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キサルスの援軍要請にロウシェンが正式に応じることとなり、それにともなってエランドとの国交は断絶された。
エランド本国に駐在していた大使には召還命令が下り、できるだけ早くそして安全に帰ってこられるようにと龍船が迎えに出された。
往路に、デュペック侯を乗せて。
エランドの大使をわざわざ送り届けるというのは、何も親切からではない。彼の身柄をこちらの手の内に置いて、いつでも人質として使えるぞと示すためだ。エランドへ向かってはいても、空を飛ぶ船には誰も手出しができない。唯一、飛竜騎士を除いては。
キサルスへは地方の騎士団が出動していった。その中にナハラ騎士団という名を聞いた時、ではイリスもともに行ったのかと思ったが、そうではないらしい。手薄になったナハラ砦の留守を預かるために、飛竜騎士の半数が派遣されたとのことだった。今回の戦に竜騎士は出さないというのがハルト様の方針だ。主力はキサルス軍だし、リヴェロやアルギリからも援軍は派遣されている。そう大きな戦力を動かす必要はないというのが理由のひとつ。そしてもうひとつ、竜騎士を出すとロウシェンが本格的に戦う意志を見せることになってしまうからだそうだ。今回はあくまでも隣国の手助けであって、それ以上のことはしないという立場を示すため、竜騎士は留守居役にとどまった。
出かける前のイリスの話は、嘘すれすれの詭弁といったところか。
たしかにロウシェンとエランドの全面対決ではない。イリスも戦場には出ない。そういう意味では嘘じゃなかったけれど、でもほとんど嘘みたいなものだ。あの時点で援軍が派遣されることは決定していたんだから。どういう形であれ、戦いに出る人たちはいたのだ。
詭弁でごまかしてイリスは行ってしまったのだから、彼との約束なんか守るものか。イリスは戦わないんだから、心配する必要もないし。
八つ当たり気味にそんなことを考える。でも飛竜騎士が出ないと知った時、私は安堵してしまっていた。他の知らない人が戦うことより、知り合いが安全な場所にいることの方が大きかった。それは自分さえよければいいという卑怯な考え方に思えて、自覚した時には落ち込んだ。
――そんなあれこれの後、ロウシェンの宮殿周辺はひとまずの落ち着きを見せた。
オリグさんが懸念したような事態は起こらず、私は静かな生活を送っている。一の宮の自室に引きこもり、ほとんど外へは出ず誰とも会わないという日々だ。
トトー君やアルタも顔を見せない。もともと交友関係の狭い私だから、他に訪ねてくる人もいない。ユユ姫の館へ遊びに行くこともやめたので、朝から晩まで一人で部屋に閉じこもって勉強しているという、ここへ来たばかりの頃と同じ状態に戻っていた。
もとから出無精ではあったものの、極端に引きこもるようになったので、ハルト様には心配された。
「チトセ、今日はどうするのだ? どこかへ出かけたりしないのか」
どんなに忙しくても、朝は極力一緒に食事を摂ろうとしてくれる。王様の宮殿にしては小ぢんまりとした、でも明るく居心地のよい食堂で、小さな丸テーブルを挟みハルト様は尋ねた。私はお粥をつつきながら、どう答えたものかと思案した。
「このところ、ずっと閉じこもっているではないか。少し外を歩いたらどうだ。ますます色が白くなって、顔色が悪いぞ」
「そうですか? もともとあまり血色はよくないので、これで普通ですよ」
私は笑顔で答え、不自然に見えないよう気をつけながらお粥を飲みこんだ。
胸に石でも詰まっているかのように苦しい。食べ物を口にし、飲み込むという、ただそれだけで息切れがしそうなほどにしんどい。味なんてろくにわからない。何を食べても、今はしんどいとしか感じない。
私の食事量に合わせて用意されたお粥は、小さなボール皿に八分目。それを半分食べるだけでギブアップしたくなる。
……でも、平気な顔をして全部食べないと。後で気分が悪くなってもどすこともしばしばだが、その不調を悟られたくない。
「……少し、痩せたのではないか?」
ハルト様は眉をひそめた。疑われている。私はさらににっこりと微笑んだ。
「本当ですか? このところお菓子を我慢してるんです。効果が出てきたのならうれしいです」
「たしかに、菓子を食べなくなったとは聞いているが……」
「ちょっと調子に乗って食べてたから、ウエストがやばい感じになってきまして。なんとか戻さないと」
