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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第四部 たくらみの宴
47/130

10



 広い会場を小走りに突っ切っていたら、急に脚に痛みが走りつんのめった。勢いのまま、左脚をひきずってよたよたと不格好に歩く。

 いでででで、脚つった。

 ふくらはぎが硬直してキリキリと痛む。なけなしの筋肉が、ここ最近の酷使を不服としてストライキを起こしたらしい。

 しかたなく一旦立ち止まり、私はふくらはぎをさすった。右じゃなく左がつったところに因縁みたいなものを感じる。前回の怪我といい、何か憑いてるんじゃないだろうな。

「どうなさいましたかな?」

 凶悪な痛みに顔をしかめて悪戦苦闘していると、人が寄ってきて声をかけた。ああもうめんどくさい、また取り囲まれるのか。そう思って顔を上げれば、予想に反してそばにいたのは一人だけだった。

 黒髪の、多分まだ青年と呼べる年頃の人物だ。きれいに整えられた顎ひげが年齢不詳に見せているが、おそらくは三十代。中年と呼ぶには少し早いだろう。

 顔立ちは男らしく整っており、黒を基調にした衣装は大人の粋を感じさせる。カームさんから感じるものとはまったく別種の、男臭い色気にあふれている。危険な男とか、そういうフレーズが似合いそうだった。

 誰なんだろう。教えてくれる侍従がいないので、顔だけではさっぱりわからない。でもなんとなく、その辺の一般貴族ではないような気がした。

「脚を痛められたのですか?」

「いえ、ちょっとつっただけです」

 お愛想笑いをして私は姿勢を正した。ここは我慢だ。大丈夫、脚がつったくらいで死んだりしない。

「おや、お気の毒に。そちらで少し休まれるとよいでしょう。歩けますかな?」

 壁際の椅子を示して、私に手を差し伸べる。親切な申し出になぜか嫌悪感を感じてしまい、それを表に出さないよう努力して私は断った。

「ありがとうございます。大丈夫です。大分落ち着きましたし、動かした方がほぐれますので」

 嘘だけど早くここから立ち去りたい。

「無理に歩くのは逆効果ですよ。脚が震えている。まだ痛むのでしょう?」

 女の子の脚を観察するなよ! なんて、文句を言うのは失礼かもしれない。言葉だけを聞けば、親切な気遣いだ。

 でも嫌な感じはますます強くなっていった。何が嫌って、目だ。男性の私を見る目つきが、ただの親切や心配などではないとはっきり語っている。

 こちらをさぐる、油断できない鋭い目つきだった。口許だけの笑みが胡散臭さを倍増している。こういう人間とは極力関わり合いたくない。単に内心で私を馬鹿にしているだけならいいけれど、何か仕掛けてくるつもりなんじゃないかと脳内に警報が鳴り響く。

 元いじめられっ子の防衛本能をなめるなよ。害になる人間には敏感なのだ。

 私は警戒心を押し隠してにっこりと微笑んだ。

「ご親切にありがとうございます。でも人を探しているんです。さっき向こうにいるのを見かけて、急いで追いかけてきたところなんです。また見失ってしまうといけないので、これで失礼させていただきますね」

 会釈をして問答無用で背を向ける。一応の礼儀は守ったから、このままダッシュで逃げても問題ないはずだ。

 そう思って足を踏み出したのに、また止めざるを得なかった。

「追いかけているのは地竜隊長ですかな」

 不躾に私の腕をとらえて、男が訊ねる。いやらしい口許だけの笑いを、私は不快感を隠さずに振り返った。

「なるほど、噂も案外馬鹿にできぬ。先ほどの茶番といい、どうやらあなたは本気でかの騎士を慕っておられるようだ」

「……仲良くしていたら即恋愛って考え方はどうかと思いますけど。それじゃあうかつに男性と友達にもなれません」

「ただの友人のために、公王まで巻き込んでの一芝居ですか?」

「ただの、という表現にはうなずけません。私にとって友人というのはかけがえのない宝物です。欠点の多い私を嫌うことなく仲良くしてくれる人たちに、私のせいで迷惑がかかっていると知ったらどうにかするのは当たり前でしょう?」

