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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第五部 秋嵐
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 あまりにも天気がよかったので、庭へ出てみる気になった。

 秋の空は高い。陽射しを浴びても暑くない。山肌を吹き抜ける風は、ひんやり冷たくて心地よいと同時にどこかさみしさも感じる。

 伸びて見栄えが悪くなった夏の花は花壇から退場し、秋の花に模様替えがされていた。庭師さんって結構忙しい職業だ。季節ごとの植え替え作業と、日常の剪定や除草作業。肥料をやったり虫を取ったり、やることは多そうだ。

 近所にもあったな、ガーデニング命な家が。あそこは夫婦そろってガーデニング好きで、感心するくらいマメに手入れを欠かさず、季節ごとに趣向を凝らした寄せ植えを門の前に飾っていたっけ。

 今頃はマリーゴールドやコリウスで秋色に染められているんだろうな。

 ……あ、日本じゃ冬だっけ。いや、そろそろ春になるのかな? 桜はもう咲いているのだろうか。

 地面に直接座り込んで、のんびりと風に吹かれる。気持ちがいい。大きな身体にもたれてただぼんやり景色を眺めていると、時間が止まったような錯覚を覚える。

 静かに近づいてきた足音によって、それはさえぎられた。

 後ろの身体が身じろぎしたのを感じ、私も身体を起こして足音の方を見た。白亜の宮殿を背景に、よく知る人物がなぜか厳しい顔をして立っていた。

「ティト、そいつを山へ帰らせろ」

 明るい陽射しに銀の髪を輝かせたイリスは、いきなり私にそんなことを言った。

「竜を人里に慣れさせるんじゃない。すぐに追い払うんだ」

 イリスの背後に一の宮の女官や警備の騎士たちの姿が見えた。みんな遠巻きにしつつも、こちらに注目している。おびえた顔やこわばった顔ばかりだ。そんなにまずいことをしていたかなあ。ただひなたぼっこをしていただけなのにな。

「放っとけば何もしないわよ。気まぐれで遊びに来ただけじゃない」

 追い払えなんてひどい言い方に反発を覚え、私はすぐそばの身体をなでながら言い返した。黒っぽい鱗にあちこち傷痕がある。翼も一部が欠け、きわめつけは片目がつぶれている。騎士団の竜ではありえない姿だ。散歩をしていたらどこからか飛来した、野生の飛竜だった。

 飛竜はしっぽを小刻みに動かしながらイリスのようすをうかがっている。少し警戒してピリピリしている。それをなだめようと、私は優しく首筋をなでてやる。

「そのうち帰ると思うけど」

 イリスは厳しい顔のまま首を振った。

「だめだ。こっちに敵意がなくたって、何かの拍子に驚いて暴れ出すかもしれないだろ。いいか、竜は人を殺せる生き物なんだ。竜が興奮して暴れ出したら、人間なんかひとたまりもない」

 竜騎士のくせにイリスはそんなことを言う。それとも竜騎士だからだろうか? 竜騎士を目指す若者たちは、命がけで竜の卵を獲りに行く。失敗して親竜に殺されることも少なくない。竜の恐ろしさをいちばんよく知っているのは竜騎士だろう。

 私は飛竜の首に抱きついた。爬虫類な見た目にふさわしく、ぬくもりは感じない。でも思ったよりも柔らかな弾力があって、生き物の脈動を感じるとたまらなく愛しくなる。

 飛竜がもたげていた首を下ろして、私の顔を覗き込んだ。私がなだめていたはずなのに、逆の構図になっている。人間の表情なんて竜にわかるかなと思いつつも、近づいた顔に私は微笑みかけた。

