試合開始を告げた。そのとたんデイルは「うおおおおぉっ!!」と勇ましい雄叫びを上げて突進する。思わず身を乗り出す私の目の前で、彼はあっさり一撃で弾き飛ばされた。
「エリーシャ愛してるぅーっ!」
断末魔の声だけが会場に響きわたった。
「……なんなの、あれ」
一気に脱力してしまった。一瞬、全然強くなさそうに見えて実はスゴイ奴?とか思ってしまった自分が情けない。やっぱり若様は馬鹿様だった。
「この大会で優勝したら、結婚してやるって約束したらしいよ……」
「エリーシャさん……なんて素敵にえぐいことを」
勝てるわけないじゃない。誰でもエントリー自由とはいえ、参加者はほとんどが騎士だ。そんな中にお馬鹿二代目が入るなんて。
まあ、どう考えても無理なのに参加する度胸と根性だけは誉めてやろう。
「一途な想いにほだされるか、しつこさに辟易するか、微妙なところよね」
「ほだされてはいると思うよ……幼なじみだし、嫌ってるわけじゃないからね……」
「そうなんだ」
周りを見回してエリーシャさんの姿をさがす。どこかにいるはずだけど、人が多すぎて見つけられない。
「でも結婚はしない?」
「当分は無理だろうね……姉さんが好きなのはチャリス先生だし」
「え、そうなの?」
さらりと言われたことに驚いた。でも、ああ、なんかすごく納得する。エリーシャさんはいかにも世話焼きタイプだもんね。お医者さんとしての能力は高くても、生活力にはいまいち乏しそうなチャリス先生に対して、ほっとけないという気持ちになっても不思議はなかった。
「トトー君はデイルとチャリス先生、どっちにお義兄さんになってほしい?」
家族の意見を訊ねてみたら、トトー君はあまり興味がなさそうな顔で答えた。
「姉さんが選んだならどっちでも……」
そっけないなあ。
「チャリス先生はどうなのかな」
「その気はまったくなさそうだね……近所の子供くらいにしか見られてないと思うよ」
「そうなの」
子供って、エリーシャさんはもう立派な大人なのに。
「先生は四十越えてるからね……一度奥さんに逃げられてるし」
「――はいぃ?」
あれで四十代? いやもしかしたらそれなりのお年かとは思っていたけど、まさかの不惑越え。そして奥さんに逃げられたって、もうどこにつっこんだらいいのかわからない。
「先生はちゃんとしたところで働けるだけの、腕も機会もあったんだ……なのに下町で儲からない医者やる方を選んで、貧乏暮らしの果てに奥さんに愛想尽かされたんだよ……」
「……ご立派だけど、奥さんにもちょっと同情するかな」
自分の生活を犠牲にしてでも世のため人のために尽くす。それは素晴らしい行動だ。心から尊敬する。表彰されたっていいだろう。でも誰もがそこまで献身的になれるわけじゃない。生活苦は心を荒ませる。奥さんがもう嫌だと思ったって、誰に責められるだろうか。
「エリーシャさんなら、自分が先生に食べさせてあげるって言いそうね」
「言ってるよ……でも先生はまともに取りあわないね……」
デイルはエリーシャさんに、エリーシャさんはチャリス先生に片思いか。なんとも難儀な関係だ。
それからまた歩きだした私たちは、人込みの中で知り合いに声をかけられた。
「やあ、ティトシェ様。おいででしたか」
「あ、こんにちは、アークさん」
すでに試合を終えてきたのか、アークさんは汗をかいていた。
「参加されるとは聞いていましたが、すみませんまだほとんど試合を見ていなくて。どうでしたか?」
「一応、勝ち残っていますよ」
男らしい顔に爽やかな笑みを浮かべてアークさんは言う。イリスやアルタのような人目を引く容姿ではないけれど、十分に魅力的だと思えた。心なしか、周囲の女性も注目しているような。
「わあ、おめでとうございます」
「いやいや、まだ二戦しただけですから。上位二十位以内を狙っています。去年はそこまで行けませんでしたので」
そうか。じゃあアークさんも優勝候補ではないんだな。
