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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第四部 たくらみの宴
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 八月に入り暦はもう秋。式典まで半月に迫り、私は急遽組み込まれたお嬢様レッスンに励む日々である。

「背はまっすぐに伸ばし、顎を引いて。常に全方位から見られていると意識するように。あなたのふるまいがみっともなければ公王様の恥となります。そのことを忘れないように」

 このために派遣された先生は、お約束の細い鞭を持ってびしばしと私の身体に指導を入れていく。これが漫画ならヒロインは悪戦苦闘して泣き言をこぼすところだが、私はそんなベタな真似はしない。言われなくても人の視線は気にするたちだし、ハルト様に恥をかかせたくないと心から思っている。だから必死でレッスンについていった。感覚で習得できるほど身体能力が高くないので、言われたことをまず頭で徹底的に理解する。理論に置き換えてどこをどう動かせばいいのか考え、実践する。無駄に消耗できる体力も筋力もないので、最小限の負担で美しい所作を作り上げるにはどうすればいいのか、ちょっとレポートが書けるくらいには考えたね。

 私が卑屈なだけかもしれないが、先生は最初私を何の教養もない粗野な平民と馬鹿にしていた気がする。あからさまなことは言わないが、なんとなく目つきや雰囲気に現れていた。でも私はそれに腹を立てたりしょげたりせずに、知らん顔でスルーした。そういうことだけは大の得意である。そもそも初対面の相手に好意なんて期待していないので、いちいち気にしない。私だって先生には必要なことを教えてもらう以外何も求めていないので、個人的な感情はどうでもよかった。それで平然としていたら、なぜかその態度を評価され先生の好感度を上げたらしかった。

「物怖じせず堂々としているところは大変結構です。そのふてぶてしさを本番でも忘れないように」

 誉められているのかいまいち微妙だが、先生の視線は格段に好意的になっているのでよしとする。

「あとは、もう少しにこやかに」

 言われて私は笑顔を作る。最初に引き合わされた時にもちゃんと笑顔で挨拶したのだが、これはいまだに合格点をもらえない。

「なってません。そんな、いかにも腹に一物ありそうな冷やかな笑顔ではなく、もっと愛らしく華やかに。腹黒いことなど何も考えていない無邪気な娘と周りに思わせるのです」

 ……一生懸命理屈で考えて鏡の前でスマイルトレーニングもしているんだけどなあ。普通に笑っているつもりなのに、私はそんなに腹黒そうに見えるのだろうか。性格の悪さは隠しようがないということか。ていうか先生さらっと毒舌ですね。わかってましたけど。

 時間の猶予がないので、一日のほとんどをレッスンに費やした。作法の先生が帰れば今度はダンスの先生が来て、一生踊ることなんかないだろうと思っていた社交ダンス(ただし地球世界のものとは別)の特訓だ。これはいくら頭を使っても、体力と筋力も使わざるを得ないので、終わる頃にはいつもくたくただった。疲労のあまり食欲なんて消え失せていたが、これだけ動いているのに食べなかったら絶対倒れる。そう思って無理やり詰め込んだら吐きました。すみませんねえ、脆弱な胃袋で。