「ティト」

 イリスが怖い声を出す。私はため息をつき、渋々彼の言葉に従った。

「ごめんね……もうおうちに帰って」

 飛竜から身体を離せば、巨体が立ち上がる。ばさりと音を立てて翼が広げられた。

 巻き起こる風に花壇の花と私の髪が吹きなぶられる。上昇し、みるみる遠ざかっていく姿を見つめていると、イリスがそばまで歩いてきた。

「……で、なんでお姫様はこんなとこにいるのかな」

 まだ不機嫌顔のままだ。言うとおりにしたのにさ。

「お散歩」

「熱出して寝込んでたのはどこの誰だっけ?」

「治った」

「今朝になってやっと熱が下がったばかりだって聞いたぞ。それでさっそく起き出して風に当たる奴がいるか。ぶり返すだろうが」

 くどくどと続くお説教から、私は顔をそむける。せっかくいい気分でいたのにとふくれつつ、これもまた平和な時間であることを感じていた。

 一の宮を取り巻く空気は静かで、秋へと移りゆく山の景色も穏やかに美しい。平和なエンエンナ。平和なロウシェン。平和なシーリース。

 ――でも、それは表面的なものでしかないということも知っていた。

 目には見えないところで、シーリース島の上に暗雲が広がっていた。




 ハルト様の誕生祝いから十日ほどが過ぎていた。その間私は何をしていたかというと、実はずっと寝込んでいた。

 もともと季節の変わり目には熱を出すのが恒例行事だ。涼しくなってきたから、そろそろやばいなとは思っていた。おまけに今回は疲労が溜まっていたため、いつもなら一日か二日で下がる熱が十日近くも下がらなかった。多分、風邪に過労も重なったのだろう。

 といっても高熱は最初のうちだけで、あとはずっと微熱だったのに、過保護な周囲が本調子に戻るまでベッドから出ることを許してくれなかったのだ。おかげで引きこもり人間な私もさすがにくさくさしていた。

 それで今日、熱も下がったことだし天気もいいしと庭に出たのだった――が。

「一の宮付きの騎士がすっとんで来るから何事かと思ったよ。野生の飛竜じゃうかつに手が出せないって言って、こっちに頼みに来たんだ」

「そんなに慌てなくてもねえ。一緒にひなたぼっこしていただけなのに」

 自室へ強制連行されたものの寝なおすのは拒否して、私はソファでイリスと向かい合った。仕事中に呼び出された彼に、女官が感謝とねぎらいを込めてお茶を出す。お礼を言って口をつけ、イリスはため息をついた。

「きみの認識が間違いなんだよ。龍の加護を持たない普通の人間からすれば、竜っていうのは危険な生き物だ。見た目からでもわかるだろ。あの巨体や鋭い爪の威力を想像してみろよ」

「そりゃあ、わかるけど……」

 でもロウシェンは竜騎士団を抱え、ずっと竜と共存してきたのに。それでいて竜を危険視して近くから追い払うって、矛盾していないだろうか。

「矛盾じゃない。騎士団の竜は人に育てられて、主人を親だと思っているから共存できるんだ。でもそばにいても襲ってこないってだけで、主人以外の言うことは聞かない。厳密に言えば、騎士団の竜だって主人以外の人間にとっては危険な生き物なんだよ」

「あんなに可愛いのに」

 私が反論すると、イリスはとても複雑そうな顔になった。

「竜騎士としては、そう言ってくれるのはうれしいよ。でもなあ、普通の人間の感覚じゃないから、それは。たとえ危険がなくたって、あの外見だけで怖がる女性は多いぞ。男でもだ」

「そんなに怖いかしらねえ? 目なんかくりくりしていて愛嬌あると思うけど」

「……そこは普通、ギョロギョロしていると表現されるよ」

「おやつあげたらアーンって口を開けるし」

「その口に並ぶ牙にみんな怯えるけどな」

「しっぽ見てると気分がわかりやすいのよね。ピコピコ動いて可愛いの」

「そこらへんに生えてる木なら、あれの一撃で倒れるぞ」

「……イリス、竜が嫌いなの?」

 銀の髪を揺らしてイリスは首を振った。

「好き嫌いの話じゃないよ。ロウシェンの民はみんな竜を愛してる。他の国にはいないロウシェンだけの生き物で、守り神みたいなものだ。だからこそ、不幸な事故が起きないよう距離を取ってるんだ。だいたい竜に限らず野生動物にはみだりに近づくべきじゃないし、人に慣れさせるべきでもない」

