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――そんなわけで、めでたく打ち上げです。
「ご苦労だったな、皆」
「ハルト様こそお疲れでしょう? 朝からずっと忙しかったのですもの。大丈夫ですの?」
「なに、忙しいといっても行事が続いただけだ。さほどのものではない」
「週末は接待ゴルフのサラリーマンみたいですね。頑張るのは結構ですが跡継ぎも作らないうちに過労死しないでくださいね」
「う、うむ」
「人のことが言えるかなあ? 倒れるまで頑張って倒れてもまだ頑張ってた子がどの口で。ほら会場で全然食べてなかっただろ、しっかり食べとけ」
「お肉ばっかりじゃない。いらない」
「そう言いながらお菓子に手を伸ばすな!」
大広間を出た後今回の主要メンバーは、別の小広間へ移動して気楽な二次会に突入していた。デイルとエリーシャさんも一緒だ。今日は無礼講だからと、尻込みする二人をアルタが強引に引っ張ってきた。
「エリーシャ殿、遠慮なさらんとお食べなさい。ほしいものがあれば取ってさしあげますぞ」
「いえ、お気遣いなく。ありがとうございます」
「姉さんならほっといても食べるよ……ボクよりよく食べるんだから」
「トーヴィル、よけいなこと言わないの!」
「そーだ、おっさんもよけいな真似すんじゃねーよ。ちくしょう、なんだこの葡萄酒、ちゃんとクーデル産じゃねえかよ」
「なんじゃ、それがどうかしたか」
「最初から知ってたんじゃねえかよって言ってんですよ!」
「ふん、頭の鈍いひよっ子め。おぬしが新しい銘柄を売り込みたがっておるゆえ、協力してやったのではないか。あの後、うまく宣伝できたのであろう?」
「はあ、まあ、なんかやたらと話しかけられたんで、がっつり売り込んどきましたけど……って、そこから知ってたんすか!」
「昨日おぬしの父親と会った」
「昨日かよ!」
「クーデル産とは初めて聞く銘柄ですが……」
「ふむ、私も初めてだが、よい味だな。これならばすぐにシェスナ産と並ぶ人気銘柄になるだろう」
「私は、こちらの方が好きですね。香りも素晴らしい」
「そんなに美味しいんですか?」
「ああ――いや、君は飲まない方が……」
「チトセは駄目だ!」
「ほらティト、こちらの方が甘くてよ。葡萄酒なんて辛くて酸っぱいだけよ」
「大人って、苦いのとか辛いのとか酸っぱいのとかが好きなの? 味覚破壊されるのが大人の証?」
「甘いもの以外おいしいと感じないきみの方がよっぽど味覚破壊されてるよ」
思い思いに盛り上がり、くつろいで食事をする。会場ではみんなろくに食べられなかったから、まずは空腹を癒すことが優先だ。今夜はこのまま城に泊まることになっているから、大人たちは遠慮なくお酒も楽しんでいた。
「なんだか、あたしたちだけごちそう食べてるのが申しわけないわ。母様にちょっとくらい持って帰ってあげられないかしら」
「今度料亭に連れてってあげるよ……ていうか、母さんも来ればよかったのに」
「もう華やかな場所に出る気はないんですって。まあ、昔の顔見知りもいるしね。変に同情されたり笑い者にされたりするのは嫌じゃない? 今夜はアブルさんちで飲み会だってさ」
「そっちの方が楽しそうだ……」
隙あらばお皿に肉を乗せようとするイリスから逃れて、私はユユ姫の隣に座った。エリーシャさんも来て、女三人で話をする。
「本当にお世話になりました、姫様。こんなドレスまで用意していただいて」
「あら、手配したのはわたくしですけど、費用はトトーが出したのよ?」
「え……そうなの!?」
素に戻って弟を振り返る姉に、トトー君は肩をすくめて答えた。
「当たり前じゃないか……そこまで頼れないよ」
「でも、あんた、大丈夫なの?」
「あのさ……うちはもう貧乏じゃないんだから。母さんも姉さんも、いくら仕送りしても最低限しか使わないで溜め込むんだから……」
「そんなの当然でしょ! 母様の老後やあんたの結婚資金とか、この先いろいろ入用になるんだから。収入が増えたからってホイホイ使えないわよ」