 無理やり寝台に押し込まれて翌日のレッスンを中止にされて、じゃあ時間がもったいないからと布団の中で資料を読んでいたら叱られた。

「そなたは極端すぎるのだ。頑張るとなると、身体をこわすほどに打ち込む。そこまでせずに、ほどほどということを覚えなさい」

「ほどほどでやっていられる時間がありませんので」

「基礎的なところは既に習得していると聞いた。覚えが早いと教師たちが誉めていたぞ。だから無理をせずともよい」

「無理しても間に合わないくらいです。今のままでは付け焼刃にすらなりません」

「それで当日倒れたら意味がなかろう。とにかく休みなさい! 勉強も禁止だ!」

 ハルト様は絶対安静を言い渡し、私から資料を取り上げて行った。

 しかし甘いねお父様。それで全部と思っちゃいけない。まだまだ布団の中に、どっさりあるのだ。

 隠しておいた他の資料を引っ張り出し、私は睡眠時間を削って読み耽った。後日それを知ったハルト様は頭を抱えていた。

 そんなこんなの日々を経て、どうにか迎えた八月十五日。日本では言わずと知れた終戦記念日であり、ここロウシェンでは公王ハルト様の誕生日である。

 その祝いの式典はけっこう大きなイベントだった。ハルト様はまず朝にふもと近くの離宮まで赴き、そこのバルコニーから民衆に姿を見せていた。マイクがないので直接言葉をかけることはできないが、ハルト様からのメッセージはのちほど発表されるらしい。集まった人々に手を振って歓声に応える姿に、テレビで見た皇族のみなさんを思い出した。

 宮殿に戻り昼を挟んで外国の特使と会談。その後何やら宗教色のある儀式をしたりと実に忙しい。お祝いされる立場の当人がいちばん働くって、何か違わないだろうか。結局、誕生祝いは半分口実で、それにかこつけてあれやこれやとやっているのだろう。王様って本当に大変だ。

 そして夕方からのパーティが、本日のメインイベントである。

「短い期間でよく頑張りました。これまでやってきたことを忘れずに、落ち着いて臨めば大丈夫でしょう。笑顔についてはこの際無邪気な愛らしい娘という路線は諦めて、曲者っぷりを逆に活用しましょう。相手に侮らせて裏をかくのもひとつの手ですが、一筋縄ではいかないと警戒させる手もあります。あなたはそちらで行くといいでしょう」

 と、先生から激励をもらって会場へ向かう。無邪気路線は無理だと匙を投げられました。すみません、ひねくれてますもので。

 以前カームさん相手にやった時はうまくいったんだけどなあ。でも全精力を演技につぎ込んでいたから、他に気を回す余裕はなかった。今回はそれではいけないので、助言に従ってクール路線で行くことにする。

 ハルト様の後に続いて会場入りしたら、何百という視線をいっせいに浴びて速攻回れ右したくなった。いやいやいや、これはハルト様に向けられた視線だから。そのついででこっちにも向かっているだろうけどね。

 私が出席するという事前情報はすでに出回っていたから、あれがそうかと好奇心むき出しでみんなガン見してくる。そこかしこでこそこそやり合っているのは、さてどんな感想を述べているのやら。思ったよりも子供だとか、期待を外して平凡な容姿だとか、胸がないとか言っているんだろうな。けっ。

 ハルト様の挨拶があり、お偉いさんが祝辞を述べ、各国の特使が祝いの品を献上しと、しばらく堅苦しい段取りがあって、その後ようやくフリータイムである。待ってましたとばかり私に人が群がった。

「うわさの令嬢にようやくお目にかかれて光栄です。これほど可愛らしい方だったとは、公王陛下が今日まで大事に隠しておられたわけがよくわかりましたよ」

「とんでもないことにございます。皆様の前に出られるようなたしなみを持ち合わせおりませんでしたので、失礼を働いてしまわないよう遠慮していたのです」

 大げさなお世辞は逆に白々しいですよ。嫌味のつもりならインパクトに欠けて不合格です。もっと気の利いたセリフを用意してらっしゃい。

「黒髪に黒い瞳とは珍しい。外国のお生まれとうかがいましたが、どちらですか」

「北緯三十五度東経百三十九度を原点とする島国のだいたい真ん中あたりです」

 かつては黄金の国と呼ばれ、近年ではサブカルチャー発信の地として知られています。オタクはもはや世界に通じる言葉です。

「いや、なかなか賢そうなお嬢さんだ。その歳でうまく立ち回り公王陛下の庇護を得るとは、たいしたものだ。その手腕、将来が楽しみですな」

「おそれいります。サリエ卿こそ豊富な人脈をお持ちのようですね。お友達がたくさんいらしてうらやましい限りです」

 似たり寄ったりの連中とつるんでいるだけで、これぞという有力なコネはゲットできてないようですけどね。

「お噂は聞いていましてよ。イリス様やトーヴィル様、リヴェロのカーメル公とまで親しくしておいでとか。いったい本命はどなたですの? どうやって素敵な方々と親しくなるんですの。秘訣をぜひ伝授してくださいませ」