 むー……そう言われると反論できない。元の世界でも、そういう問題は何度か耳にしたっけ。

 餌付けしたせいで人に危害を加えるようになり、今度は害獣扱いされるようになった猿とか、観光客は食べ物をくれると思って近づいてきて事故に遇ってしまう狐とか……または、そういった動物たちから病気や寄生虫に感染した人間とか。

 全部人間のせいで招いた不幸だ。

 きっと可愛いというだけで、簡単に野生生物に近づいてはいけないんだろうな。

 そうは思うのだけれど。

「でもあの子、寂しかったんじゃないのかな……」

「へ?」

 イリスの言うことが正しいのだと理解しつつも、私はさっきの飛竜のことが気になっていた。

「イリスも見たでしょ、身体中傷痕だらけだった。きっといじめられてるのよ。竜の世界でも仲間がいなくて、それでさみしくてこんなとこまでやってきたんじゃないのかな」

「…………」

 人間なんかに近づこうとするほど、あの子はさみしかったのかもしれない。過去の自分を思い出す孤独な姿に、冷たく追い払うなんてとてもできなかった。

 ――と、思っていたら、

「……いや、せっかくの優しさに水を差して悪いけど、それ違うから」

 イリスがいつもの癖で髪をくしゃくしゃとかき回した。

「どういうこと?」

「まず、竜は単独生活だ。群れでは行動しない。人間みたいに寂しいって考えることはないよ。あとさ、あいつはいじめられるどころか、きっといちばん強い部類だよ」

「え……なんで?」

「傷痕があるから。普通さ、竜同士では滅多に争わないんだ。なまじ威力の強い武器を持ってるから、下手に喧嘩すると命取りになる。だから竜は縄張りや雌を争う時でもぶつかり合うことはない。睨み合うかせいぜい威嚇するくらいだ。力の弱い方が負けて引き下がる。だいたい考えてもみろよ、あの巨体がしょっちゅう喧嘩して暴れてたら山が破壊されるぞ」

 ……言われてみればそうかもしれない。しっぽの一撃で立木を粉砕する竜が暴れたら、その周辺は荒れ地になるだろう。山のあちこちでそんな争いが繰り広げられたら、山そのものが荒れ果てる。

「滅多にしない喧嘩をするのは、よっぽど切羽詰まってる時か、さもなくば相手との力が同等でにらみ合いでは決着がつかない時だよ。それだって命取りになるほどの大怪我をする前にどちらかが引き下がる。竜っていうのは賢いから、無駄な怪我はしないんだ」

「あの子は負けたんじゃ……」

「いや。あんなにあちこち傷だらけってことは、何度も闘ったってことだ。弱い竜にそんなことはできないよ。間違いなくあいつは強い。闘って、勝ってきたんだ」

 えー……。

 いじめられて、さみしがってすり寄ってきたかわそうな子――という認識が音を立てて崩れていく。実はストリートファイターだったのか。なんだかものすごく裏切られた気分だ。いや、勝手に思い込んでいた私が悪いのだけれど。

 がっくりと肩を落とす私に、さらにイリスはとどめを刺した。

「ついでに言うと、鱗や翼の色からして、あいつは少なくとも二十歳以上にはなってるな。つまり、ティトより年上だ。相手を庇護してやりたい可愛い子って思ってるのは、きっと向こうの方だぞ」

「…………」

 もう何も言えない。私はソファの背にもたれて目を閉じた。

 イリスはくすくすと笑った。

「龍の加護を持つティトだからこそ、そんなふうに竜を惹きつけるんだな。でもご利益にあずかれるのはティトだけで、他の人間には適用されない。そこを忘れないでくれよ。人と竜、双方の幸せのために」