「そなたが痩せる必要などなかろう。ただでさえ細すぎるのに」
「そういう油断させることを言わないでください。とりかえしのつかないことになったら困りますから」
ハルト様は大きくため息をついた。
「それならば、まず外へ出なさい。食べることを我慢するよりも、身体を動かす方が大事だろう」
「……そうですね」
私はそっと息を吐き出した。胸とおなかが苦しい。もうこれ以上食べたくない。
「なんなら、街へ行ってきてもよいぞ」
「……別に、行きたいとは思わないです」
「トトーの姉やマッシュ家の息子と会ったりはしないのか」
「用もないのに押しかけてもご迷惑ですよ」
「そのようなことを言わずに行ってみなさい。会う前から決めつけるものではない。喜んで迎えてくれるかもしれんぞ」
エリーシャさんはともかく、デイルはどうだろうな。
ああでも、あのお馬鹿若様となら、何も考えずに気楽な話ができそうだ。彼は私の事情なんて何も知らないし、知ったところで自分には関係ないと考えるだろう。デイルとどうでもいい話をしたら、一時的な気晴らしにはなるかもしれなかった。
とはいえ、歓迎されるとは思えない。それに気晴らしをしたところで、今抱えている問題が解決するわけでもないし。
「……あんまり、遠出をしたい気分じゃないので」
「チトセ」
とがめる響きを伴う声に、私の中で皮肉な気分がわき上がった。出かけろとしきりに勧めるけれど、どうせ自由な外出ではないのだろうに。
「お供とか連れない一人だけでの外出なら、気まま歩きをしてみたいですけど」
次の言葉が返ってくるまでには、少し間が空いた。
「……そなた一人では、山を下りることもままならぬだろう」
「そうですね」
まったく、その通りだ。わざわざ行動を制限しなくても、私は一人ではどこへも行けない。
お粥をまだ半分残した状態で匙を置き、私は立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
「ほとんど食べておらぬではないか。待ちなさい」
「もうおなかいっぱいです。お先に失礼します」
「チトセ!」
ハルト様の制止を無視して食堂を出る。お腹の不快感はいっそう増していた。吐くと体力を消耗するしせっかく食べた栄養をだいなしにしたくないので、みぞおちをさすってどうにかなだめる。まっすぐ自分の部屋へ帰ったものの勉強などできる状態ではなく、私は寝台にもぐり込んだ。
ひと眠りすれば、この気分の悪さも落ち着くだろう。精神的なもので、お腹には十分余裕があるはずなのだから。
幸い寝つきはいい。不眠症にはならず、毎日よく眠れている。寝すぎなほどなのに、なぜかやたらと眠くなるのだ。ただ数時間ごとに目が覚めるから、トータルでは長時間寝ているにも関わらずちゃんと寝た気がしなくて、頭や身体が常にだるかった。これも一種の睡眠障害なのだろうか。
こうして横になっていると、すぐに眠気はやってくる。休んでもやすんでも、身体はまだ足りないと休息を求める。身体より心の方が休みたがっているのかもしれなかった。
悩み考えることがつらくて、私の全身が逃避をしたがっている。
逃げたところでどうにもならない。ちゃんと考えて結論を出さなくてはいけないと思うのに、どうしても明るい気持ちにはなれない。だから嫌気がさしてくる。暗いことばかり考えている自分が嫌になって、だからといって開き直る強さもなく、ただ逃げるために目を閉じる。
眠っている間だけは何も感じずにいられるから。
いっそこのまま目が覚めなければ、もう何も悩まなくてすむのにな。
束の間の安息を求めて、私は意識を手放した。
しばらくして目を覚ますと、寝台脇の小卓に手紙が二通置かれていた。一通はカームさんからで、もう一通はイリスからだった。
気だるい身体で寝台の上に腰かけたまま、私はイリスの手紙を開いた。彼の字を見るのは初めてだ。どんなものかと思ったら、意外にきちんとした筆跡だった。ただところどころが奔放に跳ねていて、それがイリスらしかった。
手紙の冒頭には、ちゃんと説明せずに出てきたことを謝る言葉がつづられていた。じっくり説明している時間がなく、さりとて簡単な説明ではかえって不安にさせてしまいそうで言い出せなかったとのことだ。それに加えて面倒だったんじゃないのか、なんて思いながら読み進めれば、近々一旦帰ると書いてあった。詳しいことは何も書かれていないけれど、報告か何かの用事があるのだろう。