「騎士たちの中に混じって勝ち残れるってだけでもすごいと思いますけど。ねえ? トトー君」
「うん……アークは、元々騎士になれるだけの実力があるからね……」
地竜隊長に認められて、アークさんは面映そうな顔をした。照れくさかったのか、話題を変えてくる。
「今年の女神役はティトシェ様が務められるそうですね。騎士の方々がしきりに噂しておられましたよ」
嫌なことを言われて、一気にテンションが下がってしまった。ああ、切実に逃げたい。闘った直後のむさくるしくも汗くさい男にキス。ものすごく嫌だ。考えただけで気分が悪くなる。どうしてもやれって言うなら、せめて事前に相手の顔を消毒してほしい。
「そこまで嫌わないでやってよ……みんな君に憧れてるんだから……」
「トトー君でもお世辞を言うのね。どうせならもうちょっと信憑性のあること言ってほしいけど」
「お世辞じゃなくて事実なんだけど……」
ふん。誰がそんなしらじらしいおだてに乗せられるか。ユユ姫のキスならさぞかし喜ばれるだろうけど、私じゃみんながっかりだろう。噂って、そういう噂に違いない。
急に機嫌が悪くなった私にアークさんは困った顔になり、そそくさと挨拶をして離れていった。私はむくれながら貴賓席に連行された。
「おお、トトーご苦労さん」
アルタがトトー君をねぎらう。私をひょいと抱き上げ、ハルト様の隣に座らせた。
「女神はここで勝負を見届けないとな。不在じゃ選手たちも気合が入らんよ」
「女神役を引き受けるなんて、ひとことも言ってないんですけど」
「往生際が悪いぜ。もうとっくに周知の事実だよ」
からからと笑うアルタの脚を蹴ってやる。美丈夫の騎士団長は向こう脛を抱えて悶絶した。
「そうふてくされるな。せっかくだから、試合を楽しむがよい」
ハルト様が苦笑混じりに私をなだめる。しかたなくその後の試合を貴賓席から見物したが、予想どおり退屈だった。
みんなが懸命に闘っているのはわかるよ。とても高い技を持っていることも。でもそんなの、興味のない人間にはどうでもいいことだ。これが実戦なら興味があるとかないとか言う話ではないが、ことはただの試合。お祭試合。真剣にどうでもいい。むさくて汗くさい。
だいたい私は男の存在そのものが好きではないのだ。いやらしいし、とかく暴力的だし。うるさくて乱暴という、まさに今そのまんまな光景が眼前で繰り広げられている。向こうで黄色い声援を送る女の子たちみたいに盛り上がる気にはなれなかった。
「ハルト様、どうぞ」
ハルト様を挟んで反対側には、ユユ姫が座っていた。席の前に用意された軽食を取ってハルト様に差し出している。
「ああ、ありがとう」
微笑んで受け取ろうとしたハルト様を無視して、ユユ姫は手にしたカナッペを口元へ運んだ。
「はい、あーん」
「これ、よしなさい」
ハルト様は笑うが、お顔が赤いですね。三十路も後半、アラフォーしかも既婚者のくせに、なに純情ぶってんだか。
「昔はよくこうして食べさせてくださったではありませんの。お返しです」
「あれは、そなたがまだ小さい頃の話だろう。嫌いなものを食べさせるためにしたことだ」
ほほう。それで私にも時々肉を差し出してくるのか。絶対食べないけどね。
「ええ、おかげで克服できました。ハルト様が差し出してくださるものを断るなんて、できませんでしたもの。我慢して食べているうちに、いつしか平気になって……ですから、そのお礼です。はい、あーん」
なにがお礼だか。単にやりたかっただけだろう。
さんざん照れていたハルト様だったが、可愛い婚約者のあーん攻撃には勝てず、とうとう口を開いた。いいですねえ、ラブラブで。自分で仲を取り持ったふたりとはいえ、そばでいちゃつかれるとちょっとウザいな。今は機嫌が悪いからなおさらそう思う。でも同志は多いぞ。周りを見よ、独り者の騎士たちがうらやましくも妬ましそうな顔をしている。
「まだむくれてるのか? チトセも食べなよ、ほら」
