6
「アークさん、誰か礼拝堂の方へ出て行きましたか?」
迎えに来たアークさんに私は尋ねた。彼は怪訝そうに首を振った。
「いえ。何かあったのですか?」
もといた場所からここまで来る間に、人が隠れられそうなところはなかった。となると、デュペック侯は反対側へ行ったことになる。
私は回廊を走った。アークさんの声が追いかけてくる。
「ティトシェ様? どうなさったのですか」
ごめん、今は答えている暇がない。そして彼がついてきてくれることも計算の上での追跡だ。さすがに一人で追う勇気はない。
すぐ近くに曲がり角があった。角から顔を出し、私は足を止める。
奥の庭と通路が目の前に広がっている。広く見渡せるそのどこにも、デュペック侯の姿はなかった。
どこかの部屋に隠れたのだろうか。それともこっちじゃなかった? ――いや、それなら礼拝堂の方へしか行けないはずだから、こっちで間違いないと思うのだけれど。
どうしたものかと考えていると、奥から出てきた人が私を見とがめてこちらへやってきた。
「これより先は修業の場です。信者の方の出入りはお断りしております」
くすんだ緑の長衣を着た若い男性だ。似たような格好の人を他にも見かけたから、きっとこれが神官の装いなのだろう。
神官は私ではなく背後のアークさんを見ていた。多分、遊び回る子供をちゃんと注意しろと、そういう意図をもってだろう。
アークさんは私のそばへやってきて、神官に軽く頭を下げた。
「断りなく踏み込んで失礼しました。こちらはユユ姫の縁者でいらっしゃるのですが、どこかで休憩させていただけませんでしょうか」
「ユユ姫の? そういえば、あなたは……姫君にお供しているところを見た覚えがありますね」
「護衛士のアーク・フットです。姫様のご命令で、こちらの令嬢を案内しております。少しお疲れなので部屋を貸していただきたいのですが」
ユユ姫の名前は絶大な効果を発揮したようだ。一般人の立ち入りお断りなはずなのに、神官はすんなりとうなずいた。
「わかりました、こちらへどうぞ」
先に立って私たちを案内する。アークさんにうながされて、私は神官の後についていった。
いくつもの部屋の前を通り過ぎる。扉が開いていて中が見える部屋もあれば、閉じられていて見えない部屋もある。あのどこかにデュペック侯がいるのだろうか。もしそうなのだとしたら、神殿内部に彼の協力者がいることになる。エランドの人間だと知った上で協力しているのだろうか。
「どうぞ」
きょろきょろしながら歩いていると、いつの間にか立ち止まった神官が部屋の扉を開けていた。
私たちを招き入れておいて、神官は飲み物を用意してくると言って立ち去った。デュペック侯をさがすことはあきらめて、私は椅子に腰を下ろした。
「アークさん、弟さんはいいんですか? 放ってきちゃったんじゃ」
「お気になさらず。お互い仕事の途中ですから、長く話すつもりはありませんでした。どうせ後で家に行きますし……それより、何かあったのですか」
いきなり妙な行動をした私にアークさんはいぶかしそうな顔をしている。どう説明したものかと少し考えた。デュペック侯に会ったことを馬鹿正直に話すのはやめておいた方がいいだろうな。
「……知ってる人を見かけたような気がしたんです。ここにいるはずがないから人違いかと思ったんですけど、本人かもしれないと思って」
「どなたです」
「いえ、多分きっと人違いですから。すみません、勝手に走り回って。休憩とか、お願いしちゃってよかったんでしょうか。私別にすぐ出てもかまいませんけど」
「大分歩かれましたから、お疲れでしょう。ここで一服してからの方がよろしいかと」
そこまで歩き倒したわけではないけどな。もしかして以前街へ行った時に具合を悪くしたせいだろうか。なんだかものすごく病弱に思われていそうだ。
「でも神殿側に迷惑をかけているのでは」
「それほどでもないでしょう。神殿は特別閉鎖的というわけではありません。神の恵みを教える場所ですから、救済を求める者に冷たくするのは教義に反しています。運営に支障が出ることのないよう、ユユ姫も多額の寄進をなさっておられますし」
そうか、上得意の関係者だから、親切に応対しておいた方がいいと判断されたんだな。
「じゃあ、駆け込み寺みたいなこともしていたり?」
「駆け込み……それは、夫から逃れた女をかくまうという意味でしょうか」
「おおむねそんな感じかと」