「選択肢の前だけじゃなく、いくつかセーブデータを作っておくのが基本です。意外なところにバッドエンドの落とし穴があったりしますから。最後の本命はドSな稀代の陰陽師でした。もう会えないのが残念です」

 キャラもストーリィもよかった。絵も綺麗でシステムもそう悪くなかった。ただシナリオの質があまりに低くて、レビューぼろかすだったなあ。続編出たのかなあ。やりたかったなあ。

「もうあちこちから縁談が来ているんじゃありません? 気の早い方が動き始めていると聞きましたわ。生まれが悪くても、公王様の後ろ盾があれば素晴らしいご縁に恵まれることでしょうね。うらやましいわあ」

「結婚なんて、まだとても考えられません。リア充より二次元の方が楽しいです。ルベラ夫人こそ、ご息女のお輿入れが決まったばかりとうかがいました。おめでとうございます。お相手はヤーデン家のご嫡男でしたっけ。お似合いの素晴らしい縁組ですね。しかも来年早々にお子様まで生まれるとか。おめでた続きで喜ばしい限りですね」

 女癖の悪い男と付き合って妊娠しちゃった娘を、責任取って嫁に取れとごり押ししたんでしたっけ。その男には婚約者がいたのに、おなかの子供を盾にして破談に持ち込んだんですよねー。相手気の毒だけど、そんなろくでなしと縁が切れてよかったかもね。むしろおたくの娘さん、結婚前から破綻フラグ立ちまくりで大丈夫?って感じですけど。

「ほほほほほ」

「ははははは」

「いやあはっはっは」

「お、おほほほ……」

 次々話しかけてくる人たちに、適当に合わせて会話する。露骨な嫌味を言ってくる相手には事前に仕込んだ情報を元にさくっとやり返す。主だった人物の周辺情報をまとめた資料をもらって、寝る間も惜しんで頭に叩き込んできたんだけど、あれ誰が調べたんだろうね。個人情報満載だよ。ルベラ夫人とこのデキ婚ネタはまだ非公開だったため、新事実発覚に周囲の関心が一気にそちらへ向かった。おめでとう。

「黒々しいな。邪悪な何かが背中から出てるぞ」

 貼り付けた笑顔がひきつりそうになるのをこらえて、生まれて初めてなくらい大勢と話していたら、ちょっと違うトーンの声がかけられた。振り向いた私は、作り笑いでなく自然に笑顔になれた。

「来たんだ」

「てめえが来いって言ったんだろうが」

 偉そうに言い返すデイルの歩みに合わせて、周りの人垣が一歩、二歩と下がる。あれは誰だと困惑の視線が交わされていた。

「エリーシャさんも、ありがとうございます」

 デイルの後ろに続く女性に私は会釈する。見違えるほど綺麗に装ったエリーシャさんは、ちょっと緊張したようすながら笑顔を返してくれた。

「こちらこそ、お招きありがとう」

 とても優雅に淑女のお辞儀をする。普段の元気な姿からは想像もつかないお嬢様ぶりだ。さすが、下町で暮らしても貴族なだけはある。礼儀作法はお母様から教わっていたらしく、今日のためにユユ姫のところでレッスンを受けたものの、ほとんど手直しの必要もなかったと聞いた。