 腕を振り払おうとするが、びくともしない。それどころかますます力を込められて、痛みまで感じる。脚の痛みも重なって私は顔をしかめた。

「放してください」

 男は笑みを深め、放すどころか顔を近づけてきた。香水らしい匂いを感じる。カームさんの香りはとても優しくて心地よいのに、この男の香りはやけに鼻について気分が悪くなる。

「したたかと思わせて、そのような子供じみたことも言う。面白い娘だ。そこがロウシェン公のお気に召したのかな?」

「悪意を感じるおっしゃりようですね。ハルト様を侮辱なさりたいのですか?」

「今のが侮辱ですと?」

「違うのなら結構ですが、気軽に引き合いに出さないでくださいな。ロウシェン公なんて呼び方をするということは、あなたは外国の方なんですね。お名前を存じ上げず大変申しわけありません。よろしければうかがっても?」

「……胆も据わっているようだ。我が君の気に入りそうだが、少々幼すぎるかな?」

 息遣いを感じそうなほど近づく距離に鳥肌が立つ。相手の雰囲気に呑みこまれそうなのを、必死にこらえて見返す。私と男を取り巻く異様な空気を破ったのは、第三の声だった。

「何か、問題ですかな」

 抑揚に欠ける静かな声に、私は現実に引き戻された。ここがにぎやかなパーティ会場で、周りで大勢の人がさざめいていることを忘れていた。

 私が振り向くのと、黒衣の男が腕を放すのはほぼ同時だった。どちらも声の主を見る。おどろくほど青白い顔をした男性が私たちを見ていた。

 背は高いが痩せこけている。装いはずいぶん地味だ。長めの髪は艶のない灰色で、きちんと整えられているのにどこかやつれた印象を与える。目元も落ちくぼみ、厳めしいというより陰気な感じがした。

 初対面の人にものすごく失礼だとは思うが、第一印象は点滴が似合いそうな人、だった。今にも吐血しそうな雰囲気である。

 また個性的な人物が出てきたと驚く私のそばで、黒衣の男がいけしゃあしゃあと答えた。

「なに、脚を痛められたようでしてね。椅子まで連れていってさしあげようとしていたところですよ」

 病人っぽい人は感情の読めない目で私の脚を一瞥する。

「……つっただけです。大したことありません」

 黒衣の男から距離を取る私に軽くうなずいて、その人は近づいてくる。私の前ですっとかがみこみ、痛む左脚にふれた。

「……っ」

 ぐっと押されて痛みに身体が跳ねる。かまわずに男性は脚をぐいぐいと指圧する。なんなんだと思いつつも痛くて抵抗できずにいたら、また唐突に手を放して立ち上がった。

「これで、大丈夫でしょう」

「あ、本当……」

 気付けば痛みが消えていた。まだぎこちない感覚は残るものの、引きつって石みたいに重くなっていたさっきと違い楽に歩ける。私はその場で何度か具合をたしかめ、男性にお礼を言った。

「ありがとうございます。楽になりました」

「いえ」

「おやおや、人前で大胆ですな。ご婦人の脚に触れるとは」

 無表情にうなずく男性を、黒衣の男がからかった。気分を害したようすもなく、男性は淡々と言い返す。

「それは失礼を。あまりにお若い方ゆえ、女性と意識しておりませんでした」

 よく考えれば失礼な言いぐさだが、この場合は感謝すべきだろう。変に意識しながらさわられたとは思いたくない。三十代……いや、四十代かな。ハルト様より年上に見えるし、私なんて子供としか見ていないだろう。

