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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第五部 秋嵐
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「なんで……?」

 口にした瞬間、間抜けすぎる反応だと自分でも思ったが、それ以外何も言葉が出てこなかった。

 エランドの大使が皇帝へのお土産に私を連れて帰るって、いったい何をどうしたらそんな話になるのだろう。

 オリグさんの話が、私には皆目理解できなかった。

 そりゃ、歴史や小説などを読んでいたら、時の権力者に女性が貢物として差し出されるエピソードはいくらでも目にする。それ自体に疑問を持つことはない。

 でもその貢物に、なんで私が選ばれるのだ。

 どんなに贔屓目に見ても、私は美人なんて形容される容姿ではない。頑張ってお世辞を言ってもせいぜい可愛い、くらいだ。色気なんてもちろんない。こちらの人たちにはうんと幼く見えるらしく、年相応に見られたことなど一度もない。常に小学生レベルの子供扱いだ。

 ……なに? ひょっとして皇帝ってロリコンなの?

 いや、そうだとしても、もっと可愛い美少女を選ぶだろう。ないないない、ありえない。

 私は混乱する頭をなだめて、違う可能性を考えた。美女をお土産にしたいのなら、何も誘拐とか危ない橋を渡る必要はない。世の中にはたくさん女性がいるのだから、合法的に連れて帰れる相手を探せばいい。

 そういう理由ではないだろう。ええもちろん、美女の枠に私が入るなんて欠片も思っていませんけどね! それは置いといて、とにかく別の理由があって私が狙われていると、オリグさんは言うのだろう。

 それは何だ。どんな理由があれば、私みたいな平凡な小娘が狙われるのだ。

 やはり、ハルト様がらみだろうか。たしかに私がエランドに捕らわれたら、ハルト様は心配してくれるだろう。いざ戦をするとなった時に私を盾にされたら、とても苦しむに違いない。

 ――だけど、どんなに苦しんでも、それは個人的な問題だ。ロウシェンを、シーリースを守るためには、私一人だけを重視するわけにはいかない。私がユユ姫みたいに王族だったならまた話は違ってくるのだろうが、ロウシェンの生まれでもない身寄りのない拾われっ子だ。シーリース全体となんて天秤にもかけられない。

 苦しみながらも、ハルト様は私を切り捨てる決断をするだろう。

 そんなことがデュペック侯にわからないはずがない。他人ならなおのこと、私なんかを公王がそこまで重視するとは思わないだろう。

 単なる嫌がらせ? ハルト様を苦しめる手段のひとつにしたいだけ?

 それなりに効果はあるだろうけれど……そんなことのために、人ひとりを誘拐なんてするだろうか。

 考えても考えても納得のいく答が見つからない。やはりオリグさんの思い違いなのではないかと顔を上げたら、彼は軽く息をついた。あ、なんとなくわかった。今のは理解の悪い生徒にちょっと呆れた顔だな。

「他人のことだけでなく、自分自身についても客観的にとらえて理解することが必要ですぞ」

「……そのつもりですけど、どんな理由があるのか見当もつきません。私を確保して、エランドに何の得があるんですか」

 言われてもわからないからしょうがない。先生教えてくださいと投げることにした。

 オリグさんは椅子の肘掛に腕を置き、軽くこめかみに手を当てた。

「ご自分に何の価値もないという思い込みをまず捨てることですな。次に、どんな価値があるかを並べていく。他人と違う部分を挙げていけば、答は見つかるはずです」

「そう言われても……」

 私の価値って何だろう。欠点だらけなダメ人間なのに。

 ……勉強は得意だな。記憶力には自信がある。真面目に予習復習もする。なので日本では学年首位を張っていた。全国模試の結果も割とよかったぞ。

 しかし勉強ができるくらいでエランドに目をつけられることはないだろう。国家に狙われるほどの天才とか漫画じゃあるまいし。私なんて、萌えを封印して死ぬほど頑張れば東大行けるかもね、くらいだ。