「……はーい」

 降参してお返事すると、イリスは器用に片眉を上げて「珍しく素直だな」なんて言った。失礼な。私はいつでも素直だぞ。

 ――いえ、すみません。正確に言えば、ひねくれ者だけど自分が悪いと思ったらそこは素直に認めるぞ、だ。

 意地張って認めなくても意味がない。周りに呆れられ、嫌われるだけだ。間違えたら謝って正すのが基本だとは思っている。

「実に素晴らしい考えだ。ぜひその主義に従って、おとなしく寝台に戻ってほしいね」

「だから熱は下がったって言ってるじゃない」

「今朝になってやっとな。油断して動き回ってたらまた熱が上がるぞ」

 このオカンめ。大雑把人間のくせにお説教は多いんだから。

 二十歳前にしか見えない童顔でも、実は私より八つも年上だからしかたないのかもしれない。きっとイリスは、私の実年齢を知った上でも子供としか見ていないのだろう。

 いいけどね。じっさいまだ未成年で大人とは言えないし。胸も色気もないし。どうせね!

 ただ、せっかく会えたのだから、もっと違う話がしたかった。

 イリスの顔を見るのは数日ぶりだった。最近どうしているのか、エランドとキサルスの状況はどうなったのか、聞きたいことが山ほどあった。

 北の帝国エランドが、シーリースにいちばん近い国キサルスへの侵攻を開始したとの報せを受けたのは、祝賀式典の翌日だった。ハルト様とユユ姫の婚約発表が行われた直後だ。国をあげてお祝いムードで盛り上がろうとしていた矢先に、水を差された形だった。

 あれ以来ハルト様は毎日帰りが遅いし、帰ってきても難しい顔で考え込んでいる。疲れているだろうなと思うと、なかなか話しかけられなかった。アルタやトトー君も忙しいらしく、一度も顔を合わせていない。イリスだけが私のお見舞いに来てくれたけれど、熱の高い時だったからゆっくり話すことはできなかった。

 その後どうなっているのか、ものすごく気になっている。一の宮の女官たちだって不安そうにしている。でも詳しい情報は何も入ってこない。

 少し前に届いたカームさんの手紙は、ちょうど報せと行き違ったらしく、戦については何も書かれていなかった。多分、あの手紙を書いたすぐ後に彼も報せを受けたのだろう。知っていたら、遊びにおいでなんて気楽なことは書かなかったはずだ。

 今日になって、ようやくこうしてイリスと会えた。飛竜に驚いてわざわざイリスを呼びに行ったことは大げさだったけれど、結果的には都合がいい。今度こそきちんと話が聞きたかった。

 ――なのに、イリスはお茶を飲んで早々に腰を上げる。

「悪いけど、ゆっくりしてられないんだ。忙しい中を抜けてきたからね」

 そう言われてしまうと引き止めるわけにもいかない。仕事中に呼び出されて、きっとすごく迷惑をかけたんだ。ごめんなさいと謝らなければいけないところだ。

 でも、ひとつだけ。どうしても確認しておきたかった。

「戦争するの?」

 話し込んでいる時間がないから、ずばり端的に尋ねた。イリスは形のいい眉を上げ、それから優しく苦笑した。

 大きな手を私の頭に乗せる。

「まだしない。ハルト様は極力回避の方向で動いてらっしゃるよ」

「…………」

「そう疑わしそうな目でにらむなよ。嘘じゃないって」

 優しく頭をなでられて、私はうなずいた。イリスがそう言うのなら、信じる。いい加減で大雑把な人だけど、嘘つきではないものね。彼はいつだってまっすぐだ。だから、イリスがしないと言うのなら、本当にしないのだろう。