「そういうのは、尼僧院の方になりますね。こちらは男性の神官ばかりですから。信者の相談に乗ってやったり、告解を聞いたりはしますが」
なるほど、神殿関係者以外もけっこう出入りがあるようだ。
そうなると、デュペック侯がいたからといって、かならずしも神殿内部に内通者がいるとは限らないな。彼の正体を知らずに立ち入らせていた可能性もある。デュペック侯の顔とプロフィールを知っているのなんて、王宮の役人と一部の貴族くらいだろうし。
偽物を帰国させてロウシェン側を安心させておき、本人は何食わぬ顔であちこちに出入りしている。その先々で、エランドのために動く手駒を作っているのだろうか。
考え込む私に、アークさんが心配そうな顔をした。
「ティトシェ様? やはり、ご気分がすぐれませんか」
「え? いえ……」
体調は普通に良好だ。なのにやたらと心配されるので気になった。
「そんなに具合が悪そうに見えますか?」
「はい」
聞き返すと、アークさんはきっぱりうなずいた。
「お顔が青白いですし、ずいぶんやつれてしまわれたように思います。以前お会いした時とは大違いです。しばらく寝込んでおられたと聞きましたが、まだ回復なさっていないのでは?」
はっきり言われて、少し驚いた。しばらく落ち込んでまともに食べられなかったのがそんなに影響していたのか。このところ身なりをかまう気も起きなくて、あまり鏡を見なかったから、自分が今どんな顔をしているのか考えてみれば知らない。それ自体、おかしな状態だったかも。
「体調は戻ってますよ。痩せたせいでそう見えるんですね。大丈夫です」
「それならばよいのですが……」
「最近、ちょっと考えることが多くて気持ち的に滅入ってたりもするので、そのせいもあるんでしょうね」
熱を出して寝込んだのも一因ではあるだろう。いろいろ重なって、病人っぽい見た目になってしまったようだ。どこぞの参謀室長を思い出す。今なら彼とオトモダチになれるかも。
「それは……」
アークさんがさらに聞きかけた時、神官が戻ってきた。――いや、さっきの人とは別だ。もっと年上の、おじさんだった。
「お待たせしました」
抑揚のない声で言って、お盆に乗せてきた茶器を私たちの前に置いてくれる。頭にかぶっているのは頭巾と呼んでいいのだろうか。上部は帽子のようになっており、肩口まで垂れた布が髪をすっかり隠し、顔も近くで覗き込まないとわからない。
私はお礼を言って茶器を取り上げた。上品な香りと緑茶に似た爽やかな味わいは、私の好きなリッカの花茶だ。
温かいお茶がとても美味しく、心地よい。自分で思うよりも疲れていたようだ。もともと乏しい体力がさらに低下しているのだろう。今夜はちゃんと食べられるかな。
お茶を持ってきてくれた人は、すぐには出ていかずそのまま控えている。私は彼を見上げた。
「告解って、懺悔みたいなものでしたっけ」
「……はい。罪を告白し、神の赦しを受けて悔い改める、清めの儀礼です」
彼にとっては唐突な質問にも、とまどうようすもなく淡々と答えが返ってくる。私はさらに尋ねた。
「それって誰でも希望すれば受けられるんですか? 決まった日だけ?」
「定められた日はありますが、それ以外でも希望があれば受け付けます。告解用の小部屋があり、そこで語られた内容が外へ漏らされることはけっしてありません。身分や職業などは関係なく、誰もが受けられる秘蹟です」
……なるほど。
私はゆっくりとお茶を飲み干した。静かに茶器を置いて、立ち上がる。
「じゃあ、今からお願いしたいです。私の話を、聞いてくださいますか?」
「お受けしましょう」
頭巾の頭が縦に動く。私はアークさんを振り返った。
「ここで待ってていただけますか」
「ティトシェ様……」
アークさんはとても心配そうな顔をしている。いきなり告解だなんて言い出したから驚かせてしまったか。
「せっかく神様の前に来てるんだから、お世話になってみようかと思って。このところ落ち込んでもやもやしてたんで、ちょっとすっきりしてきます」
笑顔で言えば、気がかりそうな顔ながらもうなずいてくれる。彼を残して、私は廊下へ出た。
元来た方へ戻るようなルートで歩き、礼拝堂近くの部屋に案内される。天井は高かったが広さは六畳ほどもないだろう。本当に小さな部屋に、縮小版の祭壇があった。その前に敷物が敷かれていて、多分そこにひざまずいて告白を行うのだろう。椅子などの家具はなかった。
案内人が祭壇に一礼した後こちらへ振り返る。では、と静かな声で言い、顔にかかる布を軽くはらった。
「お聞きしましょう」