「貴公が言い寄られるにも、若すぎるのでは」

「言い寄るなどと。お助けしようとしていただけですよ。まあ、もう大丈夫なようですから失礼するとしましょうか。いずれまた、ゆっくりお話ししたいものですな」

 結局名乗らないままに黒衣の男は立ち去っていく。不気味な気分で後ろ姿を見送っていたら、温度のない声が教えてくれた。

「あれはオルトワール・デュペック侯。エランドの大使です」

「……エランドの?」

 私はさきほどの男性を見上げる。ハルト様のものより濃いめのグレーの瞳が、やはり人混みに紛れていく姿を見送っていた。

「表向き、かの国と我が国はいまだ友好国ですからな。大使も派遣されております」

 北の脅威、エランド。次々に領土を拡大していく軍事国家に、危機感を抱きつつもロウシェンはまだ大使を派遣し合って友好関係を維持している。この会場に招待されているのは、考えてみれば当然のことだった。

 でも、あれがエランドの大使か。

 個人を見て国家まで判断できるものではないけれど、嫌な印象だ。これまで聞いた話に漠然とした不安を覚えていただけだったのが、にわかにはっきりとしたシルエットが浮かび上がったように感じた。

「陛下との養子縁組を断られたのは、現時点では正解です」

 男性は私を見下ろし、そんなことを言い出した。

「もし養女になられていれば、エランドはあなたに求婚してきたでしょう」

「……はい?」

 エランドからの求婚? なんだ、それは。そんな話は初耳だぞ。

「あの、そのようなお話があったのでしょうか」

「いえ、今のところは。しかし十分に予測される事態です。エランドの皇帝はまだ独身、あなたと釣り合わぬほど年が離れているわけでもありません」

「えっと、私は身よりのない庶民ですよ? 仮にハルト様の養女になったところで、皇帝のお妃になれるとは思えませんが」

「血統を重んじるなればそうですな。しかしエランドは一般の国々とは違います。彼らにとっては名目だけ陛下の娘であればよろしい。両国の関係を深めるためとでも言ってあなたを要求してくるでしょう」

「それでエランドに何の得があるんですか」

「わかりませんかな?」

 見下ろしてくる目と見つめ合う。馬鹿にするでもなく、好意を感じさせるでもなく、ただ観察しているだけの目だ。私が裏を読み取れるかどうか、試しているのだろう。

 王家どころか貴族の血も引かないその辺の庶民生まれな娘。たまたま王の養女になっただけの娘を、エランドの皇帝が嫁にくれと言ってくるとしたら。

 ……戦の口実、かな?

「断らせるため、でしょうか。断られて、それを口実に攻め込むためとか。でも普通に考えたら、断らずにどうぞと嫁に出すでしょうね。破格の申し出ですもの。私はいやですけど」

「相手がエランドなれば、それはありえませんな」

 あっさり否定されて、肩すかしをくらう。なんで?

「ロウシェンとエランドでは、国の格が違いすぎます。かの国からの求婚など、わが国にとっては破格と言えるようなものではありません」

「王家の血を引かない娘でも?」

「陛下の養女になられたならば、どこの王家にも輿入れができます。わざわざエランドを選ぶ理由はない」

 あれ? エランドってずいぶん扱い低い? あちこち征服している強い国だし、もっと重視されていると思ったのに。

 違う意味の重視か。国の格は低くても、危険度は無視できないという。

「じゃあ、やっぱり戦目的……?」

 まずは合格、というふうに男性はうなずいた。

「かの国は虎視眈々とこちらを狙っております。油断なさらないことです。先日地竜隊長が襲撃を受けたのも、陰でデュペック侯が糸を引いていた可能性があります」

 そこまで考えていなかった私は、驚きに顔色が変わるのを止められなかった。

「じっさいに動いたのは我が国の貴族ですが、あそこまで思い切った真似をしたのは彼にそそのかされたからと思われます。陛下から有能な臣下をもぎ取る狙いだったのでしょう。さしもの地竜隊長も十人以上に襲いかかられては太刀打ちできまいと思ったのでしょうが、読みが甘かったですな。もっとも、地竜隊長も生け捕りにする余裕はなかったようですが」