 他に特技といっても……ゲームやカラオケが得意とか、そんなしょうもないことしか思い浮かばない。

「わかりません……」

 降参すると、オリグさんは首をひねって軽くうなった。

「何に価値があるかを、わかっておられないようだ。大変危険ですな」

「はあ……」

「これは陛下のご責任でもありますな。本人にも教えておくべきと進言したのですが、陛下は秘する方を選ばれましたか。しかし、いつまでも隠しておけるとは思えません。最悪の形で知られるよりは、先に知らせておくべきでしょう」

「…………」

 なんだろう。話が妙に大きくなってきた気がして緊張する。

 オリグさんは姿勢を戻して、答を教えてくれた。

「あなたには龍の加護がある。そのため、主人以外にはなつかず従わない竜たちが、あなたにだけは例外的に従う。騎士団の竜だけでなく、野生の竜までもが」

 ――あ。

 思わず口が開いてしまう。

「あなたはこのことを、それほど重要視しておられぬようですが、非常に稀有なことであり、国家を揺るがす可能性すら持つ一大事です」

 ああ……それか。

 言われてようやく理解した。そうかそうか、竜のことだったのか。

 たしかに他の人にはない能力だな。私が努力して身につけたものじゃないけれど。偶然備わった、私にも龍にも予想外のオマケ能力なんだけど。

 ……いや、別に自分が優れた人間だなんて思っていたわけではないよ。そんな期待をしていたわけではないけれど……でもちょっとだけ、落胆というか気が抜ける思いだ。うん、心のどこかでは期待していたのかも。……ははは。

 しかし国家を揺るがす一大事とまで言われるか。

「そんなに、大変なことですか」

「大変ですな」

 私の問いにオリグさんはきっぱりとうなずいた。

「諸国に名を轟かす竜騎士団は、主に竜の能力によって他と一線を画しています。地竜は馬よりはるかに身体が大きく、力も強い。馬は騎士を乗せて移動するのが主で、馬自身が戦うことなどありません。せいぜい落馬した敵を踏みつけたり蹴ったりする程度です」

 いや、それだって十分脅威だろう。でも身体の大きさや鋭い爪などを考えれば、竜の方がもっとずっと怖いのはわかる。馬に踏まれても骨折くらいですむかもしれないが、地竜に踏まれたら圧死するだろう。

「地竜隊は騎士だけでなく竜の戦闘力も高い。そして飛竜は地上のいかなる障害も問題とせず、馬よりはるかに速く移動します。()で狙ってもそうそう当てられない。空からの攻撃に地上の兵士が反撃する手段はありません」

 オタクだから知っているぞ。弩というのは台座のついた大型の弓だ。通常の弓より飛距離や貫通力があり、命中精度も高いけれど、一発を撃つのに手間がかかる。鳥のように素早く飛び回る飛竜を狙うのは難しいだろう。以上、ゲームからの知識でした。

「数は少なくとも、並外れた戦闘力ゆえにロウシェンの竜騎士団は最強の軍と呼ばれております。しかしもし、竜たちを混乱させ、あるいは制止することができたら? 主に命じられても動かなくなればどうなるか――あなたには、それが可能かもしれない」

「…………」

「主人の騎士とあなたと、どちらの命令に従うのかは試してみなければわかりませんが、私はおそらくあなたの方だと思っております。はるかな昔、この島に最初の国を興した祖王は、すべての竜を従えたと言い伝えられております。ほとんど口伝のみの伝承でどこまでが真実かはわかりませぬが、彼が龍の加護を持っていたがゆえにそれをなしたならば、あなたにも同様のことができるはず」

 育ての親である主人以外にはなつかないはずの竜が、私にはなつく。初めて会った野生の竜ですら。それは、本当のことだ。

 一の宮にやってきた野生の飛竜を思い出す。全身傷だらけの姿が、イリスの言うとおり強さの証ならば、人にすり寄ってくるはずもなく。なのに、最初から私のそばに来たくて舞い降りてきたようすだった。

 ここへ来たばかりの頃に会った地竜には、まだ小さな子供たちがいた。子育て中の竜はとても神経質になっていて、子供に近付いたら殺されるという。でもあの地竜のお母さんは、崖から落ちた私を巣へ連れ帰り、その後も私のお願いを聞いて助けてくれた。

 ……そうだ。言葉なんて通じるはずがないのに、私が頼んだことをしてくれた。あの時、ろくな根拠もなく通じるはずと私も信じていた。心が通じるなんて、普通に考えて異常な話なのに。