いちおう、ひざまずいた方がいいのかな? そんなことを考えながら、私は彼の前へ進み出た。
人々が寝静まる深夜、一番目の月が西の山に落ちかかる。
追いかけっこをするように順番に現れる三つの月は、姉月、妹月、弟月と呼ばれている。弟月が空に現れると、すぐに姉月は沈んでしまう。まるで逃げるかのように。
どこの世界の人も月にはロマンを求めるようで、三つの月にまつわる伝説を聞いたことがある。ロマンチックというよりは、ヤンデレ系シスコンって感じだったけど。
――という話はおいといて。
私にとって重要なのは、姉月が沈む刻限だ。まさに、今。
与えられた部屋をこっそり抜け出した私は、庭に出て見回りの衛兵に見つからないよう裏口へ向かった。広い敷地を月明かりを頼りに歩く。けっこう寒い。ワンピースだけでは足りなかった。上着かショールがほしいところだ。
人の背丈より高い石垣が現れる。それに沿って歩けば、やがて小さな通用門があった。教えられたとおりだ。
木戸ではなく鉄の格子扉だった。昼間は使用人が使うのであろう小さな出入り口は、今はしっかり施錠されていて侵入も外出も許さない。
出られるはずのない門――けれど、私の手の中には鍵がある。かんぬきにかけられた錠前に差し込めば、抵抗なく収まり回転する。金属音が小さく響き、門はかすかにきしみながら開いた。
私は素早く外へ身を滑らせて、元通り門を閉めた。格子越しに城内のようすをうかがったが、衛兵がやってくる気配はなかった。
門の方はこれでよしとして、今度は外の景色に目を向ける。城館の背後は森になっていて、夜の闇の中、黒く巨大な影が広がっている。その奥で小さな明かりが点滅した。合図だ。
私は足もとに気を付けつつ、明かりの見える方へ歩いた。
「こんばんは。来てくださいましたか」
互いの姿が確認できるところまで近づくと、彼は手提げランプに布をかぶせて明かりを隠した。
それでも顔は判別できる。デュペック侯と私は、数メートルの距離を置いて向かい合った。
「うれしいですね。私の話を聞いてくださるのですか」
「あなたが聞いてほしいって言ったんでしょう。いったい私に何を聞かせたいんです。もったいぶらずに、さっさと始めていただきたいんですけど」
「おや、おや、存外せっかちな方だ」
デュペック侯は私をからかうように笑う。時間と場所を指定して、どこから出られるのかを教え、さらには門の鍵まで用意しておきながら、すぐには本題に入らず焦らす態度だ。
「せっかちにもなりますよ。寒いんです。外がこんなに冷えるとは思いませんでした」
鍵は私の寝室の枕の上に置いてあった。城内の誰か――おそらくメイドさん辺りに、協力者がいるのだろう。報酬で釣られたのか、何かをネタに強迫されたのか、あるいは最初からエランド側の人間だったのか……。
「夜歩きをなさったのは初めてですか。それにしては落ち着いたものだ」
「私をどうにかするつもりなら、こんな回りくどい真似をする必要はないでしょう。あの時に行動に移せたはずです。何もせずわざわざ呼び出すくらいだから、話が目的だというのは本当なのでしょう。もっとも、聞いた後で何をされるかはわかりませんけどね」
「何もしませんよ。今夜も、ちゃんと帰してさしあげるとお約束しますとも。おっしゃる通り私の目的はあなたと話すことです。そして、話を聞いたあなたは、きっと我々の理念を理解してくださると信じております」
「そうまでおっしゃるのなら、話とやらを始めてください」
向かい合うのは私とデュペック侯の二人だけだ。でも他に誰もいないはずはあるまい。きっと森の物陰に、彼の仲間が隠れている。
態度で見せるほど、私は落ち着いているわけではなかった。デュペック侯が気を変えれば、この場で殺されたり拉致されたりする可能性もある。どこに仲間が潜んでいるのか、こちらを狙っているのだろうか――緊張に汗がにじんでくる。
それでも、彼の誘いを無視して城に閉じこもっている気にはなれなかった。デュペック侯が私に何を伝えようとしているのか、何をしようとしているのか、それを確かめずにはいられない。
「神殿であなたは言いましたね。本当は戦争を望んでいるわけではないと。流血を避けたいのなら話を聞いてほしいと。それはあなたの本当の気持ちなのですか」
「本心ですよ」
絶えず浮かべていた笑みを消して、デュペック侯は真剣な顔で言った。
「我々が他国からどのように言われているかは承知しています。言われるだけのことはしてきた。しかし、それには理由がある。我々とて、命をかけて戦っているのです。欲だけでできるものですか」