 ――今は、まだ。

「もし状況が変わったら、かならず教えてね」

 青い瞳を見つめてお願いすると、イリスは息をつき、そしてうなずいてくれた。

「わかった。そのかわりティトも約束しろ。好き嫌いしないで、肉もしっかり食べるんだぞ」

「…………」

「返事は?」

「前向きに検討します」

「それは遠回しの拒絶だろう」

 呆れ顔でイリスは私の頭を軽くはたいた。

「食べないと丈夫になれないって言われただろうが。いい加減好き嫌いをなおせ。栄養が足りないってのは、美容にも悪いんだぞ」

 む。……それはまあ、たしかに。

 渋々うなずくと、イリスは苦笑して踵を返した。鍛えられた姿勢のいい背中を向けられる。

 ――その瞬間わき上がった感情は、私自身にも不可解なものだった。

 不安――恐怖のようなものを突然感じて、思わず彼のシャツをつかむ。驚いた顔でイリスが振り返った。

「……あ」

 我に返り、手を放す。いったい今のは何だったのだろう? なんだかイリスが、どこか遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。私を置いて、二度と会えない遠い所へ。

 ばかなことを。私に予知能力なんかない。虫の知らせなんてものを経験したこともない。ただの錯覚だ。いろいろ聞いて不安になっているだけだ。

 落ち着かない心を無理やりなだめる。客観的には彼を引き止めたがる駄々っ子に見えただろう。私は急いで言うべきことを口にした。

「あの、お仕事の邪魔してごめんなさい。わざわざ、すみませんでした」

「…………」

 少しの間黙って私を見つめていたイリスは、つと身をかがめて両手で私の頬をはさんだ。

 うつむきがちだった顔をすくい上げられたと思ったら、すぐ目の前に銀の髪が流れる。

 額に一度、それから右頬にもあたたかいものがふれる。とても近い距離でイリスは微笑んだ。

「今日一日は我慢して寝ていろ。いい子にしていたら、今度会う時にはお土産持ってきてやるよ」

「……お菓子」

「はいはい」

 私の頬をなでてイリスは姿勢を戻す。じゃあなと言って、今度こそ部屋を出て行った。

 なんかもう、本当に徹底的に子供扱いされているんだな。

 別にいいんだけど……そりゃ子供だけど……なんだろう、ちょっとだけ気に入らない。なら大人なのかって聞かれたら、言い返せないけれど。

 何年かして私がちゃんと大人になったら、イリスの態度も変わるのかな。

 想像しようとして挫折した。大人になった自分も、私を一人前の女性として扱うイリスも、まったく思い浮かばなかった。

「ティトシェ様、お薬の時間ですよ」

 女官がお盆を持って入ってきた。まだ飲まなきゃいけないのか、あの臭くて苦い煎じ薬。せめて錠剤や粉薬なら一瞬で終わるのに。

「イリス様と約束なさったでしょう。ちゃんとお薬を飲んで寝台にお戻りくださいませ」

 渋る私に強引な笑顔で薬が差し出される。最近彼女たちも遠慮がなくなってきた。以前はもっと距離があってよそよそしかったのに、いつのまにかそれが消えている。喜ぶべきところだろうか? でも私の方が気持ち的に追いつかない。特に親睦をはかった覚えもないのに親しげにされても、どう応じればいいのかわからない。相手が何を考えているのかも気になるし、むしろ以前の状態の方がよかったなんて思ってしまう。できるだけ愛想よく接しつつも相手の腹の内を勘繰ってしまい、相変わらずな己の性格の悪さにへこむこの頃だった。

 苦労して薬を飲み干したら、寝間着に着替えさせられて寝台へ追いやられた。これぞ秋晴れというピーカンを窓越しに眺めながら、空しく横になる。退屈なこの後の時間をどう過ごそうかとため息をつき、そういえばさっき確認するのを忘れたと気が付いた。

 額や頬へのキスは、どういう意味があるんだろうな?