 竜は私に従ってくれると、いつの間にか当たり前に考えていた。

「おわかりですかな。あなた一人を得ることで、竜騎士団を無力化することができる。最悪、あなたの命令に従って竜が我々を攻撃してくる可能性もあるのです」

「そんな命令……!」

 黙っていられずに口を開いたら、オリグさんは私をなだめるようにうなずいた。

「極論であることは承知しております。あなたがそのような真似をなさるはずがないことも。強制するにしても難しいでしょう。しかしエランドにとって、この事実はけして無視できますまい。利用できるか否かは不明でも、あなたを得ようと動くはずです。現に、デュペック候はあなたについて調べ回っている。本来秘匿すべき龍の加護について、すでに多くの者が知るところとなり隠しようもありませぬ。それゆえご注意をと申し上げたのです」

「…………」

 身体が冷えてくる。指の先がひどく冷たくて、でも心臓は激しく音を立てている。

「あなたがあまり外出を好まれず、一の宮からほとんど出られぬがゆえに、陛下ものんびり構えておられたのでしょうな。ですがこのような状況下においては、たとえ宮殿内であっても安心はできませぬ。常に護衛をそばに置かれることを、おすすめいたします」

 私は言葉が出せなかった。私の存在が戦に関わってくるだなんて、そんな可能性考えたこともなかった。二十一世紀の平和な日本で生まれ育った高校生に、あるはずのない発想だ。でも、私はもうただの高校生じゃなかったんだ。龍の加護は私が考えるより、もっとずっと重要な能力だった。

 自分が実は爆弾を抱えていたことに気付き愕然となる。同時に別のことにも思い至り、血の気が引いて行くのを感じた。

 ……私、今までどんなふうに暮らしていた?

「…………」

 何も言えず、震える手元を見つめるしかない私を、オリグさんも黙って見ている。事実を知って私がどうするか、観察しているのだろうか。頭の片隅で気付きながらも、それにかまう余裕がない。今は自分のことだけで手一杯だ。自分の気持ちすら手に負えない。

 初めて知ったこと、気づいたことが頭の中をグルグルと回り、冷静になれない。落ち着いて考えなければと思うのに、感情の方がどんどん膨れ上がって制御しきれない。

 ――だめだ。このままじっとしていたら泣き出しそうだ。

 私は立ち上がり、オリグさんに頭を下げた。

「お時間を取らせて申しわけありませんでした。教えていただいたことを、一人で落ち着いて考えてみます」

 精一杯感情を抑えて、なんとか声を絞り出す。それからやっとちょっとだけ頭が動いて、言葉を付け足した。

「……また来てもいいですか」

「いつでもどうぞ。意見を求められれば応じます。それが参謀の役目ですから」

 最後まで感情を見せないオリグさんにもう一度頭を下げて、扉へ向かう。出てきた私に参謀室の人たちが注目したが、さっきのように群がってくることはなかった。

 彼らに会釈して私は足早に出口へ向かう。横から一人が呼び止めた。

「帰るんなら、これ持って行って」

 小さな包みを差し出してくる。適当な紙でくるんだ中身は、お菓子らしい。

 そういえばこの人は、茶菓子を調達してくると言って飛び出して行った人だ。言っていた通り財務卿のところからもらってきたのだろうか。

「……ありがとうございます」

 私は包みを受け取り、参謀室を後にした。

 泣きそうな気分をこらえ、二の宮の廊下を歩く。早く一人になりたい。誰もいない、誰にも見られない場所へ行きたい。それだけを思い、他に何も考えられずに夢中で足を動かしていたら、いつの間にか二の宮を出ていた。

 一の宮とは反対側に出てきたのだと、そこで気が付いた。このまま進めば三の宮へ下りる。どうしよう、ユユ姫の館へ行く?