 連れ立ってやってくる二人は、見た目だけならお似合いだった。デイルは背も高いし顔立ちも悪くない。黙って立っていればそれなりにイケメンだ。黙ってさえいれば。けっこうお洒落で、漫画に出てくるヤクザと違って趣味のいい服を着ている。本当に黙ってさえいればどこぞの若様という風情だ。しゃべるとバカ様だけど。

 エリーシャさんも可愛い系の美人なので、華やかな衣装がよく似合っていた。目立つ赤毛はあえてふんわりと背に流し、白い花を飾っている。溌剌とした雰囲気が魅力的な見慣れぬ令嬢に、周りの若い男どもが色めき立っているのがよくわかった。

「無理をお願いしてすみません」

「いいのよ。この馬鹿一人で来させたら何しでかすかわからないもの。そばで見張っていた方が気楽だわ」

 お目付け役を快く引き受けてくれたエリーシャさんは、やはり闊達に笑う。

「それに、お城へ来られる機会なんて滅多にあるものじゃないから。いい経験させてくれてありがとう」

「ああ、まったく、まさかこの俺がお城になんぞ来るとはな」

「あら、怖気づいちゃった?」

 ちょっとからかってやると、デイルは大人げなくむきになって言いかえしてきた。

「誰がだ! どこもかしこも気取りかえってて窮屈なだけだよ」

「そんなの最初からわかりきったことでしょ。少しはお行儀に気を付けないと、せっかくの機会を活かせないで終わっちゃうわよ」

「ふん」

 そっぽを向く大きな子供に、エリーシャさんと顔を見合わせて肩をすくめる。会話の隙をついて、近くのおじさん貴族が話しかけてきた。

「ずいぶん親しいご様子ですが、このお二人はどなたですかな? いや、失礼ながらお顔に見覚えがなく」

「私のお友達です。こちらはデイル・マッシュさん。ふもとの街で事業をなさっている方で、ベイリー・マッシュさんのご子息です」

 ベイリー・マッシュの名前に、そこかしこで反応があった。デイルのお父様は貴族社会でもそれなりに知られた大親分だ。「マッシュ家の……」「ヤクザがどうしてここに」などというささやきが聞こえてきた。

 好意的な雰囲気にならないのは仕方がない。私に対しても、一気に白い眼が向けられる。それにかまわず紹介を続ける。

「こちらはエリーシャ・リル・トーラスさん。トトー君……じゃなくて、トーヴィル地竜隊長のお姉さまでいらっしゃいます」

 今度も周囲がどよめいた。トトー君の「悪評」を思い出した人も多いだろう。ヤクザと関わりがあるという話は本当だったのかと、嫌悪に満ちた視線が彼女に集中した。

 エリーシャさんは動じなかった。貴族たちの尖った視線に臆することなく、ぴんと背中を伸ばしている。堂々としていろと作法の先生にくり返し言われた意味がよくわかった。周りの反応が非友好的であるほどに、彼女の毅然とした姿はより美しく見えた。

 周囲の反応を見回し、デイルが口の端に皮肉な笑みをひらめかせた。

「いいのかよ。ヤクザをそんなに堂々と紹介して。お姫様の評判が落ちちまうぜ」

「私はお姫様じゃないし、お友達を紹介して何が悪いの? 恥ずかしいところがあるとすれば、あなたのお行儀に難があるってことくらいかしら」

「うるせえな。どうせ中身は知れてんだ。わざとらしく気取ってみせてもかえって笑い者になるだけだぜ」

「気取るんじゃなくて、初対面の人に対する礼儀を忘れないでねって言ってるの。この後お話する相手には、もうちょっと気をつかってね」

「……ふん」

 話し相手なんか現れるのかと、デイルの目が言っている。周囲の人垣は一歩も二歩も引いて、非難のまなざしでこちらを見ている。けれどそこへ、いつもどおりの大声で割り込んできた人がいた。