「証拠は」

「残念ながら。しかし関わった貴族の名は判明しております。お知りになりたいですか?」

 私は少し考え、首を振った。それを私が聞いたところであまり意味はない。どうせ全然知らない相手だし、知って何かできる権限もない。

「必要ならば、報告はハルト様へ」

「承知しました」

 うなずいて男性は踵を返す。立ち去りそうな彼に私はあわてて尋ねた。

「あの、失礼ですがお名前を」

「これは失礼しました。オリグ・ケナンと申します」

「オリグ様……ご存じのようですが、佐野千歳です。教えていただいて、ありがとうございました」

 オリグさんはうなずき、ほんのかすかに笑ったかに見えた。

「お渡しした資料は有効に活用されたようですな」

「え……」

「知恵と情報は有力な武器になります。戦い方を身につけたいと思われましたら、いつでも来られるとよろしい。優秀な人材は常に歓迎しております」

 奇妙な言葉を残し、オリグさんは静かに立ち去っていった。

 しばらく私はその場に立ち尽くしていた。資料って、私が必死に覚えてきたあれか。誰がこんなに細かい情報を調べたのだろうと思っていたら、あのオリグさんが提供者だったのか。

 彼は、一体何者なんだ。

「ティト?」

 聞き覚えのある声に呼ばれて我に返る。トトー君がこちらへ歩いてきた。

 華やかな銀糸の刺繍に飾られた、騎士の正装姿だ。そのせいか、いつもは可愛い雰囲気なのに今日はとても凛々しく見える。少し大人っぽい印象だった。

「どうしたの」

「……ううん、なんでもない。トトー君をさがしに来たの」

 そばまで来たトトー君は首をかしげる。

「今までどこにいたの? せっかくみんなが協力してくれてうまくいったのに」

「……やりすぎだよ」

 トトー君はため息をついた。

「持ち上げすぎだ」

「みんながトトー君を誉めてたこと? 別に、やりすぎじゃないでしょう。台詞まで指定してないもの。自然に出てきた言葉よ。それだけみんなトトー君のことを高く評価してるってことでしょう」

「優秀な騎士は他にいくらでもいる……ボクが隊長になったのは、ラガン隊長の悪ふざけにみんなが悪ノリしただけだ」

 ラガン隊長というのは前任者のことだろうか。トトー君がこんなに自分を否定的に見ているとは思わなかった。

「……作戦、迷惑だった?」

「そうじゃない……こんな場所に出てきて、たくさんの知らない人に囲まれるのは、ティトにとってはすごく負担だろう。出不精なのにあちこち飛び回って準備に奔走してくれたし……吐いて寝込むまで頑張ったのもそのためだし、感謝はしてるよ」

「もともと私のせいで迷惑かけたんだもの、その後始末をしただけよ。お礼を言われることじゃないわ。ただ、最後の仕上げがまだなの。トトー君に出てきてもらわないとだめなんだけど」