 ――いいや。今は彼女とも会いたくない。私を知っている誰とも顔を合わせたくない。

 私はそのまま、目当ての場所もなく、ふらふらと足を動かした。ひとりになるなと言われたばかりだ。もちろん忘れたわけではない。本当は一の宮へ帰るべきなのだとわかっていたが、あそこへも帰りたくなかった。どこへ行けばいいのかわからない。どこへも行きたくない……ただひとつ、無性に家に帰りたかった。

 日本へ。もとの世界へ。私の本当の家族がいる、佐野の家へ帰りたい。

 あそこでなら、何も悩む必要はない。あの家でなら、私は平凡なただの高校生でいられる。家族の愛情を信じて平和な毎日に浸っていられる。

 無条件に私を受け入れ甘やかしてくれる家族が、どうしようもなく恋しかった。

 帰りたい。なんで帰れないの。お父さん、お母さん、おばあちゃん、お姉ちゃん、コーちゃん――あそこが私のいるべき場所なのに。なんでもう帰れないの。

「おや、どうなさいましたかな」

 耳に届いた声にもほとんど気付かず、そのまま歩き続けようとした私だったが、何かを感じて足が止まった。嫌な気分とともに顔を上げ、私に声をかけた相手を見る。お供を連れて私とは逆に二の宮へ向かおうとしていたのは、あの夜、祝賀式典で顔を合わせた黒衣の男だった。

 オルトワール・デュペック侯。エランドの大使。

 心臓が嫌な音を立てた。いまさっき話題になったばかりの相手が、あの時と同じ底の知れない笑顔ですぐ近くに立っている。私を狙っているかもしれない相手が、目の前にいる。

 思わず後ずさりしそうになるのを、寸前でこらえた。大丈夫、ここには人の目がある。通りがかる人は多いし、向こうに警備の騎士の姿もある。こんなところでは何もできない。それにあの話はオリグさんの推測にすぎない。本当に彼が私を狙っているかどうか、まだわからないのだ。

 ……たしかにエランド側からすれば、私の存在は手に入れるか、もしくは抹殺してしまいたいものだろうけれど。

「お顔の色がすぐれませんな。お加減が?」

「……いいえ、大丈夫です」

 親切めかして訊いてくる言葉に、私は慎重に答えた。

「なにやらただならぬようすに見えましたが?」

 向こうはいつから私の存在に気付いていたのだろう。周りがまったく見えていなかった自分に舌打ちしたくなる。

「少し考え事をしていただけです。デュペック侯こそ、どうなさったんですか。二の宮に行かれるということは、ハルト様にご用なんですか」

 追及を遮るには、逆に相手に質問するのがいちばんだ。私が尋ねるとデュペック侯は肩をすくめた。

「ええ、公王陛下とその側近の方々に召喚されましてね。このところ連日の呼び出しで、いささかまいっておりますよ。我がエランドは今でもロウシェンと友好を保っているつもりですのにねえ」

 いけしゃあしゃあと答える髭の男を、私は心を落ち着けて観察する。場合によっては人質として拘束されるかもしれない立場なのに、デュペック侯の態度は堂々としたものだ。ふてぶてしいと言ってもいい。そのくらいでないと大使なんて務まらないのだろうか。

「ロウシェンこそ我が国との友好を無下にするつもりなのでしょうか。横暴なる軍事政権を打倒して正当な王権を取り戻したいとする、隣国の王をないがしろにするつもりなのでしょうかな。今の状況でどういう行動を取るべきか、考えるまでもないでしょうにねえ」

 私はひそかに深呼吸を繰り返した。落ち着け。感情に流されてはだめだ。相手が海千山千の狸なら、よけいに気を引き締めないと。うかつなことを言って足元をすくわれてはいけない。

「物事にはいろんな側面がありますからね。見る側の立場によっていろいろと変わるものでしょう」

「ほう? あなたはどのように見ていらっしゃるのですかな?」

「それはもちろん」

 ゆっくりと微笑む。不思議だな、さっきまであんなに動揺していたのに。今だって心の中は嵐が吹き荒れているのに、頭だけは急に落ち着いた。こういう腹の探り合いをする時は、なぜか調子がいい。

「早く問題が片付いて、元通りみんなが仲良くできるようにと願っております。話し合いがうまくいくといいですね」

 難しいことなんてわかりませんという態度で、いかにもお嬢様的な答えを返す。馬鹿のふりをして能天気なことを言っていれば、向こうもつっこみようがないだろう。

 デュペック侯は口許に皮肉げな笑みをひらめかせた。何もわかっていない馬鹿な小娘と笑ったのか、それとも私の意図を読み取って笑ったのか――ひそかな緊張でもって見つめ合う空間に、よく通る大きな声が割って入った。