イリスが私にも軽食を差し出してきた。こちらはミニサイズのサンドイッチだ。ふん、こっそり肉を挟んでいることくらい知っている。
「いりません。お腹空いてないから」
「……こっちのお菓子は?」
「もらいます」
「そのわがままどうにかしろ!」
お菓子を奪い取りそっぽを向く。誰に何と言われようとも、肉は食べませんから。
そんなこんなのやり取りや、あまりに退屈すぎて居眠りしているうちに、試合もいよいよ決勝戦を迎えた。
「チトセ、これ、起きなさい」
ハルト様が私の肩を揺すぶる。
「まったく……もう最後の一戦だぞ」
「ああ、やっと終わるんですか……」
私はあくびをして座り直した。ああ長かった。これでやっと解放される。
……その前に、いちばん嫌な儀式が待っているけれど。
競技場に選手が入ってくる。決勝戦まで勝ち抜いた、今日いちばんの勇者たちだ。片方は私の知り合いらしいが、さていったい誰なのかと目を凝らした。
一人は、いかつい体格の騎士だ。あれは地竜騎士だな。そこまではわかるが、名前なんて知らない。知り合いじゃない。
では対戦相手はと目を向けて――
「はあっ!?」
姿をみとめた瞬間、私は大きな声を上げてしまっていた。
椅子から身を乗り出してよくよく見る。見間違いかと思った。背格好や髪の色が似ているだけの、他人だろうと。
でも間違いなかった。競技場に飄然と立つ姿は、とても見覚えのあるものだ。いつもよりずっと動きやすそうな服装で、それが彼の体格をはっきり見せていた。上背はあるのに横幅ははてしなく薄く細い。ちょっとつついただけで倒れそうな痩身だ。頬は幽霊のように痩せこけて青白い。あの人が相手だったら、もしかして私でも勝てるかしれないと思わせるほどの、今にも血を吐いて倒れそうなのは――
「……優勝候補って、オリグさんだったの?」
信じられない気持ちで私は周りを見回した。
ハルト様は苦笑し、イリスやアルタはにやにやと笑っている。ユユ姫も笑いをこらえきれないようすだ。トトー君まで珍しく口元がゆるんでいた。
たしかに知り合いだ。よく知っている人だ。ロウシェンの参謀室長は私の先生みたいな人だ。
しかしあの人が武術大会に出るなんて思わなかった。思う人がいたら頭どうかしてるよね! あんな、年中救急車の、いやさ集中治療室のお世話になっていそうな人が武術大会だなんて。
「どういうことなんですか、これ」
私はハルト様に訊ねた。
「いや……毎年の恒例でな」
「恒例?」
毎年出てるのか。それで優勝していると?
私は半信半疑で競技場に目を戻した。見れば見るほど、強いとか弱いとかいう以前の問題だ。あれで普通に日常生活を送れているってだけでも不思議なのに。
「決勝戦にだけ出てくるなんて、シード扱い?」
「ちゃんと予選を勝ち抜いてきてるよ。これまでの試合全部、チトセは脱走しようとしたり居眠りしたりして見てなかっただけだろ」
私の指摘はイリスによって否定された。むむむ、そうなるとますます理解できない。
「まさか、八百長ですか?」
「それとは少々違うが……まあ、見ているとよい。すぐにわかる」
コメントしにくそうなハルト様に従って、私は試合に注目する。選手たちが中央で向かい合うと、審判が手を上げ、試合開始を告げた。
互いに手にするものは剣。やはりこの手の試合の花形は剣の勝負か。
オリグさんがどんな剣技を披露してくれるのかと期待したが、彼は動かなかった。あまりさまになっていない、素人目にも隙だらけの構えのまま動かない。相手の騎士もまた飛び出したりはしなかった。
隙だらけに見せて、実は相手を誘い込む罠とかいうのだろうか。
武術に関してはさっぱりわからないので、なんとも判断のしようがない。ただ対戦者のようすが、どうも妙なことには気付いた。
彼はうろたえ、困惑しているようだった。いやその気持ちはわかるけどね! でも決勝戦にまで勝ち残ってきた選手が相手なら、たとえ見た目がちょっと、いやかなりアレでも闘えるだろう。
……闘えるかな?