「……あそこへ、今顔を出すのは避けたいな」

 気乗りしない返事に私は言い返すことができない。トトー君の名誉回復のためにと思って考えたことが、逆に彼を困らせているのなら、無理強いなんてできるわけがなかった。

 そのまま私たちは黙ってしまう。もうこの後のことは中止でいいかと思い、言葉を探していたら、先に割り込んできた声に邪魔をされてしまった。

「おっ、いたいた! こらトトー、なにをコソコソしとる。さっさと来い」

 声も身体も大きい上官に、トトー君は嫌そうな顔を向けた。

「……なんだよ」

「これから余興なのだ。俺とお前でやるぞ!」

「アルタ、それだけど」

「ああ、ご苦労さん、嬢ちゃん。疲れとらんか? どれ、抱っこしてってやろう」

「いえ結構で……」

 遠慮する暇もなく抱き上げられ、太い腕に座らされた。周りの人がなにごとかと注目してきて、いたたまれない。

「自分で歩きますよ」

「遠慮するな、嬢ちゃんなんぞ羽みたいなもんだ。もうちっとしっかり食べて太らんとなあ。この辺に肉がないといまいちさわり心地が……」

「犯罪者と呼びますよ」

「呼ばなくても犯罪者だよ」

 私に続きトトー君もつっこむ。さわさわと脚をなでる手を、力いっぱい蹴飛ばしてやった。

「おわぅ! うむ、なかなかいい蹴りだ。左をどうかしたのか?」

 ふざけているくせにやたらと目ざとい。いきなり抱き上げるし、やっぱり気付いていたか。

「さっきちょっとつったんです。もう治りましたけど、まだなんとなく違和感が残ってて」

「そうか、じゃあ余興はユユ姫と一緒に座って観戦するといい。そら、行くぞ」

 アルタはトトー君の襟首を引っ掴み、強引に連れて歩き出した。私の抗議もトトー君のため息もどこ吹く風だ。この勢いには誰も逆らえない。トトー君はすっかりあきらめ顔で歩いていた。

 みんなが集まっている場所に戻ると、見知った顔ぶれが増えていた。

「やあ、お帰り」

「イリス、あなたも今までどこにいたのよ」

 アルタが私を長椅子の前に下ろす。ユユ姫が位置を変えて場所を作ってくれた。

「すぐ近くで見ていたよ。僕が顔を出したら、せっかくの計画をだいなしにしてしまいそうだからね、おとなしくしてた」

 この目立つ男がよくも隠れていたものだと感心するべきか、自分のうっかり天然ぶりをちゃんと自覚していたところに感心するべきか。たしかにイリスがいたら、どこかでぽろっと余計なことを言いそうだもんね。

 イリスも正装姿だった。いつもはざんばらな銀髪もきれいにまとめてある。よくスーツは二割増しとか言うけれど、その法則は騎士にもあてはまる。ただでさえかっこいいイケメンなのに、これ以上美形度を上げてどうするんだと言いたい。そっと周囲を見回せば、いるわいるわお嬢様たち。あちこちから熱い視線が向けられているのに当人はまるで無頓着だ。本当に天然だな、嫉妬がうざいからあっち行け。

 もう一人、紳士然とした人物は騎馬隊長のザックスさんだった。この人とは数えるほどしか顔を合わせたことがなかったので、少し緊張して挨拶した。向こうからも会釈がかえってくる。アルタより少し年下の、真面目そうな人だ。栗色の髪をきっちり短く整えている。

 トトー君とは隊長同士付き合いも深いということで、アルタを介して今回の計画に協力をお願いしたのだけれど、演技力に自信がないからと直接の参加は断られていた。イリス同様見守りしつつ、陰からのヨイショをしてくれていたらしい。道理に外れたことが嫌いな人物だから、彼が誉めれば説得力があるだろう、と言ったのはイリスだ。その辺を直接見られなかったのは少し残念である。

「で、なんでデイルはそんなに疲れた顔をしているの?」

 なぜかイリスの隣にはデイルがいて、妙にぐったりとしていた。

「……なんでもねえよ……」

「ちょっと友好を深めてたんだよね? きみもトトーも彼の知り合いなのに、僕だけ仲間外れな感じでさみしかったからさ、挨拶してたんだよ。ねえ?」

 笑顔のイリスに肩を叩かれた途端、デイルがびくりとすくみ上る。いったい何をやらかした。うろんな目で見る私にイリスはにこにこ笑って答えない。代わりにユユ姫がこそっと耳元にささやいてくれた。

「この間エリーシャ様に強引な真似をして、あなたまで一緒にさらったでしょう。ハルト様は不問にされたけれど、イリスはちょっと怒っていたみたい。もうそういう真似をしないようにって釘を刺していたわ」

「それだけであんなになる?」

 私もひそひそと聞き返す。

「ふふ……ちょっと、おしおきがきつかったかもね」

 どんなおしおきをしたらデイルがあんなに怯えるのだろう。ものすごく知りたかったが、余興が始まったので聞くタイミングを逃してしまった。後でエリーシャさんにでも聞いてみるか。