あとは現地での面白いできごとや珍しい品物などについて書かれ、お土産も手に入れたから楽しみにするようにと締めくくられていた。たしかお菓子をリクエストしたはずなのに、今から用意しているということは別のものになったのだろうか。今の状態を考えるとちょうどいいけれど、相変わらずのいい加減ぶりだ。
手紙を書ける余裕があると確認できて、ほっとする。わかっていても、まだ不安があった。イリスは戦に出ていない。手紙が書ける場所にいる。そう思うことで自分を落ちつかせ、便箋をたたむ。
カームさんからの手紙にも、戦に関する詳しい話は書かれていなかった。それよりも彼は、私が訪問の延期を申し出たことをひどく残念がっていて、シーリース本土で戦が起こっているわけではないのだから気にせず来てほしい、と書いてあった。
もし私が行きたがったら、ハルト様は許可してくれるのだろうか。ロウシェンから出て、他の国へ行くなどと。
カームさんだって、きっと龍の加護については私よりいろんなことに気付いていただろう。
私が竜を従えられることに、おそらくいちばん早く気付いた人だ。そういえば私をリヴェロへ連れて帰りたいなんて言っていたっけ。あれは、こういうことだったのかな。
大きなショックはない。カームさんに対してはもともと腹黒い策士という印象があるから、裏の思惑があったとしても、ああそうかと納得するくらいだ。
少しだけ、寂しい気もするけれど……。
ハルト様に対してこれほど複雑な気持ちになるのは、あの人には何の思惑もなく、ただ優しさだけで私を引き取ってくれたのだと、そう信じていたからだった。
あの優しさがすべて嘘だったなんて思わない。上辺だけの見せかけの親切だったなら、多分何か感じ取っていたはずだ。ハルト様は本当に優しい人で、私を心配してくれるのも本心からだろう。
……でも、きっとそれだけじゃない。
あの人は王様だから。利害だって考える必要があるし、それに合わせた行動も必要になる。私に対して、まったく何の思惑も持たないわけにはいかないだろう。ハルト様がいちばん大切にしなくてはいけないのは、国と民の安寧なのだから。
どうしたって、私が一番になることなんてできない……。
隣室でかすかな物音がして、私は顔を上げた。誰かが入ってきたようだ。手紙を封筒に戻すのとほぼ同時に、寝室との間の扉が静かに開き、女官長が顔を出した。
「お目覚めですか。ご気分はいかがです」
いつもの生真面目な顔で入ってくる。元々あまり笑顔を見せることのない人だが、今は自分に後ろめたいところがあるせいか、ダラダラ寝ていたのを咎められているように感じた。
「……別になんともありません」
私は手紙を小卓に戻して立ち上がった。
「では、何か召し上がりませんか」
「いえ……いいです」
私が断ることを予想していたのか、女官長は表情を変えることもなく言葉を続けた。
「ゆうべもあまり食べてらっしゃいませんでしたのに、今朝はほとんど残されたでしょう」
「すみません、せっかく用意してもらったのに」
「お加減が悪いのでしたら、医師を呼びますが」
「結構です。どこも、なんともありませんから」
「それなら、何か召し上がってください」
「…………」
また胸が重苦しく気持ち悪くなってきて、私はそっと息を吐いた。とても何か食べられる気分じゃない。せめてもう少し後にならないと。今は水を飲んでも胸焼けしそうだ。
「……昼には、ちゃんと食べますから」
苦し紛れに言い訳したものの、きっと昼食もろくに食べられないだろうとわかっていた。
女官長がはっきりと苦い顔をする。そんなに怒らなくてもいいじゃないかと、また反発心がわいてきた。たくさん食べて食費を増やす方が問題で、食べない分には迷惑じゃないはずだ。そう、私は極力周りに迷惑をかけないようにしている。身の回りのことも自分でやっている。
そういえば洗濯がまだだったと思い出した。時間は多分昼より前で、窓の外の空はいまひとつすっきりしない。今から洗っても夕方までに乾かないかもしれない。でもせめて下着くらいは洗わないと。
部屋の隅に置いた洗濯物入れの籠を覗き込む。それなりに溜まっていたはずの洗濯物が、一枚もなかった。
私が何か言う前に女官長が説明した。
「勝手ながらこちらで洗わせていただきました」
「……自分でやると、言っていたはずですが」
私は顔を上げて女官長を見る。身体の奥から、無性に腹立たしい気分がこみ上げてきた。