「失礼――いやあ、エリーシャ嬢、お久しぶりですな! 俺のことを覚えておいでかな」

 誰もが見惚れる大きな身体で人の間を縫って出て、満面の笑みでまずエリーシャさんに話しかける。作戦半分、残り半分は本気だろう。

「まあ、アルタ様。ご無沙汰いたしております。いつもトーヴィルがお世話になりまして」

「いやいや、若年ながら立派に隊長職を果たしてくれてますよ。いや、それにしても大人びて、いっそう美しくなられましたな! どうですか、俺と付き合ってくださいませんか」

 アルタは目尻をだらしなく下げてエリーシャさんに迫る。隣でデイルがむっとしてにらみつけているが、まったくの無視だ。いつでもどこでもマイペースなおっさんだ。

「やだアルタ様、八年前にも同じことを言われましたよ」

 エリーシャさんは騎士団長の口説きをあっさりと笑い飛ばした。

「トーヴィルが入団した時ご挨拶に伺ったら、はじめましてのすぐ後に付き合いませんかとおっしゃいましたわ。私まだ十三歳でしたのに」

 八年前ならアルタは二十六歳? うわー、最低な大人だな。

「……嬢ちゃん、そんな軽蔑のまなざしを向けんでくれ」

「たしか、私と初めて会った時にも似たようなことをおっしゃいましたよね」

「可愛い女の子と出会ったら色々と期待するのが男ってもんなんだよ! なあ君、わかるよな?」

 いきなり話を振られてデイルがたじろぐ。

「はあっ? いや、そりゃ、わからなくもねえけど……」

「そうかそうか、わかってくれるか! 君とは気が合いそうだ!」

 大きな手でがっしりと肩をつかまれて、もはや逃げ腰のデイルだ。

「いや、おい、おっさん……」

「デイル君だったかな。うむ、なかなかいい面構えじゃないか。親父殿の跡をしっかり継いで頑張れよ!」

 笑いながら肩をバシバシ叩く。気合を入れすぎてデイルの身体が倒れそうだ。

「いってえな! 加減しろよおっさん!」

「おっさんではない、アルタ・ローグだ。三十四歳独身、恋人募集中だ!」

「募集すんのは勝手だがエリーシャにはコナかけんな!」

「おおっ? そうかそうか、いや俺は若者の悩み相談も得意だぞ。恋の指南ならまかせてくれ。なんなら向こうでこっそり話そうか?」

「んなこと大きな声で言って何がこっそりだよ! よけいなお世話だ!」

 前言撤回。アルタの奴、作戦関係なく100%楽しんでいるな。まあデイルをつつくとたしかに面白いけど。

 陽気な騎士団長の登場に、周囲にとまどいが広がっていく。それでもまだデイルや私たちに批判的な視線が向けられていたが、続いて現れた人が一気に場の雰囲気を塗り替えた。

「ほう、おぬしがマッシュの跡取り息子か」

 威厳のある低い声が響くと、波が引くように一斉に人々が道を譲る。貫禄たっぷりな眼光鋭いじい様の登場に、デイルは反抗的な態度を忘れてぽかんと立ち尽くした。そんな姿に宰相はふっと笑う。うーん、今のは渋かった。ちょっとときめきかけたぞ。

「なるほど、ベイリー小僧の若い頃によく似ておる。あやつの方が、もう少し気骨がありそうだったがな」

「へ……こ、小僧って」

「まあ、奴もおぬし位の頃には馬鹿ばかりやっておったがな。近頃は何やら大物扱いされて誉め称えられておるようだが、失敗ばかりしていた昔を思うと笑えるわ。たまには恩人に、手土産のひとつも持って挨拶しに来いと、帰ったら伝えるがよい」