「理由とは?」
「……あなたは、ご存じでしょうかね。エランドは呪われた島と呼ばれております」
話が戦からだいぶん離れた方向へ飛んだ。呪いなんて笑ってしまいそうな話だが、デュペック候は真面目な顔だ。
「われわれエランド人は穢れた民として、諸国より忌避され、蔑まれております」
「なぜですか」
漫画とかによくある設定だな。聞いて私が抱いたのは、そんな感想だった。まだ科学が未発達なこの世界では、もしかして呪いなんてものも信じられているのかもしれない。現代日本人の私にとっては単なるオカルトネタで、呪いだの何だの本気で信じる気にはなれない。
「エランドはその昔、罪人の流刑地だったのですよ。まだこのシーリースが世界の中心だった頃、罪を犯した者や政争に負けた者が北の島へと流されました。痩せた大地に実りは少なく、気候は厳しく、人が暮らすのにけしてやさしくはない島――そこで必死に生き延びた人々の末裔が我らです」
「…………」
「時代が変わり、シーリースの外にも国が生まれ、エランドに移り住むのは罪人ばかりではなくなりました。人が増え、やがてエランドも国家を形成できるまでになった。もう罪人が流されてくることはなく、エランドは他の島と同様に、ただ人が暮らすだけの島になりました。先祖はともかく、後世に生きる民に罪はありません。みな懸命に大地を耕し、海へ漁に出て、少しでも暮らしがよくなるようにと努力していただけです。そして、他の島との交流を望んだ」
「…………」
簡単にまとめられた話の中で、多分何百年という時間が流れているのだろうな。歴史の教科書を一ページにまとめたような感じだ。
「いかに努力しても、島内だけでは限界があります。あの島での暮らしは常に飢えと隣り合わせです。他の島からの豊かな物資を人々は望みました。また、どことも交流のない孤立した状態もなんとかしたかった。もうエランドは罪人の島ではないのだから、そう願うのは当然のことでしょう? ……しかし、外の者たちの考えは違った」
外の者というのには、シーリースも含まれているのだろう。
「彼らにとって、どれだけの時間が流れようと、その間にどれだけの変化があろうと、エランドは変わらず罪人の島だったのです。呪われた地、穢れた民、そう蔑み忌避することしかなかった。我々が懸命に生み出したものを買ってくれる相手はおらず、我々が求めるものを売ってくれる相手もいなかった。なんとかして資金を調達しても、後ろ暗い真似をして得た汚い金だろうと決めつけられ、話も聞いてもらえなかった。我々が何をしようと関係なく、エランドに生まれたことが罪だとされた。生まれながらにして罪を背負い、穢れた民――それが、エランド人なのですよ」
漫画というより、被差別部落に似ているかな。あれは民衆の不満をそらすために、為政者によって作られた制度だった。もともとは普通の人たちで、何もおかしなところなどなかったのに、差別されるべき対象という認識が人々の中に刷り込まれ、後世にも残されてしまったんだっけ。
デュペック侯の話を鵜呑みにするわけにはいかないが、思い当たるところがないわけでもなかった。キサルスへの侵攻が始まって以来、あちこちでエランドの噂を耳にするようになり、そこに嫌悪感が混じっていると感じることがしばしばあったのだ。その時は平穏を脅かす侵略者に対してのものだろうと、さして気にしなかったけれど、こうして話を聞くと違う理由が見えてくる。
デュペック侯は私から視線を外し、領主館の方へと顔を向けた。暗がりに紛れたその瞳には、恨みと憤りが浮かんでいるのだろうか。
「それでいながら、外の者はわれわれから一方的な搾取をしようとした。矛盾しているでしょう? まともな取引を望んだ時には忌まわしいとはねつけておきながら、無償で巻き上げることは考えるのですから」
「搾取、とは」
「はじめに武力を動かしたのは我々の方ではない。外の国が攻め込んできたのです。言い訳などではない、調べていただければわかるはずです。我らが戦い始めたきっかけは、自分たちの暮らしを守るためでした」
侵略国家というイメージを持っていたエランドが、そもそものはじまりは侵略される側だった? それは初耳だ。でもデュペック候に、でまかせを言っているようすはない。そう、こんなことは調べればすぐにわかるはず……だとしたら、本当の話なのか。