「なんだ、ここにいたのか嬢ちゃん」

 アルタが二の宮から出てくる。連れはいない。いつもどおりの陽気な笑顔を浮かべていたが、飴色の瞳に鋭い光が宿っていると感じたのは気のせいだろうか。

「おお、デュペック侯、これから喚問ですかな。ご苦労様です」

 アルタは私たちのすぐそばまで歩いてきた。ごく普通の知り合いに会ったような挨拶に、デュペック侯も笑顔で会釈する。

「ごきげんよう、ローグ団長。あなたは同席されないのですかな?」

「ええ、どうもああいう堅苦しい話し合いは苦手でしてな。俺がいると話がすぐに脱線すると、ハルト様に追い払われました。ま、小難しいことは宰相たちに任せますよ。俺はちょっと、この可愛いお姫様と用がありましてね」

 にこにこしながら言ったアルタは、いつものように私をひょいと片腕に抱き上げる。この人もけっこう狸だな。騎士団長が今の状況で会議から追い出されるはずがないだろうに。

「それでは、失礼」

 あっさりデュペック侯と別れ、アルタは私を抱いたまま歩き出した。どこへ向かうつもりなのだろうか。

「ご用って何ですか」

「んー? いや、ただの方便だ。あのおっさんと、もっとおしゃべりしていたかったか?」

 訊いてみれば案の定な答えが返ってきた。

「おっさんて言っても、それほどのお年じゃないですよね。アルタとそう変わらないんじゃないですか」

「なんだよ、俺のことはいつもおっさん扱いするくせに! それとも俺も、お兄さんに格上げしてくれるのか?」

 わざとふざけた態度で聞いてくる。でも今日は乗ってやる気になれず、私は目をそらした。

「……オリグから連絡を受けてな。急いで追いかけてきたんだ」

 私の態度がいつもと違うことにはすぐに気づいただろう。それ以上ふざけることはせず、アルタは言った。

 やはりそうか。あそこでの登場は、あまりにタイミングがよすぎた。

「嬢ちゃんに話すのは、もうちょっとようすを見てからにしたかったんだがなあ。オリグは生きてるのか死んでるのかわからん顔をしていながら、中身はけっこう積極的だからな。まあでも、自分では何も考えられない娘だと思ったら、あいつも最初から話さんよ。嬢ちゃんに話したのは、それだけ評価されてるってことだ」

「……そうですか」

 オリグさんに対する不満はいっさいない。むしろ感謝している。教えてもらわなければ、私はずっと気付けないままだった。他の誰も、気付かせてくれなかった。

 アルタも、ハルト様も……イリスたちも、みんな私には黙っていた。オリグさんが言ったことを、みんなだって考えていたはずだ。それなのに、誰も何も言ってくれなかった。

 自分で気付けなかった私が悪いのか? みんなに文句を言うのは間違っている? でも、そんなの、しかたないじゃないか。私の生まれ育った国はずっと昔に戦争をやめて、今はとても平和なんだから。いろいろ問題はあるし、隣国ともめたりもするけれど、戦争になるなんて思わなかった。今はもう、主要先進国同士で戦争できる時代じゃない。

 私はただの高校生だった。いちばん大事な仕事は勉強で、合間にゲームや漫画を楽しんで、親に養われてのほほんと暮らしていた。悩みといえば友達がいなくて、いじめられていたことくらい。でも深刻ないじめでもなかったから、それほど困ってはいなかった。家に帰ればいくらでも楽しめることがあって、毎日が幸せだった。

 どこにでもいる、普通の高校生。

 それがいきなり戦争のなりゆきに大きく関わってしまうだなんて、どうして考えられるだろうか。あまりにもこれまでと状況が違いすぎる。そんな発想私の中にはなかった。

 ……だけど、私が何も気づかずぼんやりしていた間に、他のみんなはこの問題について考えていた。きっと話し合いもしていたのだろう。私をどうするのか、どう扱うのか――危機感を持って私の行動に目を光らせていたはずだ。