 余興はアルタとトトー君とで剣の手合わせをするというものだった。さっき話の流れで二人の勝敗についてハルト様が尋ねたところから、じゃあこの場でやってみるかという話になり、急遽組まれた対戦――と、いうことになっている。もちろんじっさいは打ち合わせ済みだ。あらかじめ用意してあった試合用の剣が運ばれ、人々が端へ寄って広く空けた会場の中心で、ふたりは向かい合った。

 抜きん出た長身のアルタと小柄なトトー君の組み合わせは、まるきり大人と子供、ライオンと子猫だ。見た目だけなら、とうてい勝負になるとは思えない。

 けれど始まった直後から、誰もが固唾をのんで見守った。

 アルタが手加減をしているようには見えなかった。おそろしい勢いで振り下ろされる剣は、たとえ刃先がなくても直撃をうけたら大怪我ものだ。それを身軽にトトー君はかわし、反撃する。アルタもまた巨体からは想像のつかない素早さで受け止め、時にかわす。どちらも一歩も引かない白熱の対戦だった。

 トトー君の隊長職に疑問を持っている人も、この試合を見ればある程度納得するだろう。隊長の任務は単に腕が立つだけでは務まらない、他の能力も必要とされるものだけれど、そうはいっても強さを見せつけるのがやはりいちばんわかりやすい。この場でアピールするには、ベタな方法が効果的だ。

 ……と、単純に考えて作戦の締めに取り入れたけれど、それでよかったのだろうか。

 こんなふうに見せ物にされるのは、トトー君にとって不愉快かもしれない。

 気が進まないと雰囲気ににじませていた。なんで気が付かなかったんだろうと自分に腹が立つ。せめて事前に彼にも話して、やっていいかどうか確認するべきだった。

 独りよがりな考えに気付いて落ち込む間にも、目の前の勝負はますます激しさを増していく。トトー君の繰り出す攻撃をアルタが打ち返す。耳障りな音を立てて何度も剣が打ち合わされる。試合というには迫力がありすぎて、見ていて怖くなる。すくい上げるようなトトー君の剣を、アルタが上から叩きつける勢いで止めた時、それまでとは違う音が響いた。