「彼らはわが国の力をずいぶんと見くびっていた。簡単に攻め落とせると踏んで、狩りでもするような気分で乗り込んできたのでしょう。追い払うのはそう難しくありませんでしたよ。それであきらめてくれればよかったのですが、そんな連中ではなかった。見下していた相手に手痛くやり返されて、腹も立てたのでしょうな。何度もしこつく襲ってきました。敵は一国だけではなかった。近隣の国がこぞってエランドを攻めました」
「それに対抗して、全部しりぞけたと?」
エランド一国でそんな真似ができるのだろうか。疑問を抱いた私に目を戻し、デュペック候は口の端を吊り上げた。
「長年不遇の立場にあまんじていたからといって、我々に力がないと思い込んでいた外の連中は愚かですよ。厳しい北の大地で生き抜く男たちは、どこの国の兵士よりも屈強です。過酷な状況に耐える精神を持ち、荒れる海のことも知り尽くしている。……しかし、数の不利は事実です。あのまま守りに徹する戦いを続けていたのでは、いずれ力尽きて滅ぼされていたでしょう」
最後は吐息混じりに言う。
「いくら追い返してもあきらめず、人のものを奪おうと襲いかかってくる。そんな連中を相手に、いつまでも真っ正直なやり方で対抗しているわけにはいきません。こちらから攻めに出て、相手を滅ぼすしかない――そう判断した我々を、あなたは責めますか?」
「…………」
「滅びるか、滅ぼすか。我々にはその選択しかありませんでした。助けを求められる相手などおらず、生き延びるためには敵を滅ぼすしかなかった。それが、はじまりです」
そこでいったん、デュペック候は口を閉ざした。私は聞いたばかりの情報を整理する。今の話が真実だったとして、それならたしかに戦を始めたのはエランド側ではない。攻め込んだ国に大きな責任がある。一方的にエランドばかりを責められないだろう。
――でも、それが真実のすべてではない。
デュペック候はまだすべての情報を明かしてはいない。
「他の国々もみんなエランドを侵略しようと攻め込んだわけではないでしょう? その後も戦を続けていくつもの国を制圧していったのはなぜです?」
「我々が攻めに転じて勝利していったため、危機感を抱いたのでしょう。次は自分たちが攻められると思い、そうなる前に攻めてきた――我々と同じような判断をしたわけですな」
「だったら、ちゃんと事情を説明すればいいじゃないですか」
「聞いてもらえるとでも?」
デュペック候は少し呆れたように軽く笑った。
「さきほどお話ししたでしょう。我らはまともな人間として扱われず、常に侮蔑と拒絶を向けられていたのです」
「…………」
「我らのすることはすべて悪、すべて罪。それが外の者の認識です。説明などできる機会すらありませんでしたよ」
「だから、戦った?」
本当にすべての国がそうしてエランドに刃を向けたのだろうか。そんな国ばかりだったのだろうか。戦を止めようとした国はなかったのだろうか。
いきさつを私は知らない。でも、そこまで極端な状況にはならないんじゃないかと思ってしまう。
「たしかに、我々は戦いすぎたかもしれません。ええ、日和見をしていた国にすら攻め込みましたよ。彼らにとってはまぎれもなく侵略者でしょうな。だが、こちらの気持ちも考えていただきたい。ずっと理不尽な差別を受け、苦しい暮らしを続けてきた上、ささやかな財産すら奪われそうになり、抗おうとすればこちらこそが侵略者と誹られる。なぜ、そうも我々ばかりが悪者扱いされねばならぬのです。先祖が罪人だから? 外の国にだって数えきれないほどの罪人がおります。当人が善良でも、さかのぼれば極悪人の先祖を持つ者もいるでしょう。そんなことは、人の歴史の中では当たり前の話だ。なのに我々だけが、常に蔑まれる。悪と決めつけられる。我々はいつまでそれを受け入れ、耐えねばならぬのです?」
「…………」
デュペック候の声に熱がこもる。常に腹のうちを隠し、不気味な印象を与えていた彼が、はっきりと怒りを見せていた。これが演技だとしたら彼は稀代の名優だろう。抑えきれない憤りは本物だと、私に感じさせた。
「そもそも罪人というのも外の連中の勝手な言い分です。その時代の権力者たちにとって、邪魔な相手であったにすぎない。我らの始祖は……」
勢いのままに不満をぶちまけようとしていた彼は、途中で我に返ったようすで言葉を切った。軽く咳払いをし、声を落ちつかせる。