 翌日も熱は出なかったので、ようやく私は日常生活に戻ることを許された。

 なので目下、二の宮の廊下を闊歩中である。

 顔パスで自由に入れるようになってからも、極力遠慮して必要以外踏み込まないようにしていた。ここは政治や国の仕事が行われる場所だ。私なんかがうろついていい所ではない。

 でも今日は入らせてもらった。それも三の宮へ下りるための通路としてじゃない。この二の宮に用がある。

 すれ違う役人たちが怪訝そうに私を見て行くが、今の私には気にならない。腹を立てているのと危機感に追われているのとで、それどころではなかった。

 ついさっき、一の宮でトトー君と会って来たばかりだ。

 今さらなお見舞いとともに、トトー君はイリスの伝言を預かってきた。今日からしばらく出張に出るから、当分会いに行けない、と。

 ――それ、昨日からわかってたよね? まさか今日いきなり決まったことじゃないよね? ならなんであの時教えてくれなかったの?

 忙しいって言っていたのは、きっと準備のためだったんだ。自分の身支度はもちろんのこと、隊長不在の間のことを部下に指示したりいろいろそりゃあ忙しかっただろう。

 でもせっかく顔を合わせておきながら、出張するよのひとことも言えないはずがない。わかっていてわざと黙って出て行ったイリスに、私はものすごく腹を立てていた。

 嘘はつかないって言ったくせに! ごまかさないって言ったのに!

「別に戦をしに行ったわけじゃないよ……イリスが向かったのはナハラっていって、アルギリとの国境近くだよ……」

「そこに何があるの」

 トトー君の答えは端的すぎて不親切だった。

「騎士団がある……ナハラ騎士団」

「そうじゃなくて、わざわざイリスが行くどんな理由があるのって聞いてるの」

「知らないよ……別に竜騎士団は王都から動かないものって決まってるわけじゃないし……特に飛竜隊は移動時間が短くてすむから、あちこちに出かけるよ」

「今この時期に、イリスがわざわざ私に内緒で出て行くなんて、特別な理由があるって言ってるようなものじゃない」

「それはイリスが帰ってきたら聞いてよ……ボクは伝言を頼まれただけだから」

「うそ。本当は知ってるでしょ」

「……もう帰る。ボクも忙しいから」

 私の追及が面倒になったようで、トトー君はそそくさと逃げて行った。

 追いかけたところで無駄だろう。あのポーカーフェイスでしらを切られるだけだ。トトー君は手ごわい。

 イリスの方が揺さぶりをかけやすいと思っていたのに、そのイリスにしてやられてかなりショックだった。ちょっと侮りすぎていただろうか。腹芸のできない男と思っていたけれど、私より八つも年上の大人だしね。あしらわれていたのはこっちの方だったのか。

 気付いた事実はショックでもあり、不愉快でもあった。イリスが帰ってくるまでただ待っているなんてとてもできない。もちろん帰ってきたらきっちり締め上げてやるけれど、その前にやっておくことがある。

 こんな不安な気持ちのままで、何も聞かずに待っていられるか。

 通りがかった人に尋ねて目的の場所をさがす。やがてたどり着いたのは、お役所部門が並ぶ一角にごく普通に混じっている、何の変哲もない扉の前だった。

 ここで間違いないはず。ちゃんと部署名を示すプレートもついている。

 もっと目立たない場所にひっそり隠れて存在する部屋を想像していたから、ちょっと拍子抜けだ。でもそこにはたしかに、「参謀室」と彫られてあった。

『知恵と情報は有力な武器になります。戦い方を身につけたいと思われましたら、いつでも来られるとよろしい』

 式典会場でかけられた言葉をたよりに、ここまでやってきた。あの人なら私の知りたいことを教えてくれるだろうか。

 参謀室長オリグ・ケナン――今シーリースが直面している危機について、詳細に把握しているであろう人に会うため、私は扉に手をかけた。

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情報を与えないほうが危険に突っ込んでいきそうな主人公(≧▽≦)
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