「どこか、行くところだったのか? ユユ姫の館か?」

 アルタが聞いてくる。私は首を振った。

「んじゃあ、一の宮へ帰るか?」

 それにも首を振る。行きたい場所なんてどこにもなかった。願いがかなうのなら、今すぐ家に帰りたい。

「ほうっておいてください」

 無駄だとわかりつつ、反発心でついそう言ってしまった。今の状況で、私に自由な行動なんて許されるはずがないのに。

「……なあ嬢ちゃん、俺の竜に会うか?」

「……アルタの?」

 少しばかり意表を突かれて彼を見る。いつものおちゃらけた顔とは違う、静かな笑顔でアルタは言った。

「会ってやってくれ。もう仕事には出られんので、ずっと飼育舎でひとりぼっちなんだ。嬢ちゃんがかまってやったら、きっとすごく喜ぶ」

 今度は首を振れなかった。人とは会いたくないけれど、竜ならいい。誰もいないところで竜とだけ一緒にいられるのなら、それは私にとってもありがたい。

 うなずく私を、アルタは三の宮の少し手前にある場所へ連れて行った。なんの施設なのかわからず、これまでは素通りしていた一角だ。あまり人もいない静かな建物で、普段は使われていないのかと思っていた。

 平屋の細長い建物が何棟も並んでいる。そのひとつにアルタは私を連れて行った。人が使うための建物ではないのだと、すぐにわかった。調度も何もないただ広いだけの部屋が並んでいる。テレビで見た動物園の内部施設とよく似ていた。床に藁が敷かれ、そこに地竜が一頭寝そべっていた。

 私たちが入っていくと、地竜は身体を起こした。ゆっくり立ち上がり、こちらへ近づいてくる……後ろ足を、引きずりながら。

「よおディン、ご機嫌はどうだ?」

 私を下へおろして、アルタはやってきた地竜を優しくなでた。ディンと呼ばれた地竜はうれしそうに顔を寄せている。主人を親だと思い甘える竜の姿に、いつもなら微笑ましい気分になるのに、今はひどく切なかった。

「怪我を、したんですか」

「ああ、もう何年も前にな」

 何度も身体をなでてやり、いたわりながらアルタは言った。

「地方で起きた暴動を鎮めに行ったんだ。ちょっとした小競り合いだとあなどってた。竜騎士が出てきたら、それだけで戦意喪失するんじゃないかってな。けど、思いがけず激しい抵抗に遇っちまった。こいつは本当に頭のいい奴で、自分の身を盾にして俺を守ってくれたんだよ。何ヶ所も矢を受けて、最後には投石器から放たれた岩が直撃してな。俺がもっと状況を把握できていたら、こいつがこんな状態になることもなかったのにな」

 穏やかな声に悔恨がにじむ。もう走れない相棒に、憐憫と罪悪感を抱いているのだろう。大きな背中がどこかかなしい。

「竜が死んだり障害を負ったり、寿命が近くなった場合、竜騎士は引退だ。そのまま軍を抜けるか、一般の騎士団に移るか、どちらかだ。たいていの奴は退役を選ぶな。自分の竜と別れて騎士を続ける気にはなれんものでな。俺もそのつもりだったんだが、何をどう間違ったのか騎士団長なんぞにされちまった。順番から言えばラガンのおやっさんだろうって反論したんだがな。ああ、ラガンってのは前任の地竜隊長だ。俺はその副官だったんだが、おやっさんは妙な人でなあ。若い奴こそ頑張るべきだとかなんとか言って押し付けられちまった。トトーもあの妙な理屈の被害者さ」

 少しだけ茶化すように言う。たしかに、後任を叙勲したての少年に任せたりと、トトー君の前の地竜隊長は相当な変わり者だったようだ。

 でも、任せられる相手だと思ったからではあるのだろう。トトー君のこともそうだけれど、ただの酔狂だけでは周りが納得すまい。

「ハルト様も、どうせ前線で働けないのならこっちの仕事を手伝えとかおっしゃってな。おかげで最近は机に向かってばかりだよ。柄じゃないんだがなあ」

 な?とアルタはディンに同意を求める。竜はもちろんうなずいたりしないけれど、彼らの間に深い信頼関係があるのは見ていてわかった。犬のように表情豊かではなくても、見ていてなんとなく竜の感情はわかる。アルタが大好きだと、ディンの全身が訴えている。