「ボクの結婚資金より、自分の結婚資金の方が先だろ……」
「あたしはいいのよ。そんなの必要ない人と結婚するもの」
「お、おう、そうだ! 持参金も何もいらねえぞ、身ひとつで来い!」
「あんたのとこじゃない!」
私とユユ姫は顔を見合わせて、こっそり笑った。可哀相なデイルに、みんな同情半分面白半分だ。ハルト様まで顔をほころばせている。元気なエリーシャさんをみんな気に入ったようだった。
トトー君も彼女と話している時は、少し子供に戻っているような気がする。やっぱり身内っていうのはいちばん気を許せる相手なんだな。
うちの家族は元気だろうか。お姉ちゃんとコーちゃん、どうしてるかな。
「でも今回いちばん頑張ったのはティトよね? あちこち出歩いて、作法やダンスを練習して、宴では知らない人とも嫌味合戦して」
「してないし」
「よく言うわ。あなたを馬鹿にしていた人たちは、しっかりやり返されて恥をかいたじゃない。よい気味よ。おとなしそうな顔してなかなかやるなって、みんな感心していたのよ」
嫌味合戦に感心されてもな。私はできれば嫌味も皮肉も聞こえない平和な場所で、静かに引きこもっていたいのだ。
「あれは全部もらった資料を元にしてただけだから……そういえば、ハルト様、オリグ・ケナンという人に会ったんですけど。あの資料の提供者ですよね? どういう方なんですか」
「ああ、会ったのか」
別の場所で宰相とお酒を酌み交わしていたハルト様は、こちらを振り返った。
「参謀室長だ。そなたに渡した資料は、参謀室が収集した情報だ」
「参謀……」
って、どういうお仕事なんだろう。ゲームやアニメなら軍師的役割だけど、戦をしていないロウシェンにおいて、参謀という立場の人はどんな仕事をしているのかな。
「彼とどのような話を?」
「いえ、ちょっと挨拶したくらいですけど……」
エランドの大使にからまれたという話は、今この場ではしたくなかった。せっかくみんないい気分でいるのだから、楽しくない話題をわざわざ持ち出したくない。
「別れ際に妙なことを言われましたね。いつでも来ていいとか、人材募集中とか」
「……ほう」
「ふむ。オリグに認められたか」
ハルト様と宰相が軽く眉を上げる。アルタやイリスたちも意味ありげに目を見かわしている。きょとんとしているのはデイルと私たち女性陣ばかりだ。
「何?」
「参謀室に就職しないかと言われたのではないかしら?」
ユユ姫が言う。いや、就職って、いきなりは無理だろう。日本での公務員試験みたいなものはないのかな。こっちのシステムってどうなっているんだろう。
「そういうんじゃなくて……戦い方を身につけたかったらとか、そんな言い方だったけど」
「あれは優秀な人材を育てるのが趣味みたいな男だからな。チトセを将来有望と見込んだのではないかな」
「はあ……光栄ですけど、参謀ってどんなお仕事なんですか?」
「一般的には軍事面での情報収集や作戦、用兵を担当するものだが、うちの参謀室はその範囲にとどまらない活動もしている。あまり大きな声では言えぬが、一種の諜報組織になっているな」
おお、スパイか。007の世界だね!
ちょっと魅力的な響きだった。オタク心が刺激される。
「なんでそこで目を輝かすんだろうな……女の子の反応として、間違ってるよ」
イリスが不気味そうに私を見る。ふ、萌えを知らない奴には理解できまい。
「そうか、だからあんなに細かい資料を作れたんですね。ちゃんとお礼を言うべきなのに、言いそびれちゃって。またお会いできるでしょうか」
「今度参謀室へ連れて行ってやろう。一度正式に紹介したいとは思っていた」
「お願いしたいところですけど、お仕事の邪魔になりませんか? あの人あんなにやつれちゃって、きっと参謀室ってすごい激務なんでしょうね。でも倒れちゃったら意味ないし、少しくらい休めないんでしょうか」
「いや……」
ハルト様が口ごもり、妙な空気が流れた。ん? 何かおかしなこと言ったか?