「おや、宰相閣下は彼の父親とお知り合いで?」

 アルタの問いに「宰相!?」とデイルが目を剥く。私もちょっと驚いているぞ。表面上は平然とした顔を保ちつつ、宰相の返事に興味津々だ。

「昔馴染みだ。あれがまだ若い、ほんの小僧の頃からのな」

「ほう、それは初耳ですな」

 私もだ。今回の作戦に協力を申し出てくれたのにも驚いたが、まさかそんな裏があるとは知らなかった。

「威勢がよいばかりでしょっちゅう失敗しては死にかけておった。何度助けてやったか数え切れんわ」

「親父がいつも言ってるリュシー様って人は、宰相のことだったのかよ……」

 思い当たる点はあるらしい。デイルがそんなことをつぶやいている。

「まあその恩に報いると言って街の治安向上に役立ってくれたし、事業を成功させて失業者の雇用促進にも努めた。エナ=オラーナの発展に少なからずあやつが貢献したのは事実だが、それもわしが奴を助けたればこそだぞ。よいな、二代目。父親に、土産はシェスナ産の葡萄酒がよいと伝えよ」

「はあ……シェスナね……最近ならクーデル産の方がおすすめっすけど」

 驚きの事実に毒気を抜かれつつも、デイルは立ち直りが早い。ここぞと売り込みを開始した。

「ほう? 左様か?」

「葡萄の品種改良が進みましてね。まだ知名度が低いんで流通も少なく一般には知られてませんが、一度飲めばかならず気に入っていただけると自信を持ってお勧めしますよ。もちろんシェスナ産の品質は安定してますし、十分上質な酒ではありますが。なんなら飲み比べでもなさいますかね? 両方お届けしますよ」

「ふむ、それは楽しみだ。ぜひ頼もう」

 意外に友好的に話が進んでいる。相手が宰相と聞いて驚いたのは最初のうちだけだった。デイル、やるじゃないか。ちゃんと今日の目的を果たしている。窮屈な思いを我慢して、お城へやって来た甲斐があったというものだ。

 周りの反応も変わってきた。なんといっても宰相が彼の父親と古馴染みだったというのが大きい。ヤクザ者と蔑む視線から、街の発展の功労者という見方に変わってきたようだ。さすがだ宰相。というか、どういういきさつでこの人がヤクザの親分と知り合ったのか、じっくり聞かせてほしいな。

 貴族たちがそれぞれ近くの相手と小声を交し合っている。これまで耳に入ってきた話と、今この場で見聞きしたこととを比べ、どう判断すべきか迷っているのだろう。まだ完全にデイルを受け入れたわけではない。けれど拒絶するわけにもいかないと、困惑している。

 狙いどおりの流れだ。

 そしてこのタイミングを見計らって、真打ちが登場した。

「盛り上がっているようだな」

 ユユ姫と一緒にハルト様がやってくる。その姿に気付いた途端、全員がお辞儀をする。デイルはぎょっとした顔になったが、エリーシャさんに小突かれてどうにか頭を下げた。

「チトセ、大丈夫か? ずっと立ち続けで疲れたのではないか」

 ハルト様はまず私の体調を気づかった。それは作戦にないですよ、お父様。

「大丈夫ですよ。ユユ姫こそ大丈夫ですか? 椅子に座られます?」

「まだ大丈夫よ。先にご挨拶をさせてちょうだいな。初めまして、エリーシャ様、デイルさん。ユユ・シエラ・リージェ・ロウシェンナですわ。トトーのお姉さまやお友達にお会いできて、うれしく思います」