「このところ忙しくて、ここへもなかなか来てやれなくてな。一日の終わりに顔を出すのがやっとだ。こいつは外で遊ぶこともできないから、可哀相でな。だから嬢ちゃん、しばらく相手をしてやってくれ」

 アルタがディンの前から下がり、私をうながす。興味深そうにこちらを見てくる竜へ、私はそっと手を伸ばした。

 硬い革に覆われた鼻筋をなでる。額に突き出た角の付け根は、地竜がなでられて喜ぶポイントだ。指に力を入れてコリコリと掻くようにしてやれば、ディンは気持ちよさそうに目を細めた。

 私たちがちゃんと仲良くできているのをたしかめて、アルタは後でまた迎えに来ると言い残し二の宮へ戻っていった。ここの職員らしい人と向こうの方で話している声が聞こえたが、ようすを見に来る人はいなかった。ひとり残された私は元通り寝藁の上に落ち着いたディンに寄り添い、そこでしばらく泣いた。

 ディンはじっと私の好きにさせてくれていた。彼のために私が連れて来られたのではなく、本当のところは私のためだ。人のいない場所で、でもひとりぼっちで泣くのはさみしすぎるから、竜になぐさめてもらう。私が気持ちを落ち着けるには効果的な時間だった。

 ひとしきり泣いていい加減疲れてもう涙も出てこなくなった頃、私はディンのそばで寝転がった。新しいワンピースが藁だらけになっても、気にはならなかった。

 大きな身体にくっついて甘やかしてもらいながら、ぼんやりと考える。

 ハルト様が私を引き取ってくれたのは、なんのためだったのだろうと。

 あの人の優しさを疑いたくはない。私を我が子だと言ってくれたのが嘘だったなんて、思いたくはない。そんな人ではないと思い、イリスやトトー君のことも友達だと信じたかった。ユユ姫もアルタも、ここで知り合ったみんなを、優しい人たちなのだと信じたかった。

 でも、どうしても疑いが拭えない。本当は、私を監視したかったのではないかと――危険な存在である私をよそへはやらず、手元に置いて見張っていたかったのではないかと、そう思い出したら止められない。

 いちばん最初にあずけられたのはユユ姫の館だった。年の近い女の子同士で、いつでもようすを見に行けるからという理由だった。でも考えてみれば、拾った子供をいきなりお姫様にあずけるなんて、おかしくない? 孤児院とか使用人の寮みたいなところとか、もっとふさわしい場所があったんじゃないだろうか。

 一の宮へ移ったのはユユ姫の誘拐事件のあと――野生の竜すら私に従うと、はっきりわかった後だった。ハルト様と一緒に暮らすことになって、私は一の宮へ、この国でもっとも厳重な警備に守られた場所へ移り住んだ。

 ……それからほとんどの日々を、宮殿から出ることなくすごした。一の宮から出ることすら少なかった。

 私は引きこもりで、出無精だから。でもそうでなくても、この宮殿から出ることは難しい。街までは遠く、私一人ではとても行けない。何度か下りた時は、必ず誰かに連れて行ってもらっていた。それはトトー君やアークさん……強い、人たちで。

 外部から守られた場所は、見方を変えれば私を閉じ込める檻にもなる。

 ――違う、違う、ちがう! たくさん優しくしてくれた。時には駄目なところを指摘して、私が人として成長できるようにうながしてくれた。具合を悪くしたら心配されて、無理をしたら叱られた。好き嫌いなく食事して身体を丈夫にしろと、何度も説教された。ずっとずっと、私を大事にしてくれていた。

 ――だったらなぜ教えてくれなかったの?

 とても大切なことなのに、なぜ今まで私には何も言わず、気付かせないままでいたの。知られたら困るから? 私が龍の加護を悪用するとでも思ったの?

 大事にされ優しくされたこともすべて、龍の加護があるからだったのだとしたら……。

 そんなことを考えてしまう自分がたまらなく嫌で、けれど疑いを完全に否定してしまうこともできなくて、おさまったと思った涙がまたあふれて来、頭の下の藁を濡らした。

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