「ああ見えて、一度も倒れたことはないんだ、あの御仁」
アルタが言い、イリスもうなずいた。
「いつ倒れるか、いつ血を吐くかってみんなはらはらしてるんだけどな。意外に元気なんだよ」
「そもそも参謀室はそれほど極端な激務というわけじゃない。他の者は普通だ……彼だけが、あんなで」
ザックスさんも難しい顔をしている。
「わしの知る限り、あやつは昔からあんな顔をしておった。初めはよほどの病弱かと思ったが、特に具合を悪くするでもなくぴんしゃんしておる。ああいう体質なのであろう」
何かを悟った顔で宰相がお酒を飲んだ。
オリグさん……ますます謎な人物だ。
でも助けてくれたしいろいろ教えてくれたし、悪い人ではないと思う。私の役に立つ資料も用意してくれた。見た目はあんなだけど、頼りになりそうだ。
邪魔になる心配がないのなら、今度ぜひ紹介してもらおう。あの人から聞いた話はとても考えさせられるものだった。今後も他では聞けないことを教えてもらいたい。
トトー君はデイルの愚痴に付き合わされ、それにアルタやイリスが茶々を入れている。平和な光景だ。でも私の知らないところで、あやうく殺されていたかもしれなかったのだ。
みんな、私にそういうことは教えてくれない。言ってもうんとぼかして、オブラートに包んで小さなことのように話す。怖い思いをさせないようにという思いやりなのはわかっている。でも私は怖くても本当のことが知りたい。
知らないでいる方が、きっともっと怖いことだから。
『知恵と情報は有力な武器になります』
オリグさんの言葉を頭でくり返す。知っていれば防ぎ、戦える。知らないでいるのは無防備で危険な状態だ。
みんなそれぞれにおしゃべりを楽しみ、料理やお酒を楽しんでいる。穏やかな時間を楽しむ、私の大切な人々。この幸せな光景をいつまでも失いたくない。この地で見つけた私の幸福を、誰にも奪われたくはない。
しばらくしてみんなが食事を終えた頃合いを見計らい、私はユユ姫を誘ってハルト様のもとへ向かった。
「ハルト様」
「うん?」
宰相とふたりで結構飲んでいるようすなのに、変わらずハルト様は泰然としていた。なにげにお酒に強いのかな。
「ものすごく遅くなりましたけど、お誕生日おめでとうございます。もうじき日付が変わっちゃいますけど」
「はは……他のことで忙しかったからな。ありがとう」
「それで、お祝いを差し上げたいんですけど」
「ほう? 何かな」
何も持っていない私に周囲がいぶかしげな視線を送る。私はユユ姫に寄り添い、不思議そうな彼女の背後に回って力一杯背中を突き飛ばした。
「きゃっ」
「なっ……」
もちろん方向は狙い定めたし、ハルト様は何を置いても助けるだろうと思っての上だ。彼女を抱き止めたハルト様は、怒った顔で私をとがめた。
「チトセ、何をする! 危ないではないか」
「お誕生プレゼントです。受け取りましたよね? 返却不可ですからね」
「は……?」
ぽかんとしたハルト様は腕の中のユユ姫を見下ろし、目が合った次の瞬間ふたりして真っ赤になった。
「なっ、なにを……っ」
「ティ、ティトってば!」
私はふたりにびしりと指を突きつけた。
「ハルト様、今日で三十六歳になったんですよね? もうアラサーじゃなくてアラフォーですよ。中年に片足踏み込んでるんですから、ぐずぐずしている暇はありません。さっさとくっついちゃってください」
「チトセ!」
怒ったようにハルト様は声を荒げるが、周りはいっせいにぬるい顔だ。うんうんとうなずく人続出。ふふん、どうだ世論は味方だぞ。
「そ、そういうことを人前で言うものでは……」
「そのくらい追い詰めないと決断してくださらないでしょうが。いいですか? 中途半端な距離に安心して甘えていたら、足元をすくわれますよ。変な相手から縁談申し込まれてめんどくさい問題に利用されないうちに、しっかり確保しておかないと。誰にも割り込む隙は与えないでください」
エランドが花嫁にと求める相手は、なにもハルト様の娘でなくてもいい。
れっきとしたロウシェンの王族で、ちょうどお年頃で、何よりもハルト様の大切な人がいるのだ。
私なんかよりユユ姫に目をつけられる方がよっぽど深刻だ。本当にぐずぐずしている暇はないのだ。明日にでも使者がやってくるかもしれない。あの大使は、ハルト様とユユ姫の睦まじさを知っているだろう。ロウシェンを揺さぶるいいネタだと、本国へ報告くらいしていそうだ。
私が面白がっているわけではないことを察したのか、ハルト様は真顔になった。言いたいことを理解してくれただろうか。もしちゃんと伝わっていないのなら、もうはっきりと名指しで指摘するしかない。
「ティトったら……まさか、お酒飲んでる?」
わかっていないユユ姫はそんなことを尋ねる。
「飲んでないけど、飲もうかな。そうしたらもっと思い切ったことが言えるかも」
「いっ、いいえっ、飲まなくて結構よっ!」
あわてて首を振るユユ姫にならい、なぜかみんなが近くのお酒を隠し始めた。だから飲まないってば。なんでそんなに私の飲酒を怖がるのだ。ちょっと気が大きくなっておしゃべりになるだけじゃないか。別に暴れたりしないのに。
しばらく難しい顔で考え込んでいたハルト様は、思い切ったようすでユユ姫に声をかけた。
「ユユ」
「え、あ、は、はい……?」
ついにか? いよいよか? みんな固唾を呑んで見守る。それに気づいてハルト様は嫌そうな顔で周りを見回した。はいはい、ガン見はよしましょうね。ものすごくわざとらしいけれど、一応全員視線をそらす。
ため息を落とし、ハルト様は言葉を続けた。
「その……あー……なんだ……踊るか?」
――っだあああぁっ!