 初めましてどころか事前の準備から協力してくれていたユユ姫は、さも今出会ったばかりという顔で二人に微笑みかけた。エリーシャさんも完璧に初対面の顔で挨拶を返す。

「光栄にございます、姫様。こちらこそ、弟がお世話になっておりますこと、お礼を申し上げます」

「あら、それは逆でしてよ。トトーはわたくしたちの頼もしい騎士ですわ。彼の働きに助けられているのはこちらの方です」

「おそれおおいお言葉にございます。身内から見ますと、なんだかぽやっとして頼りない子に思えますが、お役に立てておりますなら何よりですわ」

「あらまあ、さすがにお姉さまは厳しいのね。ねえティト? トトーはそんなに頼りないかしら?」

 ユユ姫は楽しそうなまなざしをこちらへ流す。

「彼が頼りないというのなら、地竜隊は解散しなきゃいけませんね。トトー君より強い人はいないのでしょう?」

 私が見上げると、ハルト様はいたずらっぽくうなずいた。

「そうだな、今の騎士団でトトーと対等にやり合える者は数えるほどだろう。アルタ、最近はどうだ?」

「まだ負けるわけにはいきませんぞ。一応、俺の勝ち星の方が上です」

「いちおうなのか」

「あいつは動きが速いですからなあ。体格差でどうにか押し切っていますが、もうちょっと育つとどうなるか……」

「そういえば、そのトトーはどこにいるのだろうな?」

 ハルト様が会場を見回す。トトー君はずっと、人混みにまぎれて姿を見せない。でもきっと、どこかでこのようすを見ているはずだ。

「せっかく姉君が来ているのにな……おお、挨拶が遅れて失礼した。ようこそ、エリーシャ嬢。弟御にはいつも助けられている。チトセも先日世話になったとか。お礼を申し上げる」

「恐縮にございます、陛下」

 公王を前にして、さすがにエリーシャさんも緊張の面持ちだ。それへにこにこと、ハルト様はいつもの優しい声で言う。

「堅苦しくしないでよい。チトセから話を聞いていたせいか、それともトトーに似ておられるせいかな、初めて会うという気がせぬのだ。友達の父親くらいに思ってくれ」

「……ずいぶんお若いお父様でいらっしゃいますね」

「そうかな? 亡くなった息子もチトセと同じ年だったが……若い娘に若いと言ってもらえるのはうれしいな」

 オヤジくさいことを言いつつも、アルタと違って実に爽やかでほのぼのしている。なんの下心もないことがわかるから、デイルも怒る気にはなれないようだ。

 そんな彼へも、ハルト様は笑顔を向けた。

「そなたがデイルか。先日のことは、チトセから聞いたぞ」

「へ……や、あの、あれはちょっとした手違いでして……どうも、すみませんでした」

 声を立ててハルト様は笑う。

「こちらこそ謝るべきかな? 大分いじめられたようではないか。すまぬな、やる時には容赦のない娘なもので」

「は、はは……」

「人見知りの強いこの子が、そなたのことは気に入っているようだ。裏表がなくて信頼できるとな。跡取りがそういう人物なら、次代のマッシュ家にも期待ができる。今後も街の発展と住民の暮らしのため、力を貸してもらえるかな」

 公王からかけられる言葉として、これ以上のものはないだろう。デイルはごくりと唾を呑みこみ、頭を下げた。

「……恐縮です」

 ――これで、完全に人々の目も態度も変わった。

 忌避すべき犯罪者ではなく、街の発展に尽力する人物、頼りになる人材と公王が認めたのだ。もう噂なんて意味をなさなかった。マッシュ家との付き合いがトトー君の汚点になることはない。噂を流した張本人は、おそらくこの会場内にいるだろう。せいぜい悔しがって地団太を踏むがいいと、私はひそかにほくそ笑んだ。

 あともうひとつ、トトー君の隊長就任についても、当然のことと思い知らせたいのだが。

 会話の中でさりげなくヨイショしたものの、もうひと押し決定打がほしい。それについてもハルト様やアルタに相談し了承を得ていたのだが、当のトトー君がどこにいるのやら。

 私は周囲に視線を巡らせ、見知った姿をさがした。こちらに注目する人ばかりでなく、それぞれに会話を楽しむ人の姿もある。きらびやかな人の波間に、赤い髪が見えた気がして私は思わず足を踏み出した。

「チトセ?」

「すみません、ちょっと失礼します」

 手短に断って、私は周りの人垣をすり抜ける。

 話しかけようと再び近寄って来る人たちを振り切って、私はトトー君のもとへ走った。

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