「失礼いたしました。今このような話で時間を費やすべきではありませんな。まあとにかく、我々はいい加減嫌気がさしていたのですよ。悪者扱いされることにも、苦しい暮らしを続けることにも、そしていつまた刃を向けられるかという不安を抱き続けることにも。その場限りの対処をするだけでは根本的な問題は解決しません。どうすれば我々はもっと心穏やかに、そして豊かに生きていくことができるか? ……世の中を変えるよりないと、結論を出しました」
その結果がさらなる戦だというのだろうか。すべての国を攻め落とし、エランドが支配者になることで、立場を逆転させようと考えたのか。
……彼らの気持ちを考えれば、まったく理解できない話でもない。話し合いもできないならば、武力で解決しようということになるだろう。
でも、話し合おうとした人たちもいたはずだ。
「シーリース三国は、エランドとの交流を持っていましたよね? あなたは大使としてここに来たのではありませんか。対話の窓口は開かれていたでしょう」
春に私が拾われた時、ハルト様はエランドを訪問した帰りだった。カームさんは以前皇帝に会ったことがあると言っていた。どちらも緊張を伴う状況ながら、一応は交流をしていたわけだ。
「国交が始まったのは、ほんの十年ほど前からですよ。我々の力が馬鹿にできないものだとようやく悟り、あわてた人々が懐柔策に出ようとしたのです。しかしうわべだけで真の友好ではない。我々への偏見は変わらず根強かった。大使を派遣し合っていたのもロウシェンだけです。リヴェロとアルギリは、一定の交流以上は望まなかった」
「…………」
たしかに、その二国は大使を派遣していない。それで国交と言えるのかと疑問には思っていたところだ。少なくとも正式な国交ではなかっただろう。
「ハルト公は人格者です。それは知っております。ですが彼にとってもっとも大切なのはロウシェンであり、他の国は二の次、三の次です。我らエランドなど、はたして何番目なのやら……自国の益を優先するのは当然ですが、こちらにしてみれば心から信頼できる相手にはなり得ない。彼は我々と付き合うことで得る利と、突き放すことで得られる利、常にそれを天秤にかけていました。そして我らがキサルスへ侵攻を開始したことで、天秤は突き放す方へと傾いた」
「…………」
王としての計算。それを批判することはできない。ハルト様はロウシェンのために、シーリースのために、最善を探していただけだ。
――でも、その結果切り捨てられたり、利用されたりする者が出てくる。
私とエランドは、似たような立場なのだろうか。
「シーリースとまともに事を構えるのは、さすがに厳しい。これまでのようにはいかないでしょう。それに最初に申し上げた通り、我々はけして流血を、戦そのものを望んでいるわけではありません。本来の目的は穏やかで豊かな暮らしを手に入れることです。蔑まれることなく、虐げられることなく、民たちが笑って暮らせる時代がほしい……我々が望むものはそれだけなのです。たったそれだけなのに、他国は理解してくれず、受け入れてくれない。ロウシェンも、今のままでは我々を受け入れてくれない。もう戦へと向かうしかない――このような場合、あなたならどうします?」
「…………」
ここからが本題だ。彼が――エランドが何をしようとしているのかがわかる。私はだまって続きを待った。
「全面衝突を避け、流血は最小限に抑えたい。そのために、卑怯と言われる手段も用います。キサルスにしたのと同様、人質を取りたい」
人質、か。はっきり言いきったな。やっぱり国王の亡命は建前だったのか。
「キサルスの王様は、エランドに亡命なさったと聞きましたよ。あの国は軍部が実権を握っていて、王様は飾り物だったと……人質としての価値はあるんですか?」
「国民は王家を慕っておりますよ。軍部と王家がうまくいっている間はよかったが、仲たがいをしたなら民は王家の味方をします。他国へ逃れ、実権の回復をはかろうとするならば、それに同調する者が軍内部にも出てくる。対立の姿勢に凝り固まっているのは上層部だけです。下の者ほど、王を支持する。キサルスは今揺れています」
その混乱に乗じて制圧してしまおうというのか。あくまでも対立する軍上層部だけをつぶして、王を支持する者は残す? そうして王をキサルスへ戻すのだろうか。……たしかに、それでエランドはキサルスに恩を売ることになる。目的が支配ではなく正常な交流であるのなら、おかしな手法ではない。つぶした軍部のかわりとしてエランドの軍が駐留すれば、影響力は残せる。
――それなら、ロウシェンに対しては?