「体調がお悪いように見受けられましたので。それに以前より申し上げていたはずです。掃除や洗濯はわたくしどもにお任せいただきたいと」
「自分のことは自分でします。部屋をあちこちさわられたり、洗濯物を持って行かれたりするのは不愉快です。人の物に勝手にさわらないで――」
感情のままに言いかけて、途中で気が付いた。違う――私の物、なんかじゃない。
この部屋も、服も、勉強道具も何かもかも、すべてハルト様から与えられたものだ。私の物なんかじゃない。
私の生活はハルト様に与えられるもので成り立っている。偉そうに自分の所有権を主張できるものなんて、何ひとつなかった。
文句なんて言える立場じゃない。私にそんな資格はないんだ。どういう扱いをされようと、それに文句を言えるわけがなかった。
「……すみません」
一瞬で怒りはしぼみ、全身から力が抜けていった。自然と視線が床に落ちる。胸の中が空洞になっていくような気がした。
しばらくの沈黙の後、女官長が言った。
「断りなく手を出しましたことは、お詫びいたします。以後は事前に許可をいただきます」
「いいえ……」
私は首を振った。なにかもう、どうでもよかった。
「私の考え違いでした……ごめんなさい」
女官長に向かって頭を下げる。これ以上話を続けるのが億劫だった。彼女が言うことを無視してずっと頭を下げ続けていると、やがてため息がこぼされ、女官長は部屋を出て行った。
ひとりになって、私はのろのろと衣装箪笥へ向かった。ずいぶん増えた服をかきわけ、奥にしまい込んだ箱を引っ張り出す。もう長い間しまいっぱなしで忘れかけていた。私がこの世界へやってきた時身に着けていた、高校の制服とローファーだった。
一度海水に浸かり、その後崖から落ちたりもして。洗っても汚れは完全に落ちず、そしてぼろぼろに傷んでもう着られる状態ではなくなっていた。それほど学校に思い入れがあったわけではないからまあいいやと思いつつも、あの世界を思い出すたったひとつのよすがで、捨てるには忍びずしまい込んでいた。これだけが、このくたびれてぼろぼろになった服だけが、私の物と言えるたったひとつの存在だった。
床に座り込んで制服をなでる。悲しいのか、空しいのか、よくわからなかった。
なんでこんなことになってしまったんだろう。ごく普通の高校生だったのに。人づきあいが下手で周りとうまくなじめなかったけど、これほどに孤独を感じることはなかった。たとえ学校ではひとりぼっちでも、家に帰れば家族がいた。無条件に私を愛してくれる家族がいたから、何も寂しくなかった。
でも、今は、ひどくさみしい。
「帰りたい……」
かなうはずのない願いをつぶやけば、制服に小さく染みができた。
結局昼食も半分ほどしか食べられず、勉強も手につかなくてぼんやりと過ごしていた午後、久しぶりにユユ姫がやってきた。
ハルト様との婚約発表以降、彼女は多忙をきわめていた。キサルスとエランドの問題で水を差された形になったとはいえ、付き合いのある貴族や領地の人々などが次々とお祝いに訪れその応対に追われる毎日だったのだ。私が熱を出して寝込んでいた時にお見舞いの品を届けてくれたが、本人が来る時間は取れなかった。その後は私も引きこもって会いに行こうとしなかったから、彼女と顔を合わせるのは祝賀式典の夜以来で、ひと月近くの時間が流れていた。
ヘンナさんと共に訪れたユユ姫は、もとからの美貌がさらに光り輝いて見えた。長い間憧れていた人とようやく想いが通じ合ったのだ。戦争のことなど不安はあっても、今は幸福な気持ちの方が大きいのだろう。
その美しい顔が私を見た瞬間少し曇ったが、すぐに柔らかな微笑みを取り戻した。
「ひさしぶりね。あれ以来すっかりばたばたしていて、こんなに間が空いてしまったわ。ちょっと痩せたのではなくて? 肌もいっそう白くなってしまったわね」
「陽射しが弱くなったからね……あんまり外にも出なかったし。お見舞いの果物、ありがとう。おいしかった」
「気に入ったならよかったわ。ただでさえ食べないあなただもの、熱を出していたらお粥だって口にしないと思って、なるべく口当たりがよくて甘いものをと考えたら果物しかなかったの」
「うん。食べやすかった」
「ねえ、今もちょっと食べない? この時期にだけ採れる、とてもおいしい果物があるのよ」
ハルト様や女官長から私の話を聞いているのだろう。お土産にと籠に盛られた果物を見せられたが、食欲はまったくわいてこなかった。