「……ま、参る!」
かなり長いにらみ合いの後、対戦者の騎士がついに踏み出した。どこか腰が引けつつも、一撃を繰り出そうとオリグさんに接近する。
その瞬間、
「ぐほっ」
オリグさんが、むせた。
「ぐっ……ゲッ、ゲホッ」
「ヒイィッ!!」
対戦者は飛び上がって逃げた。
口元を押さえた姿勢のまま、オリグさんがゆらりと前へ出る。ゆらり、ゆらり、ふらふらと、それはさながら生ける屍のごとき足取りで。
「あ、あわわわわ」
対戦者はさらに怯えて後退った。
……うん、気持ちはすごくよくわかる。今にも血やら内臓やら吐かれそうで怖いよね。ゾンビに襲われた気分かもしれない。
そういうゲームもよくやったなあ。あのゾンビはスピードもあったけど、オカルティックな怖さではオリグさんの方が上だな。
対戦者はフィールドの端ぎりぎりまで追い詰められた。相撲の土俵みたいなもので、そこから出てしまうと負けになる。文字通り最後の一線でなんとか踏みとどまっていたものの、蒼白な顔で迫りくる参謀室長に反撃することはできず、彼の頭上に剣が振り上げられ――
ぺふ。
気の抜ける一撃で、勝敗が決した。
「……勝者、オリグ・ケナン」
判定を告げる審判の声も、死ぬほどどうでもよさげだった。
かくして、栄えある武術大会の優勝者が決定した。会場に集まった人々から拍手や喝采は起きなかった。そこかしこから上がるのは笑い声だ。それも爆笑ではなく脱力気味な、あーもーしょーがねーなーといった笑いだった。滑りまくりの芸を見せられて、まあこれもある意味笑えるよね、という気分になるような。
「……なんなんですか、今のは」
私はちょっと行儀悪く肘掛けにもたれた。なんだかものすごく疲れた。問題の決勝戦は、想像を絶するグダグダっぷりだった。
「これが毎年の恒例でな」
ハルト様が笑う。
「アリですか、あんなの。今のどこが武術の試合ですか」
ただのホラーコメディだろう。
「祭だからな。皆も承知している。迫力の試合はもちろん見応えがあるが、なかにはああいうのがあっても楽しいではないか」
「イロモノが優勝しちゃってどうするんですか。それも毎回」
ここまで懸命に闘ってきた他の選手たちが可哀相だな。特に決勝戦の相手。あんな、軽く小突いただけでご臨終になりそうな人を相手にして、まともな騎士が手を出せるわけがない。八百長じゃないとハルト様は言ったけれど、ほとんど八百長みたいなものじゃないか。
「ずるいって、苦情は出ないんですか」
「実質的な優勝者は対戦相手の騎士だ。皆わかっている。彼は十分に讃えられるだろう。……少しばかりの同情とともにな」
イリスやユユ姫がくすくすと笑っている。アルタが快活に言った。
「ちゃんとそこは考慮してるぞ。準優勝者には賞金と賞品が与えられるが、優勝賞品はエナ=オラーナの公衆大浴場一年間無料券だ」
「なにその商店街の福引的な賞品は」
しかも一等特等クラスじゃないな。おまけの特別賞クラスだ。
決勝戦の選手たちがやってくる。ハルト様が健闘をたたえ、各々に賞品を授与した。そして私の番が回ってくる。
私は指示された通りにエリスという木の枝を渡した。神話だか伝説だかに由来しているのだとか。くわしいことは知らない。多分女神様が持つ象徴みたいなものなんだろう。
そして、いよいよ祝福のキス――
「…………」
見慣れた顔を前に私はどうしたものかと迷った。彼に嫌悪感はないのだけれど、それとは別の次元で何か触っちゃいけないような、そんな気分になってしまう。