 どよめきが起きる。折れた片方の刀身は、彼らの近くに落ちる。けれどもう片方はすさまじい勢いで飛んできて、私のすぐそばをかすめ背後の花瓶を直撃した。

 耳の後ろで陶器の割れる甲高い音が響き、冷たいしぶきがかかる。悲鳴が聞こえた。みんなが凍り付いてこちらを見ていた。

 トトー君が駆け寄ってくる。私の前まで来て覗き込む顔は、普段の無表情が嘘みたいにこわばっていた。

「……引き分け、ということでよろしいでしょうか」

「……え」

 私の言葉に反応できず、彼はまばたきを繰り返す。私は肩に引っかかった花を払い落とした。

「両者とも剣が折れて戦闘不能。実戦ではありませんから、ここで終わりとしてよいでしょう。相討ちで引き分け、となるのでしょうか?」

 ハルト様を見上げる。顔を少し青くしていたものの、ハルト様は取り乱すことなくうなずいた。

「ああ。両者とも見事であった。最後は少々驚かされたが、よい勝負を見せてもらった」

 その言葉に周囲も息を吹き返す。ほっと空気がゆるみ、ついで拍手と歓声がわき上がった。

「……怪我は」

 トトー君がそっと訊いてくる。私は首を振った。

「大丈夫、当たってないから」

「ごめん……」

 深く安堵の息をついて、トトー君は謝る。それに答える暇もなくアルタが飛びついてきた。

「すまん嬢ちゃんっ! 怖い思いをさせた!」

「どさくさにまぎれて抱きつくなセクハラロリコンオヤジ」

 のしかかる巨体に冷たく言ってやると、無言でトトー君とイリスが私からアルタを引きはがした。ユユ姫が私の手を握る。

「本当に大丈夫? どこも痛くない?」

「大丈夫、ちょっと冷たかっただけ。そっち側に飛んでこなくてよかった。人がいない方で本当によかったよね」

「……すみません」

「ごめん……」

 大小コンビがしおしおとうなだれる。そのようすにユユ姫が笑い声を立て、私も顔がゆるむのを感じた。

「さすがというか……よく顔色ひとつ変えずにいられたな。微動だにしないから一瞬当たったのかと思ったよ」

 イリスが濡れた場所を拭いてくれる。女官があわてて割れた花瓶の後始末をしていた。

「ああ……大事にならず、よかった」

「悲鳴も上げぬとはふてぶてしいことですな」

 ハルト様が安堵の声を漏らせば、宰相が誉めているのかけなしているのかわからないことを言う。周りが口々に私の冷静さを誉め出したけれど、いや単に固まっていただけですから。飛んできたの一瞬だもん、悲鳴を上げる暇もなかったよ。気が付いたら花瓶が割れていた。反対側だったらユユ姫に当たっていたかもしれないと気づきぞっとしたのは、割と後になってからだった。我ながら鈍い。

 それにこの勝負を提案し、トトー君を見せ物にしてしまったことへの天罰のような気もしていた。あまりにタイムリーすぎて本気でそう思ってしまう。まあとにかく、誰にも当たらなくてよかった。

 思いがけないハプニングで幕が下りたものの、御前試合は十分に効果を発揮したようだった。トトー君の強さを知った人々は、興奮気味に感想を語り合っている。ハルト様の合図で楽団が音楽を再開し、軽やかな舞踏曲が流れると、さっきまで息詰まる勝負が繰り広げられていた場所はダンスホールへと変身した。

 私はまだ前に立っているトトー君に、右手を差し出した。

「踊っていただけますか?」

 トトー君はきょとんとその手を見つめ、自身の右手で受け取る。反射的な動きだったものの、立ち上がった私に何も言わずフロアへとリードしてくれた。

「ごめんね、勝手に対戦仕組んじゃって」

 音楽に乗って踊り出す。これが私の初ダンスだ。努力の甲斐あってまずまず動けている。トトー君のステップにも危なげなところはない。

「いや……いつもやってることだから」

「見せ物にされて、嫌だったでしょ」

「嫌っていうか……結局ボクを持ち上げるためだってわかってるから……なんていうか……」

 トトー君は言い淀む。困惑しているようすの顔を見ていたら、もしかしてと気が付いた。

「照れてるの?」

「…………」

 気まずそうにトトー君は視線をそらす。そうか、みんなに誉めまくられて、恥ずかしかったのか。実はシャイボーイか。

 やっとトトー君の少年らしいところが見えた気がして、私はうれしくなってしまった。くすりと笑いを漏らせば、トトー君がちょっとすねた顔をする。それが可愛らしくてますます笑ってしまった。

 素早いターンを繰り返したのは、トトー君なりの反撃だったのかもしれない。でも特訓の成果を披露して、ちゃんと遅れず最後まで踊りきってみせた。音楽が終わってお辞儀を交わした後にドヤ顔してみせたら、悔しそうにそっぽを向かれたので内心ガッツポーズだ。

 その後アルタに申し込まれてまた踊った。踊ったというか、振り回されていただけだ。床に足がつかなかったもん。私を抱えて一人でクルクル回る騎士団長に笑いが上がっていた。

 さらにその後続けてイリスと踊り、ザックスさんにはこちらから勇気を出してお願いし、宰相には多分どれだけできるか採点のために申し込まれ、最後にハルト様と踊った。その後も希望者が押しかけていたのだが、脚がつったと言い訳して断った。ダンスって手を取り合ってくっつくんだから、知らない人とはやりたくないよ。

 かくして、私の計画は成功裏に終わり宴もお開きの時間を迎える。

 来た時同様ハルト様に続いて退出に向かった私は、ふと思い出して会場を振り返ったが、黒衣の男も吐血しそうな青白い人も、見つけることはできなかった。

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