キサルスと同じにはいかない。ロウシェンは国内情勢が落ち着いている。そこにどうやって斬り込もうというのだろう。
「……人質は、誰になるのです」
この流れだと私ということになるのだろうか。身分も血縁もない他国出身の私だが、龍の加護という大きな特徴がある。私個人に対してロウシェンは動かないが、龍の加護は無視できない。それを利用されたら国家が揺らぐと聞かされたばかりだ。
でも、なんとなく違うだろうなという気がしていた。私だったら人質には、特殊な事情など知らない一般国民でも納得する、影響力のある人物を選ぶ。龍の加護なんて国民にはわからないことだ。そんな理由を持ち出されるよりも、あの人ならばと誰もがわかる人物を選ぶ方が効果的だろう。
その人物は……。
「――明日、ユユ姫は街へ視察に出られますな」
デュペック侯は言った。
「当然護衛もついて来るでしょう。それを、少しの間だけ遠ざけるよう、あなたに協力していただきたい」
彼の言葉を驚くことなく私は聞いていた。予想どおりの内容だった。
頭はどんどん冷えて、回転数を増して行く。デュペック侯の顔をじっと見つめながら、私はものすごい勢いで計算していた。
「彼女に危害を加えるつもりなら、協力なんてできません」
「そんなことはしませんよ。人質は生かしておいてこそ価値があるのです。それに我々は、か弱き姫君に無体を強いる気などありません。キサルス国王同様、彼女には最高の礼をもって遇し、何不自由なく過ごしていただきますとも。いずれロウシェンと和解する時のためにも、ユユ姫を粗略に扱うことなどできません」
「…………」
「王家の姫、そしてハルト公の婚約者――ユユ姫の身柄を押さえれば、ロウシェンをキサルスから撤退させることができます。リヴェロやアルギリに働きかけてもらうこともできる。流血を避ける、もっとも有効な手段ではありませんか?」
デュペック侯はおそろしく真剣な声で語る。人の心を動かす力を持った声だ。
同時に、抗いがたい魅力も含んでいる。
「あなたに協力を求めるのも、少しでも犠牲をなくしたいからです。護衛を皆殺しにして姫君を奪取するよりも、隙を突いてさらう方がましでしょう。協力者としてあなたを選んだのは……あなたこそが、我々の求める人だからです」
デュペック侯がこちらへ踏み出してくる。彼の足元で小枝が折れる音がする。じっと立ち尽くす私のすぐそばまで、彼はゆっくりと近づいてきた。
「ただ言いなりになる傀儡を欲しているわけではありません。我々は真の理解者を求めている。状況を正確に分析でき、自らの頭で考えて動ける人間。常に冷静に判断し、たやすく動じない。欲得にとらわれず、時には自らを犠牲にしても正しい道を選ぶ高潔な精神の持ち主――ロウシェンに駐在中、私はさまざまな人物と出会い、その人となりを観察してきました。その中で、あなた以上に優れた人はいなかった。これぞと見込んだ相手が幼い少女であったとは予想外の驚きですが、あなたにならすべてを打ち明けられると判断したのです。どうか、我々に力を貸していただきたい」
私の目の前で彼は膝をつき、目線を低くする。上から私を見下ろすのではなく、下から見上げ、訴える。
「無駄な流血を避け、エランドとロウシェンが対等な友人になれる道を作るため――よりよき未来のために、我らの同志となっていただきたい。龍に愛されし天の姫よ、どうか曇りなき目で真実を見据え、正しきご判断を」
私の手を両手で押し戴き、デュペック侯はくちづけを落とす。以前、イリスからも贈られたくちづけだ。その意味するところは、「敬意と友情」。
静かな熱をはらんだ男の瞳を、私はだまって見下ろしていた。