「……ごめん、さっき昼食を食べたばかりだから」
「そう。じゃあ、後でお食べなさいな。ちゃんと洗ってあるし、皮は薄くて柔らかいから、このままで食べられるわ。種も小さくて一緒に食べられるの。ちょっとつまむおやつにちょうどよいでしょう?」
つやつやとしたオレンジ色の実は、プチトマトを少し大きくした程度の一口サイズだった。色は金柑みたいだけれど、食べられる薄い皮はやはりトマトを連想させる。
たしかにこれなら、今の私にも食べやすそうだった。栄養不足は気になるから、食事の代わりにこれでビタミンやミネラルが摂れるかな。
お礼を言って受け取る私に、ユユ姫は出かけないかと誘いをかけてきた。
「……今から?」
「いいえ、明日からよ。領地へ行ってくるの。ほら、この間の新作の糸。あれがとても評判で、本格的に生産に取り組むことになったのよ。工房を視察してくるわ。あなたも発案者として一緒に見に行かない? エナ=オラーナから出たことはないでしょう。シャールはこことは雰囲気が違って楽しめると思うわよ」
私を外へ引っ張り出してほしいと、ハルト様に頼まれたのだろうな。ユユ姫の視察ならお供や護衛もたくさんついて行くだろうから、私を一緒に連れて行っても問題ないのだろう。
ついそんなふうに考えてしまう。何を聞いても裏を勘ぐっている自分に気付き、ため息が出そうになる。
「ね、どう?」
重ねて問われ、私は承諾した。気が向いたわけではなかったが、ここで断るとますます感じが悪くなる。自分の態度が悪いことは自覚していたので、これ以上周りを怒らせるような真似は避けることにした。
それにハルト様から離れるのは、今の私にはありがたい。そばにいて顔を見ているのが辛かった。
明日の朝迎えを寄越すと言って、ユユ姫は帰って行った。女官が茶器を片づけるのをぼんやり眺めていた私は、荷造りする必要があることに思いついた。日帰りじゃないから着替えを持っていくべきだろう。下着と、服をもう一着――と用意しかけて、それらを入れる鞄がないことに気が付いた。これまでの生活で鞄が必要になることはなかったから、そこまでは気がまわらなかったのだ。
本当に、どこにも行かない暮らしだったよね。
どうやって荷物を持って行くか少し考え、服に下着や小物をくるんで巻き、ほどけないようリボンで結んだ。どうせ移動は馬車なのだから、これで困ることはないだろう。
あっさり準備が終わってしまって、また手持ち無沙汰になる。手紙の返事でも書こうかと思ったが、便箋を開いただけで終わってしまった。書きたいことが、何も思い浮かんでこなかった。
――たしかに、今の私には刺激が必要かもしれない。
こんな状態でいるのがいいとは思わないから、無理やりにでも外へ出て頭に刺激を与えるべきだろう。結局ハルト様の思惑に乗せられているのが不本意だけれど、気持ちの切り替えをするにはちょうどいい機会なのだと思うことにした。
どこかで踏ん切りをつけてしまわないといけないのだから。
ほんの少し前向きな気持ちになったのがよかったのか、ユユ姫がくれた果物に口をつけてみる気になった。ひとつだけつまんで、口に放り込む。とろりと柔らかい果肉が、ほとんど噛む必要もなく潰れる。久しぶりに甘さを感じた。今はこのひとつだけで十分だが、晩ご飯のかわりにまた食べようかという気にはなった。
女官が旅支度を手伝うと言ってやってきたので、もう済ませたからと断る。ついでに晩ご飯はいらないとも伝えた。また苦い顔をされたが、ユユ姫からもらった果物のことを言うと、一応納得して引き下がってくれた。
その夜は果物で夕食を済ませ、お風呂にも入って、ずいぶん早いうちから寝床へもぐり込んだ。とろとろと眠りかけては意識が戻る、といったことをくり返すうち、誰かが寝室に入ってきた。私は目を閉じたまま、すぐそばまでやってきた気配に知らん顔をした。
その人は私にふれなかった。しばらくじっと立っていて、やがてため息をこぼし去っていった。静かに扉の閉まる音がする。私は動かないで、遠ざかっていく物音に耳を澄ませていた。
まだ嫌われてはいないだろうか。ようすを見に来るということは、私のことを心配してくれているのだろうか。
ひどく気にしている自分がいる。それならもっと態度を改めるべきだと思うのに、そうはできない自分もいる。
矛盾した気持ちを抱えながら、私はまた浅い眠りに落ちていった。