この期に及んでまだ引きずるか親父ぃっ!
思わず振り向いて突進しそうになった私を、イリスが抱き止めてふたりから引き離した。ええい邪魔をするなってば!
「ちょっと待ちなってば。大丈夫だよ」
私の耳元にささやく。何が大丈夫なのか。ユユ姫は微笑んでうなずきながらも、落胆を隠せないでいる。あんな顔をさせておきながら平気なのか? ハルト様それでいいのか?
だいたい踊るったって楽団もいないしユユ姫は脚が悪いしどうするというのだ。
そう思ったら、突然弦楽器の音が響き渡った。どこから取り出したのか、宰相がヴァイオリンに似た楽器を弾いていた。な、なんて都合のいい。いや最初から狙って持ち込んでいた? この人のことだからどこまで読んで計画していたのかわかったものではない。それにしても上手いな。カームさんといい、身分の高い人は本職以外にも芸を持つのがたしなみなんだろうか。
とてもゆったりとした静かで優しいメロディに乗って、ふたりはゆっくりゆっくりと踊り出す。ユユ姫の負担にならないように、普通よりもはるかに遅いテンポで踊る。ハルト様にしっかりと支えられて、ユユ姫は幸せそうだった。それを見ていると、もういいのかなという気になってくる。いやでも、気持ちの問題はともかく、時間に猶予はないんだけれど。
踊りながら、ハルト様がユユ姫になにかをささやいた。私たちからちょっと離れてしまっていたから、何を言ったのかはわからない。でも聞いた瞬間ユユ姫が信じられないという顔で彼を見上げ――そして、ほろほろと涙を流し始めた。
悲しい涙でないのはすぐにわかった。彼女は顔をくしゃくしゃにしながらも、とてもうれしそうにうなずいてハルト様の胸に顔をうずめた。ハルト様はそんな彼女を抱きしめて、優しく髪を撫でている。誰からともなく歓喜の声がわき上がった。
ぃよっしゃあぁっ! よくやった親父ぃっ!!
爆発した歓声と拍手に驚いて、女官や侍従が駆け込んできた。彼らも主君と姫君の姿を見ると、何が起きたのかを理解して喜び合う。騒ぎがさわぎを呼んで、遅い時間だというのにたくさんの人が集まってきた。
祝福の声を浴びてふたりは照れくさそうに笑っている。ハルト様はちょっと諦め顔だが、でも幸せそうだ。ユユ姫なんて最高に美しい。
私も幸せだった。ハイテンションになった勢いで、テーブルに放置されていたグラスを引っ掴む。まだ半分以上残っていた中身を一気にぐーっとあおった。
「あーっ!」
横でイリスが悲鳴を上げた。それに振り向いたのは近くにいた人たちだけだ。みんな王様たちの方に夢中で気付かない。私は上品に口許をぬぐい、逃げ腰になっているイリスににっこりと微笑みかけた。
こうなったらお誕生祝いに続いて婚約祝いもしないとね?
私はふたりの前へ進み出て、お祝いの言葉を述べ、そして歌った。
ビバ、乙女ゲーム。たくさんの苦しみや悲しみを乗り越えて迎えるエンディングテーマは、まさに今のふたリにぴったりだ。
アカペラで歌っても大丈夫なバラードを選んだ。きれいなメロディの、お気に入りの一曲だ。音域が広くて結構難しいのだけれど頑張った。サビから終盤にかけての高音部分もうんと声を張り上げて歌い切る。みんな拍手してくれた。でも幸せそうなユユ姫の顔がいちばんうれしかった。
こんなふうに、いつか私もみんなから祝福される時が来るだろうか。
その時隣にいるのは誰?
まだ全然想像もできない、遠い未来の話だ。一生結婚なんかしなくてもいいなんて言っていたけれど、ハルト様たちを見ているとちょっとうらやましくもなる。私もああして、寄り添い合える人を見つけられるだろうか。
候補になるかもしれない連中をこっそり見たのは内緒の話だ。
視界の片隅でエリーシャさんの肩を抱こうとしてデイルが突っぱねられている。あそこもなんとか、おさまるといいけれど。
幸せに、しあわせに、秋の夜は更けていった。
翌日、国内外にロウシェン公王の婚約が発表された。
私が危ぶんだとおり、それはまさに危機一髪だった。
発表に遅れることわずか半日後、ひとつの報せがもたらされた。
シーリースに最も近い島キサルスへ、エランドが侵攻を開始したとのことだった。
援軍を要請するキサルスとエランドとの間で、シーリースは大きく揺れ始める。
***** 第四部・終 *****