いや、考えすぎだな。知り合いでよかったじゃないか。軽くチュッとやってさっさと終わりにしよう。
そうふんぎりをつけて肩に手をかけようとした私を、オリグさんは軽く制した。
「せっかくの栄誉なれど、それは辞退申し上げましょう。私がくちづけを望むのはこの世にただ一人、我が妻のみにございます。ちなみに恋愛結婚です」
「…………」
ええ、知ってますけどね、ロウシェンの七不思議は。
エリスの枝と温泉無料券のみを手に、どこまでも飄々と優勝者はさがっていった。
これも毎年恒例か。どうりで大丈夫と言われたわけだ。それなら最初から教えてくれればいいものを、みんな意地が悪いんだから。
むくれる私に方々からお菓子が差し出される。ハルト様やトトー君に頭をなでられた。そしてその後、模範試合ということで、イリスとアルタが対戦した。
アルタの剣に対し、イリスが持つのは槍だ。どっちも抜群のイケメン同士、観客の声援もいっそう黄色くなる。
剣でならアルタには勝てないという話だったが、得意の槍ならどうなるのだろう。
少しばかりの興味を持って、私はふたりの対戦を見守った。さすがにすごかった。さっきの決勝戦が前座にしか思えないくらい(じっさいお笑いカードだったし)迫力の勝負だった。試合用の模擬刀だなんて感じない。本気で殺し合っているんじゃないかと思いそうなほどだった。
身体の大きなアルタに対して、イリスは攻撃範囲の広さという利点で互角に渡り合っていた。その上彼は、とんでもなく身が軽かった。普通こういう勝負では、地面から足が離れるのは負ける瞬間だ。でもイリスは違う。高々とジャンプして攻撃をかわし、ひらりと相手の背後に回り込む。なんだか弁慶と牛若丸の話を思い出してしまった。
銀の髪を輝かせながら、空中でイリスが一回転する。とたんにキャーっと悲鳴じみた歓声が上がる。野太い声も混じっていたような気がした。飛竜隊の部下かな? そうだよね、きっと。
アルタも巨体に似合わない敏捷さで闘ったが、きわどいところで勝利はイリスのものとなった。喉元に槍を突きつけられ、アルタがくやしそうに降参する。
「なんだお前、やたらと張り切ってたな」
「女神がいると気合が入るんだよ」
どちらも肩で息をしながら、肩を叩き合って終わる。今度こそ割れんばかりの拍手と喝采が惜しみなく贈られた。
イリスは笑顔で私のもとへ駆け戻ってきた。
「祝福をもらえるかい、女神様」
一度ひざまずいて礼をし、まぶしくも爽やかな笑顔を見せてくる。私も笑顔で彼に応えた。
「ええ、とてもすばらしい試合だったわ。おめでとう」
私が肩に手をかければ、彼は軽く顔を傾け、頬を差し出してくる。
私はそこに、用意していた筆でハートマークをでかでかと描いてやった。
「え……?」
ひきつるイリスに周囲がどっと笑う。
ふん、あの流れで彼らが試合をするとなったら、絶対言ってくるのはわかっていたさ。誰がぼさっと見物だけして待っているもんか。予測して策を講じるのは基本だろう。
ちなみに使った染料は落ちにくい性質のものである。しばらくイケメン度を上げているがいい。
「チトセ……」
「よく似合ってるわよ」
なさけない顔をするイリスに、私は笑顔だけは惜しまずふりまいてやった。
そこへイシュちゃんが飛来する。ほっとかれて寂しかったのか、自分も混ぜてと言わんばかりに首を伸ばしてくる。私は彼女をなでてやり、ほっぺた辺りにキスしてあげた。
「差別だー!」
笑顔があふれる会場に、イリスの声が響く。
よく晴れた秋の、楽しい一日だった。
***** 終 *****